日誌

8/9 母親の思い

今日の集会では、平和学習を行いました。

先の戦争では民間人の方々も多数亡くなっています。

生徒達も写真や映像などで目にする機会も多いとは思います。

その亡くなった方一人一人はどんな思いだったのか・・・・。

今日の集会では、東京大空襲で亡くなった赤ちゃんと母親の姿をとおして生徒達に考えてもらおうと思い以下の資料を準備しました。

以下、原文の要約です。(須田卓雄さんという方が、1970年12月29日に朝日新聞に自らの体験をもとに発表されたものです。)

-------------------------------------------------------------------------------------

 

昭和二十年三月十日の東京大空襲から三日目か四日目のこと、私は永代橋から深川木場方面で死体の片付け作業に従事していた。
異臭や無惨な遺体にも慣れていたが、ある遺体に違和感を覚えた。
その人は赤ちゃんを抱えていて、さらに、その下には大きな穴が掘られていた。
母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、爪は一つもなかった。

指で固い地面を掘り、赤ちゃんを入れ、その上におおいかぶさって火を防ぎ、わが子の命を守ろうとしたのだろう。

赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。
小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。
だが、その赤ちゃんもすでに息をしていなかった。

私たちは涙で顔を汚しながら、その女性の顔を丁寧に拭きとると、若い顔がそこに現れた。
ひどい火傷を負いながらも、息の出来ない煙に巻かれながらも、苦痛の表情は見られなかった。
これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。
人間の愛を表現する顔であったのか。

そして、誰かが「花があったらなあ」と言った。

あたりは、はるか彼方まで、焼け野原が続いていた。

私たちは十九才の学徒兵だった。

-------------------------------------------------------------------------------------