日誌

報道されなかったこと

5・6年対象

戦争講話。坂口フミ子さん。

実は、7月14日は、フミ子さんの誕生日でした。

 

講話終了後、みんなで、ハッピーバースデーを歌い、

花束をさしあげて、フミ子さんの90歳のお誕生日をお祝いしました。

お元気なフミ子さんでした。

 

5日前は熱中症で、倒れられたのですが、明道小の子供達に会えることを楽しみに、元気になられたとのこと。

その講話の様子は、以下のテレビ局が報道していますので、ぜひ、ご覧ください。

(文末に紹介)

 

 

ここでは、報道されなかった、事実を、ここでお知らせしておきます。

 

フミ子さんの主張。

怪我をして、手を失って、死んだ方がいいかと思った。

でも家族のことを考えて頑張って生きていこうと思った。

腕は夏の間、薬がないから大根のように腫れて、痛み続けた。

でも頑張って生き延びた。

 

戦争は恐ろしい。食べ物は全てなくなる。

お米も食べられなかった。

爆弾は降り注ぐ。機銃掃射が降ってくる。

 

今は、平和である。平和だからこそみんな、幸せでいられる。

戦争は2度としてはならない。

戦争中は、おやつなどない。カボチャの種をいって食べていた。

平和で幸せな世界を作ってください。

戦争を2度と起こしてはいけない。

ウクライナの戦争も早くやめてほしい。

 

絶対にみんなに幸せになってほしい。

立派な大人になってほしい。

友達と仲良くしてほしい。

 

講話後、質問コーナーがありました。

 

子供達の質問と、

フミ子さんの回答のやり取りが、

素晴らしかったのです。

 

「質問はありませんか?」(以下、質問と写真は順不同)

子ども:戦後がないこと、今平和であることをどう思いますか?

家族でも喧嘩したりしないように。

みんな仲良く暮らしてほしい。

 

子ども:食事が今、普通に戻ってどんな気持ちですか?

 

戦争中は、ご飯はない。

さつまいもは良い方。

むぎご飯、タニシ、川の魚、草などを食べていた。

卵はない、牛乳もない。

毎日ひもじい思いをしていた。

飢え死にする人もたくさんいた。

今の生活は、とても幸せである。

 

子ども:生活が苦しい中で、どうして、生きていこうと思ったのですか?

 

家族がいたから、生きていこうと思った。

ひとりぼっちだったら、生き抜けなかったと思う。

皆さん、自殺なんて、絶対に思っちゃいけない。

 

子ども:苦しい中でも、幸せだと思うことはありましたか?

 

幸せは、何も「ない」

この苦しみから、早く抜け出したい、

いつか、貧乏から抜け出したい、そればかりを思っていた。

生きていて良かったと思える日が、必ずくると信じて、生きてきた。

 

子供達の質問は、止まることはありませんでした。

子供達の質問は、圧倒される内容でした。

フミ子さんは、こう、まとめられました。

 

戦争が長く続きすぎたから、原爆も落とされることになった。

もっと早く戦争を止めることはできなかったのか、疑問を感じている。

 

戦争は、絶対に起こしては、なりません!

 

・・・子供達は、静かに話を聞き続けていました。

 

最後に、子供から、感想。

今日、聞いた話をもとにした、素晴らしい素敵な感想が、

フミ子さんに届けられました。

 

この模様は、1週間、ニュースサイトで見ることができます。

子供達のインタビューの答えが素晴らしいです。

 

どうぞ、ご覧ください。

【MRT】

https://news.yahoo.co.jp/articles/82b93a6728070a19f4c5eb4ea559d45a2efe9ff2

【NHK】

https://www3.nhk.or.jp/lnews/miyazaki/20220714/5060012975.html

 

フミ子さん、子供達のために、ありがとうございました。

フミ子さん、90年ぶりの、明道小訪問でした。

フミ子さん、どうぞ、

来年も、7月14日、また、明道小で、お待ちしています。

 

ハッピーバースデー、フミ子さん!

 

by 校長