渡辺 修三

延岡市出身の詩人。

 

生い立ちと教育
1903年(明治36年)12月31日、宮崎県延岡市尾崎町に生まれる。
旧制延岡中学を卒業後、1921年に早稲田大学英文科に進学。


文学活動の始まり
早稲田大学在学中に西条八十に師事。
1928年(昭和3年)、処女詩集「エスタの町」を出版。
「モダニズムの旗手」と呼ばれ、詩壇の第一線で活躍。


郷里での活動
1929年(昭和4年)、家庭の都合で早稲田大学を中退し、延岡に帰郷。
農林業・茶業を経営しながら、創作活動を継続。
戦後、「黒岩地区文化懇話会」を発足させ、地元の文化活動を推進。


詩人としての功績
宮崎県内の詩壇を代表する詩人として、多くの後進に影響を与える。
「谷間の詩人」と呼ばれ、地域に根ざした創作活動を展開。
延岡市内の小・中・高校12校の校歌を作詞。


晩年と評価
1978年(昭和53年)9月9日、74歳で逝去。
2013年に詩碑が建立され、2015年3月に「渡辺修三顕彰会」が発足。
現在も地域の文化人や教育関係者によって、その業績が顕彰されている。
渡辺修三は、モダニズム詩人としての活躍と、郷土に根ざした文化活動を通じて、宮崎県の文学と教育に大きな足跡を残しました。