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心の声

【校長室】CRISIS MANAGEMENT

令和7年1月13日(月)21時19分頃、スマートフォンから、けたたましい音量で緊急地震速報が流された。日向灘を震源とするマグニチュード6.9(速報値)、震度5弱の地震が発生したというものであった。宮崎市の自宅にいる妻と実家にいる両親に連絡をし、無事を確認。関東に住む3人の子供たちにもその旨連絡をした。昨年8月8日(木)16時42分頃に、発生したマグニチュード7.1(速報値)、震度6弱の地震は、授業日であれば、下校中の時間帯。夏休み期間中だったため、生徒への直接的な被害はなかったが、校長会で情報を共有し、登下校中に地震を含む自然災害に遭遇した場合の避難、いわゆる「命を守る行動」について、再確認と生徒への指導及び保護者への啓発を図った。

今回の地震では、海岸線付近で津波警報が出され、避難指示が出された地区もあった。翌日朝のニュースでは、高台に避難する方々の映像が映し出されていたが、避難所の開設が遅れ、高台の施設近くで右往左往する姿も見られた。それだけ、住民の避難が早かったと考えれば、「命を守る行動」がしっかりと身に付いてきたとも捉えることができ、危機意識の向上がなされているという喜ばしい現象でもある。

私の勤務する高千穂中学校は、中山間地域である。標高300m以上の地域にあるため、津波の心配はほぼ皆無に等しい。しかし、近年の自然災害では、中山間地域における土砂災害により、多くの人的被害が発生している。国が公表する土砂災害危険箇所はおよそ、52万箇所あるものの、防災施設の整備率は20%代と低い水準であると耳にする。本校の南西側は、観光で有名な高千穂峡のほぼ真上に位置しており、断崖絶壁のため、災害時に山をくだるという避難方法の選択肢はない。中山間地域は集落の多くが山腹斜面及び谷沿いにあり、土砂災害危険箇所に指定されている地域がほとんどであり、本校も例外ではない。

毎年、避難訓練を実施しながら、「本当にこれで良いのか」と不安があるのも事実である。災害時には孤立しやすい地域。避難後の集合場所は、現段階では、校庭ではなく、さらに高台の避難所へ避難するように共通理解を図っているものの、本当にそれでよいのか。というのも、高台へ移動するための県道への動線は2通り。しかもその県道には、4階建ての集合住宅が数棟建っている。地震発生時の初期対応訓練(揺れへの対応)での基本行動は、「どこにいても、どのような状況でも『上から物が落ちてこない』 『横から物が倒れてこない』『物が移動してこない』場所に素早く身を寄せて安全を確保し、揺れがおさまってから避難すること」が鉄則であるが、揺れが収まるまでの時間や高台への移動時にも危険が待ち構えているのである。東日本大震災の発生時、避難訓練度どおりに避難をしたものの、避難所近辺が危険であることを察知し、さらに高台へ避難をするという「想定外を想定」した結果、99.8の生存率を誇った「釜石の奇跡」。いったいどの避難方法が「命を守る行動」になるのか。地震発生時は、防災無線等の機器が使用不能になることも十分想定される。情報を受け取った人が順次行動に移していかなければ犠牲者は減らない。「釜石の奇跡」を起こすきっかけとなった岩手県釜石市鵜住居地区居住の皆さんは、地震発生後すぐに高台にある避難所に避難を始めたと聞く。避難の途中地域住民と協力しながら、小・中学校の児童・生徒にも声をかけながらひたすら高台へ避難したとのこと。

1月13日(月)の地震発生直後は、町役場の災害対策室から、何度も何度も「注意や命を守る行動をとるように」という放送がなされた。県内でも有数の高齢者の多い高千穂町であるからこそ、地域全体で「一人の犠牲者も出さないため」の行動がいかに大切か。全国各地で毎年頻発する大雨や地震災害を決して他人事とせず、いざという時のためにやはり訓練は必要である。テレビで災害地や避難所の様子を見たり聞いたりするだけでは本当の大変さは決してわかるものではない。教職員、生徒一人一人が、災害に対する緊張感を維持しながら、これからも「一人の犠牲者も出さない」危機管理に努めるために、再度地震発生時の避難方法等の見直しに取り組んでいるところである。

【校長室】SIN化

 

 2学期の終業式で話しました「慎独」。覚えてますか。皆さんが自分を律して規則正しい生活を送ってくれたおかげで、大きな事故もなく、令和7年を迎えられたことをとてもうれしく思います。

先ほど、各学年代表の皆さんが3学期の抱負を発表してくれました。1,2年生代表の抱負には、偶然にも「みんなをまとめる」という共通の目標がありました。自分のことだけでなく周囲のことにまで気にかけるという心の成長を感じます。3年生は、志望校全員合格という決意を述べてくれました。新たなステージに進むための覚悟があります。そして、生徒会からは、スローガン「SIN化~新しい一歩を踏み出そう~」について、様々な意味があること。そしてそれを達成するためには全校生徒の協力が必要不可欠だと発表してくれました。

この3学期は、3年生にとっては人生の大きな転機となる時期であります。そうです。受験です。ちなみに、全校生徒に伺いますが、皆さんは何のために勉強をしていますか。志望校に合格するためですか。もちろん、それも理由の一つでしょう。否定するつもりもありません。ただ、それは、単なる受験勉強であり、勉強のすべてではありませんよね。むしろ、大人社会に進む過程の一つに過ぎません。その先には、大学受験や就職試験、また、それぞれの職場で自分の能力を高めていくためにも常に勉強は必要です。1年後、5年後、10年後と皆さんの将来、いわゆるキャリアをデザインし、各段階における目標を達成するためにも、学び続けることが大切だと思っています。

話はそれますが、皆さんは「社会人基礎力」という言葉を聞いたことがありますか。「社会人基礎力」とは、経済産業省が提唱したことばで、3つの能力と12の要素から構成されています。簡単に説明しますと、一つ目は「前に踏み出す力(アクション)」です。失敗しても粘り強く取り組む力を指します。具体的には、常に言い続けている主体性の他に、実行力、働きかけ力が挙げられます。指示待ちにならず、自分で物事を捉え、自ら実行できるようになることが求められています。二つ目は「考え抜く力(シンキング)」です。疑問をもち、考え抜く力を指します。課題発見力、計画力、新しい価値を生み出す創造力が挙げられます。三つ目は「チームで働く力(チームワーク)」です。多様な人々と目標に向けて協力する力を指します。自分の意見をわかりやすく伝える発信力、傾聴力、柔軟性、状況把握力、規則性、ストレスコントロール力が挙げられます。グループ内の協調性だけに留まらず、多様な人々との繋がりや協働を生み出す力が求められています。このように「社会人基礎力」とは、言い換えれば、企業が求める人材像のことなんです。

勉強は志望校に合格すればそれで終わりではありません。志望校合格は、皆さんの夢実現の第一歩に過ぎないということです。昨年、3学期の始業式で、2、3年生の皆さんに「ウエルビーイング」についてお話をしました。このウエルビーイングとは、「すべてが満たされた状態かつ継続性のある幸福」を意味します。それは、「夢が実現された状態」とも言えます。ただ、私たち人間は自分の夢や希望が叶うと、すぐにまた、新たな夢や希望を抱いてしまいます。ですから、先ほどお話しした「社会人基礎力」の12の能力要素を少しでも多く身に付けられるように、また、生徒会のスローガンである「SIN化~新しい一歩を踏み出そう~」のように、少しずつ進化していく必要があります。私たち先生は、今でも少しずつ進化しています。少々息苦しく感じるかも知れませんが、それが生きている証だと校長先生は思います。

3年生の中には、すでに、進学を確定している生徒もいます。また、合格できるか不安になって、志望校を変更しようと悩んでいる生徒がいるかも知れません。校長先生はそれでも構わないと思います。受験生とは言え、まだ15歳です。これからの長い人生のことを考えると迷いが出て当然です。いろいろなことを悩みながらじっくり考え、一つずつ、納得しつつ、解決しながら乗り越えて、純粋な気持ちで、挑戦しようとするのが受験生です。そういう3年生に対して、1、2年生は、邪念なく、濁りなく、応援してあげることがとても大切だと思います。そして、そういう3年生の背中を見て学び、次に続いていってください。来年は2年生の番です。全ての3年生の進路決定が上手くいくことを願っています。今年も進化し続け、生きているという実感を味わうことのできる高千穂中学校を一緒に創っていきましょう。

【校長室】慎独

昨年2学期の終業式のあいさつで「これからのあっという間の1年間を来年末に振り返ったとき、『幸せだった』『楽しい1年間だった』と言えるように」と話をしました。2,3年生はおそらく覚えていてくれていると思いますが。皆さんは、この1年間をもう振り返ってみましたか。

今日は、明日から冬休みを迎えるにあたり、「慎独」という言葉についてお話をします。漢字は「慎む」という文字に孤独の「独」と書きます。

現在、日本各地では様々な災害や事故による死亡事故、闇バイトの誘惑など、危険なことがたくさん発生しています。先週水曜日は、保護者迎えによる一斉下校を行いました。急なお願いにもかかわらず、保護者の方々のご理解とご協力を得ることができ、何事もなく全生徒の下校を完了することができました。保護者の方々にも「ありがとうございました」と伝えていただければと思います。

