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2024年9月の記事一覧

9/9 鎮魂歌

 

「今日の授業」では、1年生の国語の時間の様子を紹介しました。

実際に戦争を体験した方の話が20年以上も教科書に載り続けるということは、それだけ私たちに様々なことを投げかけ、考えさせるものであるからだと思います。

以下にあらすじを記載しますが、気になる方はお子様の教科書をご覧になってください。

 

あらすじ

弟のヒロユキは太平洋戦争の真最中、僕が小学4年生のときに生まれた。

父は戦争に行き、毎日のように空襲があった。

食べ物は十分ない中、母は僕たちに食べさせるために自分はあまり食べなかった。そのせいで、ヒロユキのためのお乳が出なくなった。

配給のミルク缶1つがヒロユキの大切な食べ物だった。

そんな大切なミルクを、甘いものが欲しい僕は盗み飲みしてしまう。

そんな作者に母は怒るでもなく、『ミルクはヒロユキのごはんだから、ヒロユキはそれしか食べられないのだから』と言う。

空襲がひどくなったため疎開しようと思い、引っ越しの相談をするために田舎の親戚を訪ねた。

母と僕と弟を見た親戚の人が口にしたのは「うちに食べ物はない」と言う言葉だった。

くるりと後ろを向いて帰った母の顔は悲しくも、子供達を必死で守ろうとする強く美しい顔だった。

ようやく疎開先が決まり、石釜という山あいの村に引っ越した。そこは桃源郷のようで僕は胸をはずませた。

しかし疎開者に配給はなく、着物と米と交換するしかなかった。

着物もなくなると、ヒロユキは病気になり、しばらく入院していたが、ヒロユキは栄養失調で死んでしまった。

 ヒロユキのために小さな棺が用意されたが、棺が小さすぎて入らなかった。

母は、「大きくなっていたんだね」と言って初めて泣いた。

 ヒロシマに原爆が落とされたのはその九日後のことだ。さらにその三日後には、ナガサキに-。

 そして、六日後の一九四五年八月十五日、戦争は終わった。

 

米倉斉加年さんのあとがき

”戦争ではたくさんの人が死にます。そして老人、女、子どもと弱い人間から飢えて死にます。私はそのことをわすれません。…そのことを私たちはわすれてはならないと思います。そのことをわすれて、私たちの平和は守られないでしょう”

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