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心の声

【校長室】TEAM

「グルメ(gourmet)とは、美食家や食通という意味。また、高品質な食材や料理に対する知識や興味をもち、味覚に関して独自の基準や価値観をもつ人物を指す。さらに美味しい食事や高級な食材に対する愛好家を意味するとのことである(実用日本語表現辞典より)。」この高千穂町には日本一の高千穂牛を筆頭に、高千穂米(棚田米)、釜入り茶、椎茸、トマト、蜂の子等々、おいしい食材が多数存在する。人気の高い焼き肉屋やお蕎麦屋さん等のお食事処も多い。そう考えると本校の給食もある意味、隠れた名店である。これまで多くの学校に赴任し、食した給食は星の数、いずれの学校も特色のある給食で美味しかったが、本校の給食は格別である。とは言っても、高千穂町内の食材を使用した「ぬくもりランチ」が月に1,2回ほど提供されることや米飯に特別栽培米が使用されていること等、他地区の特色と大きな違いはない。しかし、とにかく美味い。確かに日本一の高千穂牛が給食で扱われることがあり、宮崎牛の中でもトップレベルの高千穂牛の美味さは、別格である。

話は変わるが、中山間地である本町の過疎化は否めず、後継者問題も大きな課題の一つである。給食の食材も本町もしくは西臼杵地区の業者を中心に賄っているが、近年、廃業や撤退等を理由に契約解除が続き、食材調達に苦慮している。それでも、町教育委員会の全面的なバックアップの基、各小中学校の栄養教諭や学校栄養職員、給食調理員等、多くの関係者が知恵を出し合い、対応を協議し今日に至るが、子供たちには以前と変わらず美味しい給食が提供されている。お豆腐一つにしても、くずれやすくてもよいもの、原形をとどめていた方がよいもの等、献立によって仕入れ先を変更したり、高騰している食材についても栄養バランスを変えずに安価なもので対応したりと、細部にわたって工夫が施されている。すべては、「子供たちのために」と口をそろえて言われる。昨年は物価高騰の煽りを受け、二度給食費を値上げした。PTA運営委員会に打診し、PTA総会で承認をいただいた。保護者の方々も「子供たちのために」と非常に協力的で、理解をしてくれる。このように、すべての関係者のご理解とご協力のおかげで、今の給食が維持できており、とても感謝している。

さて、本校に着任して2年目を迎え、すでに1か月が過ぎた。素直で純粋な生徒のおかげで、かなり充実した幸せな日々を送ることができている。それは、何もせずただぼんやりと平和に過ごすことができるという意味ではなく、学校が求められている役割を十分に果たす環境が整っているということである。校長ならば、学校経営そのもの。そもそも「経営」とは「継続的・計画的に事業を遂行すること」、また、「企業を組織化したり管理したり一定の方向に向けて動かすこと」、あるいは、「企業活動に関する様々な意思決定を行うこと」を意味している(広辞苑より)が、私は、方向性はそろえるが、具体的な取組は担当者の裁量を最大限に尊重することを意識している。というのも、学校現場が抱える課題は様々で、複雑化・困難化しており、校長一人で解決できるものではなく、地域の教育力や家庭教育の充実が大切であり、地域との連携は必須であると同時に、何よりそれらの多くは教員の資質や力量にも関わっている。言い換えれば、教員の資質が向上し、一人一人の教員の力量が付けば、学校の抱える多くの教育的課題は解決へ向かうと考えるからである。その資質と力量とは、授業力や責任感・使命感等だけではなく、総合的な人間力であり、教職員の人材育成が学校の抱える課題解決に向けての喫緊の取組の中軸となる。時には、校長自らが教育者としての姿勢を具体的に示し、積極的に子供や保護者、地域と関わり、校長の示す学校経営ビジョンに沿って、教職員の人材育成を図ることも必要ではないか。

最近気になることは、「働き方改革」の表面的な部分が先行しがちであるということ。「働きやすさ」ばかりを求めてしまうと「ジタハラ(時短ハラスメント)」「成長できない」という教職員の受け止め方になり、「働きがい」を失ってしまう。だからといって、「働きがい」だけを求めると「パワハラ」「負担感」「やらされ感」という教職員の受け止めとなりかねない。学校という職場の魅力向上とともに教職という職業としての魅力向上を両立させるには、学校現場が教職員にとって「働きがい」と「働きやすさ」のある職場となることが求められる。私たちが、「何故教職の道を選んだか」を思い起こし、後ろ姿を見せることで、教育者としての姿勢を体現することによって指導することも時には必要であろう。

文科省は「『地域に開かれた学校』から一歩踏み出し、地域の人々と目標やビジョンを共有し、地域と一体となって子供たちを育む『地域とともにある学校』への転換が必要である」という。「地域とともにある学校」とは、学校に関わる大人同士が「どのような子供も育てたいのか」「何を実現していくのか」という目標やビジョンを共有し、学校と地域がパートナーとして連携・協働しながら学びを展開していく学校とのことである。管理職になる前の私は、自分を含め、教職員だけで学校の教育活動を回していると思っていたが、今回の給食食材に関する問題に直面することで、課題の解決を自分たちだけで目指すのではなく、周囲の人の力を借りたり、活用したりすることの大切さを実感した。これこそ「チーム学校」の一つとスタイルと言える。そして、制約されつつある食材を最大限に生かしながら、それでもなお、「子供たちに楽しい給食を」と工夫・改善等の働きがいを見せてくれた学校栄養職員の心構えやその気持ちを全面的に支えようとする調理員さんの温かさに触れ、本来の職務の意義を振り返ることができた。

