日誌

ふるさと再発見:北飛行場跡

 丸野小学校近くにある北飛行場跡を紹介します。ここでは、平成29年10月17日 宮日新聞 みんなの学校『都城市立丸野小学校』に特集掲載された名所の欄をもとに、あらためて紹介します。
【「戦争」伝える立て札】※掲載内容から引用
私たちが住んでいる丸野小学校校区は、自然が豊かですばらしい場所です。しかし、畑の中にぽつんと立てられた、忘れてはならない立て札があります。昔、日本が戦争をしていた頃、私たちが住んでいる地域には、都城北という飛行場があり、少年飛行兵が練習飛行をしていたそうです。その印としてこの立て札が立てられたそうです。学校の記念誌の記録によると、丸野小学校は、軍隊の宿泊施設となり、運動場の一部は畑となったそうです。飛行場よりも南の生徒は崎田地区、北の生徒は薄谷地区の公民館や民家を中心に学年ごとに散らばって授業を受けていたそうです。空襲があれば、すぐに防空壕に逃げ込み、登下校中も危険だったそうです。今はとても平和な世の中です。昔戦争があったことなんて想像もできません。しかし、登下校中に何げなく見ている立て札の意味を、もっとみんなで考えていきたいです。そして、いつまでも今の丸野小学校の校区のような自然がいっぱいある平和な世の中になるよう、ばくたちができることをしていきたいです。(6年:代表児童3名)
ふるさと丸野小学校の校区、そして世界のすべての人のことを大切に思い行動する丸野愛を育む場所がここにもありました。