日誌

2024年6月の記事一覧

6月10日 梅ちぎり(1・2年生)

 不土野小の運動場に、梅の木があります。今年も実を付けていました。ただ例年と比べると量が少なかったようです。春先の多雨が影響しているのでしょうか、、、それともミツバチが飛ばなかったとか?

 低学年の2人が、梅をちぎってきてくれました。全部で何kgぐらいでしょうか。

 一つずつ丁寧に洗って、汚れを落とししっかりと乾燥させます。

 氷砂糖と一緒につけ込んで、梅シロップを作る予定です。

 疲れた体にはクエン酸が効果的なようですね。私も積極的にクエン酸をとろうと思います。

6月7日 音楽?体育?

 低学年の音楽の授業は、体を動かす場面も多くあって、消費エネルギーが高そうです。見ている方も楽しめます。

 この日は、体育館で、、、何をしているところでしょうか?

 マットや跳び箱の間から姿を見せる子どもたち。何をしているところか聞いてみると、かくれんぼをしているのだそうです。

 教科書にある、わらべうた「かくれんぼ」を歌いながら、実際にかくれんぼをする。

 なるほど、それは教室じゃできないですね。

6月6日 ひなたの学び

 宮崎県教育委員会では、学びに向かう力を育む「ひなたの学び」を推進しています。

 6日は、その研修会がZOOMで行われ全職員で参加しました。

 案内のチラシなどを保護者のみなさまにも配付したことはあるかと思いますが、せっかくですので少し説明をさせていただきます。

 目指す子どもたちの姿を次のように掲げています。

○  ひとりひとりが問いをもち 【主体的に学ぶ姿】
例えば、「学ぶことに興味や関心をもっている」「見通しをもって、粘り強く取り組もうとしている」

○ なかまとなって学び合い 【対話的に学ぶ姿】
例えば、「子供同士の協働を通じ、新しい発見や豊かな発想が生まれる」「家族や地域の人との対話を通じ、自己の考えを広げ深めている」

○ たかめよう深く考える力 【主体的・対話的な学びにより、考えを深めようとしている姿】
例えば、「一つ一つの知識がつながり、「わかった!」「おもしろい!」と感じている」「これまで考えもしなかったことにまで、考えが深まっている」

 これらの、頭文字をとって「ひ・な・た」の学びです。

 教育の場だけでなく、意識できるような環境を作ってあげるのも、私たち大人の役割なのかもしれません。

 共に手を携えて頑張っていきましょう!

6月5日 落語指導スタート

 今年初めての落語指導がありました。

 初めてとは言っても、放課後週に一度集まって練習をしているようですし、何より、今まで培った経験があります。

 私も初めて見せてもらったのですが、想像以上に「落語」でした。目の前で聞かせてもらい、噺にどんどん引き込まれていくようなそんな感覚さえありました。

 不土野小の伝統である「落語」。来月には師匠をお招きして、稽古をつけていただきます。

 今日の練習で自分なりに気付いたこと、友達の発表を見て感じたこと、先生方からもらったアドバイスなどなど、自分の中に落とし込んでよりよい噺に昇華させてほしいと願います。

 また、いろいろな機会に披露させていただこうと考えています。ぜひ楽しみにしていてください。

6月4日 全校朝会(6月)

 6月の全校朝会です。

 教頭先生が、以前勤めた学校の廊下歩行の様子を話していました。人数の多い学校でできることを、不土野小でもしっかりやっていきましょうというお話でした。

 時に、廊下移動中に声が出てしまうことがあることがあるので、みんなで意識できるといいですね。

 きっとできるはずです!期待しています!

 今月の目標は「落ち着いた学校にしよう」です。

 梅雨に入ると室内で過ごすことが増えてきます。落ち着いて過ごすことで、ケガを防いだり安心して過ごせたりすると思います。

 落ち着いて、学習に臨む姿勢も大切ですね。こちらも期待していきます。がんばれ、不土野っ子!

6月3日 ツバメの巣

 校舎の北側にツバメが巣を作っていました。2,3年ぶりらしく、勝手に「おかえり」と思って見ています。

 ツバメは幸運をもたらす鳥とも言われているそうで、これで、今年の不土野小には幸運がもたらされること間違いなしです。

 ツバメの親鳥は、一日中、ヒナのために餌を探しに飛び回っているということです。一日をかけて、子どものために飛び回る…。すごいことです。見習わなくてはなあと思います。

 禅の言葉に、「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉があります。教育の世界に限らず、日常場面でもよく引き合いに出される言葉です。啐啄同時とは、鳥の雛が卵から産まれ出ようと殻の中から卵の殻をつついた音(啐そつ)、それを聞きつけた親鳥がすかさず外からついばんで殻を破る手助けをすること(啄たく)を意味します。

 子育てに置き換えて考えてみると、親や教師が子どもの成長に過干渉になりすぎず、しかしながら、成長しようとしている瞬間を見逃さずに手助けをすることができるかどうか…。

 子どもたちが卵から生まれ出ようとするということは、当たり前のことを当たり前に取り組んで過ごすことだと思います。

 そんなことを思いながら、ツバメが舞う初夏の空を見上げたところです。