校是
HE THAT NOTHING QUESTIONETH NOTHING LEARNETH.
(自ら疑問を持たなければ何も学ぶものはない)
校是は、16世紀のイギリスの慣用句に由来する。この句は「知識とは、当たり前と思われている事にも疑問を発し、問いかけるところから生まれるものであり、生きて働く真の学問は、自らその疑問を解かんと、進んで学習する態度や意欲の中から得られるものである」ことを意味している。
このことは、生涯学習の基本理念である「みずから学ぶ意欲」に通じるもので、単位制高等学校としての本校教育の背骨を貫く不易の精神を述べていると考える。
ここで、本校の校是をあえて原文にしたのは、単なる奇を衒うといった発想によるものではなく、グローバルな視野で、しかも、既成のステレオタイプな精神論に堕する事を避け、自由で新鮮で、広がりを持つ言葉の響きを求めたからであり、本校がこれまで構築してきた優れた歴史と伝統を基礎に、さらに飛躍し、発展していくことを願ってのことである。
なお、現文の表現は中世英語のそれであるが、それはまた、人類がその悠久の命題として求め続ける文化・文明の形成に、分かちがたく関与してきた「学ぶ」ことの姿勢に時代を超えて不易なものがあることを暗示するものと解せられ、今後、急激な社会の変化があるといっても人間がその社会の有りように適用し、力強く生きていくよりどころとしてその価値を失うことはないと考えるからである。
教育目標
自ら求めて学び
すすんで社会に貢献する
人間性豊かな生徒の育成をめざす
すすんで社会に貢献する
人間性豊かな生徒の育成をめざす
これからの学校教育は、生涯学習の基礎を培うものとして、「自ら学ぶ意欲と社会の変化に主体的に対応できる能力の育成」を重視していくことがその目標として強く求められている。
生涯学習の本質を、各発達段階において、アイデンティティの形成を促し、「……としての自分」の自己選択というアイデンティティの形成過程にいかにかかわるかという視点で捉えるならば、その学習の在り方は、学習者の生活環境や年齢差あるいはその修学目的を超えて、普遍の教育理念で貫かれるべきものと思われる。「学習の意欲と主体的な生き方」は、まさにその教育理念の中核をなすものと考える。
「意欲」とは「やる気」のことであり、それは、「やりたい」という欲求と、「やらねばならない」という価値判断に支えられた「やり遂げよう」という決断と、意図実現までの努力の継続としての意志の結合した心理現象である。従って、欲求だけでは意欲とは言えず、さまざまな欲求とその目的の結合関係の中から一つを選び出し、決断して意図を形成し、意図実現までやり抜こうとする意志に導かれた「やる気」に高められてこそ「意欲」と言えるものである。ここに「自ら求めて」と表現したのは、学習者の「意志」を求め、生涯にわたって学習する動機と実践力の起点的精神を期待するからである。
その際、学校として、自ら学ぶ目標を定め、何をどのように学ぶかという主体的な学習にしかたを身に付けさせる配慮が必要である。生徒に活動や学習への適切な動機を与え、学ぶことの楽しさや成就感を体得させる配慮は特に重要である。
次に「すすんで社会に貢献する」とあるのは、自己を高めながら同時に、いかに社会に調和し社会の発展に貢献していくかという、社会の成員としての学習者のいわば努力規定である。
我が国の社会の変化を的確に予測することはもとより困難であるが、たとえば情報化などの急激な変化はさらに継続していくものと思われる。加えて高齢化の進行や国際社会における責任の増大など、我が国はこれまで直面したことのない、新たな変化や問題に取り組むことになるであろう。このような新たな変化や課題に対処するためには、主体的に変化に対処する能力をもち、個性的で多様な人材が今後いっそう求められると思われる。その主体的に変化に対処する能力とは、たとえば、困難に立ち向かう強い意志、問題解決に積極的に挑む探求心、主体的に目標を設定し、必要な知識・情報を選択活用していく能力、自己を抑制し他者を尊重しつつ、良好な人間関係を築いていくことのできる資質などのことである。
しかも、こうした主体的に取り組む資質は、社会に適応し、かつ、社会の発展に寄与していく前進的・福祉的・奉仕的な精神と結びつくものでなくてはならない。「自己を高めること」と「他を高めること」が統合的に結び合わされるような学習活動が期待されるゆえんである。
最終段の「人間性豊かな生徒の育成」は前二段を総括し、これからの生徒像を規定する本校の教育理念の核心に触れる部分であり、学校教育の主目標たる「人間として調和のとれた発達をめざし、心身ともに健全な国民の育成」を包括的に表現したものである。
生涯学習の本質を、各発達段階において、アイデンティティの形成を促し、「……としての自分」の自己選択というアイデンティティの形成過程にいかにかかわるかという視点で捉えるならば、その学習の在り方は、学習者の生活環境や年齢差あるいはその修学目的を超えて、普遍の教育理念で貫かれるべきものと思われる。「学習の意欲と主体的な生き方」は、まさにその教育理念の中核をなすものと考える。
「意欲」とは「やる気」のことであり、それは、「やりたい」という欲求と、「やらねばならない」という価値判断に支えられた「やり遂げよう」という決断と、意図実現までの努力の継続としての意志の結合した心理現象である。従って、欲求だけでは意欲とは言えず、さまざまな欲求とその目的の結合関係の中から一つを選び出し、決断して意図を形成し、意図実現までやり抜こうとする意志に導かれた「やる気」に高められてこそ「意欲」と言えるものである。ここに「自ら求めて」と表現したのは、学習者の「意志」を求め、生涯にわたって学習する動機と実践力の起点的精神を期待するからである。
その際、学校として、自ら学ぶ目標を定め、何をどのように学ぶかという主体的な学習にしかたを身に付けさせる配慮が必要である。生徒に活動や学習への適切な動機を与え、学ぶことの楽しさや成就感を体得させる配慮は特に重要である。
次に「すすんで社会に貢献する」とあるのは、自己を高めながら同時に、いかに社会に調和し社会の発展に貢献していくかという、社会の成員としての学習者のいわば努力規定である。
我が国の社会の変化を的確に予測することはもとより困難であるが、たとえば情報化などの急激な変化はさらに継続していくものと思われる。加えて高齢化の進行や国際社会における責任の増大など、我が国はこれまで直面したことのない、新たな変化や問題に取り組むことになるであろう。このような新たな変化や課題に対処するためには、主体的に変化に対処する能力をもち、個性的で多様な人材が今後いっそう求められると思われる。その主体的に変化に対処する能力とは、たとえば、困難に立ち向かう強い意志、問題解決に積極的に挑む探求心、主体的に目標を設定し、必要な知識・情報を選択活用していく能力、自己を抑制し他者を尊重しつつ、良好な人間関係を築いていくことのできる資質などのことである。
しかも、こうした主体的に取り組む資質は、社会に適応し、かつ、社会の発展に寄与していく前進的・福祉的・奉仕的な精神と結びつくものでなくてはならない。「自己を高めること」と「他を高めること」が統合的に結び合わされるような学習活動が期待されるゆえんである。
最終段の「人間性豊かな生徒の育成」は前二段を総括し、これからの生徒像を規定する本校の教育理念の核心に触れる部分であり、学校教育の主目標たる「人間として調和のとれた発達をめざし、心身ともに健全な国民の育成」を包括的に表現したものである。
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