PTAの部屋

2021年10月の記事一覧

不思議なPTA

購買部の片隅で不思議な題名の冊子を発見しました!

 その名も『不思議なPTA』

 1992年「母と子」という雑誌の9月臨時増刊号として刊行された冊子です。

これによると、戦後のPTAは、1947年、当時の文部省から全国の各学校に通達された指針により再開しました。このときのPTAの概念は「子どもの幸福と教育をまもりたかめるために、親と教師が協力して、学習したり、行動することを課題とした自主的団体である」とされています。PTAは、Parent Teacher Associationの略、明治時代から戦前にかけては「後援会」や「保護者会」という名称で活動していたようです。

内容としては現在とそぐわないところもありますが、「行事を少なく、だいじなことだけをするPTAに」「“忙しくない”活動を効果的に」という考え方は、コロナ禍においてのPTA活動の在り方として念頭に置きたいものだと思います。

この本を開いたことで、30年前の日向中PTAがどのような活動をしていたのか知りたくなり、保存してある広報誌を読み返してみました。

群馬県で開催された日本PTA研究大会では、1つのPTA活動組織の活性化について、参観日の出席率向上、決めた時間以外にテレビを見ない習慣化などの研究発表をしたことが報告されています。

校則の見直しやPTAバザーに関するアンケート、「いま、子どもの心が見えますか?」という特集では生徒に対してアンケート調査を行っています。

 この年の9月から学校週5日制がスタートしており、「学校週5日制を考える」という教頭先生の記事には、「学校週5日制は、家庭教育2日制とも言われ」「休みが増えるとゆとりができて家庭や地域が本来の機能を取り戻し、生きる楽しみを見いだす契機になるのではないか」と書かれています。

 また、『生徒手帳』というコラムでは、6月には「地球サミット」(環境と開発に関する国連会議)が開催され、フロンガスによるオゾン層の破壊、工場や自動車の排気ガスを原因とする酸性雨による森林荒廃、二酸化炭素の増加による地球温暖化についての対策が話し合われたこと。「少子高齢化社会」が危惧され、「子どもを産み育てたくてもためらってしまう社会環境の悪さが出生率低下の原因の一つである」という引用から、当時の中学生が大人になったころ直面するであろう地球規模の問題を憂慮しています。まさに現在を予見している記事です。

 今、PTA役員として活躍してくださっている方たちのなかには、このころPTAに係わってくださった方々のお子さんがたくさんいらして嬉しくなります。


お父さんやお母さんがPTAに関わる姿を見ていたことでハードルが低くなるのかもしれません。

 研究大会がオンラインで開催されたり、打ち合わせや連絡をライングループで行ったりと、取り組み方も変化してきています。ハードルはぐーんと低くなっていますよ(^^)

            
                         

エコロジカル・フットプリント

美郷町北郷区で開催された「県民総ぐるみ教育推進研修会」に参加しました。

 その中で、NPO法人フードバンク日向の理事である難波裕扶子さんの「すべては子どもと地域の未来のために ~続かない未来を続く未来へ~」という講演がとても分かりやすく、みんなに聞いてほしい大切なお話でした。

今なぜSDGsなのか。人類は存続の危機にあり、この逼迫した状況を速やかに改善するために私たちひとりひとりが今ある生活を見直して、ずっと続いていく未来を取り戻そう。そのための17の世界的目標、169の達成基準、232の指標からなる持続可能な開発目標が、Sustainable DevelopmentGoalsです。

また、人類が地球環境に与えている「負荷」の大きさを図る指標を「エコロジカルフットプリント」といいます。地球はひとつしかないので、本当なら私たちは限られた資源を分け合って大切に使わなければならないのですが、私たちが消費する資源の量が、1年間に地球が再生できるエネルギーの供給量を超える日を「アースオーバーシュートデー」といい、今年は7月29日(グローバル・フットプリント・ネットワーク:GFN発表)だったそうです。さらに、もし日本が輸入に頼らないで国内の消費活動を賄うとしたら、日本が7.8個分必要という計算になるそうです。当然日本はひとつしかありませんから、残りの6.8個分は地球への借金ということになります。未来の人たちが使えるはずの資源を、私たちが先取りしてしまっているのです。これはぞっとする事実です。

 

 SDGsは世界的な目標ですが、取り組むのは私たちひとりひとりです。では、今私にはどんな取り組みができるでしょう。SDGsの17の目標に当てはめてみることにします。

