PTAの部屋

PTAの部屋

不思議なPTA

購買部の片隅で不思議な題名の冊子を発見しました!

 その名も『不思議なPTA』

 1992年「母と子」という雑誌の9月臨時増刊号として刊行された冊子です。

これによると、戦後のPTAは、1947年、当時の文部省から全国の各学校に通達された指針により再開しました。このときのPTAの概念は「子どもの幸福と教育をまもりたかめるために、親と教師が協力して、学習したり、行動することを課題とした自主的団体である」とされています。PTAは、Parent Teacher Associationの略、明治時代から戦前にかけては「後援会」や「保護者会」という名称で活動していたようです。

内容としては現在とそぐわないところもありますが、「行事を少なく、だいじなことだけをするPTAに」「“忙しくない”活動を効果的に」という考え方は、コロナ禍においてのPTA活動の在り方として念頭に置きたいものだと思います。

この本を開いたことで、30年前の日向中PTAがどのような活動をしていたのか知りたくなり、保存してある広報誌を読み返してみました。

群馬県で開催された日本PTA研究大会では、1つのPTA活動組織の活性化について、参観日の出席率向上、決めた時間以外にテレビを見ない習慣化などの研究発表をしたことが報告されています。

校則の見直しやPTAバザーに関するアンケート、「いま、子どもの心が見えますか?」という特集では生徒に対してアンケート調査を行っています。

 この年の9月から学校週5日制がスタートしており、「学校週5日制を考える」という教頭先生の記事には、「学校週5日制は、家庭教育2日制とも言われ」「休みが増えるとゆとりができて家庭や地域が本来の機能を取り戻し、生きる楽しみを見いだす契機になるのではないか」と書かれています。

 また、『生徒手帳』というコラムでは、6月には「地球サミット」(環境と開発に関する国連会議)が開催され、フロンガスによるオゾン層の破壊、工場や自動車の排気ガスを原因とする酸性雨による森林荒廃、二酸化炭素の増加による地球温暖化についての対策が話し合われたこと。「少子高齢化社会」が危惧され、「子どもを産み育てたくてもためらってしまう社会環境の悪さが出生率低下の原因の一つである」という引用から、当時の中学生が大人になったころ直面するであろう地球規模の問題を憂慮しています。まさに現在を予見している記事です。

 今、PTA役員として活躍してくださっている方たちのなかには、このころPTAに係わってくださった方々のお子さんがたくさんいらして嬉しくなります。


お父さんやお母さんがPTAに関わる姿を見ていたことでハードルが低くなるのかもしれません。

 研究大会がオンラインで開催されたり、打ち合わせや連絡をライングループで行ったりと、取り組み方も変化してきています。ハードルはぐーんと低くなっていますよ(^^)