PRINCIPAL'S OFFICE

心の声

【校長室】TEAM

「グルメ(gourmet)とは、美食家や食通という意味。また、高品質な食材や料理に対する知識や興味をもち、味覚に関して独自の基準や価値観をもつ人物を指す。さらに美味しい食事や高級な食材に対する愛好家を意味するとのことである(実用日本語表現辞典より)。」この高千穂町には日本一の高千穂牛を筆頭に、高千穂米(棚田米)、釜入り茶、椎茸、トマト、蜂の子等々、おいしい食材が多数存在する。人気の高い焼き肉屋やお蕎麦屋さん等のお食事処も多い。そう考えると本校の給食もある意味、隠れた名店である。これまで多くの学校に赴任し、食した給食は星の数、いずれの学校も特色のある給食で美味しかったが、本校の給食は格別である。とは言っても、高千穂町内の食材を使用した「ぬくもりランチ」が月に1,2回ほど提供されることや米飯に特別栽培米が使用されていること等、他地区の特色と大きな違いはない。しかし、とにかく美味い。確かに日本一の高千穂牛が給食で扱われることがあり、宮崎牛の中でもトップレベルの高千穂牛の美味さは、別格である。

話は変わるが、中山間地である本町の過疎化は否めず、後継者問題も大きな課題の一つである。給食の食材も本町もしくは西臼杵地区の業者を中心に賄っているが、近年、廃業や撤退等を理由に契約解除が続き、食材調達に苦慮している。それでも、町教育委員会の全面的なバックアップの基、各小中学校の栄養教諭や学校栄養職員、給食調理員等、多くの関係者が知恵を出し合い、対応を協議し今日に至るが、子供たちには以前と変わらず美味しい給食が提供されている。お豆腐一つにしても、くずれやすくてもよいもの、原形をとどめていた方がよいもの等、献立によって仕入れ先を変更したり、高騰している食材についても栄養バランスを変えずに安価なもので対応したりと、細部にわたって工夫が施されている。すべては、「子供たちのために」と口をそろえて言われる。昨年は物価高騰の煽りを受け、二度給食費を値上げした。PTA運営委員会に打診し、PTA総会で承認をいただいた。保護者の方々も「子供たちのために」と非常に協力的で、理解をしてくれる。このように、すべての関係者のご理解とご協力のおかげで、今の給食が維持できており、とても感謝している。

さて、本校に着任して2年目を迎え、すでに1か月が過ぎた。素直で純粋な生徒のおかげで、かなり充実した幸せな日々を送ることができている。それは、何もせずただぼんやりと平和に過ごすことができるという意味ではなく、学校が求められている役割を十分に果たす環境が整っているということである。校長ならば、学校経営そのもの。そもそも「経営」とは「継続的・計画的に事業を遂行すること」、また、「企業を組織化したり管理したり一定の方向に向けて動かすこと」、あるいは、「企業活動に関する様々な意思決定を行うこと」を意味している(広辞苑より)が、私は、方向性はそろえるが、具体的な取組は担当者の裁量を最大限に尊重することを意識している。というのも、学校現場が抱える課題は様々で、複雑化・困難化しており、校長一人で解決できるものではなく、地域の教育力や家庭教育の充実が大切であり、地域との連携は必須であると同時に、何よりそれらの多くは教員の資質や力量にも関わっている。言い換えれば、教員の資質が向上し、一人一人の教員の力量が付けば、学校の抱える多くの教育的課題は解決へ向かうと考えるからである。その資質と力量とは、授業力や責任感・使命感等だけではなく、総合的な人間力であり、教職員の人材育成が学校の抱える課題解決に向けての喫緊の取組の中軸となる。時には、校長自らが教育者としての姿勢を具体的に示し、積極的に子供や保護者、地域と関わり、校長の示す学校経営ビジョンに沿って、教職員の人材育成を図ることも必要ではないか。

最近気になることは、「働き方改革」の表面的な部分が先行しがちであるということ。「働きやすさ」ばかりを求めてしまうと「ジタハラ(時短ハラスメント)」「成長できない」という教職員の受け止め方になり、「働きがい」を失ってしまう。だからといって、「働きがい」だけを求めると「パワハラ」「負担感」「やらされ感」という教職員の受け止めとなりかねない。学校という職場の魅力向上とともに教職という職業としての魅力向上を両立させるには、学校現場が教職員にとって「働きがい」と「働きやすさ」のある職場となることが求められる。私たちが、「何故教職の道を選んだか」を思い起こし、後ろ姿を見せることで、教育者としての姿勢を体現することによって指導することも時には必要であろう。

文科省は「『地域に開かれた学校』から一歩踏み出し、地域の人々と目標やビジョンを共有し、地域と一体となって子供たちを育む『地域とともにある学校』への転換が必要である」という。「地域とともにある学校」とは、学校に関わる大人同士が「どのような子供も育てたいのか」「何を実現していくのか」という目標やビジョンを共有し、学校と地域がパートナーとして連携・協働しながら学びを展開していく学校とのことである。管理職になる前の私は、自分を含め、教職員だけで学校の教育活動を回していると思っていたが、今回の給食食材に関する問題に直面することで、課題の解決を自分たちだけで目指すのではなく、周囲の人の力を借りたり、活用したりすることの大切さを実感した。これこそ「チーム学校」の一つとスタイルと言える。そして、制約されつつある食材を最大限に生かしながら、それでもなお、「子供たちに楽しい給食を」と工夫・改善等の働きがいを見せてくれた学校栄養職員の心構えやその気持ちを全面的に支えようとする調理員さんの温かさに触れ、本来の職務の意義を振り返ることができた。

本来、学校は夢を描き、夢を膨らませ、夢実現に向けて突き進む、魅力のある場所でなければならない。学校のトップとして、何より重要なのは、教職員の心理的安全性を確保することである。教職員を大切にし、それぞれの先生方の強みを生かして「働きがい」が高まっていくように心掛けることが、「地域とともにある学校」への転換に繋がっていき、ひいては「学校を核とした地域づくり」に発展していくと確信している。管理職であっても対等に軽やかに楽しく意見交換できる雰囲気をつくりながら、日頃から教職員とコミュニケーションをとり、様々な課題への対応に向けて教職員がその力を主体的に発揮しやすくなるような環境を整えておく配慮が大切であると気付かせてくれたことに感謝したい。

令和6年5月 給食だより.pdf

【校長室】私事

初めての手術入院顛末

  私事で恐縮だが、先日心臓のアブレーション手術を受けた。

不整脈と診断されたのは今からおよそ7年前。学校の定期健診で見つかった。どういう病気かある程度はわかっていたものの、若気の至り(年齢的に決して若くはなかったが…)でそれほど気に留めず、専門医を受診することはなかった。

ある年、教え子の看護師と話す機会があった時、何の気なしに軽い気持ちでその旨話したところ、思いがけず厳しく注意を受け強く受診を勧められた。それでも仕事が忙しいことを言い訳に病院に行くことはなかった。

そんなある日、胸の激痛と呼吸困難に襲われた私は、近くの大学病院に駆け込むことになる。応急処置として点滴を受けながら、再度強く専門医への受診を勧められた。しぶしぶ最寄りの病院で専門医による検査・診察を受けたところ、結果は「病気のオンパレード」。もともと体力に自信があったため、高を括って放置していたら、とんだことになっていたのだった。担当医師曰く、「(治療しなければならないところはたくさんあるが)特に心臓は早急に手術を受けたほうがよい」とのこと。

にもかかわらず、私はまたしても仕事を言い訳に(ちょうどその頃管理職試験を受けていた)、手術ではなく、服薬で悪化を防ぐ治療方法を選択したのだった。それからも、幾度となく手術を勧められたが頑なに断り続けていた。その間薬の種類はどんどん増えていった。

そして昨年、校長として高千穂中学校に転勤となり、宮崎市内のかかりつけ医から紹介状をもらい、通院に便利の良い町立病院で薬を処方してもらうようになった。高千穂での昨年秋の検査結果で、再度手術を勧められ、初めて手術を受けることを前向きに考えるようになった。そんな矢先、深夜に体調が悪くなり、自分で車を運転して病院へ急行。そこでようやく迷いが吹き飛び、手術を受けようと決心した。

昨年末、紹介状を携え宮崎市内に新しく移転した総合病院へ行き、改めて病状を把握するための検査を受けた。後日診断結果を聞くために診察室へ、目の前に座った医師から出た言葉は「私を覚えていますか?」。

なんとなんと、私の担当となった主治医は他でもない、7年前「病気のオンパレード」と私に宣告した医師だったのだ。これも何かの縁かな、とのんびり構えていたが、ここまで手術を受けず、服薬でお茶を濁していた私と検査結果に対して医師からは厳しいお叱りをいただくことになり、私はひたすら平身低頭であった。

さて手術を受けるには入院せねばならない。受けられる日程は早くて4月とのこと。年度初めの準備や入学式等の行事との兼ね合いで、4月第3週に決まった。

医療の進歩は素晴らしい。心臓手術が3泊4日で済んでしまうのだ。

それにしても、手術日前日に入院してからというもの、病院スタッフの“報連相”と連携は見事というほかなかった。ついスタッフの動きを仕事人の目線で見てしまうのは職業病だろうか。「何かあったらナースコールで呼んでくださいね」という言葉に甘えてあれこれ言う私のわがままを真剣に聞いてくださり、判断困難な場合はその都度必ずドクターに確認し指示を仰ぐ徹底ぶりにはただただ感心するばかりである。

