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修学旅行5


西南戦争続き・・・・・

これまでの日本国内の戦争・内乱・騒乱はほとんどが
おこった「場所」か「元号」か「名前」で表現されています。

例えば、
「島原の乱」「佐賀の乱」「桜田門外の変」「生麦事件」(場所)
「安政の大獄」「戊辰戦争」「文永の役」(年号)
「伊達騒動」「江藤新平の乱」「シーボルト事件」「平将門の乱」(人名)
等です。

事実、このへんのご高齢の方々は
「さいごゆっさがあっせ・・・・・」
(西郷さんのいくさ)
と人名を冠した呼び方をなさいますし、
飫肥藩の「小倉処平」は「西郷先生の後を追う・・・・・」
といって出陣していきました。

なぜ「西南の役」だけ「方角」が使われるのか・・・・・

お判りいただいた方はぜひ「三股町郷土史研究会」まで
ご一報下さいませ。

というようなことを考えながら黎明館を歩いておりましたら
ある場所で足が止まり、思わず涙が出そうになりました。

まだ、かわいかった幼小のみぎり
(自分で言わないと誰も言ってくれない・・・)
小さな僕を膝の上にのせて背中をトントンしながら
母だか、祖母だか、近所のおばちゃんだかが、
歌っていた歌・・・・・
「いちかけ、にかけ、さんかけて・・・・
 しかけ、ごかけではしをかけ・・・・」



こんな歌です。
若干のセリフの変化はあるものの
日本全国あちこちで歌われているらしく、
事実私の小さなころの記憶にもありますし、
しばらく立ち尽くしておりました。

小さなころの記憶といえば・・・・・
鹿児島県立博物館で、
「ちょうには まけん蛾」という企画展がありまして・・・・
(本当ですよ。私の親父ギャグではありません。)



でました。
「モスラ」
といったら受付の方が
「???????」
慌てて説明しましたが・・・・

「ほら、手のひらにのるくらいの
 小さな双子のお姉さんが、
 モスラやモスラ、ドゥンガン カサクヤン インドゥムウ・・・・
 と歌うと、南の空から飛んできて
 ゴジラを鱗粉攻撃でやっつけて
 地球の平和を守るっていう・・・・・」

通じませんでした。

残念。
まだまだ続く・・・・次は昼飯。
(校長)