島浦の伝説
島浦に残る伝説を2つ紹介します。

<メキシコ女王の伝承>
 今から約百年前のある夏の日のこと、一隻のカツオ船が島浦港に帰ってくるところでした。港まであと5kmほどのところで波間にただよう大きな木箱のようなものをみつけたのです。その木箱をみんなで船に引き上げ、切り破ることになりました。
 ぽっかりと開いた木箱の穴から、白骨化した人間の不気味な顔がのぞいてみえます。しかし、その頭の部分はすっかり抜け落ちたとはいえ、ふさふさとした金色の髪がまとわりつき、その上には、赤くきれいに光る石や青くすんだ石など、キラキラと輝く不思議な石を一杯にちりばめた黄金の冠が輝いていました。
 港へ帰るまでの間に、この木箱をどうするか、漁夫達で話し合いました。
「宝物だけ取り出して、木箱は流してしまおう。」
「たたりが恐ろしいから、このまま海に流してしまおう。」
など、なかなか話合いはまとまりませんでしたが、宝物の価値があまりに大きすぎ、そして不気味であることから、小島の一隅に深い穴をほりうめてしまいました。島では、「メキシコ女王の墓」として語り継がれています。
 その後、島ばかりではなく、延岡からも宝物をねらって探しに来る人達がでてきました。それを怒ったメキシコ女王は、幽霊となって日井の浜に出てくるようになったという話も伝えられています。



 
<ゆりこん柱>
 明治20年の正月29日、地下(地区の名前)からおこった猛火は、島の2地区のほとんどを全焼させました。必死の消防活動もむなしく、火のいきおいはおとろえることなく、焼けるにまかせる状態でした。若い男達が漁に出ているときの出来事で、地下や奥納屋の老人達は家財道具や女子どもを乗せて沖に漕ぎ出す他ありませんでした。
 このとき、白浜地区では、区長や老人などの残っている人達が集まって、島野浦神社に一心不乱に祈り続けました。すると、神への祈りが通じたのか、お社の屋根から一羽の真白い鳥がとびたち、白浜地区の上空を飛んで小村の丘の柚の木にしばらく体を休め、真白い翼を2、3回羽ばたかせました。すると、不思議にも火はおとろえはじめ、白浜地区はかろうじて火事からまぬがれることができました。
 旧暦10月29日の夜になると、火事をまぬがれた白浜地区では、どこからともなくかけ声がおこってきます。
「コレワイサーノ・フン・エーイ」「コレワイサーノ・フン・エーイ」
 白浜地区の人達は海岸に集まって、用意されたウラジロ(シダの一種)に火をつけます。裸になった若い男達は体をひとあぶりした後、たいまつをかざし、全長20mの杉柱をかついで海中につかっていきます。
 沖あい100mの海中に、大火が消えた時刻を見計らい、柱を立てる行事です。(現在は埋め立てられたため、消防団の幹部のみで岸壁の突端に柱を立てて火災予防の祈願をしています。)


 参照:〔郷土島野浦 =語りつぐふるさと=(改訂版) 渡部誠一郎編著 平成8年〕
島浦の郷土料理
 現在でもつくられている名物料理です。ここでとれる新鮮な魚を知り尽くして生み出された料理であり飽きのこない味わいがあります。島野浦のふるさとの味をぜひご家庭でもつくってみられてはどうでしょうか。
 ただし、ここに紹介した材料やつくり方は、あくまで目安です。それぞれの家庭で「おふくろの味」といえる材料、つくり方、そして味があります。

<あげみ(てんぷら)>

〔材料(4人前)〕

○魚(なんでもよい)・・(中)10尾 ○卵・・1~2個 ○小麦粉・・50g  ○塩・・・10g  ○砂糖・・・25g   ○タンサン(食用重曹)・・・少々   ○水・・・カップ1/2 ○ 薄口しょう油・・・少々  ○ 揚げ油・・・適量
〔作り方〕
 ① 魚を三枚におろし、腹骨と皮を取り、ミキサーにかける。
 ② ①をすり鉢にとり、砂糖・小麦粉・卵・水・タンサンを加え、粘りが出るまでよくすりこむ。
 ③ ②に塩・薄口しょう油で味付けする。
 ④ 手に水をつけて③を適量取り、円形に平べったくのばす。
 ⑤ 油で揚げて、薄いキツネ色になったらできあがり。

<たたっこ>
〔材料(4人分)〕
 ○魚(アジなど)・・・10尾  ○しょうが・・・1片  ○みそ・・・60g   ○唐辛子・・・1/2個  ○タマネギ・・・1/2個
〔作り方〕
 ① 魚を三枚におろし、腹骨と皮を取る。
 ② ①をまな板の上で、小さく、粘りが出てくるまで包丁でたたく。
 ③ ②の中へ、タマネギとしょうがのみじん切り・唐辛子を入れ、さらにみそを入れて、よく混ぜ合わせたらできあがり。

参照:〔郷土島野浦 =語りつぐふるさと=(改訂版) 渡部誠一郎編著 平成8年〕
島浦の自然