命を預かる職場、責任感と緊張感の中、どんな場面でも笑顔を絶やさず、懇切丁寧に対応してくれる姿はまさに白衣の天使(最近は白じゃなくてカラフルだけれど、それにこの言い回しも古いなあ)。手術(私が処置を受けたのは「検査室」だった)に向かう途中、そして手術台の上でも、まさに俎板の鯉となってドキドキしている私にかけてくれる「がんばりましょう」の明るい声や、リラックスしたスタッフの笑い声(私を安心させるためであろうが)にどれだけほっとしたことか。

術後のケアについても、1時間ごとに体温や血圧、傷口の確認に来られて、その度に「何度もすみません」と言われる。いやいやそれはこちらのセリフですって!4日間携わってくださったスタッフの皆さんには感謝しかない。 

今回の入院では週休日を含め9日間お休みをいただいたが、その間の校長職務は全て教頭先生に代行していただいた。どの学校にも“教頭”という素晴らしい参謀が配属されているが、高千穂中学校にもすこぶる有能な教頭がいる。留守を任せても安心であるということも、手術を決断する強い後押しとなった。教頭先生にも感謝である。 

初めて入院してみて、改めて学んだことが4つある。

一つめは、報連相の徹底。学校現場で常に口癖のように言っている「連携と報連相」はまだまだ密にする必要があるし、できるのだと感じた。

二つめは、入院中に読んだ刊行物『中学校 №847』29ページ下段中ほどに書かれている言葉である。「…人の力を借りることを学んだ。…これを他力と呼んで、他力を集められるようになったら、それは幸せなことだ…」

教頭をはじめとした先生方、保護者の皆さま、公民館長さんをはじめとした地域の方々…、他力なしでは学校経営は成り立たないではないか。

三つめは、周囲の方々への感謝を日頃から忘れないこと。そして、感謝の気持ちをきちんと言葉で伝えること。今回多くの方々に支えられ、その温かさやありがたさをベッドの上で痛感した。

最後は、健康のありがたさ。

『自分を大切にするひとに』と生徒に説いておきながら、私は私を大切にできていなかった。

「なんでこんなになるまで放っておいたんですか」と叱られて、私は主治医に謝ったけれど、本当に謝らなければいけなかったのは、私自身にだった。不規則なリズムを刻みながらも私を仕事に向かわせてくれた心臓に、身体に、よくここまでがんばってくれたと、今ここにこうしていることが奇跡なのかもしれないと。

助けていただいた命を大切にし、これからの校長職務を全うし、生徒にとってより安心安全な学校経営に取り組んでいきたい。

【校長室】令和6年度第78回入学式

式辞 

桜の花びらが風に舞い、葉桜の緑がさわやかなこの佳き日に、高千穂町長 、高千穂町教育委員会教育委員をはじめ、多数の御来賓の皆さまの御臨席を賜り、高千穂町立高千穂中学校第78回入学式を盛大に挙行できますことは、この上ない喜びであります。高いところからではございますが、心より感謝申し上げます。

さて、77名の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日から皆さんは高千穂中学校の一員となりました。私たち教職員・在校生一同皆さんの入学を心待ちにしておりました。皆さんはこれから、先生方や先輩たちと一緒に中学校生活を送りながら自分の進む道を自分で決め、それぞれの夢に向かって力強く踏み出していく準備をしていきます。誰もが通ることのできる同じレールがあるのは中学校までです。日本の法律に定められた『9年間の義務教育によって学ぶことができる』という環境は、皆さんにとっては至極当然のように思えることかもしれませんが、『社会を生き抜くための確かな力をすべての人々が 均等に身に付けることができる仕組み』であり、世界的にも優れたシステムでもあります。「これからの3年間の中学校生活をどのように過ごすかで皆さんの人生が一人一人違っていくとともに、大きく変わっていく」ということを自覚してください。中学校という全く新しい環境、新しい仲間、そして新しい生活様式等、心配や不安があるかもしれませんが、焦らず一歩ずつ前進し、小学校で培ってきた力を、ここ高千穂中学校でも大きく花開かせてほしいと願っています。そして、3年後の旅立ちの時、「高千穂中学校で学んでよかった」と実感できるよう、充実した中学校生活を送ってください。

そのために、皆さんにお伝えしたいことが二つあります。まず、本校の教育目標です。

「心豊かで知性にあふれ たくましく伸びる生徒の育成」

 これは、自分自身はもちろんのこと、周りの人も大切にし、自分の『夢実現』に向けて、主体的に学習し、行動しながら、成長し続ける生徒になってほしいということであります。

次に、めざす生徒像ですが、本校では三項目掲げています。

一つ目は、「多様性を理解し、自他を認め、思いやりをもって接する生徒」です。

人は一人では生きていけません。支え合って生きています。学校では集団生活を学びますので、仲間を大切にしてください。

二つ目は、「主体的に行動し、志(ゆめ)叶うまで挑戦する生徒」です。

これから自分の『夢実現』に向けて、一歩ずつ確実に前進していくために、己の志(こころざし)をしっかり立て、学習し、知識を得、それを活かして課題を解決する方法を、自分で、そして仲間たちとともに学んでください。

三つ目は「GLOCAL精神をもち、ふるさとを大切にする生徒」です。

まちを歩けば、海外からの観光客を見かけない日はありません。ここ高千穂は、今や世界から注目されている場所だということです。日本でも屈指の美しい自然に囲まれた素晴らしい環境で生活できていることのありがたさに気づいてほしいと思います。また、年間を通して、学校行事や部活動等において、地域の方々のお力添えをいただくことがたくさんあります。周りの支えや温かさを肌で感じることのできるコミュニティに見守られていることに感謝し、地域社会に貢献する気持ちをもってください

さあ、皆さんは、今日から中学生、大人への第一歩を歩み始めました。

時には、保護者や先生からの言葉に反発したくなることもあるでしょう。それは、思春期を迎え、自我意識が高まり、「自分でできる」という気持ちが大きくなってくるからです。それは皆さんが成長しているという証でもあります。~だからといってやたらに反抗していいということではありませんが~心もからだも大きく成長する3年間にぜひ、いろいろなことにチャレンジしてください。時には失敗したり、「無理かもしれない」と消極的になってしまうことがあるかもしれません。けれど失敗の中にも学びや気づきはあります。「日々を生きていること」そのものが学びであるといってもいいでしょう。そして何より、皆さんには可能性があります。その可能性を引き出すのは、先輩たちや地域、保護者の方々、そして、わたくしたち教職員です。ですから、皆さんには臆することなく挑戦していってほしいと思います。本校の先生方は皆さんの挑戦をしっかり見守り、導いていく指導力をもった方ばかりですので安心してください。 

社会情勢は、日々急激に変化しています。今日の正解は明日の不正解かもしれません。過去を振り返りながら未来を見据えて変化し続けることが、今の学校にも必要です。その考え方の基本を、先輩たちはしっかりと身に付けています。伝統を継承しつつ、新入生の皆さんのもつ新しい感覚をさらに融合させ、「令和6年度の高千穂中学校スタイル」をともにつくり上げていきましょう。そして、高千穂中学校の一員として、気概をもって、自らを誇れる人となってください。

 改めまして、保護者の皆さま、本日は、お子様のご入学、誠におめでとうございます。わたくしたち教職員は、お子様の限りない可能性を大切にはぐくみながら、保護者の皆さまとしっかり連携し、地域の方々とともに、「高千穂の宝」であるお子様の力を最大限に伸ばすよう、精一杯努力してまいります。何卒、皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

結びに、本校の教育に多大な御支援・御協力をいただいております御来賓の皆さまに、感謝申し上げますとともに、新入生77名の健やかな成長と活躍を願い、式辞といたします。 

    令和6年4月9日

高千穂町立高千穂中学校  第31代校長 金丸 智弘

【校長室】令和6年度第1学期始業式

 校長挨拶

 皆さんおはようございます。いよいよ今日から新年度が始まりました。この一学期の始業にあたり、皆さんに「めざす生徒像」を紹介します。

 このめざす生徒像というのは、皆さんに“こういう生徒になってほしいという「願い」、または「目標」のことであります。

高千穂中学校のめざす生徒像は、

① 多様性を理解し、自他を認め、思いやりをもって接する生徒

② 主体的に行動し、志(ゆめ)叶うまで挑戦する生徒

③ GLOCAL精神をもち、ふるさとを大切にする生徒

以上の三つです。

 この具体的な意味は、入学式でお話ししますので、それまで、皆さんなりによく考えてみてください。

 さて、コロナが沈静化し、私たちの生活様式において、様々なことに変化がもたらされていますが、新しい学年が始まります。皆さんはどのような目標を立てましたか?人それぞれでしょうが、「昔はどうだったかな」と過去を振り返りながら、今をどう変えるかということも大切ですが、“未来を見据えて変化し続けることも、さらに大切なことだと思っています。と言いますのも、皆さんはこんな話を聞いたことがありますか。

