2015年11月の記事一覧
縁の下の力持ち
雨が続いたここ数日。
雨雲が空を覆っていて日が暮れるのを早く感じる、そんな最近の出来事です。
夜19時半頃だったと思います。
帰宅しようと駐車場まで歩いていたら、3年棟の前にある花壇の近くで何かがモゾモゾと動いているのに気がつきました。
よく見ると、若手の男性職員が薄暗い中しゃがみ込んで何かをしていました。(怖っ!!)
「何をしてるんですか?」と尋ねてみたところ、花植の時期が近づいてきたので花壇整備を生徒としていたが間に合わないと思い、仕事が終わってから草抜きをしていたら日が暮れてしまった、とのこと。
よく見るとその職員、靴が泥だらけ。手も、使っていたクワも泥だらけ。
(…先生、泥だらけじゃないですか。)
日を改めてその先生が草抜きしていた花壇を撮影してみました。
まだ少し、草が残っていますが、土も掘り起こされ次の作業がすぐできるように準備されています。
そして本日、花壇整備の日です。
生徒と一緒に、残っている草を全て抜き土を耕しました。
生徒と、花をどのように植えるか相談しています。
どうやら花の形にした様子。
写真を撮っていると、生徒が「ほら、先生」と手を差し出してきました。
一生懸命に花壇整備をした手は泥だらけでしたが、ステキな手をしているなぁと思いました。
生徒が校内で活動する時、それを影ながら支えている先生がいる。
勉強だけでなく心の成長にも全力で取り組む、それが都農高校の職員のスタンダードです。
雨雲が空を覆っていて日が暮れるのを早く感じる、そんな最近の出来事です。
夜19時半頃だったと思います。
帰宅しようと駐車場まで歩いていたら、3年棟の前にある花壇の近くで何かがモゾモゾと動いているのに気がつきました。
よく見ると、若手の男性職員が薄暗い中しゃがみ込んで何かをしていました。(怖っ!!)
「何をしてるんですか?」と尋ねてみたところ、花植の時期が近づいてきたので花壇整備を生徒としていたが間に合わないと思い、仕事が終わってから草抜きをしていたら日が暮れてしまった、とのこと。
よく見るとその職員、靴が泥だらけ。手も、使っていたクワも泥だらけ。
(…先生、泥だらけじゃないですか。)
日を改めてその先生が草抜きしていた花壇を撮影してみました。
まだ少し、草が残っていますが、土も掘り起こされ次の作業がすぐできるように準備されています。
そして本日、花壇整備の日です。
生徒と一緒に、残っている草を全て抜き土を耕しました。
生徒と、花をどのように植えるか相談しています。
どうやら花の形にした様子。
写真を撮っていると、生徒が「ほら、先生」と手を差し出してきました。
一生懸命に花壇整備をした手は泥だらけでしたが、ステキな手をしているなぁと思いました。
生徒が校内で活動する時、それを影ながら支えている先生がいる。
勉強だけでなく心の成長にも全力で取り組む、それが都農高校の職員のスタンダードです。
都農高校の校舎がきれいになります!!
最近の都農高校。
地域の方や付近にお住まいの方はご存じだと思いますが、しっかりと覆われております。。。
1960年代に建てられた普通教室棟ですが、もう50年以上使われています。
50年間も生徒を見守り卒業させていった校舎なんですね。
もともとは高鍋高校の都農校舎として建てられた本校校舎。
1950年に高鍋高校より独立して都農高校となりました。
当時は普通科、農業科、家政科の3科で構成されていました。
当時の校舎はこんな感じでした。
現在とは全く違いますね。
1966年には普通科と農業科の募集を廃止し、商業科を新設。
時代に合わせて地域の子供達が学べる環境を整えてきた都農高校です。
現在では総合学科(1997年開設)として、生徒が自ら学びたいことを学べる環境が整っています。
【入学金補助ポスターについてのPDFファイル】
※詳細は本webサイトの「お知らせ」にも掲載してあります。
昨年、創立60周年を迎えた都農高校ですが、来年度より都農町による入学補助金制度もはじまります。校舎の修繕にも多額の資金を投資して、これから都農高校で学ぶ生徒たちの為に整備を進めています!
現在、都農高校で学んでいる生徒たちはもちろんですが、これまで都農高校で学び育っていった卒業生の皆さんにとっても大事な思い出の詰まった校舎です。
今後も、ずっとずっと大事に使っていきたいと思っています。
都農高校が地域をもっと元気にできるように職員一同、生徒と一緒に頑張ります!
