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心の声

【校長室】NEW FACE

 「雇用は、会社で最も大きな経費」という。雇用した社員に60歳までに支払う賃金は、およそ2億円にのぼるからだとか(仮にその社員がとても優秀で、会社にとって有益な影響をもたらす場合は、その経済効果も計り知れないだろうが・・・)。そのため、会社にとって不利益を被ることがないよう、入社試験も厳しいし、入社後の研修や配置先での人材育成にもかなりの労力を注ぐと言う。その点、学校は民間企業ほどの厳しさはないと私は思うのだが、近年、教員志望者が減少しており、学校は常に人材不足に悩まされている。そういう時代背景をよそに、今年度、本校には2名の初任者が赴任した。初任1年目からのリタイアもめずらしくない中、その2名は即戦力となりうる人材であったことに感謝している。

 年度当初に校長としての学校経営方針を全教職員に伝えた。本校の教育目標である「心豊かで知性にあふれ たくましく伸びる生徒の育成」を具現化するために、学校全体としての施策をもとに、各学年や各校務分掌がどのように取り組めばよいのか、その方針を打ち出した。その方針が揺れることなく、且つ、文科省はもとより、県、町、学校がもつ価値観を全教職員と共有することで、モチベーションが上がり、組織への所属意識も高まると考える。初任者も同じであり、これにより、組織間で発生しがちなコミュニケーションギャップもなく、「なんでこんな仕事しているのだろう」「なんの為に働いているのだろう」というようなネガティブシンキング現象も発生しないのではないか。二人の初任者は、授業力や諸問題への対応力こそ、経験豊富な諸先輩方にはかなわないものの、社会人としての心構えがよい。学生から正式採用されるということは、勉強を教えてもらう立場から、自身の価値を提供してお給料をいただく立場に変わるということである。これには大きなギャップがあるので、心をしっかりと転換させなければならない。本校の初期研修におけるOJTでは、業務やスキル等を詰め込むだけの研修にならないよう、初期研担当教諭の計画のもと丁寧に進めていただいた。おかげで、二人は教師スタイルはほぼ正反対ではあるものの、各学年主任のもと、これまで順調に育ってきており、日々頼もしくなってきている。一人は、繊細かつ大胆な性格で物腰が落ち着いており、自分の意見をしっかりもちながら、それを表現することができる。それでいて、自分の意見に固執せず、先輩や管理職の助言・指導に対して、素直に受け止め、それを実践できるところが彼女の強みである。いろいろなことに悩みながらも同僚や初期研担当の職員に相談しながら壁を乗り越えたり、困難なことを一つ一つ解決しており、期待の初任者である。もう一人は、陽気な性格で誰からも愛される要素をもっている。好奇心旺盛でやる気に満ちあふれ、何事にも物怖じせずに積極的に自分から取り組んだり参加できたりすることが強みである。とても慎重な面がある一方、大胆な面もある。また、自分の考えを曲げない強い信念をもちつつ、管理職などの話を前向きに捉えることができることが彼自身の武器であり、今後期待のもてる初任者である(教頭談)。このように、二人とも根幹にある心がきちんと転換されているのがわかるし、当然、社会人としての基本的なスキルも身に付いている。

 さて、この基本的なスキルと言うと、言葉遣いや身だしなみ、電話応対、接客といったマナー等が頭によく浮かびがちである。これらも確かに大切であるが、私が考える最も重要なスキルはコミュニケーション能力である。学校では、生徒はもとより、保護者、他の職員といった「人」との関わりが多く、コミュニケーション能力が必然的に求められる。立場が大きく変わる以上、コミュニケーションのスタイルも大きく変える必要がある。特に、相手や周囲への配慮が大切である。SNS上では冗舌に話すことができても、対面になると途端に話せなくなるといった場面もよく目にする。その点、本校の初任者はあまり心配していない。一人はそれほど口数が多い方ではないが、報・連・相に長けている。もう一人は周囲とよく会話をし、コミュニケーションをとることが得意である。自らの失敗においても、そのままにせず、次の対応に全力を注ぐ。初期研修において本格的な研修に入る前に必ず身に付けておいてほしいスキルである。

