部活動

595セットの軌跡①

 県大会も終わり、新チームに移行する時期なのですが、今週末はJOCのトライアウトとジュニアアスリートに6名の生徒が参加をするので、未だ新チームはスタートしていない状況です。

 これからH26~27榎原中バレーボール部のこれまでを少し振り返ってみたいと思います。

 このチームの初めての練習試合は、7月6日の木花中での練習試合でした。当初5名しかいなかった榎原中は、木花中に1名を借りて練習試合を行いました。その後は吾田中に1名選手を借りて、榎原・吾田中として活動していました。そして秋の中体連で敗れた後、それまで音楽部で活動していた③が助っ人として加入し、榎原中として活動することになりました。

 それから鹿児島遠征や正月合宿等を経て、JA共催杯ではベスト8に入りました。しかし、アシックスカップ出場を逃したことで、途中鹿宮対県大会がありましたが、特に意識すること無く、2月からは4月以降のチームを見据えて、U-14に出るという名目ですぐに6年生を入れた練習を始めました。しかし2月の半ばに行われたU-14大会では、3位で九州大会には出場することができませんでした。これは大きなマイナスとなりました。その後も来られる範囲で6年生も含めて練習をし、練習試合にも参加させていました。

 そして、4月に入り、正式に音楽部だった③と1年生が入部してきました。しかし4月の大会は津曲杯・鹿屋大会ともに安定感のない試合運びで、残念な結果となりました。そこから5月のゴールデン都城、県南地区大会で優勝し、熊本県で行われた中原旗でも強豪ひしめく中3位という結果を残し、地区中体連を迎えました。地区中体連はほぼ完璧な内容で、やっと思い描くバレーの片鱗が出てきて、全国への道が見えてきました。結局その後、②の骨折や怪我、部活動停止など大きなトラブルが重なりましたが、なんとか県大会を迎えることができて、宮崎西中戦では現状でのベストのプレーができたのではないかと思います。

 この1年間で、18の大会に出場し、優勝6回、3位が3回、ベスト8が6回という結果でした。県レベルの大会では大きな結果を残すことはできませんでしたが、5名でスタートし、それほど恵まれたメンバーではない中で、選手達はほとんどの大会で全力を出し切ることができたと思います。結果を残せなかった原因は、やはり監督の指導力不足につきます。特に怪我人が出たりするなど万全の状態で最後の大一番を迎えさせることができなかったことが一番の反省点です。そして、この反省を次に生かしていくことが一番大切なことだと感じています。

 次は全595セットについて振り返って見たいと思います。