地域の方や付近にお住まいの方はご存じだと思いますが、しっかりと覆われております。。。
1960年代に建てられた普通教室棟ですが、もう50年以上使われています。
50年間も生徒を見守り卒業させていった校舎なんですね。
もともとは高鍋高校の都農校舎として建てられた本校校舎。
1950年に高鍋高校より独立して都農高校となりました。
当時は普通科、農業科、家政科の3科で構成されていました。
当時の校舎はこんな感じでした。
現在とは全く違いますね。
1966年には普通科と農業科の募集を廃止し、商業科を新設。
時代に合わせて地域の子供達が学べる環境を整えてきた都農高校です。
現在では総合学科(1997年開設)として、生徒が自ら学びたいことを学べる環境が整っています。
【入学金補助ポスターについてのPDFファイル】
※詳細は本webサイトの「お知らせ」にも掲載してあります。
昨年、創立60周年を迎えた都農高校ですが、来年度より都農町による入学補助金制度もはじまります。校舎の修繕にも多額の資金を投資して、これから都農高校で学ぶ生徒たちの為に整備を進めています!
現在、都農高校で学んでいる生徒たちはもちろんですが、これまで都農高校で学び育っていった卒業生の皆さんにとっても大事な思い出の詰まった校舎です。
今後も、ずっとずっと大事に使っていきたいと思っています。
都農高校が地域をもっと元気にできるように職員一同、生徒と一緒に頑張ります!
都農高校にカッパが出ました。
昼食時間のことです。
職員室の奥にある休憩室に行くと、大量のキュウリを洗っているカッパがいました。
よく見ると、都農高校の理科教諭 河野先生でした。
(星のお話をメシエ博士のコスプレをしてあらゆる場所で語っている彼です。)
どうしてそんなにキュウリを洗っているのかと尋ねてみると、なんといただき物だとのこと。
実は都農高校の1年生は今週水曜日からインターンシップ研修で地域の農家様にお世話になっています。
職員室中央にあるテーブルを見てみると、、、
たくさんの新鮮なキュウリが袋にいっぱい詰め込まれていました。
鮮度が良くみずみずしいキュウリです。
形も素晴らしい。
差入れのキュウリ、ありがとうございました。
都農の野菜は本当に美味しいですよね。
大事に育てられているのは都農町内の子供たちも野菜も同じです。
本校生徒たちはもちろんのこと、職員も地域に見守られてこれらのキュウリのように育っいっているのだなと、美味しいキュウリを食べながらしみじみと感じました。
いただいたキュウリには都農高校への期待を感じました!
都農高校はしっかりと地域の子供たちを育てていきます!!
お世話になっている農家の皆さま。心より感謝しております!
インターンシップ実習の内容についてはまた後日、本ブログにて報告させていただきますね(^^)
英語と音楽のコラボレーション授業
10月中、スウェーデンから留学生が来ていた都農高校。
生徒たちは英語だけでなく、その他の言語や異文化にも興味を持ちました。
また、留学生が都農高校生と一緒に授業に参加するために本校職員が協力し合いました。
砂糖を使った和菓子作りで実験をした化学、日本とスウェーデンの医療制度を比較した保健体育、日本と北欧の気候や海流の違いについて学んだ地理など。
都農高校では、英語と日本語を織りまぜた素晴らしい授業が展開されていました。
【化学の授業でカルメ焼きを作る留学生と生徒】
数学でも、生徒と職員が「三角形の中心点って英語で何て言うんだっけ」と、留学生と一緒に数学を学びながら英語で伝えようと一生懸命でした。
創立60周年を迎えた都農高校ですが、おそらく過去に前例のないくらい生徒も職員も国際化していたと思います(^~^)
さて、今日のブログはそんな留学生が帰国した後の話になります。
実は、都農高校の英語科の中に他の授業で英語をアウトプット(出力)する楽しさを覚えた職員がいました。(私です。)
何か生徒が他の授業で英語を使って表現できないかなと考えた結果、まず手始めに音楽の先生に協力していただきました。
被災地応援ソング「花は咲く」の英語版「FLOWERS WILL BLOOM」を授業で歌いました。
生徒たちは、ALTのクリス先生の歌が上手でとても驚いていました。
何度か朗読した後、メロディに合わせて歌っていきました。
ネイティブの発音を聴きながら歌の練習ができるなんて贅沢ですね。
あっという間に1時間が過ぎ、曲を何とか歌えるようになりました。
生徒たちは「次も英語の歌を歌いたい!」「次の授業は何をするの?」とワクワクしていました。
本来、言語はコミュニケーションのための道具です。
これからも、生徒が英語で自分の意見や思いを表現できるような授業を展開していきます!
