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心の声

【校長室】不易と流行

 私用で東京へ行った。4か月ぶりの飛行機だった。スマホによる自動チェックインをはじめとし、空港が年々自動化されているのは分かっていたが、コロナによる制約がほとんど解除されたこともあり、羽田空港のハイテクはフル稼働であった。これまで機内へ持ち込んでいた荷物も今回は預けた。宮崎空港では、これまでどおりカウンターでの対応だったが、羽田空港では、「自動手荷物預け機」を利用した。これでまた一つ、人間による仕事が減った。お店のレジも半数以上が自動化されている。当初扱いが心配されていた高齢者の方々も手慣れたものである。2015年に発表されたオックスフォード大学などの調査結果では、今後10〜20年の間で現在の約半数の仕事が消える可能性があるとのことである。私は教員になる前の20代後半まで民間企業で働いた経験がある。「物売りになるな。自分を売れ。自分を買ってもらえ。」とよく言われたものである。考えてみると、確かに私も店の人を見て商品を買っている。先日スーツを購入した際も、何軒もの店舗を回り、最終的に接客の感じが良かったお店で購入した。今回、浅草の仲見世にある人気の人形焼き専門店では、カウンターの売り子さんだけでなく、奥にいた3~4名の焼き菓子職人の何気ない笑顔に吸い込まれた。羽田空港の某有名な羊羹屋さんでは、ベテランの方が期間限定(「敬老の日」向けの羊羹)のタイムリーな紹介が購入を決定づけた。別のコーナーでは、実習生が一生懸命対応していた。指導教官であろう先輩店員がすぐそばにつき、敢えて必要最小限度のアドバイスしかしていなかった。日常的にせかされがちなお土産屋で、新人の現場研修を熱心にされるとかえって応援したくなる。妻も研修中であることを察知し、その実習生に最後に「頑張ってください。」と声をかけていた。

 ところで、高千穂町は1920年(大正9年)に誕生し、今年4月で102歳を迎えた。『古事記』『日本書紀』に描かれる神話に登場する地名や場所のいくつかは現在の高千穂にも存在している。天上界と地上界が入り交じったこの高千穂町が「神話と伝説のふるさと」と言われる所以である。中心部には高千穂峡が神秘的かつ雄大に自然に創出している。気候は、平地の標高が約300メートル以上で寒暖の差が大きく、夏場には涼しい高冷地気候を活かして、多くの作物が作られている。棚田では、美味しい高千穂米ができる。このようなことから、平成27年に高千穂郷・椎葉山はFAO(世界食糧農業機関)により世界農業遺産(ジアス)に認定された。さらに「高千穂牛」は、全国和牛能力共進会で「内閣総理大臣賞」を受賞している。このように、本町は天孫降臨の地として特別な空間を守りながら、これまで築いてきた地域の結の力を大切にしている町である。中山間地である本町の人口減少は否めないが、世界的にも新たな生活様式が生まれていく中で、これから田舎や地方での暮らしも見直されていくと思われる。自動化が進む中、商品購入の仕方がスムーズで素早いことは良いことだと思うが、人間のちょっとした仕草や心遣いにより購買意欲はより高まるのも事実である。あらためて人間の良さを見つめ直す時期かも知れない。

 「Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出す」とのこと。また、「人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服され、社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となる」と文科省はいう。効率が最優先されがちなこの時代、結果だけを考えれば、自動化に勝るものはないかもしれないが、予測が極めて困難で、確固たる答えを見いだせない状況の中でも、様々な問題と向き合い、自身の在り方や行動について考え、主体的に課題の解決に向かうことができるような人財を育てることのできる学校でありたいと考えさせられる、そんな今回の上京であった。

令和5年9月12日(火)

【校長室】場の力

 コロナ禍の制約が緩和され、学校経営は新たな局面を迎えている。学校は、予測が極めて困難で、確固たる答えを見いだせない状況の中でも、様々な問題と向き合い、自身の在り方や行動について考え、主体的に課題の解決に向かうことができるような人財を育てる場であると私は思う。とはいっても、実際には、様々な要因が複雑に絡み合っており、それぞれの立場によって課題意識も異なり、持続可能な社会を実現するにはどうすべきかということを学校教育の場で取り上げることは、答えのない問いに向き合うことともいえる。