 これらの社会人としての心構えを踏まえた上で、コンプライアンスを徹底することも欠かせない。初任者の場合、コンプライアンスへの認識が薄い傾向があり、「気づかずにやってしまった、違反していた」といったことが起こり得る。本校は、「個人情報に関すること」「言語環境に関すること」「交通安全に関すること」の三つを校内コンプライアンスの重点事項に掲げている。長年かけて培ってきた地域や保護者の方々からの信頼やイメージも一部の教職員の数秒の過ちで崩壊しまう。その堕ちた悪いイメージを払拭するのはとても困難であり、長年を要する。初任者はもちろんのこと、全教職員にコンプライアンスを徹底しなくてはと考える。

 2年間の初期研修のうちの1年目がもう少しで終了する。経営資源の一つと言われる「知的財産」として、二人の初任者を今後も大切に育て、彼らの資質・能力の向上のためにさらに充実した研修を実施したい。予測困難な変化の激しい社会を力強く生き抜く生徒を育成することが大きな目標として掲げられている時代において、我々教師の役割はますます重要である。だからこそ、初期研修をはじめとする様々な研修による人材育成は最重要事項ではないか。どのような施策も、実践するのは結局「人」であるから。

令和5年11月24日(金)

【校長室】APPEARANCE

 本年4月に3年生の生徒会役員を中心に「校則検討委員会」を立ち上げ、7か月が過ぎた。これまで、現行の校則に関する様々な意見を吸い上げ、同委員会が検討し、必要に応じて変更に向けての協議を重ねてきた。頭髪、制服(着こなし方や女子のリボン、防寒着を含む)、通学靴、雨天時の服装、通学鞄、セカンドバッグ等、多くの校則に関する提案事項について変更された。保護者からの要望もあり、現時点での変更点を文書にてお知らせしたところである。

 ところで、近年“ブラック校則”という言葉をよく耳にする。以前は「部活動で水を飲んではいけない」など、いかにも昭和の香りがするものも存在していたが、こうした校則は現在の人権感覚からすると理不尽なものや社会的常識とはかけ離れた不合理な校則が多く、生徒個人の尊厳を傷つけたり、ハラスメントに該当したり、場合によっては健康を害する可能性もある。しかも性質上、生徒が選択できる余地はほとんどなく、納得がいかなくても従わなくてはいけない傾向が強かった。そういう点に疑問を抱く教師は昔もいたし、私もその一人である。4月に本校に赴任した際、昨年度から校則検討が話題になっていることを聞いたが、まだ整理されておらず、職員間での共有がなされていなかったこともあり、現生徒指導主事が立ち上げたのが、この校則検討委員会である。

 そもそも、校則は何のために必要なのかと考えると、結論から言えば、「昔は必要だったから」であろう。そう、現代とは違う、昭和の時代背景である。学校という集団生活をする場において、当時指導力の低かった私が、効果的に効率よく生徒を動かすためには、校則は正直欠かせなかったように記憶している。80~90年代の校内暴力全盛期には、今では想像ができないくらい、学校が荒れに荒れていた。この件については、生徒指導主事を10年経験した私も、諸先輩たちからよく聞かされた。テレビドラマでもそういう問題を題材にした番組が流行ったのも事実である。そして、関係機関や地域等と連携した様々な対応により校内暴力と言われる諸問題が減少したにも関わらず、校則の大幅な見直しに本腰入れて取り組まなかった。そのため、現代の感覚に合わなくなっているのが現状である。“ブラック校則”が話題になり、校則が不要ではないかと思われ始めたのは、それだけ学校が平和になったからではないか。昨今の学校現場ではネット社会によるいじめなどは存在するかもしれないが、校内暴力の件数などは激減している。言い方は少々乱暴かもしれないが、生徒がバットでガラスを割って暴れただけで全国ニュースになる時代である。そういう点からも、校則検討委員会の発足はタイミングが良かったし、物価高騰の煽りを受けて、制服や学校指定のバッグ、通学靴等が軒並み値上がりしたことも校則検討を加速させ、保護者の理解を後押ししてくれたのではないかと思われる。

 さて、先日校内研究の一環で本校職員の授業を参観した(詳細は、本校ホームページ「校内研究コーナー」を)。生徒のおよそ8割がカーディガンを着用していた。実は、このカーディガンについては、昨年度まで着用が認められていなかったようで、今回校則検討委員会で協議され、許可された(当たり前のことであるが)。同委員会は黒、紺、白、灰等、華美でない色を指定したが、極めて紺色の着用が多い。白のワイシャツやブラウスにカーディガンはよく映える。白色が際立ち、清潔感に溢れ、ただでさえ素直で純粋な本校の生徒たちは、着こなしもよく、気品さえ漂わせている。生徒主体の校則検討委員会は、本来の目的を失うことなく、その効果を十分に果たしているようである。