本来、学校は夢を描き、夢を膨らませ、夢実現に向けて突き進む、魅力のある場所でなければならない。学校のトップとして、何より重要なのは、教職員の心理的安全性を確保することである。教職員を大切にし、それぞれの先生方の強みを生かして「働きがい」が高まっていくように心掛けることが、「地域とともにある学校」への転換に繋がっていき、ひいては「学校を核とした地域づくり」に発展していくと確信している。管理職であっても対等に軽やかに楽しく意見交換できる雰囲気をつくりながら、日頃から教職員とコミュニケーションをとり、様々な課題への対応に向けて教職員がその力を主体的に発揮しやすくなるような環境を整えておく配慮が大切であると気付かせてくれたことに感謝したい。

令和6年5月 給食だより.pdf

【校長室】私事

初めての手術入院顛末

  私事で恐縮だが、先日心臓のアブレーション手術を受けた。

不整脈と診断されたのは今からおよそ7年前。学校の定期健診で見つかった。どういう病気かある程度はわかっていたものの、若気の至り(年齢的に決して若くはなかったが…)でそれほど気に留めず、専門医を受診することはなかった。

ある年、教え子の看護師と話す機会があった時、何の気なしに軽い気持ちでその旨話したところ、思いがけず厳しく注意を受け強く受診を勧められた。それでも仕事が忙しいことを言い訳に病院に行くことはなかった。

そんなある日、胸の激痛と呼吸困難に襲われた私は、近くの大学病院に駆け込むことになる。応急処置として点滴を受けながら、再度強く専門医への受診を勧められた。しぶしぶ最寄りの病院で専門医による検査・診察を受けたところ、結果は「病気のオンパレード」。もともと体力に自信があったため、高を括って放置していたら、とんだことになっていたのだった。担当医師曰く、「(治療しなければならないところはたくさんあるが)特に心臓は早急に手術を受けたほうがよい」とのこと。

にもかかわらず、私はまたしても仕事を言い訳に(ちょうどその頃管理職試験を受けていた)、手術ではなく、服薬で悪化を防ぐ治療方法を選択したのだった。それからも、幾度となく手術を勧められたが頑なに断り続けていた。その間薬の種類はどんどん増えていった。

そして昨年、校長として高千穂中学校に転勤となり、宮崎市内のかかりつけ医から紹介状をもらい、通院に便利の良い町立病院で薬を処方してもらうようになった。高千穂での昨年秋の検査結果で、再度手術を勧められ、初めて手術を受けることを前向きに考えるようになった。そんな矢先、深夜に体調が悪くなり、自分で車を運転して病院へ急行。そこでようやく迷いが吹き飛び、手術を受けようと決心した。

昨年末、紹介状を携え宮崎市内に新しく移転した総合病院へ行き、改めて病状を把握するための検査を受けた。後日診断結果を聞くために診察室へ、目の前に座った医師から出た言葉は「私を覚えていますか?」。

なんとなんと、私の担当となった主治医は他でもない、7年前「病気のオンパレード」と私に宣告した医師だったのだ。これも何かの縁かな、とのんびり構えていたが、ここまで手術を受けず、服薬でお茶を濁していた私と検査結果に対して医師からは厳しいお叱りをいただくことになり、私はひたすら平身低頭であった。

さて手術を受けるには入院せねばならない。受けられる日程は早くて4月とのこと。年度初めの準備や入学式等の行事との兼ね合いで、4月第3週に決まった。

医療の進歩は素晴らしい。心臓手術が3泊4日で済んでしまうのだ。

それにしても、手術日前日に入院してからというもの、病院スタッフの“報連相”と連携は見事というほかなかった。ついスタッフの動きを仕事人の目線で見てしまうのは職業病だろうか。「何かあったらナースコールで呼んでくださいね」という言葉に甘えてあれこれ言う私のわがままを真剣に聞いてくださり、判断困難な場合はその都度必ずドクターに確認し指示を仰ぐ徹底ぶりにはただただ感心するばかりである。

命を預かる職場、責任感と緊張感の中、どんな場面でも笑顔を絶やさず、懇切丁寧に対応してくれる姿はまさに白衣の天使(最近は白じゃなくてカラフルだけれど、それにこの言い回しも古いなあ)。手術(私が処置を受けたのは「検査室」だった)に向かう途中、そして手術台の上でも、まさに俎板の鯉となってドキドキしている私にかけてくれる「がんばりましょう」の明るい声や、リラックスしたスタッフの笑い声(私を安心させるためであろうが)にどれだけほっとしたことか。

術後のケアについても、1時間ごとに体温や血圧、傷口の確認に来られて、その度に「何度もすみません」と言われる。いやいやそれはこちらのセリフですって!4日間携わってくださったスタッフの皆さんには感謝しかない。 

今回の入院では週休日を含め9日間お休みをいただいたが、その間の校長職務は全て教頭先生に代行していただいた。どの学校にも“教頭”という素晴らしい参謀が配属されているが、高千穂中学校にもすこぶる有能な教頭がいる。留守を任せても安心であるということも、手術を決断する強い後押しとなった。教頭先生にも感謝である。 