 本校赴任5か月が過ぎたが、生徒指導主事、学年主任、教務主任等、様々な立場での経験が私を支えてきた。特に生徒指導主事としての経験は、校長の職責を果たす上でも大きなバックボーンとなっている。生徒指導は校則に関する指導や問題行動の対応と思われがちであるが、本来は、生徒の人権や個性を尊重しながら、社会における自己実現に寄与する人間教育である。したがって、生徒自らが考え、判断し、主体的に行動しながら、個性の発見や良さ、無限の可能性等の伸長をサポートし、自己指導能力を習得できるような積極的生徒指導を実践するよう、先生方にお願いしてきた。本校は正直言って、生徒指導困難校ではない。落ち着きがあり、純粋で素直な生徒で学校が成り立っている。多少無茶をしがちな生徒がいたとしても、本校には様々な場面でそれを許さない雰囲気がある。いわゆる「場の力」である。

 2020年度から全面実施された新学習指導要領が目指しているのは、学力の向上というよりもむしろ、「自ら発見した課題について主体的に考え、多様な立場の人々と議論を重ね、『正解』や『最適解』ではなく、『納得解』を生み出すことができる資質・能力を育てること」ときいたことがある。これからの教育は、生徒たちの未来を見据えているだけではない。「知・徳・体を一体で育む」という、これまでのすばらしい日本型学校教育の在り方をさらに進化させ、目の前にいる生徒たちの「今」をどうするのか。明日の自分のために、何を考え、何ができるようになっておくべきかという、いわゆる「生きて働く」知識・技能の習得であり、そのために何をどのように学ぶかが問われている。そう考えると、これまで実践してきた生徒指導と深く関わりのある一面も多いように思える。したがって、教職員が、自らの過去の経験や体験だけに基づいて「生徒のためにならない」と身勝手な判断をして、生徒の学習の機会を一方的に制限することは絶対にあってはならないし、そこには生徒たちの可能性を奪いかねない危険がある。このことについて、我々教職員は最善の注意を払わなければならないと考える。学校経営が生徒の将来に大きな影響を及ぼすことを深く自覚し、全職員で本校の学校教育に取り組んでいけるような職員の「場の力」を構築していきたい。まさに、生徒たちから学んだことである。

令和5年8月25日(金)

【校長室】ブレーン

  「軍師」とは「軍中にて軍を指揮する君主や将軍の戦略指揮を助ける者」のことであり、 知将、策士などとも言われる。 このような職務を務める者は、東アジアでは古代から軍中にみられた。(『軍師』Wikipediaより)

 戦国時代に活躍した「軍師」たち。イメージはかっこいいし、何となくかしこそうな印象を抱くが、本来の任務は、合戦に際し出陣の日取りや進軍の方角を占うことだったようである。吉日に出陣すれば勝利するが、凶日に出陣すれば敗北するという意識もあり、易などの占術や陰陽道に基づく占星術に通じた軍師が必要とされていたということである。しかし、戦国時代の後半には、物量で圧倒する戦い方が主流になり、出陣の日取りや進軍の方角を占うのではなく、戦略や戦術をめぐらし、時には外交にも関与する家臣が求められたようである。こうした家臣のことを参謀(さんぼう)と呼ぶこともある。(『歴史人』2023年3月号「戦国レジェンド」より)

  戦国時代の主君の補佐役が軍師なら、学校教育という現場では、教頭がそれにあたるだろう。

4月の定期異動により、新たな体制が組織され、校長は「信頼される学校」に必要な環境を整えていく。今年度、校長、教頭ともに新任として本校に赴任したわけだが、予想を遙かに超える素晴らしい生徒たちとの出会いに期待が膨らむ中、「さらに良い学校にしよう」と重責を再確認した。毎年教職員や生徒が入れ替わるため、学校には少なからず変化が生じる。その実態に応じて新たな課題が見えてくる。したがって、学校の教育目標は変わらないにしても、その解決に向けてのアプローチの仕方は自ずと変わってくるものである。生徒にとって最高の教育環境をつくるために取り組むべきことはいろいろあると思うが、よりよい学校経営を実践していく上で欠かせないのが教頭の存在である。そして、自分の経験を踏まえた上で、私自身が考える最高の教頭に求める6つの条件を述べたいと思う。

