日誌

80年振りに甦りし第一校歌

2月某日。

ある大物実業家、本校に御来校

都城市メインホテル株式会社の代表取締役会長、中村七郎様です。

市議会議員の徳留八郎様のご紹介での来校でした。

中村様が私にお願いされたことがあります。

「明道小には第一校歌があった。」

「終戦と共に、歌詞が問題となり、校歌を歌うことが中止させられた。」

「第一校歌を歌える人間はほぼいない。」

「自分は、昭和29年の卒業生である」

私の歌声を残してほしい。」

調べてみると「軍神の森」という言葉がアメリカ軍により、問題視され、校歌が廃止されたことが分かってきました。

明道小は、終戦から昭和26年まで、校歌を持たない・歌えない学校だったのです。

 

さて。

3月某日。それは行われました。

皆で、中村会長のお話をお聞きしました。

「軍神の森」は残っているのですか?

軍神の森は、明道小の真ん前に、今も立派に残っていますよ。」

なるほど・・・。

 

さて、当時の楽譜をもとに、音楽主任の先生が、80年振りに伴奏をPCで再生されました。

その伴奏を再生して、お聞きいただくと・・・。

中村会長は、すくっと立ち上がり。

歌詞を見ずに、4番まで、完唱されました。

・・・みな、驚きました。

 

80年前の校歌を、完全に記憶しておられるのです。

歌唱後、皆、拍手喝采でした。

 

さて。

本番です。

まずは、伴奏なしのアカペラ録音。

続けて、80年振りに再生された、pc音源による伴奏ありバージョンの録音。

地域学校協働活動推進員の森清造様も、大感動!

会長には、の後、明道小 運動会の歌も歌っていただきました。

この歌の存在は、どこにも記録は残っていません。

中村会長の歌声が、唯一の生き証人となりました。

さて。

第一校歌の歌詞を見ると、現在の校歌に大きな影響を与えていたことが分かります。 

【現在の校歌(昭和26年制定)】

緑の山が美しい 歴史の古い都城

明道の生徒は 元気でまじめ

綺麗な水が流れてる めぐみ豊かな都城

明道の生徒は 丈夫でやさし

 

しかし、中村会長の心には、この第一校歌のストレートな表現が心に残っておられました。

さらに、お聞きして驚いたのは。

会長は、学校で第一校歌を歌ったことはない、ということ。

お兄さんが歌う歌声で、この第一校歌を覚えたとのことです。

第一校歌のストレートな歌詞が大好きだったそうです。

会長、今の校歌は歌えますか?

会長は強くおっしゃいました。

覚えていません!

なるほど・・・。(^^;;

 

会長と私と森清造 地域学校協働活動推進員は、その後、学校を巡りました。

開校記念の碑を見て、そこに刻まれた、建立寄贈者の名前を見て、

あ、知り合いです!

この碑は、明治33年の建立です!

会長の人脈と歴史。

すごい!٩( ᐛ )و

 

次に、昭和天皇来校の記念碑

聖蹟を紹介しました。

会長は、何か、思うところがあり。

しみじみと、その「聖蹟」をご覧になられました。

校長先生。

この聖蹟は。

運動場に埋められていたのです。

GHQに破壊されてはいけないと。

ところが・・・。

もう、安全だ、となり、探しましたが、先生方が。

どこに埋めたか分からなくなり。

子どもたち全員で、1年間かけて、

必死に探し出したのです。

懐かしいなあ・・・。

ここに移し替えられたのですね。

 

あまりにも、凄まじいい思い出に、

私は、返す言葉もありませんでした。(°_°)

 

会長に、最後に、明道館学制三章をご覧いただきました。

会長は、黙って、明道校の奥深い歴史を噛み締めておられました。

 

80年振りに再生された、明道小第一校歌

中村会長のアカペラ音源。

そして、pcで再生された、80年振りの伴奏付き音源。

さらに、幻の「明道小運動会の歌」

さらに、さらには、野口雨情作「都城小唄」(#^.^#)

 

 

近日、このホームページにアップロードされ。

明道小の新たなデジタル歴史資料となります。

 

80年振りに甦りし第一校歌

というお話でした。

歴史は、そして、人との出会いは。

かくも楽しきものなりき。

会長との出会いから、わずか、一か月後の出来事でした。

 

by 校長