学校ニュース

西南戦争と学校

昨日は、古墳の話題でしたが、今日は、明治時代の話題です。

福小正門のすぐ近くに、下の写真の標示「西南の役 戦没者墓地」が立っています。

この標示の「西南の役」とは、ご存じのとおり、1877年(明治10年)、西郷隆盛を盟主にして起こった士族の反乱「西南戦争」のことです。

串間市史936ページを見てみると、次のような記載がありました。「明治10年2月、西郷隆盛の挙兵に呼応し、串間地区(第十大区)大区長坂田諸潔は、串間の士族をもって福島隊を編成し出軍したが、その中には学校世話係や教員からも20名近くが参加している。中には、戦死、戦病死した者のほか戦後処理で投獄されたり、獄中で死亡した者もあり、教育関係者も無縁ではなかった。また、直接戦闘には関係のなかった串間地区でも学校閉鎖があり、教育活動へ与えた支障は大きかった。」

この西南戦争では、教員不在、家族の避難、学校や校庭が兵士の訓練に使用されたことなどによって、串間地区の全学校が閉校したと言われています。

福小のすぐ近くに今も存在する戦没者の方々の慰霊碑。この地に立って、改めて、現代、子ども達が学校へ通い、私達教職員が教育活動を行えていることのありがたさ、平和の重要性を痛感させられます。