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被爆体験伝承講話が行われました

 9月12日(金)本校にて被爆体験伝承講話が行われ、講師に広島県から出山ひさ子様をお迎えしました。

 被爆者の平均年齢は96歳となり、その経験を直接聞くことは年々難しくなっています。出山様は、実際に被爆者の体験を聞き、「伝承」という形で思いや願いを次の世代へ語り継ぐ活動を続けておられます。

 この日は〈幸せとはなにか・命とはなにか・平和とはなにか〉の3つのテーマを軸に、子どもたちに語りかけてくださいました。

 講話では、被爆者である鳥越不二夫さんの体験を紹介されました。鳥越さんが生まれる前から日本は戦争をしており、〈平和が存在しない毎日〉それが当たり前だったそうです。1945年8月6日、雲ひとつない青空の下、B29のエンジン音とともに原子爆弾が投下されました。その瞬間、太陽が爆発したかのような閃光と爆風が街を襲いました。秒速280mにも達する熱線と衝撃。全身に煮えたぎったお湯を浴びせられたような痛みが走りました。周囲には顔や体を焼かれた人々が「痛い」「苦しい」「水を」と助けを求めていたそうです。

 鳥越さんご自身も大やけどを負われました。病院には消毒も薬もなく、お酢と小麦を混ぜたもので応急処置をされ、全身を包帯で巻かれました。死の淵をさまよいながらも、母親の子守唄だけが心の支えとなったそうです。血や膿があふれるたび、母親は毎日のように包帯を替え続けました。母親の懸命な看護のおかげで、鳥越さんは奇跡的に助かったそうです。

 

 出山さんによれば、鳥越さんはこうおっしゃったそうです。

 「幸せとは息ができること。つまり、当たり前の日々こそが幸せ」

 「私は一度、原爆で命を失ったようなもの。このかけがえのない命を大切にしなければならない」

 「平和とは、毎日三度の食事ができる当たり前の日常のこと」

 そして、平和な世界をこれからも守り続けていくための心構えとして「周りの人を大切に思うことが平和につながる」と、強い思いを子どもたちへ伝えてくださいました。

 原爆投下から80年が経った今でも後遺症に苦しむ人々がいます。そして世界に目を向けると、今もなお紛争や戦争が続いています。中東での対立やアフリカ各地での民族間の衝突など、平和とは程遠い現実の中で暮らしている人々も多くいます。このような現実は「平和を守ること」の重大さと責任を改めて私たちに問いかけているように感じます。

 今回の被爆体験伝承講話は、児童生徒たちだけでなく、会場にいた教職員含め全ての人が「平和のバトン」を受け取った会になりました。これからは私たちが、それを次の世代へつなげていく責任があります。二度と同じような過ちを繰り返さないために、そして平和な日常を世界中に広めるためにも、私たちにできることは何かを考えていかなければなりません。まずは鳥越さんと出山さんがおっしゃったように「周りの人を大切にする」ことを大切にしながら、行動していきたいと思います。