学校からのお知らせ

2018年3月の記事一覧

保険調査票の提出を

 インフルエンザA型が増えておりましたので、ご心配をおかけいたしましたが、今週になって落ち着いてきました。3年生の県立高校一般入試も近づいてきましたので、引き続きご協力をよろしくお願いいたします。

 保護者のみなさまへは、保健調査票の提出をお願いしておりました。大変お忙しいところではございますが、5日(月)が締め切りとなっております。まだ提出をされてない方は、よろしくお願いいたします。

 読書感想文の紹介の最終回です。

深く考え実行する勇気  3年 中武 心花

 私は「あん」という本を読みました。
 なぜ、この本を選んだのかというと、以前テレビでどら焼き屋を舞台にした話だと知って、どんな話だろうと興味をもったからです。
 この本は、どら焼き屋「どら春」で働く千太郎がある一人の女性と出会う所から始まります。その女性の名は吉井徳江、76歳のおばあさんです。吉井さんは、ガラス戸に貼ってある求人の紙を指さし、こう言います。「本当に年齢不問なの?」
 私は、まさかこんなおばあさんが働くのか、と思いました。どら焼きの小豆を運んだり、それを煮たりと、体に負担のかかる仕事だから、できるわけがないと。千太郎も私と同じ考えなのか、吉井さんを断ります。
 しかし、ある日吉井さんは、またどら春を訪れます。手にはタッパーの入った手提げ袋を持っています。吉井さんはもう一度働きたいと頼みますが、断られます。その帰り際、千太郎にタッパーを渡します。その中身は吉井さんの作ったあんでした。食べると、今までに味わったことのないおいしさでした。タッパーを渡す時、吉井さんはこう言いました。「50年以上作り続けてきた」と。私は、吉井さんも、どら焼き屋をやっていたのかと考えました。
 このあんを食べた千太郎は心が変わり、吉井さんを二日に一度あんだけを作り、接客をしないという条件で雇うということにしたのです。接客をしないという条件には、吉井さんの指が関係しています。吉井さんの指は、不気味に曲がっているため、お客さんに不信感を抱かせないようにという理由でした。私は、吉井さんの指が曲がっていることに対して、なぜ?という気持ちにはなりませんでしたが、後に、この指がどら春に多大な影響を及ぼします。
 吉井さんがどら春のあんを作るようになると、お客さんがどんどん増えていきました。すると、吉井さんも徐々に客の前に姿を見せるようになり、その内、ワカナちゃんという女の子と仲良くするようになります。いろんな話をし、ワカナちゃんは遂に吉井さんの指について聞いてしまいます。昔の病気のせいだという答えを聞いてから、以降ワカナちゃんは店に来なくなりました。
 どら春は、なぜかある時期から客が激減します。吉井さんは、体力が限界だと言い、どら春をやめます。千太郎が落ち込んでいると、その店のオーナーが「吉井さん、昔はハンセン病という病気だったんじゃないの。だから指があんな風に・・・。」
 私は、正直ハンセン病って何?と思いました。本には、指や鼻が落ちたり、麻痺したりする、とありました。ここで私の気持ちは二つに分かれました。この病について、もっと詳しく知りたいという思いと、でもそういう画像は見たくないという思いです。今ではハンセン病はうつる心配のない病気だと知られていますが、でもきっと、どら春に来ていた人も、私も、人を見た目だけで判断し、その病について調べもしないから、ただ嫌だとしか思わないのです。それは、逃げているだけだと思いました。
 それから、千太郎はどら焼きにあらゆる工夫をします。しかし、客足は戻りません。それは、人に一度持った印象は何も行動を起こさない限り何も変わらないからです。「あのおばあさん、不気味だから、もうあそこには行かない」お客さんの思いは、そこで終わっていました。もし、そこで「どんな病気なのか、少し調べてみよう」とする人がいれば、また違う印象をもつはずです。
 このことは、普段の人間関係でもあることではないかと思います。子どものいじめが問題視される今、そこで生きる私たちには、まさに「知って、深く考え、実行する」この勇気が必要なのではないかと考えました。まわりの目を気にするのは、目を向けられる方だけでなく、仲間外れにされるという恐怖をもつ、目を向ける方も同じです。こうなった時に、真実を見極めることが大切だと思います。本を読んで改めて、みんなが偏見のために苦しんでいる人に手をさしのべる勇気のある人に、そして、私もそうなれるといいと思いました。
 吉井さんは、最後、千太郎とワカナちゃんに手紙を残し亡くなります。その手紙には、吉井さんから二人への愛がいっぱいでした。
 私がこの本を読んで思ったことは、口で言うばかりではなく、行動を起こさないと意味がありません。だから、私は日頃から深く考え、真実を見極めることを大切にして、誰かに手を差しのべる人でありたいです。
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本日の給食は非常食メニュー