初めて入院してみて、改めて学んだことが4つある。

一つめは、報連相の徹底。学校現場で常に口癖のように言っている「連携と報連相」はまだまだ密にする必要があるし、できるのだと感じた。

二つめは、入院中に読んだ刊行物『中学校 №847』29ページ下段中ほどに書かれている言葉である。「…人の力を借りることを学んだ。…これを他力と呼んで、他力を集められるようになったら、それは幸せなことだ…」

教頭をはじめとした先生方、保護者の皆さま、公民館長さんをはじめとした地域の方々…、他力なしでは学校経営は成り立たないではないか。

三つめは、周囲の方々への感謝を日頃から忘れないこと。そして、感謝の気持ちをきちんと言葉で伝えること。今回多くの方々に支えられ、その温かさやありがたさをベッドの上で痛感した。

最後は、健康のありがたさ。

『自分を大切にするひとに』と生徒に説いておきながら、私は私を大切にできていなかった。

「なんでこんなになるまで放っておいたんですか」と叱られて、私は主治医に謝ったけれど、本当に謝らなければいけなかったのは、私自身にだった。不規則なリズムを刻みながらも私を仕事に向かわせてくれた心臓に、身体に、よくここまでがんばってくれたと、今ここにこうしていることが奇跡なのかもしれないと。

助けていただいた命を大切にし、これからの校長職務を全うし、生徒にとってより安心安全な学校経営に取り組んでいきたい。

【校長室】令和6年度第78回入学式

式辞 

桜の花びらが風に舞い、葉桜の緑がさわやかなこの佳き日に、高千穂町長 、高千穂町教育委員会教育委員をはじめ、多数の御来賓の皆さまの御臨席を賜り、高千穂町立高千穂中学校第78回入学式を盛大に挙行できますことは、この上ない喜びであります。高いところからではございますが、心より感謝申し上げます。

さて、77名の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日から皆さんは高千穂中学校の一員となりました。私たち教職員・在校生一同皆さんの入学を心待ちにしておりました。皆さんはこれから、先生方や先輩たちと一緒に中学校生活を送りながら自分の進む道を自分で決め、それぞれの夢に向かって力強く踏み出していく準備をしていきます。誰もが通ることのできる同じレールがあるのは中学校までです。日本の法律に定められた『9年間の義務教育によって学ぶことができる』という環境は、皆さんにとっては至極当然のように思えることかもしれませんが、『社会を生き抜くための確かな力をすべての人々が 均等に身に付けることができる仕組み』であり、世界的にも優れたシステムでもあります。「これからの3年間の中学校生活をどのように過ごすかで皆さんの人生が一人一人違っていくとともに、大きく変わっていく」ということを自覚してください。中学校という全く新しい環境、新しい仲間、そして新しい生活様式等、心配や不安があるかもしれませんが、焦らず一歩ずつ前進し、小学校で培ってきた力を、ここ高千穂中学校でも大きく花開かせてほしいと願っています。そして、3年後の旅立ちの時、「高千穂中学校で学んでよかった」と実感できるよう、充実した中学校生活を送ってください。

そのために、皆さんにお伝えしたいことが二つあります。まず、本校の教育目標です。

「心豊かで知性にあふれ たくましく伸びる生徒の育成」

 これは、自分自身はもちろんのこと、周りの人も大切にし、自分の『夢実現』に向けて、主体的に学習し、行動しながら、成長し続ける生徒になってほしいということであります。

次に、めざす生徒像ですが、本校では三項目掲げています。

一つ目は、「多様性を理解し、自他を認め、思いやりをもって接する生徒」です。

人は一人では生きていけません。支え合って生きています。学校では集団生活を学びますので、仲間を大切にしてください。

二つ目は、「主体的に行動し、志(ゆめ)叶うまで挑戦する生徒」です。

これから自分の『夢実現』に向けて、一歩ずつ確実に前進していくために、己の志(こころざし)をしっかり立て、学習し、知識を得、それを活かして課題を解決する方法を、自分で、そして仲間たちとともに学んでください。

三つ目は「GLOCAL精神をもち、ふるさとを大切にする生徒」です。

まちを歩けば、海外からの観光客を見かけない日はありません。ここ高千穂は、今や世界から注目されている場所だということです。日本でも屈指の美しい自然に囲まれた素晴らしい環境で生活できていることのありがたさに気づいてほしいと思います。また、年間を通して、学校行事や部活動等において、地域の方々のお力添えをいただくことがたくさんあります。周りの支えや温かさを肌で感じることのできるコミュニティに見守られていることに感謝し、地域社会に貢献する気持ちをもってください

さあ、皆さんは、今日から中学生、大人への第一歩を歩み始めました。

時には、保護者や先生からの言葉に反発したくなることもあるでしょう。それは、思春期を迎え、自我意識が高まり、「自分でできる」という気持ちが大きくなってくるからです。それは皆さんが成長しているという証でもあります。~だからといってやたらに反抗していいということではありませんが~心もからだも大きく成長する3年間にぜひ、いろいろなことにチャレンジしてください。時には失敗したり、「無理かもしれない」と消極的になってしまうことがあるかもしれません。けれど失敗の中にも学びや気づきはあります。「日々を生きていること」そのものが学びであるといってもいいでしょう。そして何より、皆さんには可能性があります。その可能性を引き出すのは、先輩たちや地域、保護者の方々、そして、わたくしたち教職員です。ですから、皆さんには臆することなく挑戦していってほしいと思います。本校の先生方は皆さんの挑戦をしっかり見守り、導いていく指導力をもった方ばかりですので安心してください。 

