えびの市立上江小中学校(施設一体型小中一貫教育校)~元気いっぱい 夢いっぱい 笑顔がいっぱい 上江小中学校~
校歌
小学部校歌
作曲 海老原 直
作詞 黒木 淳吉
1 白鳥こしきの 連山に 雲わりのぼり みどり風
平和のつかい 白はとの きぼう求めて 進もうよ
みんな楽しく 元気よく のびろよのびろ 上江小
2 流れゆたかな 川内に ひろがる平野 いねの波
光にそよぎ すこやかに まこと求めて 進もうよ
みんな明るく 元気よく のびろよのびろ 上江小
3 海どう花咲く 木崎原 遠い祖先の うた声が
強く生きよと うったえる 理想求めて 進もうよ
みんな正しく 元気よく のびろよのびろ 上江小
中学部校歌
作曲 海老原 直
作詞 黒木 淳吉
1 白鳥こしきの 連山に 雲わりのぼり みどり風
平和のつかい 白はとの きぼう求めて 進もうよ
みんな楽しく 元気よく のびろよのびろ 上江小
2 流れゆたかな 川内に ひろがる平野 いねの波
光にそよぎ すこやかに まこと求めて 進もうよ
みんな明るく 元気よく のびろよのびろ 上江小
3 海どう花咲く 木崎原 遠い祖先の うた声が
強く生きよと うったえる 理想求めて 進もうよ
みんな正しく 元気よく のびろよのびろ 上江小
中学部校歌
作曲 西田 英雄
作詞 斉藤 恙子
1 流れも清き 川内川の
そのみなかみに 産声あげし
若人われら 白鳩健児
集える学び舎 ああ上江中
2 亀城のあとの 真白き砂は
澄みてにごらぬ われらが心
南に高き 霧島山は
常に変らぬ われらが理想
3 若き血潮を 誠の道に
きたえし体は みんなのために
ささげて悔いぬ 白鳩健児
永久に輝け ああ上江中
そのみなかみに 産声あげし
若人われら 白鳩健児
集える学び舎 ああ上江中
2 亀城のあとの 真白き砂は
澄みてにごらぬ われらが心
南に高き 霧島山は
常に変らぬ われらが理想
3 若き血潮を 誠の道に
きたえし体は みんなのために
ささげて悔いぬ 白鳩健児
永久に輝け ああ上江中
【中学部校歌の由来について】
本校が創立されたのは昭和22年4月、そして約10年後に上江中学校校歌が作られました。
当時は、「飯野町立上江中学校」と呼ばれており、現在の「えびの市立上江中学校」に変わったのは、昭和45年12月になります。
歌詞の中に「川(せん)内川(だいがわ)」や「亀(き)城(じょう)」が出てくるのは、その名残です。
この校歌の中で、シンボルとして扱われているのが「白(しら)鳩(はと)健児(けんじ)」という言葉です。この言葉の中の「白」という色には、「素直で純粋に育ってほしい」という願いが、「鳩」には、「礼儀をわきまえ、争いを好まず、おだやかに物事を解決できる『マルい心』を育てていってほしい」という願いが込められているといわれています。
その昔、ここ上江の地では、のちに「南九州の関ヶ原」と呼ばれた「木崎原の合戦(かっせん)」が繰り広げられ、多くの命が奪われました。
その後、当時の上江の人々は、戦いを制した島津義弘候(よしひろこう)の命令により、敵味方の区別なく、全ての亡骸(なきがら)を川の水で洗い清め、祈りを込めて葬(ほうむ)って使者たちを慰めたといわれています。
2番の「澄みてにごらぬ、われらが心」「常に変わらぬ われらが理想」の歌詞には、平和な世の中を望む「純粋な心」と「高い志」が示されているといわれています。
お知らせ
【 お知らせ 】
11月行事が確定しました…10月28日(月)段階で学校行事にupしています。後日、日程を変更することがあります。(仮)とついている行事につきましては、まだ決定されていないものとご了承ください。その際は、白鳩メールで連絡をしますので、よろしくお願いします。
学校行事
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
27 2 | 28 1 | 29 2 | 30 1 | 31 4 | 1 2 | 2   |
3   | 4   | 5 3 | 6 3 | 7 6 | 8 1 | 9   |
10 2 | 11 1 | 12 3 | 13 1 | 14 4 | 15 1 | 16   |
17   | 18 1 | 19   | 20   | 21 3 | 22 3 | 23 1 |
24 1 | 25 1 | 26 1 | 27 3 | 28 5 | 29 1 | 30   |
訪問者カウンタ
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