日誌

2024年12月の記事一覧

12/10 備え

昨日の午後に、西諸県地区へき地・小規模校教育研究会の研修会がえびの市立岡元小学校で行われました。

その中で、高原町立広原小学校の「自分の命を守る防災教育」についての実践発表がありました。

広原小では毎年1月26日を新燃岳を考える日とし、町教委作成の「百人の記録」を用いた学習や、ヘルメット着用集団下校、町内小・中学校一斉引き渡し訓練などを行っていることが紹介されました。

2011年の新燃岳噴火から13年が経ちますが、現在も県の火山情報のメールでは火山性地震が増加しているとの情報が配信されています。

須木地区も霧島火山帯に含まれていることを考えると、噴火への対応について備えておくことが大切だと改めて考えさせられました。

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12/9 マウス

1968年の今日(12月9日)は、「ITの父」と呼ばれるダグラス・エンゲルバート氏によってインターネットの歴史の出発点となるデモンストレーションが行われた日だそうです。

このデモンストレーションでは、専門家しか操作ができなかったコンピュータを誰でも操作できるよう開発されたマウスが披露されました。

その時のマウスは本体に金属の車輪がついていてその回転で移動を読み取っていました。その後回転するボールに、そして現在は光による読み取りへと進化はしていますが、基本的な原理や使い方はほぼ同じです。

それまで世の中になかったものを新たに発想するだけでもすごいですが、現在も同じ原理で使い続けられる程の普遍性を持ったレベルのものがその当時につくられたことも驚きです。

今も世界のどこかで、同じような普遍性をもつ発明がなされている途中かもしれません。

 

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12/6 友情

今日の校内ロードレース大会は、天候には恵まれましたが、風のために体感温度が低く、応援するには少し寒い日でした。

私は長距離走は苦手で、中学も高校もほとんど最後から一桁の順位でした。

特に高校時代の長距離走大会は10㎞だったため、全校生徒(1500人位?)が見ている中で、校門を通過して運動場のゴールに向かうまでが苦しいやら恥ずかしいやらで大変でした。

もう少し早ければ、集団に紛れてゴールできるのに・・・。

長距離走の時期になるといつも思い出されます。

そんなことを考えながら今日のレースを見ていたときです。

生徒がどんどんゴールし、最後尾の生徒が学校の近くに見えてくると、何人かの生徒が一緒に伴走を始めました。

ゴール直前まで声を掛け、励ましながら走っています。

周りの生徒や先生方からの声援もより大きくなりました。

本人はとても心強かったのではないかと思います。

生徒達の相手を思いやる気持ちに触れ、冷たい風が爽やかに感じられた瞬間でした。

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12/5 研修

本日は、9:30~14:30まで、「学校組織マネジメント研修」を受講していました。

県教育研修センターの講義にリモートで参加しながら、演習も行うという内容です。

校長としてどのように学校組織を運営していくかということについて、講師の先生のお話以外にも他の校長先生方の意見や実践をうかがうことができ、大変実りある研修でした。

昔はグループで付箋にメモした内容を模造紙に貼り付け、それを見ながら対話を深めていました。

しかし、今は画面上(下の写真)の付箋に遠隔操作で入力し、リアルタイムに全員で共有可能となっています。

凄い時代になったものです。

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12/4 日本の観客

メモ帳より
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30年以上前の話です。

当時のソ連のバレーボールナショナルチームは日本で試合をすることを望んでいました。

なぜか。

ソ連のチームは、ヨーロッパのどの国へ行っても、審判が相手側に有利な判定をしたり、どんなにファインプレーをしてもブーイングをされたりしていました。

しかし、日本の観客だけはファインプレーには敵味方関係なく拍手をしてくれていたからです。

そんな時、バレーボール世界大会でソ連対日本の試合になりました。主審は、当時の東ドイツの審判員です。

その主審は当然の事ながら、ソ連チームに有利な判定を度々行ったのですが、日本チームは「それもゲームのうち」と抗議らしい抗議は行わなかったそうです。

ところが、これにキレたのはソ連チームでした。

ソ連チームの選手らが、「どこに目を付けてるんだ!」、「今のは、俺が触っているだろう!」と抗議をして、日本のポイントにしたのでした。

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