今年の冬休みは13日です。保護者の方々もお仕事等で常に皆さんと一緒にいるわけではありません。その間、皆さんは、自分で考え、判断し、行動しなくてはいけないという、一人の時間が増えるということです。そういう、人が見ていないところでは、たとえよくないこととわかっていても、ついやってしまう時があるかも知れません。人間誰しも起こりうることです。それは、校長先生のような大人にだって言えることです。

先ほど、各代表のみなさんが2学期を振り返ってくれました。

1年生は、学年の反省として、時間を意識して行動することと忘れ物の多さを課題として取り上げ、その解決のために、時間を意識して、計画的に行動することを

2年生は、学級委員長として自分が模範的な生徒になるということや様々な行事を通して、達成感や充実感を味わうとともに団結することの難しさを改めて感じたことを

3年生は、受験勉強に向けて、自分の弱点を見つめ、先生方からアドバイスをいただき、限られた時間の中で効率よく勉強していきたいと

そして、生徒会からは、自分の思いを人に伝えることの難しさや次のステップに進む上での準備をしましょうという話がありました。

代表の皆さんが、2学期の反省をもとに3学期の抱負を語ってくれましたが、皆さん一人一人が心身共に健康で安心安全な生活を送ることができて、初めて新たなスタートをきることができるのです。自然災害に遭遇した際は、「想定外を想定する」。これはずいぶん浸透してきたと思いますので、冬休みのように一人になることが多い長期休業中も気を付けていきましょう。

冒頭で話した「慎独」とは、いかなる状況でも自分を律することができるかを問うことばです。儒教の思想を記した「大学」という古典に書かれている「君子は必ずその独りを慎むなり」から来ています。意味は「自分一人の時でも行動を慎み、道を外れないようにする」ということです。人が見ていなくても、見られているときと同じような行動をとることが大切です。人が見ていないということは、自分しか知らないということ。少しぐらいならいいではなく、「慎独」のとおり、自分一人の時間でも行動を慎み、人としての道を全うするよう心掛けてください。これは、みなさんの健康や安全のためにもぜひ実践してほしいと思います。最終的に、皆さんが何事もなく、無事であることが、校長先生の一番の願いであります。

みなさんが令和7年も日々充実した楽しい生活が送られることを願いながら、令和6年というこの幕を閉じたいと思います。

みなさん、よいお年をお迎えください。

令和6年12月24日  校長 金 丸 智 弘

【校長室】メリークリスマス

18日(木)の朝、担任の先生と一緒に一人の生徒が、校長室を訪ねてきた。調理実習で作ったおやつを持ってきてくれたのだ。今回で2回目。前回のポテトチップスは、塩味がしっかりきいてて、私の好みの味だった。今回はポテトチップスと芋天である。生まれ故郷の都城では「ガネ」というが、好物の一つである。感謝を述べつつ、話を聞くと

① 小麦粉を付けすぎないように注意した。

② 校長先生の体を気遣って、塩味をおさえた。

③ 油がはねないように、優しく揚げた。

とのことである。

確かに、塩味は薄めであったが、それ以上に、生徒の健気な心遣いに心を奪われてしまった。一足先にいただいた最高のクリスマスプレゼント。H君、ありがとう。

 

【校長室】感謝

生徒を預かる一人の教師として、中学生の訃報をきくと、胸が締め付けられる思いである。

感染症対策や自然災害への防災、そして不審者の学校侵入に対する防犯等、常に最悪のことを想定して、学校の危機管理に取り組んでいる。そういう自負はある。

年度当初、教職員向けに心肺蘇生法とエピペン使用の研修を行った。避難訓練を実施し、避難経路を確認した。夏には登下校中の避難について防災教室を行い、保護者への啓発を図った。9月には、県内弁護士による教職員への危機管理研修を実施した。危機管理マニュアルも担当に定期的に見直しをさせている。しかし、それが果たして最適かどうかは正直わからない。

12月18日(水)に、保護者迎えによる一斉下校を実施した。町教育委員会から連絡を受けたあとすぐに、教頭と生徒指導主事、各学年主任を集め、対応を協議した。前回の訓練で反省として出された、「校庭での車の渋滞」を回避するため、運動場での引き渡しとし、中学校近隣の生徒は、職員同伴による集団下校とした。危機管理においては、生徒の安全確保を最優先に対応することを強く意識しておく必要がある。たとえ事案が発生したとしても、被害を最小限にして、生徒を守ることに全力を注ぐ。全職員そういう気持ちであった。

連絡を受けてから、およそ2時間後が下校開始。一斉メールを送ることができたのは、下校開始まで30分をきったころである。保護者の混乱を招くおそれがあった。生徒も不安そうな顔をしていた。しかし、実際には冷静に行動してくれた。日頃から緊急時こそ「想定外を想定する」ようにと言い聞かせてきたことが功を奏した。すぐに保護者の第一陣が、来校した。副担任の先生を中心に車を運動場へ誘導し、生徒の受け渡しが始まった。保護者も、メールでの連絡事項をしっかり把握しており、大きな混乱はなかった。全生徒の生徒受け渡しによる一斉下校は、2年ぶりであるにもかかわらず、しっかりと対応できたのは、保護者の理解と協力のおかげである。時間にしておよそ3時間で全生徒の下校を完了することができた。ご理解とご協力をいただいた保護者の方々には本当に頭が下がる。学校と生徒・保護者との信頼関係づくりは、全教職員が行うべき危機管理に欠かすことのできない学校経営の一つとも言える。

今日までどれだけたくさんの人にお世話になり、助けられ、守られ、支えられて生きてきたか。生徒も私たち教職員も今回それを実感することができた。人は、こういう経験を通して、深い感謝を抱けるような人間に成長する。「ありがとう」という最高のことばで、あらゆることに感謝できる人間に私はなりたい。

【校長室】安全安心

令和6年も残りわずかとなった。今週から一段と気温が低くなり、通勤時の寒さが骨身にしみる(とは言っても、徒歩でたかだか5分程度であるが・・・)。週末からは、さらに寒さが厳しくなり、12月第3週は、気温が毎朝0℃を下回るとか。路面凍結時の安全確保のため、さっそくスタッドレスタイヤへの交換予約を入れた。

宮崎県では、12月1日(日)から10日(火)まで、「冬の交通安全県民総ぐるみ運動」が実施された。毎月10日は「県民交通安全の日」でもあるが、昨夜、女子高校生の乗った自転車が高齢者をはね、高齢者が命を失ったという痛ましい事故のニュースを知った。先月には、自転車に関する道路交通法が改正され、スマートフォン使用の罰則強化や飲酒時乗車の罰則が新たに追加された。本校の自転車通学生は5名ほどしかいないが、決して他人事ではない。10日(火)の朝には、PTAや高千穂警察署の方が、正門近くの横断歩道付近で交通指導をしてくだった。子供たちはいつものように元気よくあいさつをしながら登校しており、安心安全な日常を確認することができ、ほっと胸をなで下ろした。あいさつ運動をする場所は高台で、学校敷地より高い位置にある。そこから、警察の方が乗ってこられたパトカーを見た生徒が少々ざわついていた。パトカーを高いところから見ることはめったにない。パトカーの屋根に書かれた大きな文字に関心があるようだった。聞くところによると、ヘリコプター等、空からの捜索時、パトカーを誘導する際に活用するらしい。

さて、今回警察の方が交通指導に来られた目的は、もう一つあった。それは、自転車通学生への道路交通法改正についての啓発である。それは、警察官が自転車通学生を呼び止めて、直接説明する方法で行われた。全校生徒234名のうち、5名ほどの自転車通学生。およそ50名に一人の割合で声をかけられる。呼び止められた自転車通学生は、もちろん、純粋で素直な高千穂中生。「何故僕が・・・」と。明らかに表情がこわばっている。ひととおり説明を受け、通学を再開する生徒。警察官を見ると我々大人でさえ一瞬緊張が走ってしまう。それが子供なら無理もない。

令和6年度のめざす学校像の一つに、「生徒を守る安全・安心な学校」を掲げている。「高千穂の宝」として、地域の方々から愛され、大切に育てられている本校生徒。この日の交通指導中も、通勤途中であろう地域の方々があいさつをしてくださったり、快く車を停め、生徒の道路横断の時間を確保してくださったりと、生徒が大切に育てられていることをつくづく感じる。たった5名という自転車通学生に対しても、しっかりと説明してくださる高千穂警察署の方々の心の温かさに頭が下がる思いである。この横断歩道がある道路は、県道50号諸塚・高千穂線。高千穂神社前の交差点から南へ延びており、片道1車線で、整備されて間もない、きれいな道路である。途中、自然災害によりくずれた壁面があり、現在、復旧作業で地元の利用者や中学生に迷惑をかけているとのことで、西臼杵支庁が歩道に「歩行者注意」の赤いポールを立ててくださった。このように、多くの地域の方々が子供たちの安全確保に配慮してくださっていることに改めて感謝申し上げたい。12月は「師走」(しわす)と言われ、師さえも走り回るほど忙しい、せわしい月である。観光地として有名な高千穂町の年末は、観光客で賑わい車もさらに多くなる。交通安全県民総ぐるみ運動期間は終了したが、引き続き生徒の安全確保に努め、元日早々、発生した能登半島地震により不安な幕開けとなった令和6年を安全安心なうちに締めくくりたい。

