日誌

2024年12月の記事一覧

12/24 感謝

本日で2学期前半が終了となりました。

トップページにもありますように、須木地区の皆様をはじめ、多くの方々に須木中学校の学校教育にご協力いただき、生徒達に様々な学びの場を作っていただきました。

本当にありがとうございました。

生徒達も、この1年で大きく成長できたと感じています。

これからも生徒と一緒に一生懸命取り組んでいきたいと考えております。どうぞよろしくお願いいたします。

 

皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

 

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12/23 お手本

今日は1年生の調理実習を見学しました。

今日の授業は火傷やケガも無く無事に実習を終えられましたが、そこには、生徒の目線で考えた指導がありました。

始まる前は、リンゴの皮を剥いたり、キャベツを千切りにしたりするときは、見ていてヒヤヒヤする場面があるだろうなと想像していました。

ところが、そんな心配はほとんど必要ありませんでした。

それは、作業の前に、担当の先生が手を切らないように、とても細やかに丁寧な指導をしていたおかげでした。

子どもたちが包丁を危なげなく使いこなしていたのには驚きました。

単なる「気を付けて」だけではなく、「包丁を○○な感じで動かす」とか「包丁の△△な部分を使う」などの具体的な内容を、実際にお手本を見せながら行う、事故防止の観点から生徒の立場に立った分かり易い指導があったからでした。

やってみせ、言って聞かせて、させてみて・・・、というのは大切だなあと改めて思いました。

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12/20 ことば

ビジネス数学教育家の深沢真太郎氏の著書の中に、数学とはコトバの使い方を学ぶ学問だと説明しています。

計算という行為は単なる作業であり、数学という学問において重要なのは計算を正確にすることではなく、その前に数学コトバ(数学の問題を解く際に用いる「しかも」や「ゆえに」などの言葉)を使って問題の構造を把握していく行為だということです。

それは、たとえば、「円周率とは何でしょうか?」と訊たずねられたとき、3.14・・・という数値を答えるのではなく、円周率とは「円の直径の長さと円周の長さの比率のこと」を理解し、説明できることだということです。

数学を学ぶということによって、数学コトバを使ってものごとの構造を把握し、論証し、第三者にわかりやすく説明する行為ができるようになることが大切だと言っています。

 

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12/19 発想

メモ帳より

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東京工業大学名誉教授に森政弘先生という方がいました。

ある時、先生は学生に「揺れる電線になぜ鳥は落ちずにとまっていられるのか」というテーマでレポートを書かせました。

工業系の大学なので、学生達は鳥がいかに落ちないようにしているかを、電線のつかみ方やバランスのとり方などを物理学的な視点で考え、まとめてきました。

そんな中に、先生が気に入ったレポートが1つあったそうです。

「鳥は滑り落ちてもいいと思っている。なぜなら飛べるから」

 

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12/18 役員選考

昨日、次年度のPTA役員の選考会が開かれました。

学校によっては9月頃からPTA選考委員会が動き始めるところもあると思います。

一般的に、選考委員会には選考委員の保護者の方々と、学校側の担当としてぼ教頭先生が出席します。

目立たないけれどもとても大切で大変な会議の1つです。

 会議での話の流れによっては、その場で候補者へ連絡し、打診や内諾を確認したりすることも多いため、候補者が在宅している可能性の高い夜間に会が開かれることが多い業務です。

 本校では、昨日の会議で次年度の役員について、候補者の方への内諾が無事に得られたとのことでホッとしているところです。内諾をしていただいた候補者の皆様、本当にありがとうございました。

PTAの選考委員の方々や教頭先生には本当に頭が下がります。
ありがとうございました。お疲れ様でした。 

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12/17 時間割

先生方の出張や年休が出た場合、時間割を調整して他の教科に割り振ったり、急な場合は空いている先生に授業をしてもらったりします。

自分も教務主任をしていた頃の校長先生に、「あらかじめわかっている出張や年休で授業が自習にならないように時間割を組み替えてほしい」と言われていたのを思い出します。

先生方の中には、「自習がでるときはどんどん入れて」とか「○曜と△曜なら1~6校時まで全部詰めてもいいよ」と、担当として涙が出るほどありがたい言葉をかけてくださる人もいました。

最初の頃は「ありがたいありがたい」と思っていたのですが、よく考えてみたら、各教科で年間授業時数が決まっているので、他教科にあげた時数は、その分を戻す必要があることに気づきました。その他にも、いろいろと考慮が必要なことがあります(午後は空けるとか、□曜日は入れないとか、理科室が重ならないとか。)

