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祝 梶山小150周年

「梶山小150周年記念式典」終了しました。

 本日2月22日(木)の午前中に、「梶山小150周年記念式典」を実施しました。

 PTA会長と学校運営協議会委員長に来賓のあいさつをいただき、その後は、6年生の意見発表、全校児童による音楽発表を実施しました。

 保護者のみなさんや来賓のみなさんからは、「感動しました」「1年生の歌う姿に涙がでてきました」「とても素晴らしい式典でした」などの感想をいただきました。

 PTA役員さんを中心に1年も前から計画されていた、「梶山小150周年記念式典」が、大成功のもと、本日終わりました。

 子供たちは、「梶山小150周年記念」として、紅白まんじゅうやお菓子をPTAからいただきました。ありがとうございました。

いよいよ150周年式典

 このブログのコーナーを早い時期に設定しましたが、いよいよ2月22日(木)が近くなってきました。

 1学期の頃は、まだまだ先の話だと思っていましたが、時間が経つのは、あっという間です。

 2月22日(木)は、最後の参観日でもあります。我が子や子供たちの1年間の成長を、参観授業や懇談会で感じていただきたいと思います。

 もちろん、記念式典では、梶山小の150年間の歴史、地域やPTAの方々の思い、そして、全校児童や代表児童による各種発表も楽しみになさってください。

◆記念式典は、8時50分から始めます。少し早めに、ご着席ください。

*写真は、2月19日の音楽発表の最終練習です。

 

次は、2月22日(木)の150周年式典

 令和5年10月10日の150周年の創立記念日を1つのゴールとして、今年度は150周年に関して、進んできました。

 本ブログも、まずは、10月10日に向けてつづってきました。

 学校として、ある程度は、子供たちや保護者の皆様に、150周年について、お伝えすることはできたのではないかと考えています。

  

 そして、さらに、2月22日(木)は、150周年式典を計画しています。私の本式典のイメージは、「児童・保護者・地域の方々(代表者)・教職員が一堂に会して150周年を認識し祝する会」ということです。

 学校主体で実施していきますが、しっかりと計画を示して、実施していきたいと考えています。

 

現在の梶山小学校

現在(R5.10.6現在)の梶山小について、少しまとめたいと思います。

❍梶山小の児童は、75名です。PTA戸数は57件です。33名の児童が校区外から通っています。

❍梶山小は、比較的高地(標高208m)にあり、校区には沖水川が流れています。

❍梶山地区は、史跡や文化財等に恵まれており、梶山地区は教育に関心が高い地区で、教育関係の人材も数多く輩出してきました。

❍今年度は150周年の年度で、児童や保護者、教職員で、150周年の歴史を振り返ろうとしています。

❍R5,6は、NIE(Newspaper  in  Education)の指定を受けており、新聞を教育活動に生かそうとしています。

❍運動会を5月に実施しており、その分2学期は、他の学校行事や教育活動を充実させようとしています。

10月4日(水)全校集会

10月4日(水)全校集会(梶山小150周年)

☆彡10月4日(水)の全校集会は、校長の話をもとに、梶山小の150年間の歴史を振り返りました。その折に説明資料を準備しましたが、その資料内容を簡単に示します。

 

150年前の梶山小学校の様子
◆1873年(明治6年)、梶山小は、梶山城下の中原にできた。梶山、田上、餅原の子供を集めた学校。◆小学校は3年間、教科は、「かなつかい」「ことばのよみかた」「さんすう」「さとし」。

 

110年前の梶山小学校の様子
◆1913年(大正2年)、ずっと1教室で勉強をしていたが、この時から1~6年生、別々の勉強が始まった。◆教科は、修身(道徳)、国語、算数、図画、体操、理科、歴史。

 

90年前の梶山小学校の様子
◆1933年(昭和8年)、創立60周年を迎え、「校旗」と「校歌」ができた。◆教科は、変わってないが、武道がくわわった(戦争のえいきょう)。

 

76年前の梶山小学校の様子
◆1947年(昭和22年)に法律ができ、義務教育は、小学校6年間、中学校3年間。◆給食が始まり、音楽室・放送室・理科室・図書室・体育館が。全校児童も最高316人。

 

50年前の梶山小学校の様子
◆1973年(昭和48年)、創立100周年を迎え、県1位の健康優良校に。健康(手洗い・うがい・はみがき・薄着運動・むし歯治療など)が審査項目で3年連続1位。◆県内外から参観がたえず、ちり1つ落ちていないことがじまん。

25年前の梶山小学校の様子
◆1998年(平成10年)、創立125周年を迎えた頃、全校児童50人。複式学級に。
◆PTA、地域全体で、どうすれば梶山小の児童数がふえるのかを、いっしょうけんめい考えた。→9年前から小規模特認校。


