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小学校制度を短期間で整備できた理由

 それにしても、明治の初めに、なぜ短期間で日本は小学校制度を整備することができたのでしょうか。不思議ですよね。その一番の理由としては、「寺子屋」が存在していたことだと言われています。梶山小学校も、過去の記録を見ますと、元々は、「郷校」(寺小屋式の学校)だったようです。

 江戸時代幕末にはすでに全国に数万と言われる寺子屋が存在していました。現存する多くの小学校は、寺子屋、または私塾などの民間の教育機関が母体となって誕生しました。中には藩校や武家の教育的な機関から小学校へと整備された例もあったようです。

 その後、明治時代に、何度か学校制度は改正されました。1886年(明治19年)には「小学校令」が出されます。この令では、小学校を「尋常小学校」と「高等小学校」の2段階に分けました(各4年制)。「尋常小学校」の4年間は、「保護者は子どもを就学させる義務がある」と規定しました。そこで初めて義務教育がスタートしたというわけです。