2学期終業式の話
今日は、「青木世界観」という本を紹介したいと思います。
皆さんは、プロ野球のヤクルトスワローズに所属していた、青木宣親選手を知っていますか。
青木選手は今シーズンをもって引退しました。
青木選手はこの日向の地で高校まで過ごした人です。日知屋小学校・富島中学校・そして日向高校を卒業されています。
この本には、青木選手と尾崎世界観という人のやりとりについての話が掲載されています。
今日は、この本の中の青木選手の一つのエピソードを皆さんに紹介したいと思います。
青木選手は、日向高校を卒業後、大学でも野球部入部します。
その時、はっきり「4年後にプロに行きたい」と決意したようです。
大学に入学したときの青木選手は、クリーンアップを打つようなバッターではなく、どちらかというと、繋ぎの役割を期待された立場だったようで、セーフティーバント、盗塁、進塁打、そういったことをひたすらやらされ、 チームの為に攻撃を繋ぐ役割を担っていたようです。
とはいえ、プロを目指していた青木選手は、長打や、ヒットという分かりやすい形で数字を残してプロに認めてもらいたいとも考えていたようです。
しかし、当時の野球部の監督からは、ずっと「小技」や「つなぎ」と言う役割だけを求められ、ヒットやホームランを狙いたい、自由に打ちたい自分の意思と違うことから、監督に反発し、練習態度も良くなかったようです。
そんな中、夏の練習試合での青木選手の怠慢なプレーに、監督が激怒し、「おまえはもう野球を辞めろ」と言われ、野球部のグランドへ出入り禁止となります。
青木選手は、プロ野球選手を目指しており、辞めるわけにはいかない。と、とにかくひたすら「もう1回やらせてください」と監督の下に通いますが、監督は「だめだ」の一点張り。しかし、しばらくして青木選手の熱意を認めて復帰を許され、やっと練習に参加出来ることになります。
その時、青木選手は「こうなったら監督言うことだけを聞いて、監督の教えだけを忠実に守ってやってみよう」と決意して実行します。
その結果、大きく技術が向上し、その年の大学の大会において、首位打者のタイトルを取ることとなります。そしてその時の活躍を見たプロ野球のドラフトの目にとまり、プロ野球選手への道が開けたのだそうです。
当時の事を振り返って、青木選手は、次の様な事を話しています。
「自分の理想と、自分の生きる道との間で葛藤があったし反発心もあった。でも、人の意見を受け入れないのではなく、まず聞いて実行して、そこで気づけることや得られるものは必ずあると分かった。それからは必ず、人の意見に耳を傾けるようにしています。」
青木選手は日本プロ野球史上でただ一人、1シーズン200本安打を2度達成した選手です。そして新人王、首位打者、盗塁王を獲得したこともある、日本プロ野球史上でも偉大な選手の1人です。メジャーリーグにも挑戦し、活躍しました。
その素晴らしい結果を残した選手もその成長の途中では、様々な苦労があったようです。それを乗り越える為に、「人の話しを聞くこと」の大切さを学び身に付けていったのです。
この本は、最近本校の図書館に寄贈されました。
興味がある人はぜひ読んでみてください。