社会情勢は、日々急激に変化しています。今日の正解は明日の不正解かもしれません。過去を振り返りながら未来を見据えて変化し続けることが、今の学校にも必要です。その考え方の基本を、先輩たちはしっかりと身に付けています。伝統を継承しつつ、新入生の皆さんのもつ新しい感覚をさらに融合させ、「令和6年度の高千穂中学校スタイル」をともにつくり上げていきましょう。そして、高千穂中学校の一員として、気概をもって、自らを誇れる人となってください。

 改めまして、保護者の皆さま、本日は、お子様のご入学、誠におめでとうございます。わたくしたち教職員は、お子様の限りない可能性を大切にはぐくみながら、保護者の皆さまとしっかり連携し、地域の方々とともに、「高千穂の宝」であるお子様の力を最大限に伸ばすよう、精一杯努力してまいります。何卒、皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

結びに、本校の教育に多大な御支援・御協力をいただいております御来賓の皆さまに、感謝申し上げますとともに、新入生77名の健やかな成長と活躍を願い、式辞といたします。 

    令和6年4月9日

高千穂町立高千穂中学校  第31代校長 金丸 智弘

【校長室】令和6年度第1学期始業式

 校長挨拶

 皆さんおはようございます。いよいよ今日から新年度が始まりました。この一学期の始業にあたり、皆さんに「めざす生徒像」を紹介します。

 このめざす生徒像というのは、皆さんに“こういう生徒になってほしいという「願い」、または「目標」のことであります。

高千穂中学校のめざす生徒像は、

① 多様性を理解し、自他を認め、思いやりをもって接する生徒

② 主体的に行動し、志(ゆめ)叶うまで挑戦する生徒

③ GLOCAL精神をもち、ふるさとを大切にする生徒

以上の三つです。

 この具体的な意味は、入学式でお話ししますので、それまで、皆さんなりによく考えてみてください。

 さて、コロナが沈静化し、私たちの生活様式において、様々なことに変化がもたらされていますが、新しい学年が始まります。皆さんはどのような目標を立てましたか?人それぞれでしょうが、「昔はどうだったかな」と過去を振り返りながら、今をどう変えるかということも大切ですが、“未来を見据えて変化し続けることも、さらに大切なことだと思っています。と言いますのも、皆さんはこんな話を聞いたことがありますか。

 ある国で、村人たちが村を行き来しながら暮らしていました。他の村から来た旅人が、村の入り口にいる門番に、「ここはどんな村ですか」と尋ねると、門番は「あなたが今までいた村はどんな村でしたか。」と聞き返します。旅人が「私の村は、ひどい村でした」と答えました。すると門番は、「ここもたぶん同じような村ですよ」と答えました。また、別の旅人が「ここはどんな所ですか」と聞きました。門番は、同じように旅人に聞き返したところ、その旅人は「私がいた所は、とても素敵な所でした」と答えました。門番は「ここもたぶん同じような所だと思います」と答えました。

 これだけの話なんですが、結局これからどのような村にしていくか、どんな所になっていくのか。これまでの過去とこれからの未来を、「今」とういうこの瞬間をどう繋ぐのかということであり、その節目が 「今」 であるということです。自分がどんな志(ゆめ)をもち、自分はどうありたいか。周りや他人とどう接していくか。皆さんが、自分ではっきりとした未来を想像すればするほど、やる気が引き起こされることが、心理学でも証明されています。未来を想像することで、目標に向かうモチベーションがより高まるということです。

 さきほど、3名の代表の生徒が、話をしてくれました。まず、新2年生代表の生徒は、「まわりには尊敬できる人がたくさんいる。そういう人たちのおかげで、学級が成り立っている」ことに感謝していました。次に、新3年生代表の生徒は、受験勉強を頑張ることを宣言しました。また新入生に対し、「この先輩についていきたい」と思われるようになりたいと最上級生としての思いを述べてくれました。そして、最後に生徒会代表の役員は、高千穂中学校をよくするために必要なこととして、学習態度とSNS3カ条、主体的に行動することの3つを掲げてくれました。代表の皆さんの新たな決意が感じられる発表だったと思います。

 最後になりますが、本日、皆さんは進級します。おめでとうございます。3年生は1年後どういった進路に進んでいるのか。そのための努力をしっかりとしてください。自分の進路は自分で切り開いていくことです。また、勉強だけではありません。卒業生から繋がれた高千穂中学校の「伝統を力に」どんな歴史をつくっていくのか期待しています。2年生は後輩ができます。後輩にとって模範となるようにしてください。そのために大切なことは、少しずつでも良いので自分自身が「成長していくこと」、そして、新たなことを「学ぶことから逃げない」ということです。学校は様々なことを「学ぶ」場所です。志を高くもって「学ぶ」ことを続けてください。学ぶということは自分が成長という変化を得ることです。志に近づいていくということです。来年、この一年間を振り返ったときに、今の皆さん自身と比べての成長を実感してくれることを期待しています。