生徒がのびのびと学べる環境を整えたい、と都農高校の職員が思う理由は、生徒たちが素直に学ぶ姿勢を持っているからです。
生徒たちは英語だけでなく、その他の言語や異文化にも興味を持ちました。
また、留学生が都農高校生と一緒に授業に参加するために本校職員が協力し合いました。
砂糖を使った和菓子作りで実験をした化学、日本とスウェーデンの医療制度を比較した保健体育、日本と北欧の気候や海流の違いについて学んだ地理など。
都農高校では、英語と日本語を織りまぜた素晴らしい授業が展開されていました。
【化学の授業でカルメ焼きを作る留学生と生徒】
数学でも、生徒と職員が「三角形の中心点って英語で何て言うんだっけ」と、留学生と一緒に数学を学びながら英語で伝えようと一生懸命でした。
創立60周年を迎えた都農高校ですが、おそらく過去に前例のないくらい生徒も職員も国際化していたと思います(^~^)
さて、今日のブログはそんな留学生が帰国した後の話になります。
実は、都農高校の英語科の中に他の授業で英語をアウトプット(出力)する楽しさを覚えた職員がいました。(私です。)
何か生徒が他の授業で英語を使って表現できないかなと考えた結果、まず手始めに音楽の先生に協力していただきました。
被災地応援ソング「花は咲く」の英語版「FLOWERS WILL BLOOM」を授業で歌いました。
生徒たちは、ALTのクリス先生の歌が上手でとても驚いていました。
何度か朗読した後、メロディに合わせて歌っていきました。
ネイティブの発音を聴きながら歌の練習ができるなんて贅沢ですね。
あっという間に1時間が過ぎ、曲を何とか歌えるようになりました。
生徒たちは「次も英語の歌を歌いたい!」「次の授業は何をするの?」とワクワクしていました。
本来、言語はコミュニケーションのための道具です。
これからも、生徒が英語で自分の意見や思いを表現できるような授業を展開していきます!
生徒がのびのびと学べる環境を整えたい、と都農高校の職員が思う理由は、生徒たちが素直に学ぶ姿勢を持っているからです。
尾鈴祭の舞台裏
大成功に終わった尾鈴祭。
合唱コンクールや劇、展示物のそれぞれにはドラマがあり、涙と感動がありました。
作品を作りあげていく過程の中で生徒達が大きく成長したと、多くの保護者・職員が感じた尾鈴祭となりました。
前回のブログでは生徒全員が作りあげた尾鈴祭を紹介しましたが、今回はその尾鈴祭を企画・運営した本校の生徒会についてお話したいと思います。
現3年次生に所属する前生徒会長をはじめ、その他の旧生徒会役員にとっても最後の企画となった尾鈴祭。
彼らは準備期間中、遅くまで学校に残り準備をしていました。
私が部活動を終えて帰ろうとする時間帯にも、職員室に戻るとカメラやスケッチブックを抱えて先生方にメッセージ書きを依頼している姿などを見ることがよくありました。
尾鈴祭当日。
生徒達の休憩時間。本部席で机にうつぶせになって休む役員たち。
スタートしたばかりの尾鈴祭にホッとしたからか、疲れがピークに達した為か、たった10分程の時間でしたが休憩していました。
合唱コンクールが始まった時。
それぞれのHRでは上手に歌えるか、間違わずに伴奏できるか、入賞できるかと心配だったと思います。
その姿をステージ横で見守りながら生徒会役員は時間を計ったり、スケジュールの進行を確認したり、生徒・職員・保護者の思い出となる尾鈴祭にするために運営に努めていました。
3年生役員にとっても高校生活最後の学校行事。
きっとクラスの友人と一緒に鑑賞したり一緒に緊張したりと同じ時間を過ごしたいという思いもあったのではないでしょうか。
尾鈴祭の終わりが近づくにつれて、安心した表情を見せる生徒会役員達でしたが、その表情の中には「これで最後だ」という悲しい表情を見せる者もいました。
尾鈴祭が終わり、後日生徒会役員より「大変だった。」「忙しかった。」という言葉を聞きました。しかし、「楽しかった」という言葉を一番多く聞きました。
閉会行事の時に流れた映像を見ながら涙を流す生徒会役員たちの様子です。
