日誌

日々徒然

9/9 鎮魂歌

 

「今日の授業」では、1年生の国語の時間の様子を紹介しました。

実際に戦争を体験した方の話が20年以上も教科書に載り続けるということは、それだけ私たちに様々なことを投げかけ、考えさせるものであるからだと思います。

以下にあらすじを記載しますが、気になる方はお子様の教科書をご覧になってください。

 

あらすじ

弟のヒロユキは太平洋戦争の真最中、僕が小学4年生のときに生まれた。

父は戦争に行き、毎日のように空襲があった。

食べ物は十分ない中、母は僕たちに食べさせるために自分はあまり食べなかった。そのせいで、ヒロユキのためのお乳が出なくなった。

配給のミルク缶1つがヒロユキの大切な食べ物だった。

そんな大切なミルクを、甘いものが欲しい僕は盗み飲みしてしまう。

そんな作者に母は怒るでもなく、『ミルクはヒロユキのごはんだから、ヒロユキはそれしか食べられないのだから』と言う。

空襲がひどくなったため疎開しようと思い、引っ越しの相談をするために田舎の親戚を訪ねた。

母と僕と弟を見た親戚の人が口にしたのは「うちに食べ物はない」と言う言葉だった。

くるりと後ろを向いて帰った母の顔は悲しくも、子供達を必死で守ろうとする強く美しい顔だった。

ようやく疎開先が決まり、石釜という山あいの村に引っ越した。そこは桃源郷のようで僕は胸をはずませた。

しかし疎開者に配給はなく、着物と米と交換するしかなかった。

着物もなくなると、ヒロユキは病気になり、しばらく入院していたが、ヒロユキは栄養失調で死んでしまった。

 ヒロユキのために小さな棺が用意されたが、棺が小さすぎて入らなかった。

母は、「大きくなっていたんだね」と言って初めて泣いた。

 ヒロシマに原爆が落とされたのはその九日後のことだ。さらにその三日後には、ナガサキに-。

 そして、六日後の一九四五年八月十五日、戦争は終わった。

 

米倉斉加年さんのあとがき

”戦争ではたくさんの人が死にます。そして老人、女、子どもと弱い人間から飢えて死にます。私はそのことをわすれません。…そのことを私たちはわすれてはならないと思います。そのことをわすれて、私たちの平和は守られないでしょう”

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9/6 達成感

今日のものづくり体験は大変すばらしい内容でした。

簡易的ではありましたが、畳を作る経験はなかなかできません。

生徒達も楽しく一生懸命に作業に取り組めて本当に良かったです。

また、技能士の方々の教え方が素晴らしく、全員がびっくりするような素晴らしい出来のミニ畳を完成させていました。みんないい顔をしていて達成感を味わっているようでした。

技能士の方の話によると、畳づくりの体験は何年も前からやってきているということで、作りやすくするために様々な工夫を積み重ねているということでした。

完成後は畳の裏の処理跡が見えないようにするために、裏面全体に木工用ボンドを塗り、紙を貼り付けていたそうです。しかし、慣れないときれいに晴れないため、今は畳の紹介を兼ねた全面シールを貼るようにしているとのことでした。

技能士の協会の皆さんも、できるだけ子供たちに楽しく、そして誰でも完成できるような工夫をされていて素晴らしいと思いました。

授業の最後では、畳にまつわる話をいくつかしていただきましたが、内容も興味深く、別途講話で依頼したいくらいでした。

畳工業組合の皆様、今日は本当にありがとうございました。

※下はミニ畳制作用の説明図です。

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9/5 自律

今日の朝の生徒集会で、生徒会役員が朝のボランティア活動の今後のルールについて説明をしてくれました。

6月の生徒総会までは、学校がある日は雨の日以外ほぼ毎日朝のボランティア活動を行ってきました。朝8時40分からの10分間ですが、除草や落ち葉を掃きを毎日続けるのは大変だったと思います。テストがある日も同様に取り組んできました。

テスト勉強がしたいのでは・・・と思いつつも、数年前から生徒会が中心となって始めたことですので、こちらからは特段声を掛けずにいました。ようやく今回、定期テストはテストのある週、課題テスト等は当日のみ、3年生は12月から受験終了までは休みとすることが確認されました。

生徒総会で要望を受け、生徒会で試行的にテスト休みを設け、その結果をアンケートに取るという取り組みをした結果です。アンケートの結果では、テスト勉強ができてよかったと好評だったようです。