そして、今の梶山小学校の様子
◆10月10日が創立150周年きねん日。(150歳)◆現在、児童数75人、先生16名。◆子供たちは、授業をしっかりがんばり、自分のゆめをかなえようとしている。

2月22日(木):150年記念式典
◆地域の方をおよびする。◆児童、地域、保護者の代表に話をしていただく。


*歴史の話ですので、小学校生には少し難しかったと思います。それでも、みんな、しっかりと話を聞いていました。今日10月11日は、150年と1日目です。
 

ブレイクタイム③(平成から令和の移り変わり)

*本ブログは、かたい文章が主になっています。かたい文章だけでなく、途中、やわらかい文章も入れ込んでいきたいと思います。「ブレイクタイム」と名付けます。

今回は、平成から令和にかけての教育現場を振り返ってみます。

 

【児童の事で】

○男子児童のランドセルは黒、女子のランドセルは赤が多かったですが、今は、様々な色や形のランドセルが販売されています。

○防犯グッズは身に付けていませんでしたが、今は、入学式等で防犯ブザーが配付されています。

【授業・学校行事の事で】

○今は、ICT教育が浸透してきました。全児童にタブレットが与えられています。

○年に数回、国際理解の時間がありましたが、今は、3.4年生は外国語活動、5.6年生は外国語の授業が毎週あります。道徳も教科になりました。

○大運動会、小運動会と実施していた運動会は、半日1回になりました。

○避難訓練は地震や火事が中心でしたが、今は、それらに加えて不審者対応も大事な項目です。

○男子は「くん」女子は「さん」で呼んでいましたが、今は、男女とも「さん」付けになりました。

【学校制度や教職員の仕事の事で】

○名簿は、男女別名簿でしたが、今は、男女混合名簿になりました。

○管理職以外は皆同じ立場でしたが、今は、副校長、主幹教諭、指導教諭等、様々な職種ができました。

○土曜日も授業がありましたが、今は、完全週5日制です。

○職員会等の提案文書は手書きかワープロで作成していましたが、今は、パソコンで作成し、サーバー内で共有データ管理しています。

【学校の対応の事で】

○今は、新型コロナウイルスを中心とした感染症対策が学校でも重要事項となっています。

○基本的に学級のことは担任がすべて対応していましたが、今は、学年で対応します。梶山小のような小さな学校は、チームや組織として対応します。

【学校の施設や教室内の事で】

○今は、全教室、エアコンが付いています。梶山小は体育館にもエアコンが付いています。

○今は、プールの飛び込み台は撤去されました。

○学級目標は教室の前に掲示していましたが、今は教室の後ろに掲示しています。

 

 

 

25年前の梶山小(創立125周年の頃の学校の様子)

 1998年、創立125周年を迎えた頃、梶山小の児童数は、わずか50年間で約300人が約50人に減っていました。

 この頃から複式学級になる学年も出てきました。そこで、PTAをはじめ地域の方々は、「どうすれば梶山小の児童数が増えるのか」を、いっしょうけんめい考えられていました。

 その頃PTA会長をされておられた方の文面を抜粋させていただきます。

『梶山小学校には3人の子供がお世話になりました。少ない人数でも、にぎやかな学校で、さらに家族的な雰囲気がいいなあとも思いました。しかし、今では50余名の児童数になっていますが、数年前から児童過疎を地区のみなさんや町に働きかけてきましたが、今では梶山小PTAや活性化委員会のみなさんの活動により、数名の児童が転入してきたと聞いてうれしく思っています。私たちも子供たちの母校のためにも、今後も協力をおしまないようにしたいものです。それに、梶山小学校区の地区の活性化のために、いろいろな活動に参加して、児童過疎防止にお互いに頑張っていきたいと思います。』

 その頃の梶山小学校は、児童過疎防止が大きな課題であったようです。

 それから少しの時を経て、平成27年(9年前)から、梶山小学校は、小規模特認校となりました。三股小、三股西小、勝岡小校区の児童も梶山小に入学できるようになったのです。この制度が導入されて、梶山小学校に複式学級ができることはなくなりました。

 令和5年9月25日現在の梶山小学校の児童数は75人です。

 

50年前の梶山小(創立100周年の頃の学校の様子)

 1973年、創立100周年を迎えた頃、梶山小学校は宮崎県1位の「健康優良校」として有名でした。健康優良校ですが、優良校を決定するためには審査がありました。その審査項目は、手洗い・うがい・はみがき・薄着運動・むし歯治療などで、その審査の結果、昭和46年と48年、「健康教育:健康優良校」になり、宮崎県1位を2回獲得しました。

 他校からも、「健康教育」の面で目標とされる小学校となり、県内外からの視察参観がたえなかったのだそうです。梶山小100周年記念誌を読みますと、学校が常にきれいで、ちりやごみが1つも落ちていないことが「学校のじまん」だったようです。