1 貧困をなくそう  労働者への適切な賃金のためにフェアトレード表示の製品を選ぶ。   

2 飢餓をゼロに   いただいたり買いすぎた食品をフードバンクに届ける。

3 すべての人に健康と福祉を  予防接種用ワクチン購入のための寄付をする。

4 質の高い教育をみんなに   チャイルドスポンサーシップに参加する。   

5 ジェンダー平等を実現しよう 家事を分担する。

6 安全な水とトイレを世界中に 洗濯はまとめて。入浴はなるべくシャワーで。食器は洗う前に汚れを古紙でふき取る。

7 エネルギーをみんなに そしてクリーンに 節電、節水、リサイクルをこころ

がける。ゴーヤなどを育ててグリーンカーテンを作りクーラーをひかえめにする。家電などを買い替えるときはエネルギー効率のよい製品を選ぶ。

8 働きがいも経済成長も  労働者への適切な賃金、労働環境の改善、児童労働をなくすためにフェアトレード表示のある製品を購入する。 

9 産業と技術革新の基盤をつくろう 災害復旧のための寄付をする。

10 人や国の不平等をなくそう   障害のある人、LGBTなどを個性ととらえる。

11 住み続けられるまちづくりを  自治会に加入し地域のことに目を向ける。地域の清掃作業などに進んで参加する。

12 つくる責任つかう責任 食べ残しをしない。使い切れない量の買い物をしない。エコマーク(文房具、ポリ袋など)、バイオマスマーク(トイレットペーパー、セロテープ、スティックのりなど)のついた商品を選んで購入する。家庭菜園を作った野菜を食べる。

13 気候変動に具体的な対策を 公共交通機関を利用する。徒歩が可能な範囲で買

い物をする。

14 海の豊かさを守ろう   エコバッグ、マイボトルを使用する。

15 陸の豊かさも守ろう   FSC®認証(ジュースのパックや菓子箱、ティッシュ、トイレットペーパーなど)、間伐材マーク(割りばし、紙コップ、ノートなど)、RSPOマーク(石鹸、洗剤、カップ麺など)などの製品を使用する。

16 平和と公正をすべての人に  政治に興味を持ち必ず選挙に行く。

17 パートナーシップで目標を達成しよう  地域でSDGsに取り組む企業や活動を応援する。

 

 

 

 世界気象機関(WMO)は、このまま地球温暖化が進むと2040年代にはアフリカの氷河がすべて消滅する見通しだと発表しました。エコロジカルフットプリントの低い国々の人たちが、先進国のもたらす温暖化の影響で洪水や干ばつ、酷暑など生死に係わる被害を受けることになります。

SDGsについて考えてみて、私にできることはほんの少しだけれど、私が100人いたら、1000人いたら、「ほんの少し」がたくさん集まって、地球の行方を変えていけるかも!ということなんだと思いました。みんなで知って、係わっていきたいものです。

             


                          

創立記念日

10月15日は61回目の創立記念日です。本校は昭和35年に富島中学校から日向中校区として独立、1、2年生のみによる生徒数799名でスタートしました。第1回の卒業生が75歳くらいですから、3代に渡って日向中というご家庭もあるのではないでしょうか。

坊主頭と(ざつ)(のう)(肩掛けタイプのかばん)の時代、もんぺの清掃着の時代、ブルマーがハーフパンツになり、セーラー服の三角タイがリボンに代わり、学生服のカラーがなくなり、刻々と変化は続いていきます。変わらないのは、ここが13(12)歳から15(14)歳の子どもたちが、青春時代の入り口を駆け抜ける場所だということです。


昭和62年当時の校門付近の様子

          

                  

希望の坂道がこんもりと木々に覆われています。

 

さて、日向中学校には「日向中学校後援会」という組織があり、毎年創立記念日前後に総会を行ってきました。メンバーは歴代のPTA三役ですが、代表として元会長さんたちに集まっていただき、校長先生と現会長から日向中の現在について報告し、ご意見を伺い、交流を繋げてきました。

平成14年に新たな校門として建立された「希望の卵」と「希望の丘」も、後援会の事業として作られました。この一対のモニュメントは、日向中学校にゆかりのある彫刻家 田中等氏が制作され、碑文も田中氏によるものです。

  
  「希望の卵」           

       「希望の丘」
 
  平成28年度、中校舎、北校舎を残して、現在の新校舎と体育館が完成しました。当時の日髙俊一郎校長が、校歌の中の「白い学び舎」という歌詞を重視され、新校舎も白い壁面になりました。真新しい校舎は清潔で気持ちの良いものですが、古い校舎には愛着と温もりがあります。♪しろいまなびや わがぼこう♪と口ずさむ時、頭に浮かぶ校舎はそれぞれの時代の、違う「白い学び舎」なんだなあと思うと感慨深いものがあります。

 

 

また、地域の方々にとって本校は「校区内の中学校」というだけでなく、災害の際には避難所となります。PTAバザーが盛んな頃使っていた大鍋で炊き出しを行うような事態が起こらないことを願うばかりですが、もしも平日の昼間大きな災害が起こったら生徒も学校に足止めされます。備えあれば憂いなし。不測の事態に活かせるような防災知識、訓練、そして連携を深めていきたいものです。