【校長室】一日校長

私的理由により、急遽宮崎で飼っている犬のお世話をすることになった。名前は「LUNA(ルーナ)」。父がダルメシアン、母がワイマラナーのMIX犬で、神奈川県生まれ、5歳(と9か月)の女の子である。大きさは体高およそ50㎝、体重22㎏で大型犬の部類に入るが、室内で飼っている。突然のことであったため、預け先も決まらず、また、私も校務を停滞させるわけにはいかないので、高千穂に連れてきた。高千穂には昨年、妻と一緒にドライブで連れてきたことはあるが、今回は妻がいない。LUNAにとって、初めての校長住宅は不安が大きかったようで、10日(日)の夜は、私の元を一時も離れることはなかった。食欲はあったが、トイレにも行かなかった。LUNAにとって高千穂の生活は非日常のため、体調を崩すおそれもあり、日中一人(一匹)で校長住宅に留守番させておくことにも不安があった。そこで、町教委に相談し、校長室での一時預かりを申し出て、緊急時の対応ということで特別に許可をいただいた。

立ち上がると、約150㎝になるので、決して小さくはない。恐怖を感じるかもしれないが、おとなしく、人懐っこい性格で無駄吠えも全くない。犬種的に主人への忠誠心が強すぎて、一般的には飼いにくいと言われている。家では2~3時間に一度は室内を一周するなど、警備に余念がない。

11日(月)にさっそく、“一日署長”ならぬ、“一日校長”(実際には二日半)に任命した。もちろん、一日校長とは言え、業務上の権利や義務を与えることはなく、実際の職務は私が行った。私が所用で一瞬でも校長室を離れようものなら、大型犬とは思えないほど「ピーピー・・・」と鳴き、臆病な性格を露呈した。初期研2年目教員の研究授業の際は、他の先生に一時的にお世話をしていただくなど、迷惑をかけてしまったが、意外にも犬好きな先生方が多く、校長室への来室者が極端に増えた。運動場や校庭を散歩しながら警備に勤しみ、一日校長としての責務を一生懸命果たしてくれた。退庁後は、日課の散歩。体が大きいため、休日は2,3時間は歩く。今回は町の運動公園まで行き、広大な敷地での散歩を満喫した。

12日(火)二日目になるとLUNAもずいぶん学校に慣れ、せっせと校長室に入り、私の椅子に座るようになった。校長室は事務室の隣で、正面玄関にも近い。郵便屋さんや業者等の来客があると「ワォン、ワンワン・・・」と番犬としての役割を忠実に果たそうとけなげな行動をとるようにもなった。

時には、本校生徒と触れ合うこともあり、生徒の心に寄り添い、元気づけたり、癒やしたりと「セラピードッグ」的な役割を果たすこともあった。

13日(水)三日目には、14日の妻の帰宅が決定し、一日校長の任を解くこととなった。学校を離れる際には、先生方からも「ずっと学校にいてほしい」「癒やされる・・・」と声をかけていただいたり、生徒も担任を通じて「また会いに行ってもいいですか・・・」と言ってくれた子もいたりと、本当に感謝の気持ちでいっぱいである。 

LUNAにとっては、私との初めての高千穂への旅。気苦労も多かったようで、宮崎に帰宅すると寝る時間が増えた。妻との久々の再会では、この上ない喜びをどう表現してよいのかわからないのか、目を細めながら意味不明なツンデレ状態であった。

お世話になった皆様、いろいろとありがとうございました。

自宅の警備に勤しむLUNA

 

【校長室】存在

今年度の中体連主催の大会がすべて終了した。地区大会では多く競技で優勝し、学校全体が活気づいた。夏の県中学総体での上位進出はなかったものの、県秋季大会では3競技の女子個人種目(水泳、陸上長距離、剣道)で3位入賞を果たし、来年の楽しみが一つ増えた。また、今年2月の県新人駅伝で頂点に立った本校女子駅伝も優勝と上位大会への出場権獲得が期待されたが、あと一歩力及ばず、昨年と同じ3位であったが、2年連続3位入賞は素晴らしい成績である。

半年前の覇者に油断はなかった。顧問、副顧問及び保護者らが協力して指導にあたり、部員たちも一生懸命練習に励んできた。暑さが苦手な本校の子供たち。夏場の練習は決して楽ではなかったはずだが、お互いに励まし合いながら、悲願の九州大会、全国大会出場に向けて頑張っていた。5月に部員の一人がけがをするアクシデントもあったが、みんなで支え合いながら、今日まで気持ちをつないできた。だから、10月の4地区合同駅伝では、断然トップの圧勝を予定していた。しかし、結果は2位。優勝校に2分近くのタイム差を付けられてしまった。その優勝校は、2月の県新人駅伝においては上位3校ではなかった。何でも、複数名の新入部員の加入で、部全体の練習への取組そのものの質が上がったとか。同時に入部した部員を含め、先輩たちとの間に相乗効果が生まれ、着実に力を付けていた。子供たちは無限の可能性を秘めている。その内なる力を発揮させることが指導者の役目の一つであろうが、ここまで伸びると誰が予想したであろうか。そのチームは県大会でも優勝し、全国大会への出場権を獲得した。高千穂中の部員も地区予選の時より軒並み記録を縮め、万全の状態で県大会に臨むことができていただけに、悔しさがあったことは否定できないが、それ以上に、新入部員の加入がこれほどの波及効果を発生し、素晴らしい結果をもたらしたという現実は、本当に賞賛に値する。新入部員の存在が、他の部員に夢と希望を与え、それが自信にもつながった。まさにあっぱれであった。

本校に赴任した昨年、私は集会活動の素晴らしさを実感した。それは、生徒のもつ「場の力」である。本校生徒は、一人一人個性があり、他地区の生徒と何の変わりもない、今どきの中学生であるが、集団で行動するときの気持ちを合わせる意識がすごく高い。集団行動において、気持ちを一つにすることはとても大事なこと。それぞれの考えを一旦無にして、共通実践をする。その意識そのものが本校生徒の長所の一つでもある。ただ、残念なところは、集団行動に限らず、その他の場面でも気持ちを一つにしすぎて、他と違うことをしないようにしようとする点である。そう。「主体性」は本校生徒の大きな課題の一つである。個の力を発揮すべき場面では、ぜひ自信をもって堂々と行動してほしい。ある調査では、日本人は集団の中で、いかに自分が目立たないようにするかを考える傾向が強いとのこと。確かに各種会議や研修の中で、そういう雰囲気を感じることがある。私は、人は自分の意見にもっと自信をもって良いと思う。私自身一言多く、時折場を盛り下げてしまうことがあるので、それはそれで改善しなくてはいけないと思うが、決して己の価値観を無理に押しつけているのではなく、裏付けとなる根拠をもって意見を言っているつもりである。そのように意見を出し合いながら、着地点(妥協点?)を見いだし、合意形成を図ることが大切であると考える。

人は一人になると弱いもので、突出するのを避け、目立たないように「右へならえ」で行動しようとしがちである。しかし、存在している意味がない人はこの世にいるはずがない。だから、個々の考えもとても貴重であるし、同様の意見はあっても、全く同じ考えの人誰一人としていないと思う。唯一無二の存在、それほど希少な人が「何の価値もない」とか「取り柄がない」はずがない。人の存在には必ず意味があり、尊重されるべきである。新入部員の加入で、部全体の雰囲気がさらに大きく好転し、わずか半年で県大会優勝をするほど、すばらしい成長を遂げたチームがあるのだから。

【校長室】〇〇の秋

芸術の秋。本年度の紅葉祭が終了した。本年度は本校体育館を利用した。昨年度、施設の老朽化や収容人数確保を理由に、町武道館での実施を試みた。ゆとりがあって良かったが、本校生徒の規模から言えば、少々広すぎた。発表で使用する道具・用具の移動やリハーサルも困難であった。当然、会場使用料もかかるため、本年度は本校実施に戻した。

文化祭と言えば、弁論や合唱コンクール、学級・学年による学習発表や劇、吹奏楽の演奏等が定番であろう。しかし、ここは高千穂。昔から受け継がれてきた地域伝統芸能がたくさんある。神楽、棒踊り、薙刀、民謡(刈干切唄)、彫り物(えりもの)等々、それらの披露も楽しみの一つである。

例年、全学年に地域伝統芸能を学ぶ機会を設け、紅葉祭で披露してきたが、中山間地域とは言え、本校生徒は本年度234名の生徒が在籍している。限られた時間の中でそれなりの内容を身に付けるには、少々生徒が多すぎる。指導が行き届かないという反省もあり、本年度は第1学年77名に学習させた。毎年地域の保存会の方々が講師として指導に来られるが、今年度は第1学年のみのため例年の3分の1の生徒数。指導は行き届いた。学ぶ時間は、総合的な学習の時間から捻出し、計10時間と限られている。学習するほど、教育的価値の高い芸能であることを生徒も教師も実感している。ふるさと高千穂の伝統芸能を地元地域の活性化やさらなる認知度のアップにつなげるとともに、歴史や文化の次世代への継承と後継者育成の一助としたいと考える。学校には地域の方々と連携しながら教育活動を進め、これらの優れた伝統芸能を正しく、より良く発展させていく責務がある。少子化の影響は顕著であるが、その一方で地域伝統芸能の保存会の方々は熱い思いもある。郷土愛を育む素地豊かな地域であるがゆえに、地域とのつながりを大切にしながら伝統と文化の継承に邁進したいと考える。今年度は、隣県からの見学者もあり、保存会の方々の中には、一生懸命舞う1年生の姿を見て涙を浮かべられる方もいらっしゃった。何事にも変えることのできない最高の賞賛である。