ブレイクタイム②(昭和47年(1972年)頃の梶山小と令和5年の梶山小)

 校舎2階に昭和47年(1972年)頃の梶山小の写真が掲示してあります。51年前の写真ですね。現在の梶山小の写真(昨日、本校に寄贈された写真です。詳細はブログ「学校の様子」をご覧ください。ちなみに、現在の新校舎(鉄筋コンクリート2階建)は、昭和54年2月に完成しています。今から44年前のことです。

 2つの写真を比較すると色々なことに気付きます。

 もしかすると、当時の校舎で学ばれた方々や当時の梶山小校舎をご存じの方も、このHPを見ていただいているのかもしれません。

*本ブログ「祝 梶山小150周年」は、文字がメインになっています。どうぞ、今回は、2枚の写真をゆっくりご覧ください。

*上記写真は、昭和47年(1972年)頃の梶山小

 下記写真は、令和5年(2023年9月7日)の梶山小

第二次世界大戦後の梶山小

 1945年(昭和20年)8月、日本はポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦は終了しました。そして、1947年(昭和22年)、「教育基本法」「学校教育法」が制定されました。これにより、義務教育は、小学校6年間、中学校3年間となりました。「学習指導要領」も同時期からスタートし、以後、10年位のスパンで、「学習指導要領」を通して、日本の教育の方向性が出されています。

  ここ三股町でも、小学校を終わると全員が修業年限3年間の中学校に入ることになりました。小学校の教科も大きく変わりました。修身はなくなりました。その代わりに修身、地理や歴史を合わせて、社会科という教科ができました。家庭科ができたのもこの時です。自由研究の時間も設定されるようになりました。

  戦後、梶山小学校でも様々な施設や制度が整備されました。昭和36年から給食が始まり、同じく36年に音楽室や放送室、理科室も整備されました。昭和38年には、図書室(図書も含)が整備されました。昭和39年にはスポーツ少年団、昭和43年にはプール、昭和45年には体育館が整備されました。

  PTA活動も始まり、とても盛んに行われ、梶山小PTAは、昭和46年に文部大臣表彰を受けています。急ピッチで様々なことが整備されていきましたが、当時から、梶山小学校は、地域の方々や保護者に支えられて、学校運営がなされていたのだと思います。

 

 

ブレイクタイム①(ブログ「祝 梶山小学校150周年」のこれからについて)

 最近、本校のアクセス数が急に伸びていますので、きっと、このブログ「祝 梶山小学校150周年」を読んでいただいている方々も多いのではないかと思います。

 本ブログがどのように進んでいくのか心配な方もおられると思いますので、考えていることを少しだけ述べますね。

 今は、梶山小学校の150年間の歴史を追っています。現代までたどり着いたら、「現在の梶山小学校」「これからの梶山小学校」にもふれていきたいです。

 また、10月4日(水)の全校集会では、子供たちに、校長として「梶山小の150年間」をしっかり伝えたいです。

 そして、2月22日(木)の150周年記念式典では、「梶山小の150年間」そして、「梶山小学校の未来や子供たちの未来」についても話をしたいです。

 今後も、どうぞ、本ブログ「祝 梶山小学校150周年」にもお付き合いください。よろしくお願いいたします。

昭和前期の梶山小学校

 昭和のはじめから終戦までの20年間は、日本は、「大きな嵐」に巻き込まれたような状況でした。昭和のはじめは世界的な不景気の波が日本に押し寄せました。そして、梶山地区の製糸工場もどんどんなくなり、農民の方々の暮らしも苦しかったようです。

 昭和6年に満州事変が起こり、昭和12年には日華事変、昭和16年には、いよいよ太平洋戦争が始まりました。この戦争は、4年間続いたのでした。

 昭和前期の20数年間は、大正11年の校舎をそのまま使っていたそうです。学校名は、昭和6年に「中原尋常小学校」から「梶山尋常小学校」に変わりました。昭和8年(1933年)に創立60周年を迎え、その時に「校旗」と「校歌」ができました。つまり、現在の校歌は90年間、歌い続けられているというわけです。すごいことですよね。

 この時代、学習する教科は大きくは変わっていませんが、昭和16年には体操に武道が加わりました。「戦争」に勝つための教育の色合いが出てきた時期でもあります。

 さて、急に話を現在に戻しますが、来月10月4日(水)の全校集会で校歌を歌う時間があったら、「この校歌は90年間歌い続けられている校歌である」という事を子供たちに伝えたいと思っています。

大正時代の梶山小学校

    1913年(大正2年)、梶山小学校は、65坪3教室の校舎を増築し、8月に新校舎として落成しました。当時は、中原尋常小学校という名称でした。教育環境が整備されたこの時から、梶山小学校では、1年生から6年生までの児童が勉強するようになりました。