 ある国で、村人たちが村を行き来しながら暮らしていました。他の村から来た旅人が、村の入り口にいる門番に、「ここはどんな村ですか」と尋ねると、門番は「あなたが今までいた村はどんな村でしたか。」と聞き返します。旅人が「私の村は、ひどい村でした」と答えました。すると門番は、「ここもたぶん同じような村ですよ」と答えました。また、別の旅人が「ここはどんな所ですか」と聞きました。門番は、同じように旅人に聞き返したところ、その旅人は「私がいた所は、とても素敵な所でした」と答えました。門番は「ここもたぶん同じような所だと思います」と答えました。

 これだけの話なんですが、結局これからどのような村にしていくか、どんな所になっていくのか。これまでの過去とこれからの未来を、「今」とういうこの瞬間をどう繋ぐのかということであり、その節目が 「今」 であるということです。自分がどんな志(ゆめ)をもち、自分はどうありたいか。周りや他人とどう接していくか。皆さんが、自分ではっきりとした未来を想像すればするほど、やる気が引き起こされることが、心理学でも証明されています。未来を想像することで、目標に向かうモチベーションがより高まるということです。

 さきほど、3名の代表の生徒が、話をしてくれました。まず、新2年生代表の生徒は、「まわりには尊敬できる人がたくさんいる。そういう人たちのおかげで、学級が成り立っている」ことに感謝していました。次に、新3年生代表の生徒は、受験勉強を頑張ることを宣言しました。また新入生に対し、「この先輩についていきたい」と思われるようになりたいと最上級生としての思いを述べてくれました。そして、最後に生徒会代表の役員は、高千穂中学校をよくするために必要なこととして、学習態度とSNS3カ条、主体的に行動することの3つを掲げてくれました。代表の皆さんの新たな決意が感じられる発表だったと思います。

 最後になりますが、本日、皆さんは進級します。おめでとうございます。3年生は1年後どういった進路に進んでいるのか。そのための努力をしっかりとしてください。自分の進路は自分で切り開いていくことです。また、勉強だけではありません。卒業生から繋がれた高千穂中学校の「伝統を力に」どんな歴史をつくっていくのか期待しています。2年生は後輩ができます。後輩にとって模範となるようにしてください。そのために大切なことは、少しずつでも良いので自分自身が「成長していくこと」、そして、新たなことを「学ぶことから逃げない」ということです。学校は様々なことを「学ぶ」場所です。志を高くもって「学ぶ」ことを続けてください。学ぶということは自分が成長という変化を得ることです。志に近づいていくということです。来年、この一年間を振り返ったときに、今の皆さん自身と比べての成長を実感してくれることを期待しています。

【校長室】最終章

 校長としての一年間が過ぎた。2学期くらいからであろうか、校長としての日常にも慣れ、落ち着いて職務を果たす日が続いた。立場上様々な人との出会いがあり、挨拶を交わす機会も増えた。年度初めにコロナ感染症が五類に移行し、徐々にマスクを外す人が目立ちはじめた。人間の脳は優れており、目元だけで、マスクの下に隠れている鼻や口の形等を想像し、勝手に相手の顔立ちを作り上げてしまう。その結果、マスクを取ると別人と判断してしまうことも多々あり、地域で会っても素通りしてしまうことも少なからずあった。そのため、およそ2倍の人を覚える必要があり、正直苦労した。さすがに最近では、顔も名前もずいぶん覚えることができ、当たり前のように日常会話をすることができるようになった。

 さて、卒業式、異動内示、県立高校入試合格発表、修了式、校内人事、離任式等々、この年度末は予想以上の慌ただしい日々が続き、気持ちの整理がつかぬまま、令和6年度を迎えた。8名の教職員をお送りし、新たに7名の方々をお迎えした。全国的な少子高齢化減少は、この高千穂町にも大きな影響を与え、生徒数の減少や私立中学校への転出のあおりを受け、学級数は変わらないものの、教職員数は令和5年度より減ってしまい、先生方は負担増となってしまった。私は今年度で役職定年となる。人生の節目、セカンドライフをどう楽しむか。やりたいことがあり、夢を描くだけでワクワクするが、まずは最終年度、校長としての責任を果たすべく、教職員一同、現実を真摯に受け止め、気持ちを切り替えて、みんなで力を合わせて学校運営に取り組んでいきたい。幸運にも、本町の小中学校6校の校長先生方は全員留任である。心強い同士とともに令和6年度を乗り切っていく所存である。

第31代校長 金丸智弘

【校長室】卒業式を前に

 明日第77回卒業式を実施する。これまで何回も卒業式に参加してきたが、第3学年学級担任としての卒業式は、2回しかない。1回目は出席番号1番の氏名点呼途中ですでに泣き崩れ、その後悲惨だった(他からは史上最高の卒業式だったと言われるが)ことを覚えている。もちろん、一番の生徒の名前は、今でもはっきりと覚えている。2回目は6年前で、昨年成人を迎えた子供たちである。そして今回、管理職しかも校長という立場で参加することになる。定番の衣装であるモーニングは父から譲り受けたが、上半身が入らずレンタルで準備した。

 ところで、卒業式の礼法指導と言えば、3年の先生方や保健体育科、生徒指導部の先生方が中心となって行いがちであるが、本校では生徒主体で練習をさせた。学年での予行練習を重ねながら、時折顔や口を出し、少しずつ修正していった。その中で感心するのは生徒の取り組む姿勢である。集団行動が行き届き、場の力が根付いている生徒たちにとって、各所作を身に付けるのは造作もないことのようである。細かな指導を加えても即実践し、対応できる力がある。あとは、卒業式当日、本来の力を十分に発揮できるかである。そもそも生徒の能力はあるものの、教職員の指導が熱心すぎて至れり尽くせりである本校。いつのまにか教職員の顔色をうかがいながら行動するような場面も・・・。「指導どおりに動くことはできるが、生徒主体の動きができない。」これが本校生徒の大きな課題であった。そのため、1年間かけて、生徒が主体となって活動する機会を増やし、生徒の失敗に対し、叱責ではなく成功への導きを中心とした指導をするよう、先生方にお願いしてきた。おかげで様々な場面で生徒の活躍を目にすることが増えた。時には、教師の意にそぐわない行動もあるが、それも成長の一過程と捉え、見届けながら指導に生かすか、それとも、以前のように教師主導で生徒の主体性を後退させるか。それは、本校教職員の心構え一つである。少なくとも生徒の成長する機会を我々教職員の主観や都合で奪うわけにはいかないようにするのが、校長の職務の一つである。

 そういう観点から、生徒主体の式練習を推進したところ、予行練習はなかなかのできばえであった。当日は、およそ28名の来賓がお越しになる。その人数を3年生に伝えたとき、歓声が上がったことにびっくりした。3年生も多くの地域の方々に晴れ姿を見てほしいようである。私も生徒の名前を読み間違えないように、そして授与のタイミングや式辞の読み方等、多くのことに気を配りながら、卒業式当日を迎えたい。生徒にとって、保護者にとって、地域の方々にとって思い出に残る卒業式ができると確信している。

【校長室】新たに

以前

 先日、立志式を実施した。この「立志式」とは、中学2年生が、日本において古くから伝わる「元服」にあたる儀式を行い、一人の人間として『志』を立て、人生の方向性とそれを成し遂げるために、自身の将来を設計する式である。コロナ禍の3年間は、規模を縮小し、総合の時間に生徒主体の運営で実施していたが、昨年度5月にコロナが5類に移行し、学校における行事等、様々な教育活動の見直しがされている今、この立志式の実施方法についても第2学年が中心となって検討を重ねた。全てをコロナ以前の実施方法に戻す必要もないが、儀式的行事であるため、来賓の御臨席を賜り実施した。

 ところで、令和7年度には上野中が高千穂中に統合される。その準備を少しずつ行っているが、同じ町内の中学校とは言え、それぞれの学校文化は異なる。一つにまとめていくのは決して容易なことではないが、働き方改革やコロナ感染症の5類化移行により、コロナ「以前の」学校生活にほぼ戻り、教育課程の見直しが加速化している今、「新たな学校づくり」の良い機会であるとも言える。ただ、学校教育の現場は、前年踏襲をする傾向が依然として根強く残っているのは否めない。学校現場はなぜそんなに「以前」にこだわるのか。「以前」がすべて正しいわけでもない。むしろ、教師の負担軽減を図ろうと、全国で「働き方改革」に向けて様々な取組を行っているにもかかわらず、「以前」のような計画を企画・立案し、何とか実施しようと試みてしまう傾向がある。あたかも「以前」のように実施することが正しいとしているかのようである。実際、現中学生は「以前」の中学校の行事をほとんど知らないので、この3年間中止されていた教育活動はそもそもないものとして、また、縮小されていることは、それが「通常」と捉えている可能性が高い。そういう観点からも、「以前」を植え付けられていない現中学生にとっては、「新たな学校づくり」は絶好のチャンスとも考える。