スポーツの秋。県中学校秋季体育大会が終了した。本校は、陸上・男女バレー・男女バスケット・サッカー・女子ソフトテニス・剣道男女・水泳・弓道・バドミントン・空手で出場した。剣道女子、陸上女子、水泳女子等、個人競技で3位に入賞する等、上位入賞を果たしている。サッカーや男子バレーもベスト8に入賞し、今後が楽しみであるが、応援していて、もう少し競争心があってもいいのかなと思うときがある。自然豊かな、すばらしい環境のもとで学んでいる生徒たち。200名を超える生徒が在籍しているとは言え、それほど競争がある地区ではない。スポーツをガツガツすることが好ましいとは言わないが、惜敗した競技は多くの生徒が涙を流していた。それを目の当たりにすると、できれば勝たせてあげたいと思ってしまう。

学校は、生徒が卒業してからどう成長していくかを教育する。私はよく「失敗は成功の近道」と言うが、努力によって報われる成功も可能な限り体験させたい。特にスポーツの世界の成功例は、社会に新たな価値を生み出すとも言える。経産省の言う「社会人基礎力」のうち、「前に踏み出す力(アクション)」~一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力の三つ、①主体性;物事に進んで取り組む力、②働きかけ力;他人に働きかけ巻き込む力、③実行力;目的を設定し確実に行動する力を身に付けるのに適した機会である。

今後、働き方改革の一つとして、部活動の地域移行がさらに加速する。部活動は必ずしも教師のなすべき業務ではないが、部活動指導をしたくて教師を目指すケースも決して少なくない。部活動指導において、自分を支える強い情熱と使命感は生徒一人一人の人生に大きな影響を与える特別な業務の一つでもあると私は思う。学校教育において、重要な役割を果たしてきた部活動。その経験は、予測困難な未来において、よりよい社会を創るという観点から、子供たちが社会や世界に向き合い、関わり合い、自分の人生を切り拓いていくために求められる資質・能力を身に付けていくきっかけになると考えるのは、決して大げさなことではない。

【校長室】地域資源ブランド

中山間地域で生活する子供たちは、素直で愛想がよい。授業態度がよく、非行等問題行動もほとんどないとよく言われる。へき地校が多く、児童・生徒数が少ないのもその要因の一つであろうが、本校は234名の生徒が在籍しており、小規模校ではない。それでも集団行動がしっかりでき、集会活動を見るたびに、見事なものだと感心する。これまでの教職員生活を振り返るといわゆる生徒指導困難校での勤務が多くを占めていたからか、現在は、毎日の学校生活が充実し、身体的・精神的・社会的に安らぎ、すごく幸せである。生徒の保護者や祖父母は本校出身の方々が多く、「生徒のために」と協力を惜しむことがなく、それが強みでもある。地域の教育力も高く、“高千穂の宝”として、様々な場面で生徒を支えてくださっている。

本校の校舎は特別教室棟が昭和39年に、普通教室等が昭和53年に建築され建物や設備の老朽化が進んでいる。また、現在の学校用地が急傾斜地特別警戒内にあることから、数年後に本町の温泉跡地に移転することが決まっている。そこは、将来的には九州中央自動車道の整備が計画されている近くで、自然災害時の物流関係のライフライン確保が可能である等、立地条件がよい。もちろん、移転に必要な費用も高額になる。したがって、移転を控えている現在、校舎等に関する修繕費等が抑えられるのは無理ないことである。しかし、今年度熱中症対策として新たにエアコン4台が設置された。費用の捻出も大変だったのではないか。「校長に無断で設置を決定して申し訳なかった・・・」とさえ言われたが、いえいえ、何とありがたいことか。8月末の奉仕作業の際、生徒に報告すると歓声が上がった。夏の暑い時期、子供たちにとって、特別教室で授業を受けることはさぞ辛かったことであろう。家庭で不満を口にすることがあったかもしれないが、学校で耳にすることはなかった。それだけ辛抱強いことも誇らしい一面であるが、これまでそういう健康面での配慮を行えなかったことは、校長として深く反省すべき点である。

このように、人的環境の面でかなり恵まれている本地域は、「GIAHS(世界農業遺産)」や「祖母・傾・大崩ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)」に認定されており、資源が豊富で、地域とともに学習する環境も整っている。令和5年に策定された「宮崎県教育振興基本計画」(本県の教育、文化・スポーツに関する最も基本となる計画)には7つの基本目標がある。その基本目標3「ふるさとへの誇りと愛着を持ち、世界を視野に活躍する活躍する人材の育成」の施策8は「社会の変化に対応した多様な人材を育む教育の推進」である。その施策の内容の中に「持続可能な開発のための教育(ESD)の推進がある。昨年度から国土交通省主催宮崎大学主導の「流域治水学習」に参加し、今年度は国指定で「循環型社会を実現する環境教育」にも取り組む。2015年にGIAHSの認定を受け、9年が経つ本地区。世界レベルで評価された生活様式が地域にとっては日常的な活動で、「当たり前」となっている。本町ではこの現状を踏まえ、小・中学校で実施している地域学習をGIAHSの視点から整理し、高千穂GLOCAL(グローカル)として、地域の財産への理解と地域への誇りが醸成されていくよう、取り組んでいる。2030年までに達成すべき17の目標。これは持続可能なよりよい世界を目指す国際目標である。2030年は、令和12年。現生徒は20歳前後で、社会人として働いている生徒がいるであろう。SDGs17の目標のうち、直に触れることのできる項目が高千穂町にはある。県教委や県森林組合主催の事業についても多数の案内をいただいている。校長として、生徒の学びを軸にして、この貴重な地域資源ブランドを学校教育に生かし、学校という学びの場を大切にしながら学校経営に携わっていきたい。

【校長室】必然

8月31日(土)に本町の五ヶ所三秀台の平和祈念碑前で、「第28回五ヶ所平和祈念祭」が開催された。第二次世界大戦敗戦後の昭和20年8月30日、熊本県の捕虜収容所へ救援物資を空輸中のB29が高千穂町五ヶ所の祖母山に墜落した。このときの搭乗員12名と時を同じくして、終戦直前に同町に墜落死した日本軍戦闘機のパイロット1名を慰霊するために、平成7年に地元有志の平和祈念碑奉賛会が町当局の協力を得て「平和祈念碑」を建立し、毎年平和祈念祭を開いているとのことである。そもそも、この事故の事実を知ったのは、本校で実施した平和学習の講話である。沖縄から高千穂町への学童疎開に関する話の中で、墜落のことにも触れられ、この平和祈念祭と繋がったのである。祈年祭当日は、命を落とした計13名の冥福を祈り、参加者全員による黙祷と五ヶ所在住の小中学生による13回の献鐘が行われ、その後参加者による献花と続いた。その日は台風一過で、雲一つない晴天に恵まれたが、献花が始まると突然強風が吹き始め、それは献花が終わるまで続いた。祈念碑前の机上に捧げられた花は、幾度となく風で飛ばされそうになったが、献花が終わると同時に風は止み、穏やかになった。“私たちの世界に起こる現象は、現実的な影響だけでなく、目に見えない(スピリチュアル)の影響も必ず受けている”と聞いたことがあるが、それだったのであろうか。「神々が天上界から地上に降り立った天孫降臨の地」高千穂に住むと神社への参拝の機会が多く、急に吹く風を感じることがよくあるが、その風はさわやかで気持ちがよい。この時の風も強風ではあるものの、決していやなものではなく、むしろ心地よかった。

さて、献花では、上野にある玄武山正念寺の副住職による読経と法話があった。この正念寺は、昭和19年に沖縄県豊見城村第一国民学校から、学童疎開として上野村に到着した学童75名のおよそ半数(残りの半数は学校)が生活したところとのこと。およそ10分間の法話では、今生かされていることは「当たり前ではない」と話された。当時様々な理由で日本の戦争資料に記されていなかったこのB29墜落の事実。飛行機の残骸が地域の人にたまたま発見されたことから、この事実が明らかになったこと。この発見がなければ命を落とした方々の遺族は、詳細を知ることがなかったこと(祈年祭参加の西部方面総監部在日米陸軍連絡将校のあいさつによる)等、この発見は当たり前ではない。偶然ではなく、必然だったのではということである。1+1は「2」。我々にとってはこれが当たり前であるが、今は1+1は「鬼」(ちなみに2+2は「4」ではなく「カニ」らしいが・・・)とも言うらしい。

