6年分の感謝②
4年目は、正式に私が顧問となり、地区中総体に臨みました。県3位の吾田中には勝利したものの、合同チームを組んでいた北郷中には敗れ、県大会出場はなりませんでした。
新チームは、5人となり、再び吾田中から選手をレンタルして秋季中体連地区大会で優勝し、県大会に出場することはできたものの、初戦で優勝した三股中と対戦し敗れました。その後は、音楽部からバレー経験のない1名に加勢をしてもらって、6名で活動をしました。ギリギリの状況でしたが、霧島盆地新人大会3位やJA杯ベスト8、串間市協会長杯優勝など、力を合わせて活動することができました。
5年目は、1年生が3名加入し、地区中総体に優勝し、九州大会出場を目指してチーム力を高めていたところに、高校生との練習中に裏エースが骨折するというアクシデントが起こりました。彼の分までみんなで必死にカバーして県中総体に臨みましたが、エースの負傷等もあり、惜しくも初戦で敗れてしまいました。
新チームは8名となり、私は県選抜スタッフとしてなかなか週末の活動につけない中、副顧問のK先生のおかげでみっちりと練習試合もこなし、秋季中体連地区大会で優勝し、県大会でも3位に入賞しました。その後も各大会で上位に進んだものの、JA杯も含めてすべて福島中に敗れました。しかし、この年は九州大会が宮崎県開催と言うことで、3位で九州大会に出場しましたが、キャプテンとエースの負傷もあり、ベストとはほど遠い状況での戦いで、予選リーグ敗退という結果でした。
6年目に入り、JA杯で県1位となった福島中に各大会であと一歩というところで負け続けていましたが、中総体地区大会の県大会出場枠1をかけた大一番で、これまでで一番の戦いをし、見事に勝利を収めました。その勢いで県優勝、そして目標である全国大会出場を目指して必死に闘いましたが、あと一歩及ばず、県大会では3位という結果に終わりました。
迎えた新チーム。おそらくこれが榎原中での最後のチームになることを覚悟しながらのチーム作りをしていきました。スパイカーが1枚しかいない状況の中、どうやってチームを作り上げていけば良いのか…。いろいろと試行錯誤を重ねていましたが、県選抜の監督を引き受けさせていただき、さらに副顧問もいない状況の中、なかなか厳しい状況が続きました。そんな状況でも選手は必死で闘いましたが、秋の地区大会では残念ながら県大会出場権を獲得することができませんでした。その後も他チームに負けないように練習してきましたが、JA杯も2回戦で敗れてしまいました。そしていよいよ迎えた3月、それまでなかなか自分が思うところまでチーム作りが進んでいなかったのですが、最後の大会となった肝属大会で、ようやく夏を闘える試合をすることができました。
こうやって思い返してみると、結構波瀾万丈な6年間でした。私自身は未熟な指導者なのですが、榎原の伝統や地域の力のおかげでたくさんの貴重な経験をさせていただきました。保護者や地域の方々、そしてどんな指導にも最後まで食らいついてくれた選手に心から感謝をしています。にもかかわらず、受けたご恩を返すことはできず、志半ばで榎原を離れることになってしまい申し訳ありません。このご恩はきっと選手たちが返してくれると信じています。
6年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
H23~29 榎原中学校 バレーボール部 彦田 佳宏
新チームは、5人となり、再び吾田中から選手をレンタルして秋季中体連地区大会で優勝し、県大会に出場することはできたものの、初戦で優勝した三股中と対戦し敗れました。その後は、音楽部からバレー経験のない1名に加勢をしてもらって、6名で活動をしました。ギリギリの状況でしたが、霧島盆地新人大会3位やJA杯ベスト8、串間市協会長杯優勝など、力を合わせて活動することができました。
5年目は、1年生が3名加入し、地区中総体に優勝し、九州大会出場を目指してチーム力を高めていたところに、高校生との練習中に裏エースが骨折するというアクシデントが起こりました。彼の分までみんなで必死にカバーして県中総体に臨みましたが、エースの負傷等もあり、惜しくも初戦で敗れてしまいました。
新チームは8名となり、私は県選抜スタッフとしてなかなか週末の活動につけない中、副顧問のK先生のおかげでみっちりと練習試合もこなし、秋季中体連地区大会で優勝し、県大会でも3位に入賞しました。その後も各大会で上位に進んだものの、JA杯も含めてすべて福島中に敗れました。しかし、この年は九州大会が宮崎県開催と言うことで、3位で九州大会に出場しましたが、キャプテンとエースの負傷もあり、ベストとはほど遠い状況での戦いで、予選リーグ敗退という結果でした。
6年目に入り、JA杯で県1位となった福島中に各大会であと一歩というところで負け続けていましたが、中総体地区大会の県大会出場枠1をかけた大一番で、これまでで一番の戦いをし、見事に勝利を収めました。その勢いで県優勝、そして目標である全国大会出場を目指して必死に闘いましたが、あと一歩及ばず、県大会では3位という結果に終わりました。
迎えた新チーム。おそらくこれが榎原中での最後のチームになることを覚悟しながらのチーム作りをしていきました。スパイカーが1枚しかいない状況の中、どうやってチームを作り上げていけば良いのか…。いろいろと試行錯誤を重ねていましたが、県選抜の監督を引き受けさせていただき、さらに副顧問もいない状況の中、なかなか厳しい状況が続きました。そんな状況でも選手は必死で闘いましたが、秋の地区大会では残念ながら県大会出場権を獲得することができませんでした。その後も他チームに負けないように練習してきましたが、JA杯も2回戦で敗れてしまいました。そしていよいよ迎えた3月、それまでなかなか自分が思うところまでチーム作りが進んでいなかったのですが、最後の大会となった肝属大会で、ようやく夏を闘える試合をすることができました。
こうやって思い返してみると、結構波瀾万丈な6年間でした。私自身は未熟な指導者なのですが、榎原の伝統や地域の力のおかげでたくさんの貴重な経験をさせていただきました。保護者や地域の方々、そしてどんな指導にも最後まで食らいついてくれた選手に心から感謝をしています。にもかかわらず、受けたご恩を返すことはできず、志半ばで榎原を離れることになってしまい申し訳ありません。このご恩はきっと選手たちが返してくれると信じています。
6年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
H23~29 榎原中学校 バレーボール部 彦田 佳宏