このように、現状に問題があればそれを議題にし、協議しながら自分たちで検証し、その結果を受けてよりよい形に変えていくという流れができたことは素晴らしいことだと思います。

 

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9/4 協働

先日「すきメンマ」のニュースがありましたが、その件について「すきむらんど」代表の青野さんが来校されました。今回の件のお礼とのことでした。

3年生を中心に「小林の未来予想図」というテーマで今後の須木について学習を進めていく予定ですが、すきむらんど様の協力もいただきながら、よりよい提案をつくっていけたらと思います。

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ボランティア精神

先日の台風で、学校の駐車場にも大量の落ち葉や枝が散らばっていました。

30日のうちに大きな物は片付けましたが、落ち葉は濡れていたため乾くのを待ってやるしかないな・・・と考えていました。

ところが、日曜日の夕方学校に寄ってみると、なんと駐車場がきれいになっているではありませんか。

おそらく31日に部活動で登校したソフトテニス部の生徒がきれいにしてくれたのではないかと思い、昨日、部顧問に聞いてみました。

すると、予想通り土曜日に清掃をしましたとのことでした。

久しぶりの貴重な部活動の時間だったのに、清掃に割いてくれた顧問と部員の皆さんに感動しました。

夕方部活動の様子を見に行った際に、部員の皆さんに集まってもらいました。生徒達は「何だ?」とキョトンとしていましたが、土曜日の作業のお礼を伝えると、口々に笑顔で「どういたしまして!」と言ってくれました。

須木中の先生や生徒達は素晴らしいなあ!と改めて感じました。

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9/2 想定

皆様は台風の被害は大丈夫だったでしょうか。学校の建物には大きな被害はなく、数か所の雨漏り程度で済みました。また、生徒や保護者、職員にも特に被害はなく、安心しました。

 

今回の台風は特に大型で強かったことや、一時的には小林市を直撃しそうな進路予想であったこともあり、久しぶりに数日分の常温保存の食料品や水の準備を行いました。

その他にも、バスタブに水を溜めたり、モバイルバッテリー、LEDランタン、着替えなどを入れた持ち出しリュックなども準備をしていました。

 

さて、今日の地震の避難訓練の指導の中で、『災害時の「備え」チェックリスト』を使った説明がありました。

チェックリストを確認してみると、自分の場合は品物はあるけれど持ち出し袋に入れていないものがいくつもありました。家に被害が出ず、そのまま使える前提で考えていたためです。

 まさに「正常性バイアス」的な感覚になっていたのかも知れないと反省させられました。

 

避難訓練の中で生徒に対して、「今日の避難時の条件は揺れしか起きていない、最も条件の良い場合だったことを忘れないように。実際の避難では、建物が壊れていたり、通路が通れない場合がある。その時々でどうすれば良いかを判断しなければならない。日頃から最悪の場合を想定し、防災を意識して過ごすように」という内容を伝えました。

常に最悪の事態を想定して備える。

このことを再認識した日でした。

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8/27 事前の備えを

大変強い台風が近づいています。事前の準備と避難所などの確認を行い、早めの避難をお願いします。

停電や断水の恐れがあります。バスタブに水をためておく、当面の食料や飲料水の準備、電池で駆動できるランプの準備、スマホ充電用の外部バッテリーの充電などの確認をお願いします。

台風が近づくにつれ、東~南西方向からの風が大変強くなります。雨戸のない窓ガラスは、飛来物で割れる危険がありますので、布テープ(紙テープではない)等でしっかりとガラス面を補強しておくことをお勧めします。特に、谷間にご自宅がある場合は、風が集中するため危険度が高まります。

進路予想については、以下のアメリカのサイトも参考になります。

https://www.metoc.navy.mil/jtwc/jtwc.html

上記サイトの右側の『TC Warning Graphic』をクリックすると、進路予想図が出てきます。(※ 表示されている時刻表記は協定世界時のため、日本の時間に直すには9時間加える必要があります。)

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8/26 始動

本日から生徒が登校し、学校が始まりました。

何と言っても一番うれしいことは、夏休み期間中に生徒が事故や事件などに遭わず、元気に過ごしてくれたことでした。

 

これから冬休みまでの4か月間は、様々な行事が予定されています。

9月はものづくり体験や農業体験がありますが、これらの体験をとおして生徒達がどのように成長するかが楽しみです。

 

