人権・同和教育

2020年6月の記事一覧

延岡大空襲の日

 6月29日は、延岡大空襲の慰霊の日です。

 当時の岡富中の場所には、県立延岡高等女学校がおかれていました。その女学校も、空襲で焼け落ちてしまいました。ですから、75年前の今朝は、岡富中のあたりは焼け野原だったわけです。その名残が、からみレンガの塀になります。
 
 1945年6月29日、午前1時46分ごろから始まった空襲は、宮崎県内で最も規模が大きいものでした。飛来したB29などの航空機は117機。投下された焼夷弾は10万発。東京大空襲における飛来した航空機は520機あまりということですから、その5分の1と考えていいでしょう。

 かつて、防空法という法律がありました。その第8条に、消火における退去の禁止と応急消火義務という項目があります。最初は条件付きの規定でしたが、太平洋戦争とともにそれらが強化され、空襲時、国民は全面的に退去することができなくなってしまいました。つまり、空襲だからといって、我先に避難することはできませんでした。「逃げ遅れた」のではなく、「逃がしてくれなかった」(それも国が)のです。
 
 「なぜ、人権教育で平和教育をするのですか」よく聞かれます。戦時は自らの生命すら自分で保持することは困難で、人権が制限されていました。考える「いとま」すらなかったのです。だから「戦争は最大の人権侵害」といわれます。平和の状態ができて、初めて人権の考えが芽吹きます。「平和なくして人権なし」──それでは、失礼いたします。