 私の学校経営上の視点は「生徒にとってどうなのか」である。学校における様々な教育活動を実践していく上で、我々教師の意向の前に、主役である生徒にとって有意義なものであるか、生徒の実態に応じているか、あるいは生徒の考えがしっかりと反映されているか等を重要視している。生徒は、様々な制約がある中で、どのようなことに注意して、どのようにすれば楽しく充実した学校生活を送ることができるのかという場面に何度も直面し、多くのことを学んできた。したがって、柔軟性や適応力は高くなっている。むしろ、過去にとらわれ、不易と流行になかなか乗りきれないのは教師の方ではないだろうか。次年度の教育課程を編成していくなかで、予測困難な時代を力強く生き抜くことができるように生徒を教育していくためには、思い切った改革が必要であり、それが、上野中との統合後、「新たな学校づくり」を目指す令和7年度の基盤となると言える。

 さて、上野中との統合が報道されてから、統合後の学校生活がスムーズに行われるように、本校と上野中の生徒会が交流をはじめた。上野中は令和6年度が最後となる。閉校に向けて何かと忙しい日々が続くと予想される。高千穂中としては、統合後のことを考え、様々なことを準備しておく必要がある。統合後は、「以前」が通用しない。何を引き継ぎ、何を残して、何を新しくするか、両校のよさを取り入れた「新たな学校」をつくっていきたい。修学旅行こそ、小中学校それぞれ合同で実施されてはいるものの、校舎、教員、学級、部活動等々、交流を計画してとは言え、統合への不安は少なからずあると思われる。さらに、地域や保護者はどうなのか。これまで引き継がれてきた伝統や慣習等、意識や感覚の違いもあるのではないか。それぞれの想いに耳を傾け、お互いの「こうあるべき」という想いの違いを確認し、少しずつそろえていきながら慎重に合意形成に取り組んでいきたいと考える。

【校長室】命

大切なもの

 長女から、シンガポールの友達Nが新婚旅行で宮崎を訪れるという連絡が届いた。Nは長女と同じ年齢で、高校時代に留学生として受け入れたことがある。それが縁となり、2012年、2017年に続き今回3度目の来日となる。その間、長女もシンガポールに旅行し、N宅にお世話になるなど交流が深まった。そして今回、自身の結婚報告を兼ねて本県旅行を決意したとのことである。二人に同行したNの姉や私の長女夫婦も来県したので、思い出に残る旅行になるようにと私なりに思いを巡らせた。ただ、綿密に計画を立てすぎると、定番化された観光や食事になり、来日(県)者が、ただ設定された舞台に立つだけの“通過儀礼”のような体験になってしまい、唯一の思い出にはなり得ないと考えた。お膳立てされたものより、最小限度のレールのみ敷いて、その後は来客者自身に考えてもらい、その時の気分に任せてみた。焼肉店での注文をはじめ、自宅で振る舞った鳥のタタキ、刺身、およそ1時間待った辛麺、おせち料理等の食事、高千穂峡や天安河原の長い階段や坂道、高千穂神社等の神前での所作、雨の中のアマテラス鉄道グランドスーパーカート等々の観光、成り行き任せの体験は意外にも好評であった。それぞれの体験の本質的な意味や価値を体感していただくことで、観光という地域の“命”、食事そのものの“命”を十分味わうことができたのではないか。そもそも体験は既知と未知との間で新たな発見があったり、自身の価値観の変革や自己の新たな覚醒を実感したり、貴重な出会いやさらなる知識習得の自覚が大切である。私なりのおもてなしは、その成果を十分に発揮したのではないかと思う。そして12月30日に宮崎入りした彼らは、令和6年1月2日の正午過ぎ、次の旅行先へ旅立った。そう、羽田空港での航空機事故が発生する直前だったのである。

 新年早々、地震による災害や航空機事故等で、多くの貴重な命が失われた。メディアによる連日の痛ましい報道には、胸が痛くなる。日本は周囲が海囲まれた島国である。季節があり、四季折々の自然から尊い恵みを受けている。その反面、地震等の自然災害のリスクも多い。九州の中央部に位置している高千穂町では、地震や大雨、台風、大雪等による災害が予想される。したがって、学校施設は大規模災害等に際し、第一に生徒や教職員の安全確保と同時に地域住民の避難所として果たすべき役割を担っていることから、避難生活や災害対応に必要な機能を備えることも求められている。しかし、本校は高千穂峡の真上にあり、土砂災害危険区域に指定されている地区でもあるため、その機能を果たしていない。数年後には中学校の移転新築も計画されているが、時間や場所を選ばず発生する自然災害に関する危機管理は特に重要である。学校保健安全法に基づく「危機管理マニュアル」の作成には力が入り、避難訓練の実施には緊張が走る。そして訓練後の反省を次に生かして、マニュアルの内容を毎年更新してはいるものの、果たして実際の災害時、それを生かしきることができるのかがカギなのである。

 被災した石川県へ支援物資を運搬しようとした海上保安庁の航空機が日航機と衝突し、海上保安庁の隊員の尊い命が失われた。とても悲しい事故である。一方、日航機は一人の犠牲者を出すこともなく(ペットの命は失われたが)、全員脱出することに成功した。今回の事故では、避難経路等の確認の際、機長と交信ができず、コクピットから機内への連絡もほぼ途絶えていたとのこと。「緊急時のブザーが何回かにわたって繰り返し繰り返し鳴っていたので、操縦室からも連絡をしたかった。コンタクトを取りたかったけれども取れなかった状況だった・・・」というように、乗客の安全な脱出は、CAの判断に委ねられる状況だったようである。でも、そのブザー音でJALのCAは、「これは緊急事態に違いない」と判断して、目視で火災状況を確認し、安全なドアだけを選んで開け、避難誘導を開始させたとか。その的確な判断と勇気ある行動力には感服するばかりである。結果的に全員無事で脱出できたということは、定期的な訓練や日常的に緊張感のある勤務態度が、最悪の状況下で最高の結果に結びついたのであろう。

 本校では今年度3回の避難訓練を実施した。私は「予想外を想定」して訓練に取り組むよう、教職員や生徒に意識づけている。災害発生等の緊急時に生徒にとって最も身近にいる現場の教職員が最善の判断をし、決断をくだし、行動できるよう、私を含め全教職員の危機管理能力を高めていくよう、人材育成に力を注ぐ所存である。諸先輩の校長先生方の危機管理能力には未だ遠く及ばないが、生徒ファーストの考えが全教職員一人一人に浸透するような学校経営を今後も心掛けていきたい。

【校長室】統合

それぞれの想い

 先日、出勤しようと玄関のドアを開けた。真っ白い霧が立ちこめ、朝7時30分にしては薄暗かった。校長住宅から『希望坂』を登って中学校前通りに出たところで、登校中の生徒に会った。生徒と挨拶を交わし、「今日は曇りですかね~」と話しかけた。すると生徒はこう言った。「いえ、おそらく晴れでしょう。高千穂の冬の朝は、こういう霧がたくさん出て、雲海になるんです・・・」と。よく考えてみれば、本校は標高300mを超える場所に位置しており、東京タワーの天辺とほぼ同じ。雲海が間近に見えても決して不思議ではない。しばらく歩き、学校の駐車場につながっている『未来坂』をくだっていると高千穂峡側の山に霧(雲?)が懸かっていた。その光景はとても美しく、一言では言い表せないほど見事な景色で、思わず何枚も写真を撮ってしまった。以前、本校職員からこういう話を聞いた。五ヶ瀬町の学校に赴任したある先生は、美しい雲海に心を奪われ、この地区から離れたくなくなり、ご自身が退職されるまで本地区での勤務を希望されたとのこと。その先生の気持ちがとてもよく分かる。

 さて、令和5年12月12日(火)付けの宮崎日日新聞に「上野中25年3月末閉校」との記事が掲載された。生徒数の減少により、平成21年に向山中、同27年に岩戸中、令和3年に田原中、そして令和7年(2025年)に上野中が閉校になり本校に統合される。地元の学校がなくなると、地域の活気が失われ、地域の方々はさぞ寂しい思いをされるであろう。それが母校であったらと考えると惜別の情はひとしおのことと推察される。全国的な「少子高齢化」は本町のような中山間地にとっては特に大きな課題である。現在、九州中央自動車道の整備が着々と進む高千穂町は、交通の便がかなりよくなっているため、周囲の方々が思うほど不便さは感じない。延岡市までは約40分、福岡でも3時間を要しないほどである。しかし、過疎化に歯止めはかからない。令和7年の統合は町にとっても、また地元住民の方々にとっても苦渋の決断だったであろう。この統合により高千穂町の中学校は本校のみとなり、正直校区はかなり広い。そのため、通学方法は過半数を占める高千穂小校区の徒歩通生、自転車通学生がわずか3名、それ以外の生徒はバス・保護者送迎が中心となる。自宅からバス停までの移動に時間を要し、中には一旦熊本県に入る生徒もいる。交通手段を駆使することで、どうにか1時間以内で登校できるようだが、バスの時間に遅れてしまうと大変なことになる。

 ところで、本校の生徒数であるが、12月の時点で240名が在籍する中規模校であるものの、上野中が統合されても大幅な増加の見込みはない。部活動は多く、軟式野球やサッカー等の10の学校部活動とバドミントンや弓道等の社会体育が3競技ある。この部活動等については、本年度から地域移行を含め、再構築を協議しているところであり、この活動に欠かせないのが、各公民館長で組織されている『高千穂中学校後援会』である。その役員の方々との会合の中で、「生徒は町の宝。子供たちが不自由なく活動できるよう、全面的にバックアップしたい。」というありがたいお言葉をいただいた。役員5名のうち3名は、地元の中学校の閉校を経験された方である。「子供たちの声を聞くことが減った」「校歌を歌うことがなくなった」等の話を聞くと胸が痛くなる。それらの悲しみを少しずつ乗り越えながら、今では高千穂中学校を支えてくださっている。生徒が一人もいない公民館区でも中学生を応援してくださっている方がいると聞く。「地域の子供は地域で育てる」ことを先陣切って実践されている方々であり、頭が下がる思いである。

