校長室から

戦後80年

 戦後80年になりますが、戦時中の広原小学校はどのような生活をしていたのでしょうか。

 100周年記念誌(昭和49年発行)によりますと、昭和19年に、沖縄からの疎開児童を受け入れたという記録が残っています。宿泊する場所がなかったため、学校の裁縫室を整理し、冬寒い時期に、布団がなくて困っているということから、各家庭から布団を調達したりと、地域の方の手厚い支援が感じられます。疎開に来た児童は、昭和21年には全員帰還できたとのことですが、下の写真はその時のものだそうです。本地区から帰還した子供たちは、沖縄で全員お迎えがあったとのことです。その翌年には、沖縄より、感謝のためにとのことで数名招待されております。

学校の統合に向けて

 150年の歴史をもつ広原小学校も、本年度で閉校となります。閉校に向けての準備は多岐にわたるため、本校では、昨年度、統合実行委員会を立ち上げ、閉校の式典、記念誌、記念碑をどうするかについて話し合いを進めているところです。5月22日には、教育委員会の方が来られ、児童に統合することの意義と、来年度から、生活がどう変わるのかについての説明がありました。また、新しい学校の名前「たかはる学園」に込められた思いなどについても説明がありました。子ども達は、閉校・開校するということについてのイメージが深まってきたようでした。

              教育委員会による説明の様子

令和7年度のスタート

令和7年度がスタートして1ヶ月と半分が過ぎました。
ゴールデンウイークも明け、新学年での学校生活にも慣れてきたところです。本年度の学校経営方針につきましては、学校だより4月号にも記載しておりますのでご覧いただければと思います(本ホームページにも掲載しております)
 来年度は、高原町は小学校が1校に統合されることになっています。本年度が、広原小学校最後との年となります。子どもたちに、広原小学校の歴史にも興味をもってほしいとの思いから全校集会では、折に触れ、昔の広原小学校の話をしております。5月1日の全校集会では、昭和49年に行われた創立百周年記念の様子の写真を見せながら昔の学校の様子について話をしました。昭和20年頃は現在と違い、200名ほどの児童がいたこと、水は、近くの川に水車があり、その力で水をため、飲料水などに使っていたこと、物資が少なく、裸足で登校していた児童もいたことなどを話しました。昭和50年に創立百周年の記念誌が発行されており、これが大変参考になりました。

             百周年記念式典の様子

令和6年度を振り返って

 令和6年度の修了式がありました。卒業生7名がいなくなり、体育館に整列した子ども達の姿がすごく少なく感じました。4・5年生は、卒業式の準備や片付け、練習などにも参加し、ずいぶん成長した姿がみられ、頼もしく感じたところでした。校庭の桜は、卒業式の日に開花しました。花が卒業生を祝っているように感じられます。職員の努力もあり、子ども達もずいぶん成長しました。わからなかったことがわかる、できなかったことができるようになる成功体験を積み重ねていくことで自分にも自信が生まれ、学校生活もより充実してくるものと思います。令和7年度も、子ども達にとって、楽しい、充実した学校生活が送れるよう努力して参ります。

             校庭の桜(3月26日撮影)

高原町生涯学習振興大会

 3月2日の昼より、ほほえみ館で、生涯学習振興大会がありました。吹奏楽やジュニアコーラス、ダンスなどたくさんの団体による発表がありました。その中で、西広原自治公民館の活動発表がありました。本校の民生児童委員をされている、入佐さんが代表で、上平踏切近くの花壇の植栽活動について発表されました。苗や球根の管理や本校の5・6年の児童と一緒に活動を行ったことを発表されました。花壇への植栽により、道路を通行される方に、心のゆとりをもち安全運転を心がける願いをこめ、この活動を続けているとのことでした。素晴らしい発表でした。