そのため、学校だけでは終わらず、家に帰ったら時間割の調整を考えて水曜頃に自習の時間割案を出して先生方に見てもらい、再調整したものを金曜日に出すというルーティンが日課になっていました。

当時(二十数年前)は、多くの中学校が一畳ほどの大きさの木枠の時間割ボードに、プラスチックのコマをはめながら作っていました。

これだと学校でしか操作ができないし、いろいろ不便です。

そこで、いろいろ考えた上、すべてEXCEL上でやる方法に切り替えました。

ついでに、コマの整合性(同じ時間に2つ以上の教科が入っていたり、授業が入っていない学級があったり等)のチェックと学級別の時間割が自動で作れるようにしました。

しかし、EXCELに移しても時間割のコマは手で打ち変えるしかありません(当時は技術がなかったため)。しかも大の苦手でした。動かしすぎると、どの順番でどこを変更したかを忘れてしまうのです。

そのため、紙に印刷した時間割に、矢印で動かし先をすべて記入していき、流れが分かるようにしました。そして、それを見ながらエクセルの教科名を打ち直してたのでした。

このような感じでようやく時間割を毎週変更して出すことができたのでした・・・。

今はもっとスマートなやり方でされている教務主任の先生もいらっしゃるかもしれません。 

当時の時間割

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12/16 2つの感動

ICT支援員として須木中を担当している小水流先生は、いつも明るく、笑顔が素敵な先生で、生徒と一緒に昼休みに遊んだり、職員の相談に快く応じてくださったりと、すっかり須木中の一員になっていました。

 

残念ながら、この度ご退職されることになり、須木中最後の日である今日、小水流先生に感謝を伝える会を生徒会主催で行いました。

生徒達は何日も前から準備を行い、会の運営をはじめ、準備をしっかりしてくれていました。

会の中で、お礼の言葉を伝え、色紙をお渡しした際、先生は感動のあまり涙ぐんでいらっしゃいました。

退場の際は、「みんなで花道を作ってお送りしよう!」と予定に無かったことまで声を掛け合っていました。

生徒達の感謝の思いが1つになってしっかり届いていたと思います。

会の後に「このようなことをしてもらえるとは思わなかった」とおっしゃっていましたが、月に数回しか来校されない先生が子供たちに誠実に真心で向き合っていことが、生徒達の行動に表れたのだと思います。

先生の素晴らしさと共に、感謝の気持ちを形にして伝えることができる生徒達の素晴らしさの両方に感動した瞬間でした。

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12/13 翻訳

今日の2時間目の社会の研究授業を見ました。

プレゼンで、画像や動画を効果的に示しながらの授業で、生徒も意欲的に取り組んでいました。

指導案を事前に読んだのですが、耳なじみのない横文字が出てくるではありませんか。

「プランテーション」はわかりましたが、

「フィードロット」、「センターピボット」は、最初は農業との関係が分かりませんでした。中1で専門用語?と少し驚きました。

調べてみると・・・

「フィード」は牛に与える栄養価の高い飼料のことで、「ロット」は飼育するための区画や囲いを意味しています。

簡単に言うと、アメリカの広大な土地を利用して、区画ごとに栄養価の高い飼料を与えて大量の牛を肥育し、出荷するというシステムのことでした。

「センター」は中央、「ピボット」は回転軸のことで、植物を育てにくい乾燥した地域で行う灌漑農法のことでした。半径数百mの円形の農地をつくり、その中央に井戸を掘ります。くみ上げた水をそこから円の縁まで伸びた車輪のついた散水パイプが中央を回転軸に移動しながら作物に水を与える灌漑方式です。

上空から見るとこのような感じです。

もう少し近くから俯瞰した様子です。右側には建物があります。

 

外国語由来のカナカナ語も、日本語に翻訳してみると分かり易いなあと思ったところでした。 

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12/12 1年ぶり

私も、今日の午後のしめ縄づくりに参加しました。

1年ぶりに藁を編むので手先がおぼつかない感じでしたが、友愛クラブの方にやり方を見せていただいたら、すぐに思い出しました。

まだ、力加減が安定しないので、藁の巻き具合にムラがありますが、何とか編むことができるようになりました。

 ところが、今日は出張などで不在の職員がおおかったので、後半は電話番をしておりました・・・。

今年のしめ縄はあきらめるか・・・と思っていたところに、養教の先生が来室され、立派なしめ縄をいただきました。

気を使っていただいてありがとうございます!!