【校長室】最終章

 校長としての一年間が過ぎた。2学期くらいからであろうか、校長としての日常にも慣れ、落ち着いて職務を果たす日が続いた。立場上様々な人との出会いがあり、挨拶を交わす機会も増えた。年度初めにコロナ感染症が五類に移行し、徐々にマスクを外す人が目立ちはじめた。人間の脳は優れており、目元だけで、マスクの下に隠れている鼻や口の形等を想像し、勝手に相手の顔立ちを作り上げてしまう。その結果、マスクを取ると別人と判断してしまうことも多々あり、地域で会っても素通りしてしまうことも少なからずあった。そのため、およそ2倍の人を覚える必要があり、正直苦労した。さすがに最近では、顔も名前もずいぶん覚えることができ、当たり前のように日常会話をすることができるようになった。

 さて、卒業式、異動内示、県立高校入試合格発表、修了式、校内人事、離任式等々、この年度末は予想以上の慌ただしい日々が続き、気持ちの整理がつかぬまま、令和6年度を迎えた。8名の教職員をお送りし、新たに7名の方々をお迎えした。全国的な少子高齢化減少は、この高千穂町にも大きな影響を与え、生徒数の減少や私立中学校への転出のあおりを受け、学級数は変わらないものの、教職員数は令和5年度より減ってしまい、先生方は負担増となってしまった。私は今年度で役職定年となる。人生の節目、セカンドライフをどう楽しむか。やりたいことがあり、夢を描くだけでワクワクするが、まずは最終年度、校長としての責任を果たすべく、教職員一同、現実を真摯に受け止め、気持ちを切り替えて、みんなで力を合わせて学校運営に取り組んでいきたい。幸運にも、本町の小中学校6校の校長先生方は全員留任である。心強い同士とともに令和6年度を乗り切っていく所存である。

第31代校長 金丸智弘

【校長室】卒業式を前に

 明日第77回卒業式を実施する。これまで何回も卒業式に参加してきたが、第3学年学級担任としての卒業式は、2回しかない。1回目は出席番号1番の氏名点呼途中ですでに泣き崩れ、その後悲惨だった(他からは史上最高の卒業式だったと言われるが)ことを覚えている。もちろん、一番の生徒の名前は、今でもはっきりと覚えている。2回目は6年前で、昨年成人を迎えた子供たちである。そして今回、管理職しかも校長という立場で参加することになる。定番の衣装であるモーニングは父から譲り受けたが、上半身が入らずレンタルで準備した。

 ところで、卒業式の礼法指導と言えば、3年の先生方や保健体育科、生徒指導部の先生方が中心となって行いがちであるが、本校では生徒主体で練習をさせた。学年での予行練習を重ねながら、時折顔や口を出し、少しずつ修正していった。その中で感心するのは生徒の取り組む姿勢である。集団行動が行き届き、場の力が根付いている生徒たちにとって、各所作を身に付けるのは造作もないことのようである。細かな指導を加えても即実践し、対応できる力がある。あとは、卒業式当日、本来の力を十分に発揮できるかである。そもそも生徒の能力はあるものの、教職員の指導が熱心すぎて至れり尽くせりである本校。いつのまにか教職員の顔色をうかがいながら行動するような場面も・・・。「指導どおりに動くことはできるが、生徒主体の動きができない。」これが本校生徒の大きな課題であった。そのため、1年間かけて、生徒が主体となって活動する機会を増やし、生徒の失敗に対し、叱責ではなく成功への導きを中心とした指導をするよう、先生方にお願いしてきた。おかげで様々な場面で生徒の活躍を目にすることが増えた。時には、教師の意にそぐわない行動もあるが、それも成長の一過程と捉え、見届けながら指導に生かすか、それとも、以前のように教師主導で生徒の主体性を後退させるか。それは、本校教職員の心構え一つである。少なくとも生徒の成長する機会を我々教職員の主観や都合で奪うわけにはいかないようにするのが、校長の職務の一つである。

 そういう観点から、生徒主体の式練習を推進したところ、予行練習はなかなかのできばえであった。当日は、およそ28名の来賓がお越しになる。その人数を3年生に伝えたとき、歓声が上がったことにびっくりした。3年生も多くの地域の方々に晴れ姿を見てほしいようである。私も生徒の名前を読み間違えないように、そして授与のタイミングや式辞の読み方等、多くのことに気を配りながら、卒業式当日を迎えたい。生徒にとって、保護者にとって、地域の方々にとって思い出に残る卒業式ができると確信している。

【校長室】新たに

以前

 先日、立志式を実施した。この「立志式」とは、中学2年生が、日本において古くから伝わる「元服」にあたる儀式を行い、一人の人間として『志』を立て、人生の方向性とそれを成し遂げるために、自身の将来を設計する式である。コロナ禍の3年間は、規模を縮小し、総合の時間に生徒主体の運営で実施していたが、昨年度5月にコロナが5類に移行し、学校における行事等、様々な教育活動の見直しがされている今、この立志式の実施方法についても第2学年が中心となって検討を重ねた。全てをコロナ以前の実施方法に戻す必要もないが、儀式的行事であるため、来賓の御臨席を賜り実施した。