 話は変わるが、「喋りはうまいのに信用できない人と、口数が少ないのに説得力にあふれた人の差はどこにあるのか。すべてを左右しているのは『見た目』だった!顔つき、仕草、目つき、匂い、色、温度、距離等々、私たちを取り巻く言葉以外の膨大な情報がもつ意味を考える。心理学、社会学からマンガ、演劇まであらゆるジャンルの知識を駆使した日本人のための「非言語コミュニケーション入門・・・。」これは、竹内一郎氏作品「人は見た目が9割」(新潮社出版)という本の紹介文である。そしてこの本の裏付けとして言われてきたのが「メラビアンの法則」。この法則は1971年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校の心理学者であるアルバート・メラビアンが提唱した概念で、人が言語・聴覚・視覚から得られる情報のうち、どれがどの程度優先されるかを確認したものである。この研究によると、コミュニケーションには「言語情報7%」「聴覚情報38%」「視覚情報55%」の割合で影響しているとのこと(Wikipediaより)である。この研究は「見た目が何より大切だ」と結論づけているわけではないし、見た目だけでその人本来の性格や考え等、心の中まで理解できるものでもない。ただ、「第一印象は最初の3秒で決まる」とも言われるように、身だしなみを整え、「見た目」を良くすると、初見で相手に好印象を与える。特に高校入試を含め、面接という人の選考手段がある現代社会において「見た目」を軽視するわけにはいかないと私は考える。

令和5年11月9日(木)

【校長室】天地神人

 高千穂町に赴任して、7か月が過ぎた。この地で学ばせていただいたことはたくさんあるが、神社におけるマナーもその一つである。多くの神社が存在するので、各種礼法や所作を見る機会が増えたのは明らか。参拝者が身と心を清める「手水舎(ちょうずや・てみずや)」、玉串奉奠、二礼二拍手一礼、歩行箇所等、自分なりにあらためて学習している。大祭等へ招かれることも多く、その都度目にする宮司の所作はやはり本物。一度や二度見ただけでは気がつかないところまで、目に見えてくる。私自身何となく以前よりも背筋がピシッと伸びているような気がする。この高千穂にはたくさんの神社があり、たくさんの神様がおられる。これだけ多くの神様がいらっしゃるのは、言うまでもなく高千穂が日本神話の舞台であり、そこに登場する神々の足跡がいろいろなところに残っているからである。また、深い山々や森、澄んだ川の水や流れ、どこからともなく吹き渡る風等、人の力を超えたものの存在を身近に感じられるところだからこそ、神への信仰心が人々に根付いているのだと思う。高千穂の人々は、願い事があるときばかりでなく、普段から人に会えば挨拶を交わす。気負いなく自然に、そして真摯に神に祈りを捧げる。人々にとって神様は、日常の暮らしと深く結びついた心のよりどころであるように感じる。『古事記』『日本書紀』に記された天岩戸(あまのいわと)伝説を伝える天岩戸神社、『続日本書紀』にて「高千穂皇神(たかちほすめかみ)」と記された高千穂神社、槵觸(くしふる)神社、荒立神社等、江戸時代には5戸に1社の割合で神社が存在していたという記録がある。現在も、氏神様が100以上、その他の神を合わせると500社近くあるという説もあり、いつもは鎮守の杜で人々を見守っている氏神様が年に一度、村人の家にお来しになり、人とともに舞い遊んで、一夜を楽しまれるお祭りが「高千穂の夜神楽」である。この夜神楽は、11月下旬から翌年2月までがシーズンである。それぞれの地域社会の中で、ご先祖様から子へ、先輩から後輩へと代々受け継がれているもので、地域の保存会の方々が指導にあたっている。

