日誌

平和の尊さをかみしめて・・・。平和講話編

館内に入ると、語り部の方に講話をしていただきました。

最後に、子どもたちからいくつか質問をしました。

〇 特攻兵は、何歳から何歳?→17歳~32歳

〇 見送る時、女性は泣いてはいけないというのは本当ですか?→気持ちをおさえていたんだ。

〇 何で、桜の枝を持って見送るのですか?→ぱっと潔く散るということだよ。

〇 何日前に命令はでるのですか?→1週間くらい前

     

長い人生の中には、悲しいこと、苦しいこと、いやなこと、死んでしまいたいこともあるかもしれない。その時、特攻兵を思い出して。生きるために、志を達成するために一生懸命生きて欲しい。84歳のおじさんは、英語でも説明できるように今でも勉強しているよ。感謝の心を伝えられるように。特攻兵は、明日死ぬとわかっていてもちゃんと感謝の言葉を残している。心の勉強をして帰って。と、どの言葉も心震えるものばかりでした。

   

延岡の若者も4名いたと話され、驚いている子どもたち。戦争の歴史を知ろうと必死で話を聴きメモをとっていきました。少年飛行兵は14歳から・・・。憧れの的。厳しい訓練ののち、パイロットになるのですが、それが特攻兵になるのだそうです。祈り、願い、後に残る者を信じつつ、特攻として飛び立ちました。

知覧高等女学校13歳から、特攻兵の世話をしました。6,000枚の遺書、手紙、持ち物が飾られた知覧特攻平和会館。その中に保管してあるある手紙。お母さんへあてた手紙でした。大元気という言葉は普段使わないけれど、お母さんにずっと元気でいて欲しいという願いがあったようです。

講演のお礼の言葉、代表児童が、「これから一生懸命生きていきます。」と述べました。

そして、講演に感動した児童が、語り部の方にキーホルダーを渡したい!と、走りました。

「大事にするよ。素敵な贈り物をありがとう。」ともらってくださったそうです。

全校児童の思いを込めた千羽鶴もしっかり飾り、館内をゆっくり見学しました。

   

特攻兵が弾いたグランドピアノも飾られていました。

このピアノでモーツァルト『月光』を演奏した姿を想像すると、胸が締め付けられました。