 ちなみに日本国で、義務教育が6年間になったのは、1907年(明治40)です。

 大正時代の教科ですが、修身(今でいう道徳)、国語、算術、図画、唱歌、体操でした。4年生になると理科、5年生になると地理、歴史が加わったそうです。教科の中で最も重要視されたのは、修身です。やはり日本国においては、心の教育を学校中心に実施してきたという歴史があるのかもしれません

*下に添付しました資料ですが、右側が大正時代の国語の教科書(1年生)、左側が修身の教科書です。字が小さくて読めなくてすみません。

資料は、「梶山小学校記念誌」からスキャンしました。

小学校制度を短期間で整備できた理由

 それにしても、明治の初めに、なぜ短期間で日本は小学校制度を整備することができたのでしょうか。不思議ですよね。その一番の理由としては、「寺子屋」が存在していたことだと言われています。梶山小学校も、過去の記録を見ますと、元々は、「郷校」(寺小屋式の学校)だったようです。

 江戸時代幕末にはすでに全国に数万と言われる寺子屋が存在していました。現存する多くの小学校は、寺子屋、または私塾などの民間の教育機関が母体となって誕生しました。中には藩校や武家の教育的な機関から小学校へと整備された例もあったようです。

 その後、明治時代に、何度か学校制度は改正されました。1886年(明治19年)には「小学校令」が出されます。この令では、小学校を「尋常小学校」と「高等小学校」の2段階に分けました(各4年制)。「尋常小学校」の4年間は、「保護者は子どもを就学させる義務がある」と規定しました。そこで初めて義務教育がスタートしたというわけです。

150年前の日本や学校の様子

    本校は、今年度150周年を迎えています。今から150年前というと、(2023年ひく150年)で1873年(明治6年)になります。今回は、その時代の日本の様子や小学校の様子を振り返りたいと思います。

 1853年にペリーが来航し、江戸幕府は大きく方針を変更しました。そして1867年に徳川慶喜15代将軍が大政奉還をし、政権を明治天皇に返上しました。翌年1868年から明治時代が始まることになります。明治時代に入り、日本は近代国家としての歩みを大きく進めることになります。鎖国もやめ、世界の文明や文化、生活様式が一気に日本に届くようになりました。

 そんな中、日本における正式な初等教育も始まりました。1872年(明治5年)、「学制」が発布されました。学習内容は実学が中心で、いわゆる文明開化政策の一環だったと言われています。1875年(明治8年)には、2万4,303校の小学校が開設され、192万8152人の児童が入学していたとの記録も残っているそうです。

 現在、日本全国や宮崎県、三股町の多くの小学校が150周年を迎えています。それは、歴史をさかのぼると「学制」の発布の年、翌年(梶山小学校)、翌々年に設立された小学校が多かったからだと、考えています。

梶山小学校が誕生した頃(明治6年:1873年)

 梶山小学校の創立については、梶山小校長室にある学校沿革史資料に以下のように書かれています。(本校児童にも理解してほしいので、文章を分かりやすく表現します。)

「梶山小学校は、明治6年(10月10日)、梶山城下中原に創立された。当初の校長は、榎田秀栄校長であった。梶山、田上、餅原の子供たちを集めて教育が実施された。児童数が増加し、わずか15坪の教室では狭くなったので、明治11年には、教室は36坪になった。」

以上のようにきちんとした記録が残っています。

  また、当時の修業年限は、大体3年だったようです。どのような教科があったかというと、「かなつかい」「ことばのよみかた」「ことばのそらよみ」「さんよう(算数)」「ぎょうぎのさとし(道徳)」などだったようです。

 国語と算数が中心で、特に国語を大事にしていたことが伝わってきます。もちろん、道徳の授業も重要視され、150年前から梶山小学校でも、しっかりと心の教育がなされていました。

 

 

 

はじめに(ブログ「祝 梶山小学校150周年」について)

 8月28日(月)の始業式で、私は、校長として、「10月10日は、梶山小学校の150歳の誕生日です」という話をしました。「150年間も生き続けることは、なかなか難しいですよね。梶山小学校は凄いですよね!」という私の話に、児童は大きくうなづいていました。

 今年度梶山小学校では、PTAを中心として、4月から、節目節目で150周年を祝ってきています。

 私も校長として、150周年のこの年に、何かを発信しなくてはいけないのではないかと考えました。私自身、過去に博物館等に勤務していました。その際は宮崎県の歴史を中心に伝えてきましたが、今回は、梶山小学校の150年間の歴史を中心にして、お伝えしていきたいと考えています。

 場合によっては、扱う内容が日本の歴史や教育という大きなテーマになる場合もあるかと思います。

 つれづれなるままに、不定期でこのHPに掲載していきます。よろしくお願いいたします。