 話は変わるが、本校の文化祭は「紅葉祭」と呼ばれている。国語弁論や英語暗唱・弁論の発表、合唱コンクール、吹奏楽演奏等、内容は他の中学校とほぼ同じであるが、一つだけ本校ならではの特色がある。それは、地域伝統芸能である。神楽をはじめ、棒術、なぎなた、民謡、注連縄(しめなわ)や彫(え)り物づくり等を地域の保存会の方々を講師に招いて、総合の時間に合計10時間学習する。コロナ禍以前は、この紅葉祭で披露していたようであるが、ここ3年間は実施していなかった。そして、コロナ禍が開けた今年度、紅葉祭への観客等の入場制限を撤廃し、保護者はもとより、地域の方々にも広く案内し、たくさんの方々に観覧していただこうと、手狭であった会場を町武道館に移した。それと同時に地域伝統芸能についても、披露を再開した。実行委員会や教職員は企画・運営等、初めてのことや久しぶりのこともあり、大変だったと思うが、学校運営協議会をはじめとする来賓の方々やたくさんの地域の皆さんにも見ていただける機会がつくれたことを嬉しく思う。子供たちは「飛翔 ~音に乗せて個性よ羽ばたけ~」という素敵なテーマを掲げてくれた。予測困難な世界に、勢いよく羽ばたいていくための後押しをしてくれるのは、子供たちの笑顔と活躍、我慢や勇気である。地域伝統芸能を披露するのは4年ぶりの企画で、実行委員会や生徒会、学習部の先生方は、かなり頭を悩ませたのではないかと思う。10時間という短時間でどれくらいクオリティーを高められるかと不安が頭をよぎった。予想どおり、アンケート回答の中には一部厳しい意見もあったが、概ね好反応であったと私は思う。10時間の学習時間だけでなく、当日まで協力してくださった講師の方々には本当に頭が下がる思いである。課題はまだまだ残されているが、困難なことは承知の上で、「メリットを大いに生かし、できることを前提に精一杯頑張る」という関係者すべての力が、今年の紅葉祭に繋がった。人それぞれ、いろいろな個性があり、意見の違いや思いどおりにならないことがあるのは、学生時代も社会に出ても同じである。今置かれている環境の中で、仲間とどう協力して、それぞれの「個性を羽ばたかせる」かは、生きる上でとても大切なことだと思う。

 天孫降臨の聖地として日本建国にちなんだ神話と伝説が今も息づき、そこかしこに神々の気配が感じられるこの地に住む子供たちは高千穂町の宝である。飛翔というスローガンのように、さらに羽ばたいていけるよう、今後も様々な手段を講じていきたい。

令和5年11月2日(木)

【校長室】不易と流行

 私用で東京へ行った。4か月ぶりの飛行機だった。スマホによる自動チェックインをはじめとし、空港が年々自動化されているのは分かっていたが、コロナによる制約がほとんど解除されたこともあり、羽田空港のハイテクはフル稼働であった。これまで機内へ持ち込んでいた荷物も今回は預けた。宮崎空港では、これまでどおりカウンターでの対応だったが、羽田空港では、「自動手荷物預け機」を利用した。これでまた一つ、人間による仕事が減った。お店のレジも半数以上が自動化されている。当初扱いが心配されていた高齢者の方々も手慣れたものである。2015年に発表されたオックスフォード大学などの調査結果では、今後10〜20年の間で現在の約半数の仕事が消える可能性があるとのことである。私は教員になる前の20代後半まで民間企業で働いた経験がある。「物売りになるな。自分を売れ。自分を買ってもらえ。」とよく言われたものである。考えてみると、確かに私も店の人を見て商品を買っている。先日スーツを購入した際も、何軒もの店舗を回り、最終的に接客の感じが良かったお店で購入した。今回、浅草の仲見世にある人気の人形焼き専門店では、カウンターの売り子さんだけでなく、奥にいた3~4名の焼き菓子職人の何気ない笑顔に吸い込まれた。羽田空港の某有名な羊羹屋さんでは、ベテランの方が期間限定(「敬老の日」向けの羊羹)のタイムリーな紹介が購入を決定づけた。別のコーナーでは、実習生が一生懸命対応していた。指導教官であろう先輩店員がすぐそばにつき、敢えて必要最小限度のアドバイスしかしていなかった。日常的にせかされがちなお土産屋で、新人の現場研修を熱心にされるとかえって応援したくなる。妻も研修中であることを察知し、その実習生に最後に「頑張ってください。」と声をかけていた。