 おそらく最後になるであろう、上野中との統合に向けての準備が、今後様々な方面からなされていくと思う。両校としても、主体である生徒が楽しく通うことのできる学校になるよう、最善を尽くしたい。数年後には本校新築・移転も計画されており、そのための準備にも少しずつ取り組んでいく必要がある。これまで統合された学校区の方々のそれぞれの思いを胸に、諸先輩方が築いてこられた「伝統を力に」し、新たな伝統を築いていきたい。

【校長室】宝

陰日向なく

 中学校移転計画が持ち上がってから、かれこれ十数年になると聞く。本校の校舎は、開校以来、敷地内移転や改修工事を重ねながら、本年度で77年目を迎えた。さすがに老朽化は否めず、ご存じのとおり冬の寒さは厳しく、夏は意外にも予想以上に暑い。特別教室のある校舎はエアコンがなく、授業を受けるには非常に厳しい環境である。また、本校は高千穂峡内のボート乗り場の真上に位置し、「土砂災害危険区域」でもある。さらに、平成20年度から順次実施された町立中学校の統合も、向山中、岩戸中、田原中が終了し、令和7年度に上野中との統合(予定)で完了となるため、いよいよ機は熟した感がある。そんな中、令和5年度になり高千穂中学校移転新築検討委員会が発足し、移転計画が具体的に進み始めたが、それでも、あと数年はかかる見込みである。

 日本型学校教育、6・3制=9年間の義務教育制度も、それ自体転換期を迎えつつあると思う。コミュニティ・スクールとして「地域の子供を地域で育てる『横の連携』」だけでなく、「各学年の『縦の接続』」も重要となる。課題はまだまだ山積みであるが、どのような新校舎になるにせよ、高千穂町の将来を担う子供たちにとって、より良い学び舎に生まれ変わることを祈るだけである。

 学校行事やその他様々な会議等の中で、多くの方々が本校生徒のことを「高千穂の宝」と言われる。それは、今年4月の新任式において初めて出会った全校生徒の衝撃(良い意味で)的な印象を味わった私にはよく分かる。整然と集団行動をこなす場の力だけでなく、普段の学校生活の中で、廊下での通りすがりに振り返りたくなるような清潔感、もう一声かけたくなるような爽やかな挨拶等など・・・。美点は枚挙にいとまがないが、それでも陰日向があるのが子供であり、時折は、地域からの苦情もある。そんな時先生方に意識していただいているのは、生徒の失敗やいわゆる「やらかしてしまったこと」に対し、叱責やペナルティーを主とした「指導」ではなく、何故そうしたのかの振り返り、どうすべきだったのかの思考・判断、そして今後繰り返すことのないよう、子供たちを導くという「教育」を実践することである。時間のかかることであり、決して楽な道ではないが、子供たちをしっかり教育していくということは、我々教育者としての腕の見せ所であると当時に、教師としてのプロ意識の向上につながると考える。何より子供の成長した姿を見ることは一番の喜びである。

 11月下旬のある日の午後、出張から帰る途中の光景である。折しも高千穂町内は、神楽の真っ最中で、本町メインストリートである「神殿(こうどの)通り」は、紅白棒や紙垂(しで)で華やかに飾られ、多くの観光客に交じって一部の本校生徒が下校していた。その中の一人の女子生徒(おそらく1年生)が、信号機付の横断歩道を渡ろうとしていた。歩行者専用信号機は青であるが、左折や右折しようとする車を確認しながら渡ろうとしていた。私は右折の際、停止して、生徒の横断を促した。生徒は安全確認ができたため、横断歩道をそそくさと渡った。渡りきると、その生徒はこちらを向いて深々とお辞儀をした。歩きながらの礼ではなく、きちんと立ち止まり、私の方を正面(いわゆる私にへそビームを向けて)にして、深々と礼をしたのだ。歩行者優先の横断歩道で車が停止するのは当然のことにもかかわらず、丁寧に感謝の気持ちを伝えてくれたのであろう。保護者や教師が見ていない場面でも、こういう態度のできる生徒を私はとても誇らしく思う。そして、当たり前のように感謝の行動をとれる健やかな子供に育ててくださった保護者や小学校の先生、そして地域の方々に頭が下がる思いである。前校長が在籍の際、本町観光で訪れた方々が同じような場面に直面し、いたく感動され、その思いを手紙と電話でいただいたことがあったそうだ。人の見ている所と見ていない所での言動が変わらず、我々教師が目指す模範的な生徒を目の当たりにして、これまでの教育に間違いはなかったのだという確信と、これからの教育に対する自信と勇気を再確認するとともに、何より高千穂の明るい未来を垣間見ることができた出来事であった。

【校長室】NEW FACE

初期研修

 「雇用は、会社で最も大きな経費」という。雇用した社員に60歳までに支払う賃金は、およそ2億円にのぼるからだとか(仮にその社員がとても優秀で、会社にとって有益な影響をもたらす場合は、その経済効果も計り知れないだろうが・・・)。そのため、会社にとって不利益を被ることがないよう、入社試験も厳しいし、入社後の研修や配置先での人材育成にもかなりの労力を注ぐと言う。その点、学校は民間企業ほどの厳しさはないと私は思うのだが、近年、教員志望者が減少しており、学校は常に人材不足に悩まされている。そういう時代背景をよそに、今年度、本校には2名の初任者が赴任した。初任1年目からのリタイアもめずらしくない中、その2名は即戦力となりうる人材であったことに感謝している。

 年度当初に校長としての学校経営方針を全教職員に伝えた。本校の教育目標である「心豊かで知性にあふれ たくましく伸びる生徒の育成」を具現化するために、学校全体としての施策をもとに、各学年や各校務分掌がどのように取り組めばよいのか、その方針を打ち出した。その方針が揺れることなく、且つ、文科省はもとより、県、町、学校がもつ価値観を全教職員と共有することで、モチベーションが上がり、組織への所属意識も高まると考える。初任者も同じであり、これにより、組織間で発生しがちなコミュニケーションギャップもなく、「なんでこんな仕事しているのだろう」「なんの為に働いているのだろう」というようなネガティブシンキング現象も発生しないのではないか。二人の初任者は、授業力や諸問題への対応力こそ、経験豊富な諸先輩方にはかなわないものの、社会人としての心構えがよい。学生から正式採用されるということは、勉強を教えてもらう立場から、自身の価値を提供してお給料をいただく立場に変わるということである。これには大きなギャップがあるので、心をしっかりと転換させなければならない。本校の初期研修におけるOJTでは、業務やスキル等を詰め込むだけの研修にならないよう、初期研担当教諭の計画のもと丁寧に進めていただいた。おかげで、二人は教師スタイルはほぼ正反対ではあるものの、各学年主任のもと、これまで順調に育ってきており、日々頼もしくなってきている。一人は、繊細かつ大胆な性格で物腰が落ち着いており、自分の意見をしっかりもちながら、それを表現することができる。それでいて、自分の意見に固執せず、先輩や管理職の助言・指導に対して、素直に受け止め、それを実践できるところが彼女の強みである。いろいろなことに悩みながらも同僚や初期研担当の職員に相談しながら壁を乗り越えたり、困難なことを一つ一つ解決しており、期待の初任者である。もう一人は、陽気な性格で誰からも愛される要素をもっている。好奇心旺盛でやる気に満ちあふれ、何事にも物怖じせずに積極的に自分から取り組んだり参加できたりすることが強みである。とても慎重な面がある一方、大胆な面もある。また、自分の考えを曲げない強い信念をもちつつ、管理職などの話を前向きに捉えることができることが彼自身の武器であり、今後期待のもてる初任者である(教頭談)。このように、二人とも根幹にある心がきちんと転換されているのがわかるし、当然、社会人としての基本的なスキルも身に付いている。

 さて、この基本的なスキルと言うと、言葉遣いや身だしなみ、電話応対、接客といったマナー等が頭によく浮かびがちである。これらも確かに大切であるが、私が考える最も重要なスキルはコミュニケーション能力である。学校では、生徒はもとより、保護者、他の職員といった「人」との関わりが多く、コミュニケーション能力が必然的に求められる。立場が大きく変わる以上、コミュニケーションのスタイルも大きく変える必要がある。特に、相手や周囲への配慮が大切である。SNS上では冗舌に話すことができても、対面になると途端に話せなくなるといった場面もよく目にする。その点、本校の初任者はあまり心配していない。一人はそれほど口数が多い方ではないが、報・連・相に長けている。もう一人は周囲とよく会話をし、コミュニケーションをとることが得意である。自らの失敗においても、そのままにせず、次の対応に全力を注ぐ。初期研修において本格的な研修に入る前に必ず身に付けておいてほしいスキルである。