 ところで、令和7年度には上野中が高千穂中に統合される。その準備を少しずつ行っているが、同じ町内の中学校とは言え、それぞれの学校文化は異なる。一つにまとめていくのは決して容易なことではないが、働き方改革やコロナ感染症の5類化移行により、コロナ「以前の」学校生活にほぼ戻り、教育課程の見直しが加速化している今、「新たな学校づくり」の良い機会であるとも言える。ただ、学校教育の現場は、前年踏襲をする傾向が依然として根強く残っているのは否めない。学校現場はなぜそんなに「以前」にこだわるのか。「以前」がすべて正しいわけでもない。むしろ、教師の負担軽減を図ろうと、全国で「働き方改革」に向けて様々な取組を行っているにもかかわらず、「以前」のような計画を企画・立案し、何とか実施しようと試みてしまう傾向がある。あたかも「以前」のように実施することが正しいとしているかのようである。実際、現中学生は「以前」の中学校の行事をほとんど知らないので、この3年間中止されていた教育活動はそもそもないものとして、また、縮小されていることは、それが「通常」と捉えている可能性が高い。そういう観点からも、「以前」を植え付けられていない現中学生にとっては、「新たな学校づくり」は絶好のチャンスとも考える。

 私の学校経営上の視点は「生徒にとってどうなのか」である。学校における様々な教育活動を実践していく上で、我々教師の意向の前に、主役である生徒にとって有意義なものであるか、生徒の実態に応じているか、あるいは生徒の考えがしっかりと反映されているか等を重要視している。生徒は、様々な制約がある中で、どのようなことに注意して、どのようにすれば楽しく充実した学校生活を送ることができるのかという場面に何度も直面し、多くのことを学んできた。したがって、柔軟性や適応力は高くなっている。むしろ、過去にとらわれ、不易と流行になかなか乗りきれないのは教師の方ではないだろうか。次年度の教育課程を編成していくなかで、予測困難な時代を力強く生き抜くことができるように生徒を教育していくためには、思い切った改革が必要であり、それが、上野中との統合後、「新たな学校づくり」を目指す令和7年度の基盤となると言える。

 さて、上野中との統合が報道されてから、統合後の学校生活がスムーズに行われるように、本校と上野中の生徒会が交流をはじめた。上野中は令和6年度が最後となる。閉校に向けて何かと忙しい日々が続くと予想される。高千穂中としては、統合後のことを考え、様々なことを準備しておく必要がある。統合後は、「以前」が通用しない。何を引き継ぎ、何を残して、何を新しくするか、両校のよさを取り入れた「新たな学校」をつくっていきたい。修学旅行こそ、小中学校それぞれ合同で実施されてはいるものの、校舎、教員、学級、部活動等々、交流を計画してとは言え、統合への不安は少なからずあると思われる。さらに、地域や保護者はどうなのか。これまで引き継がれてきた伝統や慣習等、意識や感覚の違いもあるのではないか。それぞれの想いに耳を傾け、お互いの「こうあるべき」という想いの違いを確認し、少しずつそろえていきながら慎重に合意形成に取り組んでいきたいと考える。

【校長室】命

大切なもの

 長女から、シンガポールの友達Nが新婚旅行で宮崎を訪れるという連絡が届いた。Nは長女と同じ年齢で、高校時代に留学生として受け入れたことがある。それが縁となり、2012年、2017年に続き今回3度目の来日となる。その間、長女もシンガポールに旅行し、N宅にお世話になるなど交流が深まった。そして今回、自身の結婚報告を兼ねて本県旅行を決意したとのことである。二人に同行したNの姉や私の長女夫婦も来県したので、思い出に残る旅行になるようにと私なりに思いを巡らせた。ただ、綿密に計画を立てすぎると、定番化された観光や食事になり、来日(県)者が、ただ設定された舞台に立つだけの“通過儀礼”のような体験になってしまい、唯一の思い出にはなり得ないと考えた。お膳立てされたものより、最小限度のレールのみ敷いて、その後は来客者自身に考えてもらい、その時の気分に任せてみた。焼肉店での注文をはじめ、自宅で振る舞った鳥のタタキ、刺身、およそ1時間待った辛麺、おせち料理等の食事、高千穂峡や天安河原の長い階段や坂道、高千穂神社等の神前での所作、雨の中のアマテラス鉄道グランドスーパーカート等々の観光、成り行き任せの体験は意外にも好評であった。それぞれの体験の本質的な意味や価値を体感していただくことで、観光という地域の“命”、食事そのものの“命”を十分味わうことができたのではないか。そもそも体験は既知と未知との間で新たな発見があったり、自身の価値観の変革や自己の新たな覚醒を実感したり、貴重な出会いやさらなる知識習得の自覚が大切である。私なりのおもてなしは、その成果を十分に発揮したのではないかと思う。そして12月30日に宮崎入りした彼らは、令和6年1月2日の正午過ぎ、次の旅行先へ旅立った。そう、羽田空港での航空機事故が発生する直前だったのである。