多種多様な考え方を受け入れることが大切と言われる共生社会。ほんとうにいい教師は、相手を選ばず、生徒の話に十分耳を傾け、その気持ちに寄り添うことができる人。不登校やいじめにあった生徒、性的少数者等の少数派の視点に立ち、寄り添い守ることができる人。若い教員の「今どきの感覚」をばかにするのではなく、耳を傾けて学校全体の教育活動に取り入れる人等である。日常生活の中で出合う様々な出来事は当たり前ではない。だからこそ、どのようなことでも自分の価値観にとらわれることなく、一つ一つを大切にするという意識が必要だと感じさせられた。

最後に、本校壷田つくしさんによる追悼作文を紹介する。

「あの翼に乗せて」

今日も誰かがどこかでいじめられて、明日もどこかで誰かが泣くでしょう。日本では戦後79年の時が過ぎ、この平和の鐘の音色も天高く響いています。平和というものがふと当たり前にあると錯覚してしまいますが、それは私たち一人一人の優しさや思いやりからつくりあげるもの、隣の友達が困っていたら声をかける勇気から始まるのではないでしょうか。私にはどうしたら戦争がなくなって、哀しむ人がいなくなるかはわかりません。詩人の宮沢賢治は「私の幸せは世界中の皆んなが幸せにならなければ有りません」と言いました。その言葉を借りるなら「私の幸せは隣の友達が笑っていなければ有りません」と言いたいです。世界のみんなが、隣にいる友達を笑顔にできたら、いつか本当の平和がくるのではないでしょうか。79年前の夏、奇しくも目の前に広がる山々に、アメリカと日本の飛行機が墜落して、合わせて13名の尊い命が失われました。亡くなられた若い方々は戦争が終わったらどんなことをしたかったのでしょうか。きっと、まず無事を伝える笑顔をお土産に、家族や恋人の元に帰りたかったのではないでしょうか。

あの夏墜落してしまった翼に、もう一度笑顔を乗せて世界に飛び立ちましょう。

 

追伸 アメリカ合衆国と日本両国の国家及び合唱を聴かせてくださった「大いちょう歌劇団」の皆様、すばらしい歌声をありがとうございました。

【校長室】2学期始業の日

始業式校長挨拶

「皆さんの夏休みはいかがでしたか。県中体連の大会から始まり、パリオリンピックでの日本選手の活躍等で多くの感動を得ることができました。その一方で、地震も発生しました。日本全国では、水の事故に限らず、大雨や突風、落雷、台風などの自然災害による被害のニュースもたくさん舞い込んできました。被害を受けられた方々へのお見舞いを申し上げます。

さて、生徒の皆さんにおいては事故の報告を受けておりませんので、一安心をしているところです。この2学期は行事がたくさん計画されています。校長先生は皆さんが無限の可能性を発揮してくれることを楽しみにしています。失敗を恐れることなく、自信をもって様々な教育活動に取り組んでほしいと思います。また、来年4月には上野中が統合されます。その統合の準備として、上野中の生徒と多くの交流を予定していますので、積極的に交流を深めてください。なお、3年生については、受験が近づいてきます。皆さんの将来の目標をしっっかり見据えて、取り組んでほしいと思います。昨日の奉仕作業で、学校はとてもきれいになりました。特別教室にも地域の方々のご協力のおかげで、エアコンも設置されます。台風10号が近づいており心配していますが、いかなる場合でも想定外を想定した行動をとり、命を守る行動を優先してください。以上で校長先生の話を終わります。」

【校長室】1学期終業式 

さっそくですが、背筋をピンと伸ばして、静かに目を閉じてください。

そして、1学期の自分について、ちょっと振り返ってみてください。

はい、それでは、目を開けてください。

先ほど、各学年の代表の皆さんが1学期を振り返ってくれました。

1年生代表生徒は、教科担任制や体育大会、期末テストなどを「初めてづくしの1学期」として振り返り、明日からの夏休みを「変化できる大切な休み」と位置付けていました。

2年生代表生徒は、体育大会で高めた団結力、修学旅行で学んだ公共マナーのこと、そして、主体性をもっと理解し、自分たちで気付き、行動することを意識したいと言っていました。

3年生代表生徒は、1学期の学級委員長での苦労をクラスメイトと協力して乗り越えたこと、そしてこれから見通しをもって行動することで有意義な生活を送ると決意を述べてくれました。

そして、最後に生徒会代表生徒は、集会時での集団行動や話の聞き方について改善を呼びかけるとともに、SNSの利用について問題提起をしてくれました。皆さん、苦労や失敗を繰り返しながら、新たな目標を立て、行動していこうという意欲的な気持ちが十分伝わってきました。みなさんもおそらく同じような振り返りができたのではないかなと思います。

校長先生は「失敗は成功の近道」と思ってますので、あえて失敗できる機会をたくさんつくっていただくよう、先生方にお願いしています。ですから、皆さんはいくつか失敗経験をしてきたと思います。

例えば、校則検討委員会で校則について自分たちであるべき姿を考え、実践してきました。頭髪に関する細かな規則も撤廃しましたね。そして、今年、眼科検診が実施された際に、お医者さんから、前髪の長さに関する指摘を受けました。健康面での根拠がしっかりと示されました。これについては、養護教諭の先生からも放送で話があったと思います。その後、皆さんは改善できたでしょうか?今、ちょっと確認してみてください。前髪とかは目に入っていませんか?

それから、生徒総会の時、校長先生は集団行動について注意をしましたが、その後どうですか?先生が見るには、まだ満足はしていませんが、かなりよくなったと思います。

皆さんのよいところは、指導されたことに対して、聞く耳をもっているということ。そして、改善することができるということです。できれば、そういう問題点に皆さんが自ら気付き、考え、判断し、改善するという行動をしてほしかったなと思います。それが、いわゆる主体性であり、その主体性を身に付けることこそが大人への第一歩だからです。

ところで、「スクラップアンドビルド」という言葉がありますが、耳にしたことはありますか?

「スクラップ」は、解体するとか廃棄する、処分するという意味です。「ビルド」とは、組み立てる。製造するという意味があります。そして、「スクラップアンドビルド」という意味は、企業、会社でよく使用される言葉ですが、例えば、利益の出ていない部門を整理して、新たな部門を設けたり、建物を改築したり、設備を置き換えたりすることで利益の向上を図るということです。

皆さんに言い換えれば、自分で考え、判断し、行動したことが間違いだと指摘を受けた場合、考え直し、改善しながら、少しずつ成長していくことだと言えます。夏休みはそういうことを考えるにはちょうどよいかも知れません。

最後になりますが、校長先生も1学期を振り返ってみました。たくさんのすばらしい出来事がありましたが、その中でも特に印象に残っていることがあります。それは、本校の生徒が、人一人の命を救う行動をしたということです。本人の希望により、これ以上詳しいことは言えませんが、勇気ある、模範的な行動だなと本当に感心しています。

明日から、37日間の夏休みに入ります。気を付けてほしいことは、命を含めて健康管理です。水の事故、交通事故、熱中症、そしてコロナ感染者も増えてきていますが、どういう場面でも「想定外を想定」しながら、生活すれば、皆さんのことですから、安全・安心な夏休みを過ごすことができると思います。2学期の始業の日に、全員が元気な顔を見せてください。

【校長室】支え

第75回県中学総体が開催されている。おかげさまで、本校は学校部活動や社会体育を合わせて14競技に出場している。地区予選での団体優勝も7本と近年ではまれにみる好成績であったが、県大会では、厳しい現実を経験する結果が続いている。

九州のほぼ中央部に位置する高千穂中が、県大会に出場するともなると、なかなか大変な面もある。移動する距離は、場所によっては修学旅行(今年度までは九州北部が行程であった)の訪問先よりも遠くなることもある。それでも、保護者は「子供のために・・・」と配車や宿泊先の手配、応援等々、一生懸命してくださっている。「高千穂の宝」と言われる純粋な子供たちは、その感謝の気持ちを忘れない。だから、さらにやる気を伸ばす。その子供の姿が保護者にとっても頑張れる糧となる。

応援席を譲ってくれた他チームの生徒を日陰の応援席に誘導していた保護者。中学生という同じ世代の子供を育てている親の一人として、どの子供にも分け隔てなく優しく接する心の広さに、人としての大きさを感じた。そういう姿が子供たちをさらに成長させる。見習いたいものである。

別の競技で、今年度県北部でも上位に位置する部がある。県大会でも活躍が期待されたが、初戦の相手は南部の強豪チーム。レベルの違いを見せつけられ、結果は完敗であったが、試合終了の笛が鳴るまで、ずっとボールを追いかけていた。点差が広がっても、試合を捨てず最後までプレイに集中していた。素敵な子供たちである。応援していた保護者たちも目をそらさず、頑張る子供たちを見守られていた。その姿は子供たちと一緒になって戦っているようにさえ見えた。“この親にしてこの子あり”。まさにそう感じた光景である。

競技によっては、天候に左右され、延期を余儀なくされる。実際に、延期が続き、試合ができていない部活動がある。予定よりも一週間遅れの実施となるであろう。モチベーションを維持するのも容易なことではない。それでも、ピークを維持するべく、日々の練習に励み、大飛球の一撃。部室の窓ガラスは木っ端みじん。もちろん、子供に責任はない。むしろ、好調を維持していることに喜びさえ感じる。そのグラウンドを軽トラで整備されている方がおられた。おそらく、保護者の一人であろう。その日は、リフレッシュデイで部活動は中止だったため、その合間のことと思われる。このような陰での支えは子供たちの力になる。熱中症を考えると長時間の練習は危険であり、子供たちが練習だけに集中できる環境は非常にありがたい。チームの勝利には、このような保護者の貢献も欠かせないものである。