 これらの社会人としての心構えを踏まえた上で、コンプライアンスを徹底することも欠かせない。初任者の場合、コンプライアンスへの認識が薄い傾向があり、「気づかずにやってしまった、違反していた」といったことが起こり得る。本校は、「個人情報に関すること」「言語環境に関すること」「交通安全に関すること」の三つを校内コンプライアンスの重点事項に掲げている。長年かけて培ってきた地域や保護者の方々からの信頼やイメージも一部の教職員の数秒の過ちで崩壊しまう。その堕ちた悪いイメージを払拭するのはとても困難であり、長年を要する。初任者はもちろんのこと、全教職員にコンプライアンスを徹底しなくてはと考える。

 2年間の初期研修のうちの1年目がもう少しで終了する。経営資源の一つと言われる「知的財産」として、二人の初任者を今後も大切に育て、彼らの資質・能力の向上のためにさらに充実した研修を実施したい。予測困難な変化の激しい社会を力強く生き抜く生徒を育成することが大きな目標として掲げられている時代において、我々教師の役割はますます重要である。だからこそ、初期研修をはじめとする様々な研修による人材育成は最重要事項ではないか。どのような施策も、実践するのは結局「人」であるから。

【校長室】APPEARANCE

「Appearance(見た目)」

 本年4月に3年生の生徒会役員を中心に「校則検討委員会」を立ち上げ、7か月が過ぎた。これまで、現行の校則に関する様々な意見を吸い上げ、同委員会が検討し、必要に応じて変更に向けての協議を重ねてきた。頭髪、制服(着こなし方や女子のリボン、防寒着を含む)、通学靴、雨天時の服装、通学鞄、セカンドバッグ等、多くの校則に関する提案事項について変更された。保護者からの要望もあり、現時点での変更点を文書にてお知らせしたところである。

 ところで、近年“ブラック校則”という言葉をよく耳にする。以前は「部活動で水を飲んではいけない」など、いかにも昭和の香りがするものも存在していたが、こうした校則は現在の人権感覚からすると理不尽なものや社会的常識とはかけ離れた不合理な校則が多く、生徒個人の尊厳を傷つけたり、ハラスメントに該当したり、場合によっては健康を害する可能性もある。しかも性質上、生徒が選択できる余地はほとんどなく、納得がいかなくても従わなくてはいけない傾向が強かった。そういう点に疑問を抱く教師は昔もいたし、私もその一人である。4月に本校に赴任した際、昨年度から校則検討が話題になっていることを聞いたが、まだ整理されておらず、職員間での共有がなされていなかったこともあり、現生徒指導主事が立ち上げたのが、この校則検討委員会である。

 そもそも、校則は何のために必要なのかと考えると、結論から言えば、「昔は必要だったから」であろう。そう、現代とは違う、昭和の時代背景である。学校という集団生活をする場において、当時指導力の低かった私が、効果的に効率よく生徒を動かすためには、校則は正直欠かせなかったように記憶している。80~90年代の校内暴力全盛期には、今では想像ができないくらい、学校が荒れに荒れていた。この件については、生徒指導主事を10年経験した私も、諸先輩たちからよく聞かされた。テレビドラマでもそういう問題を題材にした番組が流行ったのも事実である。そして、関係機関や地域等と連携した様々な対応により校内暴力と言われる諸問題が減少したにも関わらず、校則の大幅な見直しに本腰入れて取り組まなかった。そのため、現代の感覚に合わなくなっているのが現状である。“ブラック校則”が話題になり、校則が不要ではないかと思われ始めたのは、それだけ学校が平和になったからではないか。昨今の学校現場ではネット社会によるいじめなどは存在するかもしれないが、校内暴力の件数などは激減している。言い方は少々乱暴かもしれないが、生徒がバットでガラスを割って暴れただけで全国ニュースになる時代である。そういう点からも、校則検討委員会の発足はタイミングが良かったし、物価高騰の煽りを受けて、制服や学校指定のバッグ、通学靴等が軒並み値上がりしたことも校則検討を加速させ、保護者の理解を後押ししてくれたのではないかと思われる。

 さて、先日校内研究の一環で本校職員の授業を参観した(詳細は、本校ホームページ「校内研究コーナー」を)。生徒のおよそ8割がカーディガンを着用していた。実は、このカーディガンについては、昨年度まで着用が認められていなかったようで、今回校則検討委員会で協議され、許可された(当たり前のことであるが)。同委員会は黒、紺、白、灰等、華美でない色を指定したが、極めて紺色の着用が多い。白のワイシャツやブラウスにカーディガンはよく映える。白色が際立ち、清潔感に溢れ、ただでさえ素直で純粋な本校の生徒たちは、着こなしもよく、気品さえ漂わせている。生徒主体の校則検討委員会は、本来の目的を失うことなく、その効果を十分に果たしているようである。

 話は変わるが、「喋りはうまいのに信用できない人と、口数が少ないのに説得力にあふれた人の差はどこにあるのか。すべてを左右しているのは『見た目』だった!顔つき、仕草、目つき、匂い、色、温度、距離等々、私たちを取り巻く言葉以外の膨大な情報がもつ意味を考える。心理学、社会学からマンガ、演劇まであらゆるジャンルの知識を駆使した日本人のための「非言語コミュニケーション入門・・・。」これは、竹内一郎氏作品「人は見た目が9割」(新潮社出版)という本の紹介文である。そしてこの本の裏付けとして言われてきたのが「メラビアンの法則」。この法則は1971年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校の心理学者であるアルバート・メラビアンが提唱した概念で、人が言語・聴覚・視覚から得られる情報のうち、どれがどの程度優先されるかを確認したものである。この研究によると、コミュニケーションには「言語情報7%」「聴覚情報38%」「視覚情報55%」の割合で影響しているとのこと(Wikipediaより)である。この研究は「見た目が何より大切だ」と結論づけているわけではないし、見た目だけでその人本来の性格や考え等、心の中まで理解できるものでもない。ただ、「第一印象は最初の3秒で決まる」とも言われるように、身だしなみを整え、「見た目」を良くすると、初見で相手に好印象を与える。特に高校入試を含め、面接という人の選考手段がある現代社会において「見た目」を軽視するわけにはいかないと私は考える。

【校長室】神話と伝説の里

「天地神人」

 高千穂町に赴任して、7か月が過ぎた。この地で学ばせていただいたことはたくさんあるが、神社におけるマナーもその一つである。多くの神社が存在するので、各種礼法や所作を見る機会が増えたのは明らか。参拝者が身と心を清める「手水舎(ちょうずや・てみずや)」、玉串奉奠、二礼二拍手一礼、歩行箇所等、自分なりにあらためて学習している。大祭等へ招かれることも多く、その都度目にする宮司の所作はやはり本物。一度や二度見ただけでは気がつかないところまで、目に見えてくる。私自身何となく以前よりも背筋がピシッと伸びているような気がする。この高千穂にはたくさんの神社があり、たくさんの神様がおられる。これだけ多くの神様がいらっしゃるのは、言うまでもなく高千穂が日本神話の舞台であり、そこに登場する神々の足跡がいろいろなところに残っているからである。また、深い山々や森、澄んだ川の水や流れ、どこからともなく吹き渡る風等、人の力を超えたものの存在を身近に感じられるところだからこそ、神への信仰心が人々に根付いているのだと思う。高千穂の人々は、願い事があるときばかりでなく、普段から人に会えば挨拶を交わす。気負いなく自然に、そして真摯に神に祈りを捧げる。人々にとって神様は、日常の暮らしと深く結びついた心のよりどころであるように感じる。『古事記』『日本書紀』に記された天岩戸(あまのいわと)伝説を伝える天岩戸神社、『続日本書紀』にて「高千穂皇神(たかちほすめかみ)」と記された高千穂神社、槵觸(くしふる)神社、荒立神社等、江戸時代には5戸に1社の割合で神社が存在していたという記録がある。現在も、氏神様が100以上、その他の神を合わせると500社近くあるという説もあり、いつもは鎮守の杜で人々を見守っている氏神様が年に一度、村人の家にお来しになり、人とともに舞い遊んで、一夜を楽しまれるお祭りが「高千穂の夜神楽」である。この夜神楽は、11月下旬から翌年2月までがシーズンである。それぞれの地域社会の中で、ご先祖様から子へ、先輩から後輩へと代々受け継がれているもので、地域の保存会の方々が指導にあたっている。