 本日の給食は非常時に備えて備蓄していたカレーを利用したメニューでした。今年は、ひなあられやデザートもつけていただきました。
 


 読書感想文の続きを紹介します。

「自分にとっての幸せ」  3年 久木田 花澄さん

 黒髪の乙女とは、女性である私でも心魅かれるような唯一無二の女の子である。好奇心が強く、どんな時も前向きであり、勇気があり、とても幸せ者の女の子だと思う。幸せ者の彼女を見ていると、こちらにまで幸せが降りてくるようだ。
 全然関係のない討論会に参加し、「パン食連合ビスコ派」をかかげデモをおこすのも、好奇心と自由気ままなところと一生懸命なところを兼ね備えた彼女らしさの表れであり、とても素敵なところである。私もこんなふうに生きられたらなと憧れをもった。
 私がこの本の中で一番好きなところは、「若人よ、自分にとっての幸せとは何か。それを問うことこそが前向きな悩み方だ。そして、それを常に問い続けるのさえ忘れなければ、人生は有意義なものになる。」というセリフだ。つまり、幸せとは何か常に求めて生きよということだと思う。
 黒髪の乙女は、幸せに生きる方法を無意識のうちに、身につけて生きていると思った。例えば、古本市という祭りで、本との出会いの意味を考える彼女。本当は、本当の出会いを運命だと感じているが、裏には科学的な原因があるかもしれないと考えてしまう。しかし、彼女は運命を信じる。たとえ科学的な原因があったとしても、彼女は無理をせず自分が幸せだと思う方に考えを向けられるのだ、 自分にはそんな生き方ができているだろうか。今でも彼女が輝かしく、まぶしく見えるときがあるが、数年間の私はもしかしたら、彼女と真逆の性格だったかもしれない。
 中学校に入ったばかりの私は、人前であまり笑わず、何でも後ろ向きに考える人だった。もしかしたら、昔の自分はこの物語に登場する彼女だけでなく、前向きな人とはかけ離れている人だったかもしれない。
 私が人前で自然に笑うようになったのは、周りにいたクラスメートや先生方、部活動のみんながいてくれたおかげだと思う。まわりのみんなはいつも優しく、いつも笑っていた。とくに、私が困っている時に優しく笑って手をさしのべていくれた。この時に味わったうれしさは何ものにも変えられない。うれしさを重ねることにより、自分もいつのまにか笑顔になり、今は物事を前向きに考えるようになった。
 このことは、彼女とも同じだと思った。彼女の周りにいる人たちも優しく温かみのある人たちばかりだ。「幸せになるために生きろ」と言ってくれる人、彼女といっしょに夜の街を歩いてくれる人、何より彼女のことを愛してやまない先輩。彼女のまわりには、彼女を幸せにしてくれる人々がたくさんいる。そして、私のまわりにもそんな人がたくさんいる。それに気付けただけでも、私はとても幸せ者だ。
 ”自分にとっての幸せとは何か”ということを考えると、まわりに転がっている幸せにどう気付けるかだと思う。彼女のように、いつも自分が幸せだと思う方に体を向けられているかはわからない。無理して辛い方を選んで失敗することも時折ある。しかし、まわりに転がっている小さな幸せにも気付けるようになった今、数年前、人前で笑わなかった自分に比べたら、自分の幸福度はずいぶん違うだろう。
 最近は、よく「自分にとっての幸せとは何か」を考えるようになった。そして、それを考え続けることは本当に大事な事だと思う。幸せに生きるということとがんばるということについて考えるようになって、以前は、がんばるということは無理することかと思っていた。しかし、がんばらないのも後で後悔することになる。それでは幸せにつながらない。幸せにつなげるには嫌にならずにがんばるということだと思う。
 そんなときに、もう一度彼女の行動を振り返ってみた。彼女が学園祭で劇の主演をする時、彼女は自信が持てず、主演を断りそうになるが、引き受ける。この場面で、彼女の勇気も見えるが、劇に出ることを楽しもうとしているように見えた。彼女のように、楽しみながらがんばれば、幸せにつながるのではないか。やる気や好奇心などがあれば無理をせずにがんばれると勇気をもらった。
 これからも「自分にとっての幸せとは何か」について自分に問い続けてみようと思う。そうすれば、きっと辛いときも前を見続けられるような気がする。そして、まわりに転がっている幸せや自分のまわりにみんながいることの幸せを忘れないようにしたい。
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