【校長室】天地神人

 高千穂町に赴任して、7か月が過ぎた。この地で学ばせていただいたことはたくさんあるが、神社におけるマナーもその一つである。多くの神社が存在するので、各種礼法や所作を見る機会が増えたのは明らか。参拝者が身と心を清める「手水舎(ちょうずや・てみずや)」、玉串奉奠、二礼二拍手一礼、歩行箇所等、自分なりにあらためて学習している。大祭等へ招かれることも多く、その都度目にする宮司の所作はやはり本物。一度や二度見ただけでは気がつかないところまで、目に見えてくる。私自身何となく以前よりも背筋がピシッと伸びているような気がする。この高千穂にはたくさんの神社があり、たくさんの神様がおられる。これだけ多くの神様がいらっしゃるのは、言うまでもなく高千穂が日本神話の舞台であり、そこに登場する神々の足跡がいろいろなところに残っているからである。また、深い山々や森、澄んだ川の水や流れ、どこからともなく吹き渡る風等、人の力を超えたものの存在を身近に感じられるところだからこそ、神への信仰心が人々に根付いているのだと思う。高千穂の人々は、願い事があるときばかりでなく、普段から人に会えば挨拶を交わす。気負いなく自然に、そして真摯に神に祈りを捧げる。人々にとって神様は、日常の暮らしと深く結びついた心のよりどころであるように感じる。『古事記』『日本書紀』に記された天岩戸(あまのいわと)伝説を伝える天岩戸神社、『続日本書紀』にて「高千穂皇神(たかちほすめかみ)」と記された高千穂神社、槵觸(くしふる)神社、荒立神社等、江戸時代には5戸に1社の割合で神社が存在していたという記録がある。現在も、氏神様が100以上、その他の神を合わせると500社近くあるという説もあり、いつもは鎮守の杜で人々を見守っている氏神様が年に一度、村人の家にお来しになり、人とともに舞い遊んで、一夜を楽しまれるお祭りが「高千穂の夜神楽」である。この夜神楽は、11月下旬から翌年2月までがシーズンである。それぞれの地域社会の中で、ご先祖様から子へ、先輩から後輩へと代々受け継がれているもので、地域の保存会の方々が指導にあたっている。

 話は変わるが、本校の文化祭は「紅葉祭」と呼ばれている。国語弁論や英語暗唱・弁論の発表、合唱コンクール、吹奏楽演奏等、内容は他の中学校とほぼ同じであるが、一つだけ本校ならではの特色がある。それは、地域伝統芸能である。神楽をはじめ、棒術、なぎなた、民謡、注連縄(しめなわ)や彫(え)り物づくり等を地域の保存会の方々を講師に招いて、総合の時間に合計10時間学習する。コロナ禍以前は、この紅葉祭で披露していたようであるが、ここ3年間は実施していなかった。そして、コロナ禍が開けた今年度、紅葉祭への観客等の入場制限を撤廃し、保護者はもとより、地域の方々にも広く案内し、たくさんの方々に観覧していただこうと、手狭であった会場を町武道館に移した。それと同時に地域伝統芸能についても、披露を再開した。実行委員会や教職員は企画・運営等、初めてのことや久しぶりのこともあり、大変だったと思うが、学校運営協議会をはじめとする来賓の方々やたくさんの地域の皆さんにも見ていただける機会がつくれたことを嬉しく思う。子供たちは「飛翔 ~音に乗せて個性よ羽ばたけ~」という素敵なテーマを掲げてくれた。予測困難な世界に、勢いよく羽ばたいていくための後押しをしてくれるのは、子供たちの笑顔と活躍、我慢や勇気である。地域伝統芸能を披露するのは4年ぶりの企画で、実行委員会や生徒会、学習部の先生方は、かなり頭を悩ませたのではないかと思う。10時間という短時間でどれくらいクオリティーを高められるかと不安が頭をよぎった。予想どおり、アンケート回答の中には一部厳しい意見もあったが、概ね好反応であったと私は思う。10時間の学習時間だけでなく、当日まで協力してくださった講師の方々には本当に頭が下がる思いである。課題はまだまだ残されているが、困難なことは承知の上で、「メリットを大いに生かし、できることを前提に精一杯頑張る」という関係者すべての力が、今年の紅葉祭に繋がった。人それぞれ、いろいろな個性があり、意見の違いや思いどおりにならないことがあるのは、学生時代も社会に出ても同じである。今置かれている環境の中で、仲間とどう協力して、それぞれの「個性を羽ばたかせる」かは、生きる上でとても大切なことだと思う。

 天孫降臨の聖地として日本建国にちなんだ神話と伝説が今も息づき、そこかしこに神々の気配が感じられるこの地に住む子供たちは高千穂町の宝である。飛翔というスローガンのように、さらに羽ばたいていけるよう、今後も様々な手段を講じていきたい。

令和5年11月2日(木)