今週末から来週にかけて、バレー男女、野球、陸上、バスケット男女、バドミントン競技が実施される。日々の厳しい練習を通して、自らを高め、予選を勝ち抜いた子供たちである。このように応援してくださっている保護者への感謝の気持ちを忘れることは決してないであろう。

中には、3年後に本県で開催される2027年の「紡ぐ感動 神話となれ 日本のひなた 宮崎国スポ 障スポ」の選手となる子供がいるかもしれない。これまでの練習の成果を存分に発揮し、悔いが残らないよう、全力プレイで熱戦を繰り広げてほしいと切に願う。私も可能な限り、応援に行きたい。また、慌ただしい週末が始まると思うと、ただただうれしい限りである。

【校長室】非日常に学ぶ

およそ10年ぶりの修学旅行。行き先は九州北部の2泊3日。全てバスで移動という行程である。本県中学生の修学旅行先と言えば、関西方面が定番で、コロナ禍以前は本校もそうだったとか。修学旅行で九州を回るのは、おそらく30年ぶりくらいではないか。バスで移動ともなると「乗車時間が長くて辛いのではないか」と思いがちだが、高千穂町は九州のほぼ中心。熊本市内まで2時間、福岡市内でも3時間あれば十分である。

初日は、心配された雨もなく、曇り空。時折太陽が顔を見せるくらい回復した。キッザニアでの職業体験、太宰府天満宮での参拝と滞りなく、行程を進めた。生徒も満足げな顔をしており、ホッと胸をなでおろした。翌日が長崎自主研修ということで、初日の内に長崎へ移動するも、雲行きが怪しくなり、宿舎に到着した頃は、相当雨が降っていた。荷物を部屋に運ぶとまもなく夕食の時間が近づいてきたので、会場に向かった。学校では問題行動もなく、真面目に生活している生徒たち。そもそも、修学旅行は、何のためにあるのか。どういう学びをするものなのか。目的はいろいろとあるが、私は“修学旅行という非日常の生活の中で、いかに普段どおりの行動ができるか”に限ると思っている。事前指導を徹底する学校がほとんどであろう。旅行期間大切なお子様をお預かりするわけだから、責任重大であるがゆえに、それも無理はないが、非日常では予期せぬことが起こることも十分にあり得る。指導したことで無事に済めば、それはそれでよい。ただ、せっかく修学流行にいくのであれば、さらなる効果を期待したくなるのはぜいたくであろうか。決して問題が発生した方がよいと言っているのではなく、想定外のことが発生したときどう対処するべきかを実践的に学ぶことができれば、それも修学旅行の意義の一つではないか。歴史上の建築物や雄大な自然に触れるとともに、学校という枠を越えた社会を学ぶことも大切であると考える。

初日の夕食が終わるに近づいた頃、生徒はおひつに余っている白米を残してはいけないと必死で食べようとする。食べきれないものを他のグループに回しはじめる。少しずつ騒がしくなる。それでも残してはいけないと、おひつをもって離席が始まる。正義感に燃えた男子生徒は、無理を承知で食べ続け、予想どおりのREVERSE。それを見た2名の生徒が気分不良を訴え、即医務室へ。よかれと思ってはじめた行為が、まさかの負の連鎖へ発展するというアクシデント。ホテルの従業員の方々は、迅速に対応し、養護教諭も生徒の看病にあたる。翌日、何事もなかったかのように行程が進む。

大雨の中、長崎自主研修が進む。トラブル発生時用に班ごとに携帯電話を貸し出し、生徒の動向を本部で見守る。雨のせいか班別研修は、計画よりも早く進行する。服がずぶ濡れになってしまい、“このままでは体調を崩してしまうのではないか”と行程を前倒しする案が浮かび上がる。自主研修を早めに終える班が多い中、計画どおりに行程を進めることができた班が1班だけあった。すばらしい計画である。はずなのに、この日に限っては、まるで自分たちが集合時刻を過ぎてしまっているかのような雰囲気になってしまう。唯一計画どおりに研修を進めていたにもかかわらず・・・。しかも、予定を変更して集合を早めようとした結果、行き先の違う路面電車に乗ってしまう。それでも当初の予定前には到着し、事なきを得た。修学旅行には数多くの人が関わっている。添乗員さんを含む旅行会社。バスの運転手やガイドさんを含むバス会社。各観光地のスタッフや宿泊先のみなさん。食事を作ってくださる方々等々。多くの人が様々な場所で、工夫し、対応をしてくださっていることで修学旅行が成り立ち、思い出に残る楽しい旅行になることを実感してほしい。

事前指導は必要最小限にして、生徒が主体的に行動できる機会を与えること。それはすなわち失敗できる環境を整えること。私の口癖の一つに「失敗は成功への近道」がある。最終日、ホテルでの朝食はバイキング。最もマナーの問われる場面ではあるが、生徒は落ち着き、整然と食事をすることができていた。短期間に、確実に成長できる生徒を私は誇らしく思う。やはり子供たちは無限の可能性を秘めている。今秋実施予定の職場体験学習においてもさらなる成長が期待できる、社会の一員として自分にできることは何かを考え、さらなる成長を遂げることは間違いないであろう。

【校長室】COMPETITION

 第75回西臼杵地区中学校総合体育大会が終了し、団体競技7つの優勝を筆頭に、例年以上のすばらしい結果を残した。本地区の中学校数は5校。都市部のように県大会への出場権を得るまでの試合数はさほど多くはなく、むしろ、比較的楽に感じられるかもしれない。しかし、出場する選手にとって、試合数はあまり関係ないようである。大会当日に最高の結果が出るよう調整をしても、所詮は中学生。上手くいかないことが多い。その不調を補う時間はなく、試合本番中に何らかの手立てを打たねばならないし、それが成功しなければ、「敗北」という結果が待ち受けている。特に、一発決勝の競技において、勝利と敗北の割合は五分と五分。勝ちやすさは負けやすさでもある。本地区の生徒はそれを知っている。だから、前評判で不利な場合は、態度面(声出しや元気さ等)にも全力を注ぐ。技術的に有利なチームは、勝って当たり前というプレッシャーに潰されそうになることもよく目にする。そもそも、中体連の大会は、「学校生活の延長」とされ、決められたルールの中で節度と気遣いのある行動ができるようになるための「教育の場」である。「勝負の世界は厳しいからこそ、心身ともに成長させる」ことができるし、「教育的配慮によって成長を促す」こともできる。中体連の大会はどちらの対応でも生徒にとっては、成長できる最高の機会であることに間違いない。「勝つこと」は、多くの生徒にとって目標の一つで、優勝した生徒や県大会出場を決めた生徒には、心から「おめでとう」と言ってあげたい。本気で練習に打ち込み、厳しい練習を乗り越えて勝つことができた生徒にとっては忘れられない大会の一つになったはずである。個人差はあると思うが、その成果を出すことができた大会は心にしっかりと刻まれるもの。それは応援してくれた保護者も指導者も同じである。そういう私も、およそ10年前まで部活動指導に勤しんでいた。受け持った部が優勝した時のことを思うと言葉で表現することができないくらいの感情がよみがえる。と同時によもやの敗北も苦い思い出として、心に焼き付いている。ある陸上競技大会でも同様の光景を目の当たりにした。当日棄権者が出たため、その種目は予選なしの一発決勝に変更。優勝を期待された選手はまさかの失格。本来ならば標準記録を突破するほどの実力者。予選があれば、そのタイムでも県大会出場は間違いなかったとのこと。自身も周囲も勝利を信じて、これから長い夏が続くだろうと全国まで視野に入れていたレース。強豪校の選手である。その後の心のケアを考えると胸が痛む。これまで、数々のレースで優勝していたかもしれないが、この時は、「敗北」という2文字を結果として与えられた。厳しいが、これが勝負の世界の現実である。「勝利」という最高の喜びの陰には、それと同じ、いやそれ以上の「敗北」という悔しさがある。それを忘れてはいけない。同情するとかではない。そういうことを考えられる生徒になってほしい。そういう気持ちがさらに人としての成長に繋がるものだと私は思う。

 7月6日(土)から始まる県中学校総合体育大会。今年度は分散開催で、本校生徒が出場する競技は、7月26日(金)まで続く。長丁場であるが、可能な限り足を運んで応援したい。本校の生徒が参加する競技が多いということは、校長として誇らしいことであり、とても楽しみである。これからの試合における結果一つ一つが中学校部活動の一区切りとなる。さらに続くか、終わるか。中学生が本気で取り組んできたからこそ得られた様々な思いは、かけがえのないもので、その時の涙の価値は何事にも変えられない財産である。このような経験を大切にしながら、さらに成長してほしいと願う。

