子どもにとって「普通」のこと
6年生。
調べ学習。
社会の学習内容を自由に選択して、自由な切り口で作っています。
弥生時代のコメ作りをまとめる子。
国会をまとめる子。
弥生時代と縄文時代の違いをまとめる子。
平和について訴える子。
内閣についてまとめる子。
面白いなあ。同じテーマは、ほぼ皆無。
はにわについてまとめる子。
校長が注目したのは!
この基本データを何から得るか、ということです。
昔でしたら、資料集、教科書、図書でしたね。
でも、今は、一人一台端末の時代です。
もう・・・。
これは、子どもにとって「普通」のことなのです。
自然に、googleから情報を得る子どもたち。
検索技能も、インプットもとても速いです。
この姿を見る校長も、もう、まったく違和感を感じません。
世界中の資料が、あっという間に、目の前に展開されるのですから。
それは、それは、便利なものです。
子どもたちにとって、
「はい、調べて」と言われたら。
google(ぐぐる)のは、もう、ナチュラルなことなのです。
しかし。
こんな時代になるとは。
10年前には、想像もできませんでしたよ。
子どもたちの新聞づくり。
googleの力を借りて、スイスイ進みます。
ところが・・・。
いるんですね。
クロームブックを開かない「使わない」子どもさん。
それは、それで、すばらしいと思いますよ。
デジタルにはデジタルの。
アナログにはアナログの。
すばらしさがある。
・・・すごく、いい感じですね!
この日常が。
もう、子どもにとって「普通」のことなのです。
クロームブックは、子どもたちにとって。
単なる「文具」になっているのです。
まとめる「テーマ」を「自分で選択」する。
まとめる「方法」を「自分で選択」する。
これが、ある意味、究極の「個別最適な学び」なのです。
もう、この世界観は、子どもにとって、実に「普通」のことなのです。
by 校長