これまでの活動を振り返り、「このメンバーで企画・運営をするのはこれで本当に最後だ」と涙を流していました。
最後に、生徒会担当の職員より裏方として頑張ってきた彼ら・彼女らに対して労いの言葉が送られました。
旧生徒会長は感極まってずっと涙を流していました。
今年の尾鈴祭では、私自身も職員バンドや軽音楽部のバンドの一員として参加しましたが、1つ1つの作品は全て、クラスの友人やバンドのメンバーと作りあげられました。
作品が上手に出来なければ落ち込むし、悔しい思いもします。
しかし、全員で作りあげた尾鈴祭をだからこそ、心から「楽しかった」「よい思い出ができた」という気持ちで終えることができたのだと思います。
個ではなく、全員で作りあげるから楽しいと思える。それが都農高校の文化祭です。
尾鈴祭を作りあげる過程で、それぞれの学級、それぞれのグループの中にドラマがあり、成長がありました。今後の学校生活にこの学びを活かしつつ、来年は更に素晴らしい尾鈴祭を作りあげていきましょう。
生徒会のみなさん。
感動をありがとうございました。
合唱コンクールや劇、展示物のそれぞれにはドラマがあり、涙と感動がありました。
作品を作りあげていく過程の中で生徒達が大きく成長したと、多くの保護者・職員が感じた尾鈴祭となりました。
前回のブログでは生徒全員が作りあげた尾鈴祭を紹介しましたが、今回はその尾鈴祭を企画・運営した本校の生徒会についてお話したいと思います。
現3年次生に所属する前生徒会長をはじめ、その他の旧生徒会役員にとっても最後の企画となった尾鈴祭。
彼らは準備期間中、遅くまで学校に残り準備をしていました。
私が部活動を終えて帰ろうとする時間帯にも、職員室に戻るとカメラやスケッチブックを抱えて先生方にメッセージ書きを依頼している姿などを見ることがよくありました。
尾鈴祭当日。
生徒達の休憩時間。本部席で机にうつぶせになって休む役員たち。
スタートしたばかりの尾鈴祭にホッとしたからか、疲れがピークに達した為か、たった10分程の時間でしたが休憩していました。
合唱コンクールが始まった時。
それぞれのHRでは上手に歌えるか、間違わずに伴奏できるか、入賞できるかと心配だったと思います。
その姿をステージ横で見守りながら生徒会役員は時間を計ったり、スケジュールの進行を確認したり、生徒・職員・保護者の思い出となる尾鈴祭にするために運営に努めていました。
3年生役員にとっても高校生活最後の学校行事。
きっとクラスの友人と一緒に鑑賞したり一緒に緊張したりと同じ時間を過ごしたいという思いもあったのではないでしょうか。
尾鈴祭の終わりが近づくにつれて、安心した表情を見せる生徒会役員達でしたが、その表情の中には「これで最後だ」という悲しい表情を見せる者もいました。
尾鈴祭が終わり、後日生徒会役員より「大変だった。」「忙しかった。」という言葉を聞きました。しかし、「楽しかった」という言葉を一番多く聞きました。
閉会行事の時に流れた映像を見ながら涙を流す生徒会役員たちの様子です。
これまでの活動を振り返り、「このメンバーで企画・運営をするのはこれで本当に最後だ」と涙を流していました。
最後に、生徒会担当の職員より裏方として頑張ってきた彼ら・彼女らに対して労いの言葉が送られました。
旧生徒会長は感極まってずっと涙を流していました。
今年の尾鈴祭では、私自身も職員バンドや軽音楽部のバンドの一員として参加しましたが、1つ1つの作品は全て、クラスの友人やバンドのメンバーと作りあげられました。
作品が上手に出来なければ落ち込むし、悔しい思いもします。
しかし、全員で作りあげた尾鈴祭をだからこそ、心から「楽しかった」「よい思い出ができた」という気持ちで終えることができたのだと思います。
個ではなく、全員で作りあげるから楽しいと思える。それが都農高校の文化祭です。
尾鈴祭を作りあげる過程で、それぞれの学級、それぞれのグループの中にドラマがあり、成長がありました。今後の学校生活にこの学びを活かしつつ、来年は更に素晴らしい尾鈴祭を作りあげていきましょう。
生徒会のみなさん。
感動をありがとうございました。