 まず1つめは、【授業力】である。教員である以上、授業で学力向上等の成果をあげる力量が求められる。実際の授業で活躍できなければ、どんな立派な教育目標も机上の空論である。2つめは【情報・学識】。文科省からの通知や学習指導要領、その他各種情報に通じ、博識であることが、校長の判断・最終決断材料としてとても重要である。そして3つめ【教職員からの信頼】。学校経営方針の決定に際して、教職員からの同意は必要不可欠。日頃からコミュニケーションを図り信頼を得て、人間関係を築いておくことが名教頭の条件と考える。4つめ【戦略・戦術】。学校経営ビジョンの具現化に向けての戦略や教職員、その他学校関係者への提案能力は教頭にとって必須条件である。5つめ【事務処理能力】。学校外への情報発信や学校運営上の一般的な書類の作成や確認等、机上における事務作業の処理能力は高いほどよい。最後6つめは【折衝力】。人それぞれ考え方が違うので、それらの意見を調整して、落としどころを見極め、納得解を合理形成する等、学校経営方針を効果的に進めていく外交・交渉能力も大切であると考える。

 ところで、本校の教頭であるが、県教委からの転入のため、義務教育関連の学力向上や生徒指導、特別支援教育等、豊富な知識を基に本校の重要課題の解決に向けて、大いに活躍が期待できる。行政との人的パイプも太く、本校にとって効果的に学校運営がなされているのも彼のおかげである。実際に、校長の学校経営ビジョンを誰よりも理解し支えようと、私の思いや信念を具体的に教職員に示そうとしてくれている。PTA役員との連携や学校の窓口としての電話応対等、保護者や地域との接し方についても、とても丁寧で他の教職員の模範となっている。

 様々な働き方改革の推進により、校長として直接全職員に話す機会が減っているが、各学年主任や校務分掌の部長を通して、教職員一人一人に伝わるよう、各部長・主任と緊密に連携している。さらに今年度は人材育成手段の一つとして掲げているボトムアップの推進事例として、各学年や校務分掌の枠を越えた、横断的なプロジェクトチームを発足させることで、全教職員から意見を吸い上げられるような仕組みを構築した。

 このような試みが円滑に進められるのも、私が校長としての職務に専念することができるのも、教頭が学校運営について十二分に力を発揮しているからこそである。変化の激しい時代に柔軟に対応しながら学校教育を展開していくためには、有能な軍師(参謀)は必要不可欠である。早くも1学期が終わってしまったが、おかげさまで、アンテナを高く張り、学校内は当然のこと、地域の様子、地方自治体や国の教育政策の動向、そして教育以外の様々な出来事の情報をとらえることに力を注ぐことができた。学校外の力を借りながら、学校教育を改善していくことが求められる時代であるがゆえに、「教頭が彼でよかった」と日々痛感している。

令和5年7月26日(水)

【校長室】ジレンマ

 令和5年度西臼杵地区中学校総体が終了した。運動部にとって数ある大会の中で花形といえるこのスポーツの祭典では、毎年数々のドラマが生まれる。本校からも多くの生徒が県大会への切符を手にした。彼らの活躍を大いに期待したいところである。

 昨年秋の中学校秋季大会の結果が良くても、それが参考にならないほど、中学生の約半年間の成長たるやめざましいものがある。また、夏の中学校総体では、3年生にとって負ければそれが中学最後の試合、というプレッシャーの中で戦う。

 そして、スポーツには勝ち負けがつきものである。選手、リザーブ(補欠)、応援等、参加の仕方は様々であるが、この現実から逃げることはできない。「勝敗にかかわらず、悔いの残らないように・・・」と試合に送り出すものの、できることなら勝たせてやりたいと思うのが親心であろう。私も一保護者として、また顧問として部活動に長く携わってきた者として、その気持ちは痛いほどよくわかる。もちろん、勝つことがすべてではないし、負けたからこそ学べることもたくさんある。そういう経験ができること、それこそが教育というものだと思う。

 とは言え、試合が終わった後、負けてしまったチームや選手に何と声をかければよいのだろうかといつも悩んでしまう。勝利すれば、かける言葉はいくらでも思いつきそうだ。では、負けてしまった場合には?!