 新年早々、地震による災害や航空機事故等で、多くの貴重な命が失われた。メディアによる連日の痛ましい報道には、胸が痛くなる。日本は周囲が海囲まれた島国である。季節があり、四季折々の自然から尊い恵みを受けている。その反面、地震等の自然災害のリスクも多い。九州の中央部に位置している高千穂町では、地震や大雨、台風、大雪等による災害が予想される。したがって、学校施設は大規模災害等に際し、第一に生徒や教職員の安全確保と同時に地域住民の避難所として果たすべき役割を担っていることから、避難生活や災害対応に必要な機能を備えることも求められている。しかし、本校は高千穂峡の真上にあり、土砂災害危険区域に指定されている地区でもあるため、その機能を果たしていない。数年後には中学校の移転新築も計画されているが、時間や場所を選ばず発生する自然災害に関する危機管理は特に重要である。学校保健安全法に基づく「危機管理マニュアル」の作成には力が入り、避難訓練の実施には緊張が走る。そして訓練後の反省を次に生かして、マニュアルの内容を毎年更新してはいるものの、果たして実際の災害時、それを生かしきることができるのかがカギなのである。

 被災した石川県へ支援物資を運搬しようとした海上保安庁の航空機が日航機と衝突し、海上保安庁の隊員の尊い命が失われた。とても悲しい事故である。一方、日航機は一人の犠牲者を出すこともなく(ペットの命は失われたが)、全員脱出することに成功した。今回の事故では、避難経路等の確認の際、機長と交信ができず、コクピットから機内への連絡もほぼ途絶えていたとのこと。「緊急時のブザーが何回かにわたって繰り返し繰り返し鳴っていたので、操縦室からも連絡をしたかった。コンタクトを取りたかったけれども取れなかった状況だった・・・」というように、乗客の安全な脱出は、CAの判断に委ねられる状況だったようである。でも、そのブザー音でJALのCAは、「これは緊急事態に違いない」と判断して、目視で火災状況を確認し、安全なドアだけを選んで開け、避難誘導を開始させたとか。その的確な判断と勇気ある行動力には感服するばかりである。結果的に全員無事で脱出できたということは、定期的な訓練や日常的に緊張感のある勤務態度が、最悪の状況下で最高の結果に結びついたのであろう。

 本校では今年度3回の避難訓練を実施した。私は「予想外を想定」して訓練に取り組むよう、教職員や生徒に意識づけている。災害発生等の緊急時に生徒にとって最も身近にいる現場の教職員が最善の判断をし、決断をくだし、行動できるよう、私を含め全教職員の危機管理能力を高めていくよう、人材育成に力を注ぐ所存である。諸先輩の校長先生方の危機管理能力には未だ遠く及ばないが、生徒ファーストの考えが全教職員一人一人に浸透するような学校経営を今後も心掛けていきたい。

【校長室】統合

それぞれの想い

 先日、出勤しようと玄関のドアを開けた。真っ白い霧が立ちこめ、朝7時30分にしては薄暗かった。校長住宅から『希望坂』を登って中学校前通りに出たところで、登校中の生徒に会った。生徒と挨拶を交わし、「今日は曇りですかね~」と話しかけた。すると生徒はこう言った。「いえ、おそらく晴れでしょう。高千穂の冬の朝は、こういう霧がたくさん出て、雲海になるんです・・・」と。よく考えてみれば、本校は標高300mを超える場所に位置しており、東京タワーの天辺とほぼ同じ。雲海が間近に見えても決して不思議ではない。しばらく歩き、学校の駐車場につながっている『未来坂』をくだっていると高千穂峡側の山に霧(雲?)が懸かっていた。その光景はとても美しく、一言では言い表せないほど見事な景色で、思わず何枚も写真を撮ってしまった。以前、本校職員からこういう話を聞いた。五ヶ瀬町の学校に赴任したある先生は、美しい雲海に心を奪われ、この地区から離れたくなくなり、ご自身が退職されるまで本地区での勤務を希望されたとのこと。その先生の気持ちがとてもよく分かる。

 さて、令和5年12月12日(火)付けの宮崎日日新聞に「上野中25年3月末閉校」との記事が掲載された。生徒数の減少により、平成21年に向山中、同27年に岩戸中、令和3年に田原中、そして令和7年(2025年)に上野中が閉校になり本校に統合される。地元の学校がなくなると、地域の活気が失われ、地域の方々はさぞ寂しい思いをされるであろう。それが母校であったらと考えると惜別の情はひとしおのことと推察される。全国的な「少子高齢化」は本町のような中山間地にとっては特に大きな課題である。現在、九州中央自動車道の整備が着々と進む高千穂町は、交通の便がかなりよくなっているため、周囲の方々が思うほど不便さは感じない。延岡市までは約40分、福岡でも3時間を要しないほどである。しかし、過疎化に歯止めはかからない。令和7年の統合は町にとっても、また地元住民の方々にとっても苦渋の決断だったであろう。この統合により高千穂町の中学校は本校のみとなり、正直校区はかなり広い。そのため、通学方法は過半数を占める高千穂小校区の徒歩通生、自転車通学生がわずか3名、それ以外の生徒はバス・保護者送迎が中心となる。自宅からバス停までの移動に時間を要し、中には一旦熊本県に入る生徒もいる。交通手段を駆使することで、どうにか1時間以内で登校できるようだが、バスの時間に遅れてしまうと大変なことになる。

