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祝 梶山小150周年

ブレイクタイム③(平成から令和の移り変わり)

*本ブログは、かたい文章が主になっています。かたい文章だけでなく、途中、やわらかい文章も入れ込んでいきたいと思います。「ブレイクタイム」と名付けます。

今回は、平成から令和にかけての教育現場を振り返ってみます。

 

【児童の事で】

○男子児童のランドセルは黒、女子のランドセルは赤が多かったですが、今は、様々な色や形のランドセルが販売されています。

○防犯グッズは身に付けていませんでしたが、今は、入学式等で防犯ブザーが配付されています。

【授業・学校行事の事で】

○今は、ICT教育が浸透してきました。全児童にタブレットが与えられています。

○年に数回、国際理解の時間がありましたが、今は、3.4年生は外国語活動、5.6年生は外国語の授業が毎週あります。道徳も教科になりました。

○大運動会、小運動会と実施していた運動会は、半日1回になりました。

○避難訓練は地震や火事が中心でしたが、今は、それらに加えて不審者対応も大事な項目です。

○男子は「くん」女子は「さん」で呼んでいましたが、今は、男女とも「さん」付けになりました。

【学校制度や教職員の仕事の事で】

○名簿は、男女別名簿でしたが、今は、男女混合名簿になりました。

○管理職以外は皆同じ立場でしたが、今は、副校長、主幹教諭、指導教諭等、様々な職種ができました。

○土曜日も授業がありましたが、今は、完全週5日制です。

○職員会等の提案文書は手書きかワープロで作成していましたが、今は、パソコンで作成し、サーバー内で共有データ管理しています。

【学校の対応の事で】

○今は、新型コロナウイルスを中心とした感染症対策が学校でも重要事項となっています。

○基本的に学級のことは担任がすべて対応していましたが、今は、学年で対応します。梶山小のような小さな学校は、チームや組織として対応します。

【学校の施設や教室内の事で】

○今は、全教室、エアコンが付いています。梶山小は体育館にもエアコンが付いています。

○今は、プールの飛び込み台は撤去されました。

○学級目標は教室の前に掲示していましたが、今は教室の後ろに掲示しています。

 

 

 

25年前の梶山小(創立125周年の頃の学校の様子)

 1998年、創立125周年を迎えた頃、梶山小の児童数は、わずか50年間で約300人が約50人に減っていました。

 この頃から複式学級になる学年も出てきました。そこで、PTAをはじめ地域の方々は、「どうすれば梶山小の児童数が増えるのか」を、いっしょうけんめい考えられていました。

 その頃PTA会長をされておられた方の文面を抜粋させていただきます。

『梶山小学校には3人の子供がお世話になりました。少ない人数でも、にぎやかな学校で、さらに家族的な雰囲気がいいなあとも思いました。しかし、今では50余名の児童数になっていますが、数年前から児童過疎を地区のみなさんや町に働きかけてきましたが、今では梶山小PTAや活性化委員会のみなさんの活動により、数名の児童が転入してきたと聞いてうれしく思っています。私たちも子供たちの母校のためにも、今後も協力をおしまないようにしたいものです。それに、梶山小学校区の地区の活性化のために、いろいろな活動に参加して、児童過疎防止にお互いに頑張っていきたいと思います。』

 その頃の梶山小学校は、児童過疎防止が大きな課題であったようです。

 それから少しの時を経て、平成27年(9年前)から、梶山小学校は、小規模特認校となりました。三股小、三股西小、勝岡小校区の児童も梶山小に入学できるようになったのです。この制度が導入されて、梶山小学校に複式学級ができることはなくなりました。

 令和5年9月25日現在の梶山小学校の児童数は75人です。

 

50年前の梶山小(創立100周年の頃の学校の様子)

 1973年、創立100周年を迎えた頃、梶山小学校は宮崎県1位の「健康優良校」として有名でした。健康優良校ですが、優良校を決定するためには審査がありました。その審査項目は、手洗い・うがい・はみがき・薄着運動・むし歯治療などで、その審査の結果、昭和46年と48年、「健康教育:健康優良校」になり、宮崎県1位を2回獲得しました。

 他校からも、「健康教育」の面で目標とされる小学校となり、県内外からの視察参観がたえなかったのだそうです。梶山小100周年記念誌を読みますと、学校が常にきれいで、ちりやごみが1つも落ちていないことが「学校のじまん」だったようです。

ブレイクタイム②(昭和47年(1972年)頃の梶山小と令和5年の梶山小)

 校舎2階に昭和47年(1972年)頃の梶山小の写真が掲示してあります。51年前の写真ですね。現在の梶山小の写真(昨日、本校に寄贈された写真です。詳細はブログ「学校の様子」をご覧ください。ちなみに、現在の新校舎(鉄筋コンクリート2階建)は、昭和54年2月に完成しています。今から44年前のことです。

 2つの写真を比較すると色々なことに気付きます。

 もしかすると、当時の校舎で学ばれた方々や当時の梶山小校舎をご存じの方も、このHPを見ていただいているのかもしれません。

*本ブログ「祝 梶山小150周年」は、文字がメインになっています。どうぞ、今回は、2枚の写真をゆっくりご覧ください。

*上記写真は、昭和47年(1972年)頃の梶山小

 下記写真は、令和5年(2023年9月7日)の梶山小

第二次世界大戦後の梶山小

 1945年(昭和20年)8月、日本はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は終了しました。そして、1947年(昭和22年)、「教育基本法」「学校教育法」が制定されました。これにより、義務教育は、小学校6年間、中学校3年間となりました。「学習指導要領」も同時期からスタートし、以後、10年位のスパンで、「学習指導要領」を通して、日本の教育の方向性が出されています。

  ここ三股町でも、小学校を終わると全員が修業年限3年間の中学校に入ることになりました。小学校の教科も大きく変わりました。修身はなくなりました。その代わりに修身、地理や歴史を合わせて、社会科という教科ができました。家庭科ができたのもこの時です。自由研究の時間も設定されるようになりました。

  戦後、梶山小学校でも様々な施設や制度が整備されました。昭和36年から給食が始まり、同じく36年に音楽室や放送室、理科室も整備されました。昭和38年には、図書室(図書も含)が整備されました。昭和39年にはスポーツ少年団、昭和43年にはプール、昭和45年には体育館が整備されました。

  PTA活動も始まり、とても盛んに行われ、梶山小PTAは、昭和46年に文部大臣表彰を受けています。急ピッチで様々なことが整備されていきましたが、当時から、梶山小学校は、地域の方々や保護者に支えられて、学校運営がなされていたのだと思います。