 勝っても負けても、子供たちの今後に生かすことができるような声掛けができるのが理想ではあるけれども、これがなかなか難しい。私にとって本当に胸が痛くなる瞬間である。

 さて、陸上競技は、延岡・日向・東臼杵・西臼杵の4地区合同で開催した。雨の中ではあったが、それでも新記録が続出し、素晴らしい大会となった。閉会式での講評を任されたのは私であった。話した内容は次のとおりである。

「・・・ただ一つだけ言えることがあります。それは、結果がどうであれ、これまでの努力に意味のないことなど一つもないということです。0コンマ数秒の、あるいは数ミリ、数センチのわずかな差で県大会出場を逃した選手は、本当に悔しくてたまらないかも知れませんが、すべてにおいて意味のないことなど一つもないと私は思います。ですから、これらの結果をしっかり受け止めてください。それが次の新たな目標に向けてのスタートになりますので、心の切り替えをきちんとしていきましょう・・・。」と。

 実は、直前に本校がわずか1点差で総合優勝を逃してしまった事実を知らされていた。その中での講評は、正直複雑な気持ちでいっぱいであった。前大会8本だった優勝旗も今大会は3本・・・。考え抜いた言葉を並べながら、いやいやどうして、勝ち負けにこだわって悔しがっているのは、他でもない私であった。子供たちに向けた講評内容のつもりであったが、結果的には自分自身にも向けた言葉になった。やはりこの程度の声掛けではまだまだ不十分なようだ。

 大会結果を糧に子供たちがさらに成長していけるように、何と声をかければ良いのか・・・。

 私の人間修行はまだまだ続く。

令和5年6月12日(月)

【校長室】ヒト

 「ヒト、モノ、カネ、情報、時間、知的財産」等々、中でも組織にとって「ヒト」が経営資源の出発点であり、他の資源より上位に位置している。この「ヒト」の能力は、置かれる環境や他の「ヒト」との関わりによって良くも悪くも大きく変わる。私自身も「ヒト」との出会いによって生き方が大きく変わった。辞職を考えるほど辛い時期に私を支えてくれたのも、管理職を目指すきっかけを与えてくださったのも他ならぬ「ヒト」である。数多くの素晴らしい出会いと関わりが私を成長させてくれているのだと実感している。

 今、校長として学校を経営していく上でまず考えることは「生徒にとってどうなのか」ということである。これは尊敬する校長先生の言葉であるが、学校生活の主役である生徒に軸足を置き、「生徒にとってベストな選択」をするための決断がぶれることのないよう常に心掛けている。先生方には信頼して任せることを念頭に、「生徒にとって良かれと思うことはどんどん実践する」ように促し、生徒一人一人の可能性を信じ、主体性を育てていく指導と成長を見守る心をもつようにと話をしている。

 ダイヤモンドはダイヤモンドでしか磨けない、ヒトはヒトによってしか磨かれない。私と生徒、私と先生方、私と保護者の方々、私と地域の方々・・・、私という「ヒト」との関わりが周囲にどれだけの影響を与えるのか。校長という立場になり、仕事に対する姿勢だけでなく、身なりや仕草、言葉遣いにいたるまで、これまで以上に意識するようになった。私もまた、小さくてもよいから、大切なダイヤモンドの原石たちを磨くことのできる一粒の金剛石でありたい。光輝く生徒たち~「ヒト」を育てるために。

令和5年5月16日(火)

【校長室】着任のご挨拶

令和5年4月1日付けをもって、高千穂中学校に赴任しました。

高千穂という町には、2歳から4歳までの3年間、父が向山中学校(高千穂中学校向山分校)に勤めていたときに住んでいましたが、50年以上も前のことで記憶にございません。当時の様子はモノクロの写真でしか、思い出すことができません。高千穂中学校への赴任が決まってすぐ、両親を連れて向山中学校に行きました。「道はこんなにきれいじゃなかった・・・」(そんなこと当たり前なのですが)と騒ぐ父を落ち着かせながら向かいました。途中はやはり、道が狭く昔の面影がちらほら残っているようで、同行した母も懐かしがっていました。

 高千穂中学校の生徒の第一印象は、とても純粋で、素直であるという、良い意味でカルチャーショックを受けてしまったっということです。始業式における2、3年生及び生徒会の各代表生徒が発表した「新年度の抱負」からもその素晴らしさが実感できました。これから、全校生徒241名と教職員35名で令和5年度Takachiho Styleをつくり上げていきたいと思います。

 どうぞよろしくお願いいたします。 

第31代校長 金丸 智弘