ちなみに頂いたしめ縄は下の写真です。

素朴な感じで何ともいい味を出しています。

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12/11 古文

1年生の学級通信にデイリーノートの内容が紹介されていました。

授業で習った古文で日記を書いているというものです。

 

今日は、調理実習がありけり。
なますととうふのすまし汁を作りぬ。
今回は手際よくできざりけり ・・・

 

けふは部活に的を当つというならはしせり
当たりはすれど、的はこはくいと難しかりけり ・・・

 

学校での出来事を書いているだけですが、古文にすると何となく平安時代の頃の様子として頭にイメージが浮かぶのは私だけでしょうか。

しかし、何と言っても学校で学習したことをこのような形で使ってみるというところが素晴らしいなあと思いました。

ちなみに、文章を作るにあたっては、ネットやChatGPTを利用したとのことです。

さすが現代っ子ならではです。

自分で現代文を古文にするのはなかなか大変です。辞書を片手にやろうとしても時間がかかりますし、何より訳したものが正しいかどうかもわかりません。

このようにAI等の力を借りて手軽に翻訳すことができることは、古文の理解を深める上でとても役立つ方法だと思います。(もちろん、AIの翻訳が正しいことが前提ですが)

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12/10 備え

昨日の午後に、西諸県地区へき地・小規模校教育研究会の研修会がえびの市立岡元小学校で行われました。

その中で、高原町立広原小学校の「自分の命を守る防災教育」についての実践発表がありました。

広原小では毎年1月26日を新燃岳を考える日とし、町教委作成の「百人の記録」を用いた学習や、ヘルメット着用集団下校、町内小・中学校一斉引き渡し訓練などを行っていることが紹介されました。

2011年の新燃岳噴火から13年が経ちますが、現在も県の火山情報のメールでは火山性地震が増加しているとの情報が配信されています。

須木地区も霧島火山帯に含まれていることを考えると、噴火への対応について備えておくことが大切だと改めて考えさせられました。

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12/9 マウス

1968年の今日(12月9日)は、「ITの父」と呼ばれるダグラス・エンゲルバート氏によってインターネットの歴史の出発点となるデモンストレーションが行われた日だそうです。

このデモンストレーションでは、専門家しか操作ができなかったコンピュータを誰でも操作できるよう開発されたマウスが披露されました。

その時のマウスは本体に金属の車輪がついていてその回転で移動を読み取っていました。その後回転するボールに、そして現在は光による読み取りへと進化はしていますが、基本的な原理や使い方はほぼ同じです。

それまで世の中になかったものを新たに発想するだけでもすごいですが、現在も同じ原理で使い続けられる程の普遍性を持ったレベルのものがその当時につくられたことも驚きです。

今も世界のどこかで、同じような普遍性をもつ発明がなされている途中かもしれません。

 

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12/6 友情

今日の校内ロードレース大会は、天候には恵まれましたが、風のために体感温度が低く、応援するには少し寒い日でした。

私は長距離走は苦手で、中学も高校もほとんど最後から一桁の順位でした。

特に高校時代の長距離走大会は10㎞だったため、全校生徒(1500人位?)が見ている中で、校門を通過して運動場のゴールに向かうまでが苦しいやら恥ずかしいやらで大変でした。

