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2023年7月の記事一覧

【校長室】ブレーン

  「軍師」とは「軍中にて軍を指揮する君主や将軍の戦略指揮を助ける者」のことであり、 知将、策士などとも言われる。 このような職務を務める者は、東アジアでは古代から軍中にみられた。(『軍師』Wikipediaより)

 戦国時代に活躍した「軍師」たち。イメージはかっこいいし、何となくかしこそうな印象を抱くが、本来の任務は、合戦に際し出陣の日取りや進軍の方角を占うことだったようである。吉日に出陣すれば勝利するが、凶日に出陣すれば敗北するという意識もあり、易などの占術や陰陽道に基づく占星術に通じた軍師が必要とされていたということである。しかし、戦国時代の後半には、物量で圧倒する戦い方が主流になり、出陣の日取りや進軍の方角を占うのではなく、戦略や戦術をめぐらし、時には外交にも関与する家臣が求められたようである。こうした家臣のことを参謀(さんぼう)と呼ぶこともある。(『歴史人』2023年3月号「戦国レジェンド」より)

  戦国時代の主君の補佐役が軍師なら、学校教育という現場では、教頭がそれにあたるだろう。

4月の定期異動により、新たな体制が組織され、校長は「信頼される学校」に必要な環境を整えていく。今年度、校長、教頭ともに新任として本校に赴任したわけだが、予想を遙かに超える素晴らしい生徒たちとの出会いに期待が膨らむ中、「さらに良い学校にしよう」と重責を再確認した。毎年教職員や生徒が入れ替わるため、学校には少なからず変化が生じる。その実態に応じて新たな課題が見えてくる。したがって、学校の教育目標は変わらないにしても、その解決に向けてのアプローチの仕方は自ずと変わってくるものである。生徒にとって最高の教育環境をつくるために取り組むべきことはいろいろあると思うが、よりよい学校経営を実践していく上で欠かせないのが教頭の存在である。そして、自分の経験を踏まえた上で、私自身が考える最高の教頭に求める6つの条件を述べたいと思う。

 まず1つめは、【授業力】である。教員である以上、授業で学力向上等の成果をあげる力量が求められる。実際の授業で活躍できなければ、どんな立派な教育目標も机上の空論である。2つめは【情報・学識】。文科省からの通知や学習指導要領、その他各種情報に通じ、博識であることが、校長の判断・最終決断材料としてとても重要である。そして3つめ【教職員からの信頼】。学校経営方針の決定に際して、教職員からの同意は必要不可欠。日頃からコミュニケーションを図り信頼を得て、人間関係を築いておくことが名教頭の条件と考える。4つめ【戦略・戦術】。学校経営ビジョンの具現化に向けての戦略や教職員、その他学校関係者への提案能力は教頭にとって必須条件である。5つめ【事務処理能力】。学校外への情報発信や学校運営上の一般的な書類の作成や確認等、机上における事務作業の処理能力は高いほどよい。最後6つめは【折衝力】。人それぞれ考え方が違うので、それらの意見を調整して、落としどころを見極め、納得解を合理形成する等、学校経営方針を効果的に進めていく外交・交渉能力も大切であると考える。

 ところで、本校の教頭であるが、県教委からの転入のため、義務教育関連の学力向上や生徒指導、特別支援教育等、豊富な知識を基に本校の重要課題の解決に向けて、大いに活躍が期待できる。行政との人的パイプも太く、本校にとって効果的に学校運営がなされているのも彼のおかげである。実際に、校長の学校経営ビジョンを誰よりも理解し支えようと、私の思いや信念を具体的に教職員に示そうとしてくれている。PTA役員との連携や学校の窓口としての電話応対等、保護者や地域との接し方についても、とても丁寧で他の教職員の模範となっている。

 様々な働き方改革の推進により、校長として直接全職員に話す機会が減っているが、各学年主任や校務分掌の部長を通して、教職員一人一人に伝わるよう、各部長・主任と緊密に連携している。さらに今年度は人材育成手段の一つとして掲げているボトムアップの推進事例として、各学年や校務分掌の枠を越えた、横断的なプロジェクトチームを発足させることで、全教職員から意見を吸い上げられるような仕組みを構築した。

 このような試みが円滑に進められるのも、私が校長としての職務に専念することができるのも、教頭が学校運営について十二分に力を発揮しているからこそである。変化の激しい時代に柔軟に対応しながら学校教育を展開していくためには、有能な軍師(参謀)は必要不可欠である。早くも1学期が終わってしまったが、おかげさまで、アンテナを高く張り、学校内は当然のこと、地域の様子、地方自治体や国の教育政策の動向、そして教育以外の様々な出来事の情報をとらえることに力を注ぐことができた。学校外の力を借りながら、学校教育を改善していくことが求められる時代であるがゆえに、「教頭が彼でよかった」と日々痛感している。

令和5年7月26日(水)