 ところで、高千穂町は1920年(大正9年)に誕生し、今年4月で102歳を迎えた。『古事記』『日本書紀』に描かれる神話に登場する地名や場所のいくつかは現在の高千穂にも存在している。天上界と地上界が入り交じったこの高千穂町が「神話と伝説のふるさと」と言われる所以である。中心部には高千穂峡が神秘的かつ雄大に自然に創出している。気候は、平地の標高が約300メートル以上で寒暖の差が大きく、夏場には涼しい高冷地気候を活かして、多くの作物が作られている。棚田では、美味しい高千穂米ができる。このようなことから、平成27年に高千穂郷・椎葉山はFAO(世界食糧農業機関)により世界農業遺産(ジアス)に認定された。さらに「高千穂牛」は、全国和牛能力共進会で「内閣総理大臣賞」を受賞している。このように、本町は天孫降臨の地として特別な空間を守りながら、これまで築いてきた地域の結の力を大切にしている町である。中山間地である本町の人口減少は否めないが、世界的にも新たな生活様式が生まれていく中で、これから田舎や地方での暮らしも見直されていくと思われる。自動化が進む中、商品購入の仕方がスムーズで素早いことは良いことだと思うが、人間のちょっとした仕草や心遣いにより購買意欲はより高まるのも事実である。あらためて人間の良さを見つめ直す時期かも知れない。

 「Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出す」とのこと。また、「人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服され、社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となる」と文科省はいう。効率が最優先されがちなこの時代、結果だけを考えれば、自動化に勝るものはないかもしれないが、予測が極めて困難で、確固たる答えを見いだせない状況の中でも、様々な問題と向き合い、自身の在り方や行動について考え、主体的に課題の解決に向かうことができるような人財を育てることのできる学校でありたいと考えさせられる、そんな今回の上京であった。

令和5年9月12日(火)

【校長室】場の力

 コロナ禍の制約が緩和され、学校経営は新たな局面を迎えている。学校は、予測が極めて困難で、確固たる答えを見いだせない状況の中でも、様々な問題と向き合い、自身の在り方や行動について考え、主体的に課題の解決に向かうことができるような人財を育てる場であると私は思う。とはいっても、実際には、様々な要因が複雑に絡み合っており、それぞれの立場によって課題意識も異なり、持続可能な社会を実現するにはどうすべきかということを学校教育の場で取り上げることは、答えのない問いに向き合うことともいえる。

 本校赴任5か月が過ぎたが、生徒指導主事、学年主任、教務主任等、様々な立場での経験が私を支えてきた。特に生徒指導主事としての経験は、校長の職責を果たす上でも大きなバックボーンとなっている。生徒指導は校則に関する指導や問題行動の対応と思われがちであるが、本来は、生徒の人権や個性を尊重しながら、社会における自己実現に寄与する人間教育である。したがって、生徒自らが考え、判断し、主体的に行動しながら、個性の発見や良さ、無限の可能性等の伸長をサポートし、自己指導能力を習得できるような積極的生徒指導を実践するよう、先生方にお願いしてきた。本校は正直言って、生徒指導困難校ではない。落ち着きがあり、純粋で素直な生徒で学校が成り立っている。多少無茶をしがちな生徒がいたとしても、本校には様々な場面でそれを許さない雰囲気がある。いわゆる「場の力」である。

 2020年度から全面実施された新学習指導要領が目指しているのは、学力の向上というよりもむしろ、「自ら発見した課題について主体的に考え、多様な立場の人々と議論を重ね、『正解』や『最適解』ではなく、『納得解』を生み出すことができる資質・能力を育てること」ときいたことがある。これからの教育は、生徒たちの未来を見据えているだけではない。「知・徳・体を一体で育む」という、これまでのすばらしい日本型学校教育の在り方をさらに進化させ、目の前にいる生徒たちの「今」をどうするのか。明日の自分のために、何を考え、何ができるようになっておくべきかという、いわゆる「生きて働く」知識・技能の習得であり、そのために何をどのように学ぶかが問われている。そう考えると、これまで実践してきた生徒指導と深く関わりのある一面も多いように思える。したがって、教職員が、自らの過去の経験や体験だけに基づいて「生徒のためにならない」と身勝手な判断をして、生徒の学習の機会を一方的に制限することは絶対にあってはならないし、そこには生徒たちの可能性を奪いかねない危険がある。このことについて、我々教職員は最善の注意を払わなければならないと考える。学校経営が生徒の将来に大きな影響を及ぼすことを深く自覚し、全職員で本校の学校教育に取り組んでいけるような職員の「場の力」を構築していきたい。まさに、生徒たちから学んだことである。

令和5年8月25日(金)