【校長室】SHOCK

「再発した細動を、電気ショックを与えて整えますね。準備をしますので、もうしばらく廊下でお待ちください。」術後2度目の検査で、主治医からそう言われた。

アブレーション手術を受けて1か月が過ぎた。前回1週間後の検査ではすでに心房細動が再発していた。アブレーションはカテーテル手術であるものの、長時間、心臓の内側を処置されている以上、そのダメージは小さくなかった。体の表面は赤紫や黄色の内出血の痕、首まわりや両太ももには、発疹が大量発生。そして、経過が良くないとなれば、さすがの私も意気消沈。今回の検査で経過良好になっていますようにというわずかな希望も虚しく、私の心はあっさり撃沈。前回の診察で聞いてはいたが、まさかそれが現実になるとは夢にも思っていなかった“電気ショック”。準備?そんなに大掛かりな処置をするの?と少々ビビってしまった。しばらくして、看護師さんに案内され、回復室へ。そこは小部屋で、大きな器具もなく、大したことはされないだろうとホッと一息ついていたのも束の間、看護師さんが再び登場。どうやら、電気ショックによる治療を行うらしい。心臓に電流によるショックを与えることで心房細胞の震えそのものを止め、脈を普通の状態に戻す治療法のことらしい。それがかなり痛いらしく、全身麻酔をかけるとのこと。

「それでは、術室に行きましょう」と看護師さんにうながされ、処置室まで案内され、ここで看護師さんが交代。たくさん会話をしてくれる気さくな方だった。救急ナースの中のカテーテル担当だとか。会話もさることながら、その手際の良さも手際が良かった。(私にとって)予想以上の大がかりな処置を前に気落ちしていた私を元気づけようと看護師さんが話してくれたことは数知れず。点滴のラインをとるのは日によって調子が違うこと。そういう時は早く家に帰りたいと思うこと。お子さんの試合がキャンプと重なり、駐車できずイライラして、目の前にいた選手に文句を言ったら、そこそこ有名なプロ野球選手だったこと。目を開けたまま麻酔にかかっていると思われる患者の意識を確認する方法等々。処置までの時間が何かと不安だった私の心を癒してくださった。その会話の一部は以下のとおりである。

「麻酔はかかりやすい方ですか?」

「はい。大丈夫です。」

「たまに、目を開けたまま麻酔にかかる人がいますから、正直怖いですよ。」

「そうなんですか。」

「だから、かかる前は目をつぶっていた方がいいと思います。」

「わかりました。そうします。」「もし、目を開けたまま落ちた場合、目を閉じさせるんですか?」

「いいえ、そのままです。だから怖いんです。」

「そろそろ先生を呼びますね。すぐ来られますから。」

「じゃあ麻酔かけます。点滴が痛いかもしれません。」

「大丈夫です。」

「痛くないですか?」

「痛くありません。麻酔が入ってくるのがわかりま・・・。」

(私はここで落ちたらしく、再び目覚めたのは、およそ1時間後)

「大丈夫ですか?」と1回目の声掛けに私は無反応。

「もしもし、大丈夫ですか?」と2回目の呼びかけに、私は開目したようだが、やはり意識はなかったとか。

そして、「心電図取りますね」の声掛けで私は目が覚めたのだが、すでに処置が終わっていることを理解していない私は、

「心電図はいいですけど、まだ麻酔は効いていないので、処置は待ってください。」と懇願。

「もう終わりましたよ。」と看護師さん。

「処置が終わってどれくらい経ったんですか?」と聞くと

「およそ1時間くらいですかね。」と。

あとで妻に聞いた話だが、処置の途中で「バーン」というもの凄く大きな音が鳴ったとか。看護師さんによるとそれが電気ショックを与えたときの音で、医療系のテレビドラマでよく見る光景とのこと。ドクターがアイロンのようなものを心臓の両端に当てるシーンを見られたことがあると思うが、まさにそれらしい。身体も弓なりにのけぞるような反応を示したと聞いた。後遺症なのか分からないが首筋が少々痛いものの、私の心臓そのものはきれいな波形を描いていた。日本の医学にはホントに頭が下がる。来月末に再検査。このまま経過が良好であることを願っている。ちなみに、治療4日後、薬処方のためにかかりつけの病院で受診したときも、私の心臓はきれいな行動を打っていた。およそ7年ぶりの美しい波形を見てとても感動している。このまま完治に向けて、これまでの不規則な生活行動を改め、規則正しい生活リズムの確立に努めたい。

【校長室】RESET

体育大会が無事終了した。

働き方改革を推進するために教育のDX化をはじめ、行事の精選を含む教育課程の抜本的な見直し、職員会議の運営等の工夫・改善等に取り組んできた。昨年5月以降、学校教育は通常のスタイルに戻りつつあるが、注意すべきことは、縮小・中止されてきた様々な教育活動が、働き方改革の推進によるものか、それともコロナ禍で余儀なくされたものなのか、しっかり見極めることである。ややもすると行事の縮小やカットをすることが働き方改革と勘違いし、諸行事の本来の意義や学校の主役である生徒の思い、保護者、地域の考えがないがしろになっている可能性があることも否定できない。特に、各種委員会活動、地域清掃等のボランティア活動、体育大会、文化祭等、異学年集団が協力・協働することで、他者の役に立つ喜びを体得できるような交流は、生徒の自己肯定感や自己有用感の醸成に与える影響が大きく、大変重要である。これらの特別活動における自己肯定感を醸成するには、生徒自身が考え行動し、失敗しながらPDCAサイクルを回すような意思決定をさせること。次に、反論があったり無気力な仲間がいたりする葛藤のなかで合意形成をさせること。そして、自治をさせることと聞く。確かに、教師が全て企画し・運営してしまうと、自分たちで課題を解決したというリアリティはなく、教師や先輩が決めたことを前例踏襲し、成功に導いたところで自己肯定感が高まるはずもない。教育活動上ある程度の指導は必要であるが、指示しすぎると自治感はなくなる。生徒が授業の主役となる協働学習のような、自分の発言が仲間に影響を与えたり、反対に仲間から受けた言葉で自分の価値観が変わったりする授業スタイルも、他者との関係が不可欠な自己有用感の醸成に非常に効果的であると言えよう。

今年度の体育大会は、終日開催か午前中開催か教職員の中で大きく意見が別れた。メリット・デメリットはそれぞれにある。最終的には生徒にとってどうなのか。生徒の健康面への配慮は、プログラムの一つを選択制にする。各学年内での学級対抗制にして学級経営の一助とする。各学級の色を赤系組(赤、桃、燈、紫)、青系組(青、緑、黄緑、水色)に分けのそれぞれの得点を赤団、青団に計上する。体育科への負担を軽減するために、授業の割り当てを工夫し、授業の平準化を図る。生徒主体の活動を重視し、可能な限り生徒による企画・運営に取り組ませる等、主役である生徒を軸にデメリットを一つずつ解決した。それでも、これまでの中心であった教師主体の学校教育の影響は大きく、教師依存の傾向は根強かったため、可能な限りグラウンドに足を運び、観察・指導・助言を行った。ただ、体育科の自分としては久しぶりにワクワクする楽しい時間であったことは言うまでもない。

大会当日は、心配された天候も回復し体育大会には絶好の曇り空。生徒主体の活動が随所に見られ、例年以上の素晴らしい体育大会が実施できたと思う。特に、エール交換は両団とも甲乙付けがたい、本当に見事も出来栄えで、体育主任も感激していた。

生徒には、誰かが敷いたレールをたどるのではなく、人に相談したり相談されたりしながら、最終的には自分で決めた道を歩んでいく力を身に付けてほしい。ただ、こういう教育は成果を得るには時間を要するし、口で言うほど容易なことではないことも十分に分かっている。それでもなお、先生方には、課題の解決に向けたプロセスを明らかにし準備する力、他人に働きかけながら周囲を巻き込み、確実に行動する力、相手の意見をていねいに聴き、自分の意見をわかりやすく伝える力を身に付け、生徒の教育力を高めてほしい等、大変なお願いをするのは、生徒の成長と教職員の負担は反比例すると思うからであり、本校の教職員ならできるという期待感がすごく大きいからである。生徒のために長時間労働をすることで教師が疲弊していくのであれば、それは“生徒のため”にはならないが、教師としての資質・向上を図り、教職人生を豊かにすることで、自らの人間性や創造性を高め、子供たちに対して効果的な教育を行うことができるようになることが学校における働き方改革の目的であり、そのことを常に原点としながら改革を進めていきたいと私は考える。

【校長室】UPDATE

バブル全盛期の民間企業は、完全週休二日制、定時帰宅、余暇利用、海外への社員旅行等々、社員にとって働きやすい環境と福利厚生面ではこれらの条件が当たり前の時代。もちろん、民間企業として生き残る大きな条件の一つである利益追求の困難さは、現在ほど大きな社会問題ではなかった記憶がある。教職に就く前の会社員時代、ある会社の社長から「人生常に60点」という言葉を聞いた。「・・・合格は60点以上、自身の成功は合格ラインの最低(60)点におき、残り40点分はさらに向上していくことが大切・・・」つまり、現状に満足するなということであろうか。