 ところで、本校の生徒数であるが、12月の時点で240名が在籍する中規模校であるものの、上野中が統合されても大幅な増加の見込みはない。部活動は多く、軟式野球やサッカー等の10の学校部活動とバドミントンや弓道等の社会体育が3競技ある。この部活動等については、本年度から地域移行を含め、再構築を協議しているところであり、この活動に欠かせないのが、各公民館長で組織されている『高千穂中学校後援会』である。その役員の方々との会合の中で、「生徒は町の宝。子供たちが不自由なく活動できるよう、全面的にバックアップしたい。」というありがたいお言葉をいただいた。役員5名のうち3名は、地元の中学校の閉校を経験された方である。「子供たちの声を聞くことが減った」「校歌を歌うことがなくなった」等の話を聞くと胸が痛くなる。それらの悲しみを少しずつ乗り越えながら、今では高千穂中学校を支えてくださっている。生徒が一人もいない公民館区でも中学生を応援してくださっている方がいると聞く。「地域の子供は地域で育てる」ことを先陣切って実践されている方々であり、頭が下がる思いである。

 おそらく最後になるであろう、上野中との統合に向けての準備が、今後様々な方面からなされていくと思う。両校としても、主体である生徒が楽しく通うことのできる学校になるよう、最善を尽くしたい。数年後には本校新築・移転も計画されており、そのための準備にも少しずつ取り組んでいく必要がある。これまで統合された学校区の方々のそれぞれの思いを胸に、諸先輩方が築いてこられた「伝統を力に」し、新たな伝統を築いていきたい。

【校長室】宝

陰日向なく

 中学校移転計画が持ち上がってから、かれこれ十数年になると聞く。本校の校舎は、開校以来、敷地内移転や改修工事を重ねながら、本年度で77年目を迎えた。さすがに老朽化は否めず、ご存じのとおり冬の寒さは厳しく、夏は意外にも予想以上に暑い。特別教室のある校舎はエアコンがなく、授業を受けるには非常に厳しい環境である。また、本校は高千穂峡内のボート乗り場の真上に位置し、「土砂災害危険区域」でもある。さらに、平成20年度から順次実施された町立中学校の統合も、向山中、岩戸中、田原中が終了し、令和7年度に上野中との統合(予定)で完了となるため、いよいよ機は熟した感がある。そんな中、令和5年度になり高千穂中学校移転新築検討委員会が発足し、移転計画が具体的に進み始めたが、それでも、あと数年はかかる見込みである。

 日本型学校教育、6・3制=9年間の義務教育制度も、それ自体転換期を迎えつつあると思う。コミュニティ・スクールとして「地域の子供を地域で育てる『横の連携』」だけでなく、「各学年の『縦の接続』」も重要となる。課題はまだまだ山積みであるが、どのような新校舎になるにせよ、高千穂町の将来を担う子供たちにとって、より良い学び舎に生まれ変わることを祈るだけである。

 学校行事やその他様々な会議等の中で、多くの方々が本校生徒のことを「高千穂の宝」と言われる。それは、今年4月の新任式において初めて出会った全校生徒の衝撃(良い意味で)的な印象を味わった私にはよく分かる。整然と集団行動をこなす場の力だけでなく、普段の学校生活の中で、廊下での通りすがりに振り返りたくなるような清潔感、もう一声かけたくなるような爽やかな挨拶等など・・・。美点は枚挙にいとまがないが、それでも陰日向があるのが子供であり、時折は、地域からの苦情もある。そんな時先生方に意識していただいているのは、生徒の失敗やいわゆる「やらかしてしまったこと」に対し、叱責やペナルティーを主とした「指導」ではなく、何故そうしたのかの振り返り、どうすべきだったのかの思考・判断、そして今後繰り返すことのないよう、子供たちを導くという「教育」を実践することである。時間のかかることであり、決して楽な道ではないが、子供たちをしっかり教育していくということは、我々教育者としての腕の見せ所であると当時に、教師としてのプロ意識の向上につながると考える。何より子供の成長した姿を見ることは一番の喜びである。

 11月下旬のある日の午後、出張から帰る途中の光景である。折しも高千穂町内は、神楽の真っ最中で、本町メインストリートである「神殿(こうどの)通り」は、紅白棒や紙垂(しで)で華やかに飾られ、多くの観光客に交じって一部の本校生徒が下校していた。その中の一人の女子生徒(おそらく1年生)が、信号機付の横断歩道を渡ろうとしていた。歩行者専用信号機は青であるが、左折や右折しようとする車を確認しながら渡ろうとしていた。私は右折の際、停止して、生徒の横断を促した。生徒は安全確認ができたため、横断歩道をそそくさと渡った。渡りきると、その生徒はこちらを向いて深々とお辞儀をした。歩きながらの礼ではなく、きちんと立ち止まり、私の方を正面(いわゆる私にへそビームを向けて)にして、深々と礼をしたのだ。歩行者優先の横断歩道で車が停止するのは当然のことにもかかわらず、丁寧に感謝の気持ちを伝えてくれたのであろう。保護者や教師が見ていない場面でも、こういう態度のできる生徒を私はとても誇らしく思う。そして、当たり前のように感謝の行動をとれる健やかな子供に育ててくださった保護者や小学校の先生、そして地域の方々に頭が下がる思いである。前校長が在籍の際、本町観光で訪れた方々が同じような場面に直面し、いたく感動され、その思いを手紙と電話でいただいたことがあったそうだ。人の見ている所と見ていない所での言動が変わらず、我々教師が目指す模範的な生徒を目の当たりにして、これまでの教育に間違いはなかったのだという確信と、これからの教育に対する自信と勇気を再確認するとともに、何より高千穂の明るい未来を垣間見ることができた出来事であった。