学校からのお知らせ

読書感想文の紹介②

 今朝は全校集会でした。小出教諭から”障がい”について自分のことを例に出しながら、話をしていただきました。日常会話の中で、思わず使ってしまう言葉の中に、障がいのある人を蔑む気持ちがあるのではないかということをじっくり語り、このことについて一人一人が考える良い機会になったと思います。これからも、あらゆる機会を通して生徒に伝えていきたいと思います。
 昨日に続いて読書感想文の紹介をいたします。

  うつ病は身近な病気  1年 堀田 葵さん

 「まるで木がびっしり茂っていて、暗くて空も見えないような森に迷い込んだ気がしちゃうの。最初のうちは森から出られると信じているの。でもどんどん進んでいくうちにまわりにあるものがとつぜん知らないものばかりになって、もう先へ進めなくなってしまう。そうなると、ただ横になって、起き上がりたくないと思ってしまうのよ。」
 これは、物語の主人公、ゾフィーの母親がうつ病のときの気持ちを表現した言葉です。
 私は、うつ病のことについてよく知りませんでしたが、この言葉を読み、とても驚いたと同時にうつ病という病気のことが強く印象に残りました。
 物語には、ある一家の母親が病気で心身の具合が悪くなっていく様子が、十歳の四つ子の長女ゾフィーの視点で描かれています。ゾフィーという名前は、「かしこい」という意味があるそうで、その名の通り自分の気持ちだけでなくお母さんや他の家族の様子も詳しく記されています。
 本を読み終えた私の胸には、何とも言えないさびしい気持ちが残りました。なぜなら、物語の最後にお母さんが退院して戻ってくるのですが、病気が完全に治ったわけではなく、この先も家族全員で病気と向き合っていかなければならないからです。今まで「うつ病」という病気について考えもしなかった私ですが、ゾフィーのおばさんが精神科の医者でうつ病のことを易しく説明する場面があったので、「うつ病」という病気は誰にとっても身近にあるものだということが分かりました。それに、私も母親の気持ちが少し分かるときがありました。仲の良い友だちと遊んでいてもなぜか気持ちが沈んで不安になったりすることがあったからです。ただ、私の不安はいつの間にか消えてしまったのですが、母親の不安はいつまでも消えず重くのしかかるようなのです。うつ病の人とうつ病ではない人の境界線がどこにあるのか、今の私には分かりません。
 もしも私が母親の立場だったならば、うつ病のことを家族には絶対に話さないと思います。なぜなら、自分のことで家族を悩ませたくないからです。同じように考える人も少なくないでしょう。物語の母親もそうでした。でも、一人で抱え込むのは荷が重すぎるのです。病気にだんだん耐えきれなくなり、病院に入院してしまいます。
 家族は、うつ病ということを受け入れて病気が早く治るように細やかな心遣いをしていました。ゾフィーは、自身も悩みを抱えながら母親が元気になるにはどうすればいいかを考えています。母親が自身のことを考えられるように入院してはじめのうちはお見舞いに行かなかったり、誕生日ケーキを病院に持って行って母親と一緒に食べたりします。ゾフィーだけではなく、他の家族も協力して家事をして母親を支えました。それで、母親も三ヶ月入院した後に退院することができました。
 私はうつ病について理解はできても受け入れることはできないかもしれません。何気ない言葉で傷つけてしまったらどうしようなどと考えてしまうからです。しかし、うつ病は誰にでも起こりうる病気です。もしかしたら、自分がなるかもしれません。妹がなるかもしれないし、親がなるかもしれません。この本はもし身近な人がうつ病になったとき、どのように接すればよいのか考えるきっっかけを与えてくれました。うつ病のような心の病気は外から見ても分かりづらく、まして子どもにとっては理解し受け入れることの難しい病気です。でも、四つ子を登場させて長女であるゾフィーの視点で物語を薦めていくことによって、子どもにも理解しやすい物語になっています。
 現代社会においても、うつ病は大きな問題になっています。それは、うつ病が原因で自ら命を絶つ人がたくさんいるからです。世界のうつ病患者は3億人を上回っており、そのうち年間80万人もの人が自殺をしているそうです。そのため、国際的な取り組みが必要とされ、今年の世界保健デーのテーマはうつ病についてだそうです。
 このようなことを知り、私にも「うつ病」という病気がより身近に感じられるようになりました。このきっかけを通じて、心の病気についての理解を深め、受け入れられるようになりたいです。