 話は変わるが、本校の文化祭は「紅葉祭」と呼ばれている。国語弁論や英語暗唱・弁論の発表、合唱コンクール、吹奏楽演奏等、内容は他の中学校とほぼ同じであるが、一つだけ本校ならではの特色がある。それは、地域伝統芸能である。神楽をはじめ、棒術、なぎなた、民謡、注連縄(しめなわ)や彫(え)り物づくり等を地域の保存会の方々を講師に招いて、総合の時間に合計10時間学習する。コロナ禍以前は、この紅葉祭で披露していたようであるが、ここ3年間は実施していなかった。そして、コロナ禍が開けた今年度、紅葉祭への観客等の入場制限を撤廃し、保護者はもとより、地域の方々にも広く案内し、たくさんの方々に観覧していただこうと、手狭であった会場を町武道館に移した。それと同時に地域伝統芸能についても、披露を再開した。実行委員会や教職員は企画・運営等、初めてのことや久しぶりのこともあり、大変だったと思うが、学校運営協議会をはじめとする来賓の方々やたくさんの地域の皆さんにも見ていただける機会がつくれたことを嬉しく思う。子供たちは「飛翔 ~音に乗せて個性よ羽ばたけ~」という素敵なテーマを掲げてくれた。予測困難な世界に、勢いよく羽ばたいていくための後押しをしてくれるのは、子供たちの笑顔と活躍、我慢や勇気である。地域伝統芸能を披露するのは4年ぶりの企画で、実行委員会や生徒会、学習部の先生方は、かなり頭を悩ませたのではないかと思う。10時間という短時間でどれくらいクオリティーを高められるかと不安が頭をよぎった。予想どおり、アンケート回答の中には一部厳しい意見もあったが、概ね好反応であったと私は思う。10時間の学習時間だけでなく、当日まで協力してくださった講師の方々には本当に頭が下がる思いである。課題はまだまだ残されているが、困難なことは承知の上で、「メリットを大いに生かし、できることを前提に精一杯頑張る」という関係者すべての力が、今年の紅葉祭に繋がった。人それぞれ、いろいろな個性があり、意見の違いや思いどおりにならないことがあるのは、学生時代も社会に出ても同じである。今置かれている環境の中で、仲間とどう協力して、それぞれの「個性を羽ばたかせる」かは、生きる上でとても大切なことだと思う。

 天孫降臨の聖地として日本建国にちなんだ神話と伝説が今も息づき、そこかしこに神々の気配が感じられるこの地に住む子供たちは高千穂町の宝である。飛翔というスローガンのように、さらに羽ばたいていけるよう、今後も様々な手段を講じていきたい。

【校長室】不易と流行

私の考える「不易と流行」

 私用で東京へ行った。4か月ぶりの飛行機だった。スマホによる自動チェックインをはじめとし、空港が年々自動化されているのは分かっていたが、コロナによる制約がほとんど解除されたこともあり、羽田空港のハイテクはフル稼働であった。これまで機内へ持ち込んでいた荷物も今回は預けた。宮崎空港では、これまでどおりカウンターでの対応だったが、羽田空港では、「自動手荷物預け機」を利用した。これでまた一つ、人間による仕事が減った。お店のレジも半数以上が自動化されている。当初扱いが心配されていた高齢者の方々も手慣れたものである。2015年に発表されたオックスフォード大学などの調査結果では、今後10〜20年の間で現在の約半数の仕事が消える可能性があるとのことである。私は教員になる前の20代後半まで民間企業で働いた経験がある。「物売りになるな。自分を売れ。自分を買ってもらえ。」とよく言われたものである。考えてみると、確かに私も店の人を見て商品を買っている。先日スーツを購入した際も、何軒もの店舗を回り、最終的に接客の感じが良かったお店で購入した。今回、浅草の仲見世にある人気の人形焼き専門店では、カウンターの売り子さんだけでなく、奥にいた3~4名の焼き菓子職人の何気ない笑顔に吸い込まれた。羽田空港の某有名な羊羹屋さんでは、ベテランの方が期間限定(「敬老の日」向けの羊羹)のタイムリーな紹介が購入を決定づけた。別のコーナーでは、実習生が一生懸命対応していた。指導教官であろう先輩店員がすぐそばにつき、敢えて必要最小限度のアドバイスしかしていなかった。日常的にせかされがちなお土産屋で、新人の現場研修を熱心にされるとかえって応援したくなる。妻も研修中であることを察知し、その実習生に最後に「頑張ってください。」と声をかけていた。

 ところで、高千穂町は1920年(大正9年)に誕生し、今年4月で102歳を迎えた。『古事記』『日本書紀』に描かれる神話に登場する地名や場所のいくつかは現在の高千穂にも存在している。天上界と地上界が入り交じったこの高千穂町が「神話と伝説のふるさと」と言われる所以である。中心部には高千穂峡が神秘的かつ雄大に自然に創出している。気候は、平地の標高が約300メートル以上で寒暖の差が大きく、夏場には涼しい高冷地気候を活かして、多くの作物が作られている。棚田では、美味しい高千穂米ができる。このようなことから、平成27年に高千穂郷・椎葉山はFAO(世界食糧農業機関)により世界農業遺産(ジアス)に認定された。さらに「高千穂牛」は、全国和牛能力共進会で「内閣総理大臣賞」を受賞している。このように、本町は天孫降臨の地として特別な空間を守りながら、これまで築いてきた地域の結の力を大切にしている町である。中山間地である本町の人口減少は否めないが、世界的にも新たな生活様式が生まれていく中で、これから田舎や地方での暮らしも見直されていくと思われる。自動化が進む中、商品購入の仕方がスムーズで素早いことは良いことだと思うが、人間のちょっとした仕草や心遣いにより購買意欲はより高まるのも事実である。あらためて人間の良さを見つめ直す時期かも知れない。

 「Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出す」とのこと。また、「人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服され、社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となる」と文科省はいう。効率が最優先されがちなこの時代、結果だけを考えれば、自動化に勝るものはないかもしれないが、予測が極めて困難で、確固たる答えを見いだせない状況の中でも、様々な問題と向き合い、自身の在り方や行動について考え、主体的に課題の解決に向かうことができるような人財を育てることのできる学校でありたいと考えさせられる、そんな今回の上京であった。

【校長室】2学期を迎えて

場の力

 コロナ禍の制約が緩和され、学校経営は新たな局面を迎えている。学校は、予測が極めて困難で、確固たる答えを見いだせない状況の中でも、様々な問題と向き合い、自身の在り方や行動について考え、主体的に課題の解決に向かうことができるような人財を育てる場であると私は思う。とはいっても、実際には、様々な要因が複雑に絡み合っており、それぞれの立場によって課題意識も異なり、持続可能な社会を実現するにはどうすべきかということを学校教育の場で取り上げることは、答えのない問いに向き合うことともいえる。

 本校赴任5か月が過ぎたが、生徒指導主事、学年主任、教務主任等、様々な立場での経験が私を支えてきた。特に生徒指導主事としての経験は、校長の職責を果たす上でも大きなバックボーンとなっている。生徒指導は校則に関する指導や問題行動の対応と思われがちであるが、本来は、生徒の人権や個性を尊重しながら、社会における自己実現に寄与する人間教育である。したがって、生徒自らが考え、判断し、主体的に行動しながら、個性の発見や良さ、無限の可能性等の伸長をサポートし、自己指導能力を習得できるような積極的生徒指導を実践するよう、先生方にお願いしてきた。本校は正直言って、生徒指導困難校ではない。落ち着きがあり、純粋で素直な生徒で学校が成り立っている。多少無茶をしがちな生徒がいたとしても、本校には様々な場面でそれを許さない雰囲気がある。いわゆる「場の力」である。

 2020年度から全面実施された新学習指導要領が目指しているのは、学力の向上というよりもむしろ、「自ら発見した課題について主体的に考え、多様な立場の人々と議論を重ね、『正解』や『最適解』ではなく、『納得解』を生み出すことができる資質・能力を育てること」ときいたことがある。これからの教育は、生徒たちの未来を見据えているだけではない。「知・徳・体を一体で育む」という、これまでのすばらしい日本型学校教育の在り方をさらに進化させ、目の前にいる生徒たちの「今」をどうするのか。明日の自分のために、何を考え、何ができるようになっておくべきかという、いわゆる「生きて働く」知識・技能の習得であり、そのために何をどのように学ぶかが問われている。そう考えると、これまで実践してきた生徒指導と深く関わりのある一面も多いように思える。したがって、教職員が、自らの過去の経験や体験だけに基づいて「生徒のためにならない」と身勝手な判断をして、生徒の学習の機会を一方的に制限することは絶対にあってはならないし、そこには生徒たちの可能性を奪いかねない危険がある。このことについて、我々教職員は最善の注意を払わなければならないと考える。学校経営が生徒の将来に大きな影響を及ぼすことを深く自覚し、全職員で本校の学校教育に取り組んでいけるような職員の「場の力」を構築していきたい。まさに、生徒たちから学んだことである。

【校長室】1学期を終えて

ブレーン

  「軍師」とは「軍中にて軍を指揮する君主や将軍の戦略指揮を助ける者」のことであり、 知将、策士などとも言われる。 このような職務を務める者は、東アジアでは古代から軍中にみられた。(『軍師』Wikipediaより)

 戦国時代に活躍した「軍師」たち。イメージはかっこいいし、何となくかしこそうな印象を抱くが、本来の任務は、合戦に際し出陣の日取りや進軍の方角を占うことだったようである。吉日に出陣すれば勝利するが、凶日に出陣すれば敗北するという意識もあり、易などの占術や陰陽道に基づく占星術に通じた軍師が必要とされていたということである。しかし、戦国時代の後半には、物量で圧倒する戦い方が主流になり、出陣の日取りや進軍の方角を占うのではなく、戦略や戦術をめぐらし、時には外交にも関与する家臣が求められたようである。こうした家臣のことを参謀(さんぼう)と呼ぶこともある。(『歴史人』2023年3月号「戦国レジェンド」より)

