同窓会青葉会 会長あいさつ

                    都農高等学校同窓会青葉会会長  河野 智博

   「誇りの庭、学びの庭、創造の庭、67年間、ありがとう」

 戦後の経済復興の中、昭和27年4月1日、高等教育に期待する都農町民の熱意により宮崎県立高鍋高等学校都農校舎として開校し、昭和30年2月11日に独立した宮崎県立都農高等学校となりました。初代校長平田靖男先生と学生67名からの出発でした。当時は、農作物を栽培販売した収益で学校の備品を購入したと聞いています。開校から3年後には、作詞安田尚義氏、作曲矢野義暁氏により校歌が制定されました。この校歌にある三庭の訓「誇りの庭、学びの庭、創造の庭」は、今でも卒業生一人一人の心に強く響いていることと思います。

 部活動、特に野球部は昭和32年県高校野球選手権大会初優勝、昭和36年同大会準優勝という輝かしい成績を残しました。プロ野球界や社会人、大学野球へと多くの選手を輩出するだけでなく、現在も、野球を通して地域に貢献している者も数多くおります。昭和48年には同窓会「青葉会」が設立され、創立記念式典の開催協力や学校行事、部活動生への遠征支援等、様々な活動を行って参りました。    

 都農高校は、時代の要請により、農業科廃止や商業科開設、総合学科に再編されるなかで1万名を超える卒業生を送り出し、郷土宮崎だけでなく、全国各地でそれぞれの分野で活躍され、社会の発展に尽くしておられます。

しかしながら、地域と共に独自の気風と伝統を築いてきた都農高校は、高等学校再編整備計画の一環として高鍋高校との再編統合となり、本年3月31日をもって歴史の幕を閉じることになりました。本校で出会った仲間たちと、共に笑い共に泣き、青春の夢を語り合った同窓生の皆様のお気持ちを察しますと哀惜の念に堪えません。しかし、人間がいつ生まれ、いつ死んだかということが重要な意味を持つように、本校がいつできて、いつ閉校となったのかも大きな意味を持っております。本校がその輝かしい歴史を閉じましても、かけがえのない青春時代を共に過ごした仲間たちとの絆は、いつまでも同窓生の皆様の心に生き続けるに違いありません。

 創設以来今日まで温かく本校を見守り、多くの励ましと御支援御協力を賜りました校長先生をはじめ、先生方、PTA、同窓会会員、そして企業の皆様や、最後まで御指導をいただきました都農町の皆様方に心から感謝申し上げます。最後に、宮崎県立高鍋高等学校並びに高鍋高校同窓会鳴海ヶ丘会の益々の御発展と御多幸を祈念し、閉校の挨拶といたします。

  宮崎県立都農高等学校 ありがとうございました。