日誌

延岡第空襲の掲示

 昭和20年6月29日、アメリカ軍による大空襲を受け、多大な被害を受けました。毎年、延岡市では、大空襲を受けた6月29日の午前10時に、犠牲者の冥福を祈るとともに、世界の恒久平和を願い、黙祷をしております。

 本校でも中校舎2階の掲示板に延岡大空襲に関わる資料を掲示担当の職員が掲示しています。平和を願うこと、平和を保つためにできることをそれぞれが自分事としてとらえて考えてほしいと願っています。

 今山公園にある「延岡空襲受難碑」に以下のようなことが刻まれています。

 20年3月4日から終戦前日まで10数回の空襲を受け、とくに20年6月29日午前1時15分から市中心部に対する3時間にわたるB29爆撃機40余機による油脂焼夷弾攻撃は投下約50万発、市中心部は一瞬のうちに火の海となり、その勃火の中を市民は阿鼻叫喚かろうじて五ヶ瀬、大瀬両河原に避難したがまさに戦争のうんだ悲劇であった。
恐怖の一夜があけると市街地の大半は一木も残らず焼きつくされ、一望焦土と化しているのを市民は呆然と眺めながら肉親を求めて右往左往するのみであった。この焼夷弾攻撃による被害は別記の通りであるが、銃後を護る市民をはじめ学徒挺身隊、産業報国隊など非戦闘員の受難者は実に300名を越えた。