  戦国時代の主君の補佐役が軍師なら、学校教育という現場では、教頭がそれにあたるだろう。

4月の定期異動により、新たな体制が組織され、校長は「信頼される学校」に必要な環境を整えていく。今年度、校長、教頭ともに新任として本校に赴任したわけだが、予想を遙かに超える素晴らしい生徒たちとの出会いに期待が膨らむ中、「さらに良い学校にしよう」と重責を再確認した。毎年教職員や生徒が入れ替わるため、学校には少なからず変化が生じる。その実態に応じて新たな課題が見えてくる。したがって、学校の教育目標は変わらないにしても、その解決に向けてのアプローチの仕方は自ずと変わってくるものである。生徒にとって最高の教育環境をつくるために取り組むべきことはいろいろあると思うが、よりよい学校経営を実践していく上で欠かせないのが教頭の存在である。そして、自分の経験を踏まえた上で、私自身が考える最高の教頭に求める6つの条件を述べたいと思う。

 まず1つめは、【授業力】である。教員である以上、授業で学力向上等の成果をあげる力量が求められる。実際の授業で活躍できなければ、どんな立派な教育目標も机上の空論である。2つめは【情報・学識】。文科省からの通知や学習指導要領、その他各種情報に通じ、博識であることが、校長の判断・最終決断材料としてとても重要である。そして3つめ【教職員からの信頼】。学校経営方針の決定に際して、教職員からの同意は必要不可欠。日頃からコミュニケーションを図り信頼を得て、人間関係を築いておくことが名教頭の条件と考える。4つめ【戦略・戦術】。学校経営ビジョンの具現化に向けての戦略や教職員、その他学校関係者への提案能力は教頭にとって必須条件である。5つめ【事務処理能力】。学校外への情報発信や学校運営上の一般的な書類の作成や確認等、机上における事務作業の処理能力は高いほどよい。最後6つめは【折衝力】。人それぞれ考え方が違うので、それらの意見を調整して、落としどころを見極め、納得解を合理形成する等、学校経営方針を効果的に進めていく外交・交渉能力も大切であると考える。

 ところで、本校の教頭であるが、県教委からの転入のため、義務教育関連の学力向上や生徒指導、特別支援教育等、豊富な知識を基に本校の重要課題の解決に向けて、大いに活躍が期待できる。行政との人的パイプも太く、本校にとって効果的に学校運営がなされているのも彼のおかげである。実際に、校長の学校経営ビジョンを誰よりも理解し支えようと、私の思いや信念を具体的に教職員に示そうとしてくれている。PTA役員との連携や学校の窓口としての電話応対等、保護者や地域との接し方についても、とても丁寧で他の教職員の模範となっている。

 様々な働き方改革の推進により、校長として直接全職員に話す機会が減っているが、各学年主任や校務分掌の部長を通して、教職員一人一人に伝わるよう、各部長・主任と緊密に連携している。さらに今年度は人材育成手段の一つとして掲げているボトムアップの推進事例として、各学年や校務分掌の枠を越えた、横断的なプロジェクトチームを発足させることで、全教職員から意見を吸い上げられるような仕組みを構築した。

 このような試みが円滑に進められるのも、私が校長としての職務に専念することができるのも、教頭が学校運営について十二分に力を発揮しているからこそである。変化の激しい時代に柔軟に対応しながら学校教育を展開していくためには、有能な軍師(参謀)は必要不可欠である。早くも1学期が終わってしまったが、おかげさまで、アンテナを高く張り、学校内は当然のこと、地域の様子、地方自治体や国の教育政策の動向、そして教育以外の様々な出来事の情報をとらえることに力を注ぐことができた。学校外の力を借りながら、学校教育を改善していくことが求められる時代であるがゆえに、「教頭が彼でよかった」と日々痛感している。

【校長室】地区中学校総体を終えて

ジレンマ

 令和5年度西臼杵地区中学校総体が終了した。運動部にとって数ある大会の中で花形といえるこのスポーツの祭典では、毎年数々のドラマが生まれる。本校からも多くの生徒が県大会への切符を手にした。彼らの活躍を大いに期待したいところである。

 昨年秋の中学校秋季大会の結果が良くても、それが参考にならないほど、中学生の約半年間の成長たるやめざましいものがある。また、夏の中学校総体では、3年生にとって負ければそれが中学最後の試合、というプレッシャーの中で戦う。

 そして、スポーツには勝ち負けがつきものである。選手、リザーブ(補欠)、応援等、参加の仕方は様々であるが、この現実から逃げることはできない。「勝敗にかかわらず、悔いの残らないように・・・」と試合に送り出すものの、できることなら勝たせてやりたいと思うのが親心であろう。私も一保護者として、また顧問として部活動に長く携わってきた者として、その気持ちは痛いほどよくわかる。もちろん、勝つことがすべてではないし、負けたからこそ学べることもたくさんある。そういう経験ができること、それこそが教育というものだと思う。

 とは言え、試合が終わった後、負けてしまったチームや選手に何と声をかければよいのだろうかといつも悩んでしまう。勝利すれば、かける言葉はいくらでも思いつきそうだ。では、負けてしまった場合には?!

 勝っても負けても、子供たちの今後に生かすことができるような声掛けができるのが理想ではあるけれども、これがなかなか難しい。私にとって本当に胸が痛くなる瞬間である。

 さて、陸上競技は、延岡・日向・東臼杵・西臼杵の4地区合同で開催した。雨の中ではあったが、それでも新記録が続出し、素晴らしい大会となった。閉会式での講評を任されたのは私であった。話した内容は次のとおりである。

「・・・ただ一つだけ言えることがあります。それは、結果がどうであれ、これまでの努力に意味のないことなど一つもないということです。0コンマ数秒の、あるいは数ミリ、数センチのわずかな差で県大会出場を逃した選手は、本当に悔しくてたまらないかも知れませんが、すべてにおいて意味のないことなど一つもないと私は思います。ですから、これらの結果をしっかり受け止めてください。それが次の新たな目標に向けてのスタートになりますので、心の切り替えをきちんとしていきましょう・・・。」と。

 実は、直前に本校がわずか1点差で総合優勝を逃してしまった事実を知らされていた。その中での講評は、正直複雑な気持ちでいっぱいであった。前大会8本だった優勝旗も今大会は3本・・・。考え抜いた言葉を並べながら、いやいやどうして、勝ち負けにこだわって悔しがっているのは、他でもない私であった。子供たちに向けた講評内容のつもりであったが、結果的には自分自身にも向けた言葉になった。やはりこの程度の声掛けではまだまだ不十分なようだ。

 大会結果を糧に子供たちがさらに成長していけるように、何と声をかければ良いのか・・・。

 私の人間修行はまだまだ続く。

【校長室】就任2か月目に思うこと

「ヒト」

 「ヒト、モノ、カネ、情報、時間、知的財産」等々、中でも組織にとって「ヒト」が経営資源の出発点であり、他の資源より上位に位置している。この「ヒト」の能力は、置かれる環境や他の「ヒト」との関わりによって良くも悪くも大きく変わる。私自身も「ヒト」との出会いによって生き方が大きく変わった。辞職を考えるほど辛い時期に私を支えてくれたのも、管理職を目指すきっかけを与えてくださったのも他ならぬ「ヒト」である。数多くの素晴らしい出会いと関わりが私を成長させてくれているのだと実感している。

 今、校長として学校を経営していく上でまず考えることは「生徒にとってどうなのか」ということである。これは尊敬する校長先生の言葉であるが、学校生活の主役である生徒に軸足を置き、「生徒にとってベストな選択」をするための決断がぶれることのないよう常に心掛けている。先生方には信頼して任せることを念頭に、「生徒にとって良かれと思うことはどんどん実践する」ように促し、生徒一人一人の可能性を信じ、主体性を育てていく指導と成長を見守る心をもつようにと話をしている。

 ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けない、ヒトはヒトによってしか磨かれない。私と生徒、私と先生方、私と保護者の方々、私と地域の方々・・・、私という「ヒト」との関わりが周囲にどれだけの影響を与えるのか。校長という立場になり、仕事に対する姿勢だけでなく、身なりや仕草、言葉遣いにいたるまで、これまで以上に意識するようになった。私もまた、小さくてもよいから、大切なダイヤモンドの原石たちを磨くことのできる一粒の金剛石でありたい。光輝く生徒たち~「ヒト」を育てるために。

令和5年5月16日(火)

【校長室】着任のご挨拶

令和5年4月1日付けをもって、高千穂中学校に赴任しました。

高千穂という町には、2歳から4歳までの3年間、父が向山中学校(高千穂中学校向山分校)に勤めていたときに住んでいましたが、50年以上も前のことで記憶にございません。当時の様子はモノクロの写真でしか、思い出すことができません。高千穂中学校への赴任が決まってすぐ、両親を連れて向山中学校に行きました。「道はこんなにきれいじゃなかった・・・」(そんなこと当たり前なのですが)と騒ぐ父を落ち着かせながら向かいました。途中はやはり、道が狭く昔の面影がちらほら残っているようで、同行した母も懐かしがっていました。

 高千穂中学校の生徒の第一印象は、とても純粋で、素直であるという、良い意味でカルチャーショックを受けてしまったっということです。始業式における2、3年生及び生徒会の各代表生徒が発表した「新年度の抱負」からもその素晴らしさが実感できました。これから、全校生徒241名と教職員35名で令和5年度Takachiho Styleをつくり上げていきたいと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。 

第31代校長 金丸 智弘