PTAの部屋

創立記念日

10月15日は61回目の創立記念日です。本校は昭和35年に富島中学校から日向中校区として独立、1、2年生のみによる生徒数799名でスタートしました。第1回の卒業生が75歳くらいですから、3代に渡って日向中というご家庭もあるのではないでしょうか。

坊主頭と(ざつ)(のう)(肩掛けタイプのかばん)の時代、もんぺの清掃着の時代、ブルマーがハーフパンツになり、セーラー服の三角タイがリボンに代わり、学生服のカラーがなくなり、刻々と変化は続いていきます。変わらないのは、ここが13(12)歳から15(14)歳の子どもたちが、青春時代の入り口を駆け抜ける場所だということです。


昭和62年当時の校門付近の様子

          

                  

希望の坂道がこんもりと木々に覆われています。

 

さて、日向中学校には「日向中学校後援会」という組織があり、毎年創立記念日前後に総会を行ってきました。メンバーは歴代のPTA三役ですが、代表として元会長さんたちに集まっていただき、校長先生と現会長から日向中の現在について報告し、ご意見を伺い、交流を繋げてきました。

平成14年に新たな校門として建立された「希望の卵」と「希望の丘」も、後援会の事業として作られました。この一対のモニュメントは、日向中学校にゆかりのある彫刻家 田中等氏が制作され、碑文も田中氏によるものです。

  
  「希望の卵」           

       「希望の丘」
 
  平成28年度、中校舎、北校舎を残して、現在の新校舎と体育館が完成しました。当時の日髙俊一郎校長が、校歌の中の「白い学び舎」という歌詞を重視され、新校舎も白い壁面になりました。真新しい校舎は清潔で気持ちの良いものですが、古い校舎には愛着と温もりがあります。♪しろいまなびや わがぼこう♪と口ずさむ時、頭に浮かぶ校舎はそれぞれの時代の、違う「白い学び舎」なんだなあと思うと感慨深いものがあります。

 

 

また、地域の方々にとって本校は「校区内の中学校」というだけでなく、災害の際には避難所となります。PTAバザーが盛んな頃使っていた大鍋で炊き出しを行うような事態が起こらないことを願うばかりですが、もしも平日の昼間大きな災害が起こったら生徒も学校に足止めされます。備えあれば憂いなし。不測の事態に活かせるような防災知識、訓練、そして連携を深めていきたいものです。