現学習指導要領改訂の考え方は、「生きる力」を理念に終わらせず、資質・能力としてしっかりと育てていくよう、「何ができるようになるか」「何を学ぶか」「どのように学ぶか」等、より良い学校教育を実践することが大切であるということである。そして、学校がより良い社会を構築するという考え方を地域社会と共有しながら協働して、予測困難な未来のつくり手となるために必要な資質・能力を生徒一人一人に確実に育んでいくことを目指すものである。様々な課題が山積する学校の役割の重要性を地域社会と共有しながら、校長のリーダーシップのもと、カリキュラム・マネジメントの充実を図ることの必要性を強く感じる。

本校の生徒は、素直で純粋、集団としての場の力を備えている。小さな頃から「高千穂の宝」と言われ、地域の子供たちが地域で育てられている。大人の望む生徒に近づこうといじらしいくらい努力する。したがって、レールを敷く大人の責任はすごく重要である。ただし、そのレールを歩むことは生徒にとって必要なことの一つにしか過ぎず、予測困難な時代を力強く生き抜く力を身に付けさせるには、不十分ではないか。そして、予測困難な未来を予想することは、我々大人にはもはや限界が来ており、予測の正確性は生徒の方がはるかに高いと私は考える。

正解がまるでない現代社会において、昨日までの正解が今日の不正解になることもあり、試行錯誤の連続である。それならば、それを楽しむ方がいいし、それは自己決定と主体的な行動という経験をすることにもなる。そういう意味からも、生徒の意見を大切にし、リスペクトして向き合い、たとえ失敗してもそれを成功の道に導いてあげることがとても大切なこと。失敗はマイナスではなく、むしろ一歩前に進むことと考える。子供たちが失敗しないようにではなく、子供たちが“失敗を経験しながら学ぶ”ということを学ぶことによって、学びの継続性が生まれる。学びは中学校で終わりではない。上級学校、職場、家庭、地域社会等において、これからも学ぶ機会が数多く存在する。大切なことは、その時その時において、自らの成長に必要な課題を自覚し、解決に向けて主体的に考え、時には周囲と協働しながら学ぶことであり、このような「学びに向かう力」の究極的なスタイルに到達すれば、それこそまさに個別最適な学びと言えよう。

世間では、五月病といい、退職者が増加する時期である。この現象は今に始まったことではないが、今では退職の代行サービスが存在している。それだけ需要があるというビジネスチャンスに気付く「発想の転換」は見事である。ただ、学校経営を担う一人として、今後働きやすい職場環境づくりを推進していくことや、一教育者として、経産省の言う「社会人基礎力」を身に付けさせるための手立てを講じることの大切さを強く感じる。これは、「今後の社会の変化を見据え、職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」のことで、考え抜く力(シンキング)~疑問をもち、考え抜く力。前に踏み出す力(アクション)~一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力。チームで働く力(チームワーク)~多様な人々とともに、目標に向けて協力する力とのことである(「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」報告書より)。

「人生に常に60点 学びなくして成長あらず 志(ゆめ)叶うまで挑戦」 これからの社会で働き続けていくためには、学び続けること。今風に言えば「アップデートし続ける」こと。それは、生徒だけに限らず、我々大人も同じであると思う。

令和6年5月17日(金)

【校長室】TEAM

「グルメ(gourmet)とは、美食家や食通という意味。また、高品質な食材や料理に対する知識や興味をもち、味覚に関して独自の基準や価値観をもつ人物を指す。さらに美味しい食事や高級な食材に対する愛好家を意味するとのことである(実用日本語表現辞典より)。」この高千穂町には日本一の高千穂牛を筆頭に、高千穂米(棚田米)、釜入り茶、椎茸、トマト、蜂の子等々、おいしい食材が多数存在する。人気の高い焼き肉屋やお蕎麦屋さん等のお食事処も多い。そう考えると本校の給食もある意味、隠れた名店である。これまで多くの学校に赴任し、食した給食は星の数、いずれの学校も特色のある給食で美味しかったが、本校の給食は格別である。とは言っても、高千穂町内の食材を使用した「ぬくもりランチ」が月に1,2回ほど提供されることや米飯に特別栽培米が使用されていること等、他地区の特色と大きな違いはない。しかし、とにかく美味い。確かに日本一の高千穂牛が給食で扱われることがあり、宮崎牛の中でもトップレベルの高千穂牛の美味さは、別格である。

話は変わるが、中山間地である本町の過疎化は否めず、後継者問題も大きな課題の一つである。給食の食材も本町もしくは西臼杵地区の業者を中心に賄っているが、近年、廃業や撤退等を理由に契約解除が続き、食材調達に苦慮している。それでも、町教育委員会の全面的なバックアップの基、各小中学校の栄養教諭や学校栄養職員、給食調理員等、多くの関係者が知恵を出し合い、対応を協議し今日に至るが、子供たちには以前と変わらず美味しい給食が提供されている。お豆腐一つにしても、くずれやすくてもよいもの、原形をとどめていた方がよいもの等、献立によって仕入れ先を変更したり、高騰している食材についても栄養バランスを変えずに安価なもので対応したりと、細部にわたって工夫が施されている。すべては、「子供たちのために」と口をそろえて言われる。昨年は物価高騰の煽りを受け、二度給食費を値上げした。PTA運営委員会に打診し、PTA総会で承認をいただいた。保護者の方々も「子供たちのために」と非常に協力的で、理解をしてくれる。このように、すべての関係者のご理解とご協力のおかげで、今の給食が維持できており、とても感謝している。

さて、本校に着任して2年目を迎え、すでに1か月が過ぎた。素直で純粋な生徒のおかげで、かなり充実した幸せな日々を送ることができている。それは、何もせずただぼんやりと平和に過ごすことができるという意味ではなく、学校が求められている役割を十分に果たす環境が整っているということである。校長ならば、学校経営そのもの。そもそも「経営」とは「継続的・計画的に事業を遂行すること」、また、「企業を組織化したり管理したり一定の方向に向けて動かすこと」、あるいは、「企業活動に関する様々な意思決定を行うこと」を意味している(広辞苑より)が、私は、方向性はそろえるが、具体的な取組は担当者の裁量を最大限に尊重することを意識している。というのも、学校現場が抱える課題は様々で、複雑化・困難化しており、校長一人で解決できるものではなく、地域の教育力や家庭教育の充実が大切であり、地域との連携は必須であると同時に、何よりそれらの多くは教員の資質や力量にも関わっている。言い換えれば、教員の資質が向上し、一人一人の教員の力量が付けば、学校の抱える多くの教育的課題は解決へ向かうと考えるからである。その資質と力量とは、授業力や責任感・使命感等だけではなく、総合的な人間力であり、教職員の人材育成が学校の抱える課題解決に向けての喫緊の取組の中軸となる。時には、校長自らが教育者としての姿勢を具体的に示し、積極的に子供や保護者、地域と関わり、校長の示す学校経営ビジョンに沿って、教職員の人材育成を図ることも必要ではないか。

最近気になることは、「働き方改革」の表面的な部分が先行しがちであるということ。「働きやすさ」ばかりを求めてしまうと「ジタハラ(時短ハラスメント)」「成長できない」という教職員の受け止め方になり、「働きがい」を失ってしまう。だからといって、「働きがい」だけを求めると「パワハラ」「負担感」「やらされ感」という教職員の受け止めとなりかねない。学校という職場の魅力向上とともに教職という職業としての魅力向上を両立させるには、学校現場が教職員にとって「働きがい」と「働きやすさ」のある職場となることが求められる。私たちが、「何故教職の道を選んだか」を思い起こし、後ろ姿を見せることで、教育者としての姿勢を体現することによって指導することも時には必要であろう。

文科省は「『地域に開かれた学校』から一歩踏み出し、地域の人々と目標やビジョンを共有し、地域と一体となって子供たちを育む『地域とともにある学校』への転換が必要である」という。「地域とともにある学校」とは、学校に関わる大人同士が「どのような子供も育てたいのか」「何を実現していくのか」という目標やビジョンを共有し、学校と地域がパートナーとして連携・協働しながら学びを展開していく学校とのことである。管理職になる前の私は、自分を含め、教職員だけで学校の教育活動を回していると思っていたが、今回の給食食材に関する問題に直面することで、課題の解決を自分たちだけで目指すのではなく、周囲の人の力を借りたり、活用したりすることの大切さを実感した。これこそ「チーム学校」の一つとスタイルと言える。そして、制約されつつある食材を最大限に生かしながら、それでもなお、「子供たちに楽しい給食を」と工夫・改善等の働きがいを見せてくれた学校栄養職員の心構えやその気持ちを全面的に支えようとする調理員さんの温かさに触れ、本来の職務の意義を振り返ることができた。

本来、学校は夢を描き、夢を膨らませ、夢実現に向けて突き進む、魅力のある場所でなければならない。学校のトップとして、何より重要なのは、教職員の心理的安全性を確保することである。教職員を大切にし、それぞれの先生方の強みを生かして「働きがい」が高まっていくように心掛けることが、「地域とともにある学校」への転換に繋がっていき、ひいては「学校を核とした地域づくり」に発展していくと確信している。管理職であっても対等に軽やかに楽しく意見交換できる雰囲気をつくりながら、日頃から教職員とコミュニケーションをとり、様々な課題への対応に向けて教職員がその力を主体的に発揮しやすくなるような環境を整えておく配慮が大切であると気付かせてくれたことに感謝したい。

令和6年5月 給食だより.pdf

令和6年5月8日(水)