もう少し早ければ、集団に紛れてゴールできるのに・・・。

長距離走の時期になるといつも思い出されます。

そんなことを考えながら今日のレースを見ていたときです。

生徒がどんどんゴールし、最後尾の生徒が学校の近くに見えてくると、何人かの生徒が一緒に伴走を始めました。

ゴール直前まで声を掛け、励ましながら走っています。

周りの生徒や先生方からの声援もより大きくなりました。

本人はとても心強かったのではないかと思います。

生徒達の相手を思いやる気持ちに触れ、冷たい風が爽やかに感じられた瞬間でした。

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12/5 研修

本日は、9:30~14:30まで、「学校組織マネジメント研修」を受講していました。

県教育研修センターの講義にリモートで参加しながら、演習も行うという内容です。

校長としてどのように学校組織を運営していくかということについて、講師の先生のお話以外にも他の校長先生方の意見や実践をうかがうことができ、大変実りある研修でした。

昔はグループで付箋にメモした内容を模造紙に貼り付け、それを見ながら対話を深めていました。

しかし、今は画面上(下の写真)の付箋に遠隔操作で入力し、リアルタイムに全員で共有可能となっています。

凄い時代になったものです。

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12/4 日本の観客

メモ帳より
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30年以上前の話です。

当時のソ連のバレーボールナショナルチームは日本で試合をすることを望んでいました。

なぜか。

ソ連のチームは、ヨーロッパのどの国へ行っても、審判が相手側に有利な判定をしたり、どんなにファインプレーをしてもブーイングをされたりしていました。

しかし、日本の観客だけはファインプレーには敵味方関係なく拍手をしてくれていたからです。

そんな時、バレーボール世界大会でソ連対日本の試合になりました。主審は、当時の東ドイツの審判員です。

その主審は当然の事ながら、ソ連チームに有利な判定を度々行ったのですが、日本チームは「それもゲームのうち」と抗議らしい抗議は行わなかったそうです。

ところが、これにキレたのはソ連チームでした。

ソ連チームの選手らが、「どこに目を付けてるんだ!」、「今のは、俺が触っているだろう!」と抗議をして、日本のポイントにしたのでした。

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12/3 探究心

昔の話ですが、ある時、アメリカのロケットの制御に使われていたICが一斉に不具合を起こしたそうです。
原因はICの内部で生じた錆で、それが原因で回路が焼き切れていました。

ところが、よく調べてみると、同じ回路に同等品の日本製ICを使っていたロケットでは一つも不具合は出ていませんでした。
アメリカで作られたICだけの不具合だったのです。

勿論どの国のIC工場でも、作業員は手を洗ったり、専用の全身を覆う服に着替えたり、全身の埃を吹き飛ばしたりして、目に見えない程の小さなごみでさえ一切持ち込まない状態にしてからクリーンルームで作業をします。

ではなぜ、日本製だけに不具合が出なかったのでしょうか。

それは、日本のメーカーだけが、女性の口紅に含まれる油脂分が蒸発して回路に付着しサビの原因になるということを突き止めていたからです。
日本のメーカーは、ICを製造する部屋にお化粧して入ることを禁じていたおかげで不具合を出さずに済みました。

一方、そのような対策をしていなかったアメリカ製は、製造後、ある一定期間が経つと一斉に断線してしまったのでした。

1980年代に日本がIC等の半導体の世界一の製造国になるまでには、原因が分からない不良品の大量発生により良品率が下がる現象にたびたび悩まされ、それを製造現場の努力で克服してきました。

例えば何か月もかかって、衣服に付着している微量塩分や、空気中に含まれる微量塩分が原因であることを実験を何度も繰り返して発見し、それを除去する方法(体から飛沫が出ない服の開発や工場内に取り入れる空気をきれいにするフィルターなど)を開発しました。

また、近くの高速道路を通過するトラックの振動が原因であることを突き止め、工場の周りに大きなお濠を作って解決するなど、技術者の探究心と涙ぐましい努力の積み重ねがあったのです。

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12/2 スタック

12月1日の駅伝大会では、中学生が走るコースに先回りして写真を撮っていました。

中学生の最後の走者は、11区で、スタート地点は山麓線沿いの消防団の建物前でした。

近くまで行ってみると、近くの農道は路肩駐車が連なっています。

農作業の邪魔になると申し訳ないと思った私は、近くに実家の田んぼがあったので、入口の斜面に駐車して歩いて撮影に行きました。

撮影を終えた後に戻ってきて車のエンジンを掛け、出ようとしましたがタイヤがスリップして前に進みません。

「やばい」

降りて前輪を見てみると、斜面の泥が朝露でしめっていたためスリップしていたのでした。

「しもたあ・・・」

と思いつつ、近くの小石をたくさん拾ってきて前輪に噛ませ再スタートしてみます。少しは前に進むのですが、抜け出せません。

「いっとっしっから、実家からトラクターを持っくいか、天気が良かで、じだが乾っとを待っちょっからでよかろ・・・」

「うんにゃ、いっき戻らんと閉会式の写真が撮れんが・・・・!」

と思いを巡らせていたその時、一人の男性(Aさん80代)がこちらに向かって歩いてきます。

「くいまをへらけたっじゃろ、いまBさんがトラクターをもっくっで、だいじょっじゃが」

と叫んでいました。

二人で車の状況を見ていると、Bさんがトラクターに乗ってこられました。

「こんトラクタをどけつなぐいけ?」

「うんにゃ、うしとから押せばいごっとじゃねけ」

と二人で話しています。

わたしも、後から押せば抜け出せそうな感触があったので「うしとから押してもらえば、たぶんだいじょっじゃひが」と伝え、二人に押してもらうことにしました。

 

おかげさまで、無事にスタックから抜け出す事ができました。

 

まさか自分の車がスタックするなどとは考えてもいませんでした。

危機管理がたりないなあ~と反省しきりでした。

 

しかし、周りの家も遠かったので、誰も気付かないないだろうなと思っていたら、思いがけず助けに来てくださり正直驚きました。

家からちらっと見えただけだと思うのですが、すぐに助けに来てくださったお二人には感謝しかありません。

しかもトラクターまで出してくださるとは。

 

人の優しさに触れ、心が暖かくなった1日でした。

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