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8/9 母親の思い

今日の集会では、平和学習を行いました。

先の戦争では民間人の方々も多数亡くなっています。

生徒達も写真や映像などで目にする機会も多いとは思います。

その亡くなった方一人一人はどんな思いだったのか・・・・。

今日の集会では、東京大空襲で亡くなった赤ちゃんと母親の姿をとおして生徒達に考えてもらおうと思い以下の資料を準備しました。

以下、原文の要約です。(須田卓雄さんという方が、1970年12月29日に朝日新聞に自らの体験をもとに発表されたものです。)

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昭和二十年三月十日の東京大空襲から三日目か四日目のこと、私は永代橋から深川木場方面で死体の片付け作業に従事していた。
異臭や無惨な遺体にも慣れていたが、ある遺体に違和感を覚えた。
その人は赤ちゃんを抱えていて、さらに、その下には大きな穴が掘られていた。
母と思われる人の十本の指には血と泥がこびりつき、爪は一つもなかった。

指で固い地面を掘り、赤ちゃんを入れ、その上におおいかぶさって火を防ぎ、わが子の命を守ろうとしたのだろう。

赤ちゃんの着物はすこしも焼けていなかった。
小さなかわいいきれいな両手が母の乳房の一つをつかんでいた。
だが、その赤ちゃんもすでに息をしていなかった。

私たちは涙で顔を汚しながら、その女性の顔を丁寧に拭きとると、若い顔がそこに現れた。
ひどい火傷を負いながらも、息の出来ない煙に巻かれながらも、苦痛の表情は見られなかった。
これは、いったいなぜだろう。美しい顔であった。
人間の愛を表現する顔であったのか。

そして、誰かが「花があったらなあ」と言った。

あたりは、はるか彼方まで、焼け野原が続いていた。

私たちは十九才の学徒兵だった。

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7/25 胸に刻む

今日は小中合同研修を行いました。

これは、夏季休業中に毎年行っているものです。

 

今年は内容未定のまま7月になろうとしていました。

どうしたものか・・・と思っていたところ、研究主任より「南部教育事務所の方に来ていただいて、ひなたの学びについて研修したい」との相談があったため、二つ返事でOKを出しました。

 

本校では、これまでも紹介してきましたが、校内の研究として生徒に「自分の勉強の仕方」を見つけ出し、身に付けさせる取り組みを行っています。

自分が「わかる」「できる」と感じ、自信をもつことが学びに向かう力を伸ばすと考えています。

今のところ朝学習の時間を中心に試行錯誤していますが、今後は授業中での「個別最適な学び」につなげたいと思っています。

 しかし、実際に授業で生かすためには、教師が「ひなたの学び」を理解し、授業で実践していることが重要です。

そういった意味で、今日の研修は大変重要な研修でした。

 

実際、齊藤指導主事には、事前にお渡しした質問に対して具体的に丁寧に回答していただきました。

また、「なぜ『ひなたの学び』なのか?」の説明も具体的で大変わかりやすい内容でした。

おかげさまでこれまでキーワードとしてばらばらに頭の中にあったものが1つにまとまった感じです。

ここまでわかりやすく説明していただいたのですから、今度は我々が実践という形で生徒たちに返していかなければならないと強く感じました。

 

齊藤指導主事がまとめで話された中で、特に私の心に残ったものを挙げます。(実際に言われた内容と多少文言が違う点はご容赦ください)

・専門でない方の言葉がヒントになる。(グループ協議について)

・「教えあい」は一方通行ではない。

・生徒が発表した内容を他の生徒に説明させることで生徒同士をつなぐことができる。

・教えない教師が最高の教師である。

・学校で学んだことをすべて忘れて、残ったものが教育

・今日の授業の取り組みは「ポン」と出たものではなく、何日も考え抜いて作り出したものだ。(公開授業後の指導教諭の話)

 

特に最後の言葉は心に響きました。

今日の研修に向けて齊藤指導主事に準備していただいた内容がまさにこの通りだと思います。

素晴らしい演奏、素晴らしい作品、素晴らしいプレーの裏には必ず想像を超えた努力の積み重ねがあるのと同じです。

私たちも同じ授業のプロとして、この言葉を深く胸に刻んでおく必要があると感じました。

 

最後に、齊藤指導主事、本日は本当にありがとうございました。

私自身大変勉強になりました。

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