日誌

寺村地区御釈迦様花まつり

今日は大窪小学校区内にある寺村地区公民館で「御釈迦様花まつり」がありましたキラキラ

今年は大窪小全校児童2名が準備に参加しました。

初めに、飾りに使うキク科アザミ属のアザミの花の準備です。

地域の方々と一緒に行いました。

アザミのほかに、季節の花も飾ります。

飾り付けが終わると、スイカズラで作った「甘茶」を御釈迦様の像にかけました汗・焦る

地域の伝統行事に参加し、地域の方々と交流を深めました花丸

この「寺村地区御釈迦様花まつり」についての解説書が公民館にありました。

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寺村地区御釈迦様花まつり保存会〔代表 高橋 郁男・金丸 伊佐雄 〕

日本全国、あちらこちらに「御釈迦様花まつり」はお釈迦様の誕生日を祝う行事として存在している。そこで、本地区、寺村での御釈迦様花まつりの由来を考えてみたい。寺村地区は、寺村という地名に表されているように、この地区は寺を中心として成り立ってきたと考えられる。その寺とは、享保の時代(1716年から1736年)現在の南平橋の北、猿丸<女鈴山の東南面>の半腹、堂ノ窪あたりに建立されていた長福寺と考えられる。その後、同寺は現在の寺村字前畑に白雲山長禅寺(飫肥城下真言宗願成就寺の末寺)と存続したが、明治5年(1872年)に廃寺となっている。廃寺になったのは、恐らく廃仏毀釈(明治初期に起こった仏教排斥運動)によるものと考えられる。しかし、地区民の方々は、御釈迦様を崇め奉る意識が高かったので現在まで長きにわたり寺村地区御釈迦様花まつりとして伝承されている。〔中略〕

補足であるが、地理的に寺村地区に近い、志布志市の宝満寺の御釈迦様花祭り(鹿児島県の三大祭りの1つ)は、明治19年から再興されている。(志布志市の宝満寺のお釈迦様花祭り、最初に始まった年は不明)そのような中、古代から志布志、串間、榎原、細田、塚田、飫肥とつながる志布志街道沿いは、政治、経済、文化、生活面等で多くの交流があったと考えられる。その街道の途中の細田では、詳しく調べてみると榎原から大窪の仏坂を通り細田につながっている。大窪の仏坂から寺村地区までは数kmしかない。その点からしても、志布志の宝満寺の御釈迦様花祭りと寺村地区の御釈迦様花まつりは、なにがしかの関係があったのではと考えると歴史ロマンは尽きない。