PRINCIPAL'S OFFICE

【校長室】惜別

校長職が終わろうとしている。およそ2年前、本校に赴任したときの衝撃は今でも忘れない。4月早々、物珍しそうに自分を見つめる生徒が、元気よく挨拶する光景はどの学校でもよくある。しかし、玄関の床に膝をつけ、タイルのくぼみの跡が膝に残るほど、せっせと雑巾をかける生徒はあまり見たことがなかった。しかもこういう生徒を校内の至る所で見かけたのである。先生方のご指導に感謝すると同時に、その指導をしっかりと受け止め、行動に移す生徒たちが輝いて見えた。これほどの学校があるとは思いもしなかった。それから一緒に学校生活を送るほど、生徒の良さがさらににじみ出てきた。男女とも仲良く、グループ分けや班編成で性差を考慮する必要もない。地域の方々から「高千穂の宝」として、大切に育てられ、生徒は健やかに育っている。僻地校の小規模校ならまだしも、各学年70~80名の全校生徒240名の在籍数の学校において、これほど落ち着いている学校がどれほど存在するであろうか。それほどこの2年間が充実していた。

定期異動が新聞で報道されると、これまでお世話になった方や諸先輩の先生方からたくさんのお電話をいただいた。午前4時20分のメールは数校前まで赴任していた学校のPTA会長からであった。「引っ越し手伝い行きますよ」と。

民間企業の経営資源は、人、物、金、情報、、時間、知的財産と言われる。様々な教育課題を抱える学校の現場では、教師によってその教育効果はいくらでも変動する。経営資源の筆頭にあげられる「人」次第であるということである。だから私は、人材育成により力を注いできた(つもりである)。そういう意味で人と接してきた。

現場一筋で生きていこうと考えていた私は当然、それほど人脈があるわけでもないが、ある出来事がきっかけで管理職になった。たった5年であったが、その間多くの仲間が管理職になり、第一線で活躍している。今年度本校から移動する先生の新たな赴任校には、その仲間がいる学校もある。また、私が今度勤める学校には私の初任校で、27年前まで3年間勤めた。当時の教え子は40歳半ばとなり、中学生の子供がいる年代であり、さっそく、「娘の担任をしてほしい」との連絡があった。縁を感じる。これまで教員としてやって生きたことに間違いはないと確信できる。人生の伏線回収が始まったと感じる。

次の仕事内容は、初任者の指導を担当する拠点校指導教員である。計画書や報告書は何度も見ており、決裁もしてきた。しかし、実際にその担当ともなり、手引き書を見てみると勉強をし直す部分もたくさんある。一から勉強のやり直しである。まさに「人生常に60点、学びなくして成長あらず、志叶うまで挑戦」である。

一昔前までは60歳で、定年退職。今では役職定年も選択できる。私を必要とする学校がある以上、もう少し頑張ってみようと思う。高千穂の皆さんお世話になりました。