PRINCIPAL'S OFFICE

心の声

【校長室】一日校長

私的理由により、急遽宮崎で飼っている犬のお世話をすることになった。名前は「LUNA(ルーナ)」。父がダルメシアン、母がワイマラナーのMIX犬で、神奈川県生まれ、5歳(と9か月)の女の子である。大きさは体高およそ50㎝、体重22㎏で大型犬の部類に入るが、室内で飼っている。突然のことであったため、預け先も決まらず、また、私も校務を停滞させるわけにはいかないので、高千穂に連れてきた。高千穂には昨年、妻と一緒にドライブで連れてきたことはあるが、今回は妻がいない。LUNAにとって、初めての校長住宅は不安が大きかったようで、10日(日)の夜は、私の元を一時も離れることはなかった。食欲はあったが、トイレにも行かなかった。LUNAにとって高千穂の生活は非日常のため、体調を崩すおそれもあり、日中一人(一匹)で校長住宅に留守番させておくことにも不安があった。そこで、町教委に相談し、校長室での一時預かりを申し出て、緊急時の対応ということで特別に許可をいただいた。

立ち上がると、約150㎝になるので、決して小さくはない。恐怖を感じるかもしれないが、おとなしく、人懐っこい性格で無駄吠えも全くない。犬種的に主人への忠誠心が強すぎて、一般的には飼いにくいと言われている。家では2~3時間に一度は室内を一周するなど、警備に余念がない。

11日(月)にさっそく、“一日署長”ならぬ、“一日校長”(実際には二日半)に任命した。もちろん、一日校長とは言え、業務上の権利や義務を与えることはなく、実際の職務は私が行った。私が所用で一瞬でも校長室を離れようものなら、大型犬とは思えぬ「ピーピー・・・」と鳴き、臆病さを露呈した。初期研2年目教員の研究授業の際は、他の先生に一時的にお世話をしていただくなど、迷惑をかけてしまったが、意外にも犬好きな先生方が多く、校長室への来室者が極端に増えた。運動場や校庭を散歩しながら警備に勤しみ、一日校長としての責務を一生懸命果たしてくれた。退庁後は、日課の散歩。体が大きいため、休日は2,3時間は歩く。今回は町の運動公園まで行き、広大な敷地での散歩を満喫した。

12日(火)二日目になるとLUNAもずいぶん学校に慣れ、せっせと校長室に入り、私の椅子に座るようになった。校長室は事務室の隣で、正面玄関にも近い。郵便屋さんや業者等の来客があると「ワォン、ワンワン・・・」と番犬としての役割を忠実に果たそうとけなげな行動をとるようにもなった。

時には、本校生徒との触れ合うこともあり、生徒の心に寄り添い、元気づけたり、癒やしたりと「セラピードッグ」的な役割を果たすこともあった。

13日(水)三日目には、14日の妻の帰宅が決定し、一日校長の任を解くこととなった。学校を離れる際には、先生方からも「ずっと学校にいてほしい」「癒やされる・・・」と声をかけていただいたり、生徒も担任を通じて「また会いに行ってもいいですか・・・」と言ってくれた子もいたりと、本当に感謝の気持ちでいっぱいである。 

LUNAにとっては、私との初めての高千穂への旅。気苦労も多かったようで、宮崎に帰宅すると寝る時間が増えた。妻との久々の再会では、この上ない喜びをどう表現してよいのかわからないのか、目を細めながら意味不明なツンデレ状態であった。

お世話になった皆様、いろいろとありがとうございました。

自宅の警備に勤しむLUNA

 

【校長室】存在

今年度の中体連主催の大会がすべて終了した。地区大会では多く競技で優勝し、学校全体が活気づいた。夏の県中学総体での上位進出はなかったものの、県秋季大会では3競技の女子個人種目(水泳、陸上長距離、剣道)で3位入賞を果たし、来年の楽しみが一つ増えた。また、今年2月の県新人駅伝で頂点に立った本校女子駅伝も優勝と上位大会への出場権獲得が期待されたが、あと一歩力及ばず、昨年と同じ3位であったが、2年連続3位入賞は素晴らしい成績である。

半年前の覇者に油断はなかった。顧問、副顧問及び保護者らが協力して指導にあたり、部員たちも一生懸命練習に励んできた。暑さが苦手な本校の子供たち。夏場の練習は決して楽ではなかったはずだが、お互いに励まし合いながら、悲願の九州大会、全国大会出場に向けて頑張っていた。5月に部員の一人がけがをするアクシデントもあったが、みんなで支え合いながら、今日まで気持ちをつないできた。だから、10月の4地区合同駅伝では、断然トップの圧勝を予定していた。しかし、結果は2位。優勝校に2分近くのタイム差を付けられてしまった。その優勝校は、2月の県新人駅伝においては上位3校ではなかった。何でも、複数名の新入部員の加入で、部全体の練習への取組そのものの質が上がったとか。同時に入部した部員を含め、先輩たちとの間に相乗効果が生まれ、着実に力を付けていた。子供たちは無限の可能性を秘めている。その内なる力を発揮させることが指導者の役目の一つであろうが、ここまで伸びると誰が予想したであろうか。そのチームは県大会でも優勝し、全国大会への出場権を獲得した。高千穂中の部員も地区予選の時より軒並み記録を縮め、万全の状態で県大会に臨むことができていただけに、悔しさがあったことは否定できないが、それ以上に、新入部員の加入がこれほどの波及効果を発生し、素晴らしい結果をもたらしたという現実は、本当に賞賛に値する。新入部員の存在が、他の部員に夢と希望を与え、それが自信にもつながった。まさにあっぱれであった。

本校に赴任した昨年、私は集会活動の素晴らしさを実感した。それは、生徒のもつ「場の力」である。本校生徒は、一人一人個性があり、他地区の生徒と何の変わりもない、今どきの中学生であるが、集団で行動するときの気持ちを合わせる意識がすごく高い。集団行動において、気持ちを一つにすることはとても大事なこと。それぞれの考えを一旦無にして、共通実践をする。その意識そのものが本校生徒の長所の一つでもある。ただ、残念なところは、集団行動に限らず、その他の場面でも気持ちを一つにしすぎて、他と違うことをしないようにしようとする点である。そう。「主体性」は本校生徒の大きな課題の一つである。個の力を発揮すべき場面では、ぜひ自信をもって堂々と行動してほしい。ある調査では、日本人は集団の中で、いかに自分が目立たないようにするかを考える傾向が強いとのこと。確かに各種会議や研修の中で、そういう雰囲気を感じることがある。私は、人は自分の意見にもっと自信をもって良いと思う。私自身一言多く、時折場を盛り下げてしまうことがあるので、それはそれで改善しなくてはいけないと思うが、決して己の価値観を無理に押しつけているのではなく、裏付けとなる根拠をもって意見を言っているつもりである。そのように意見を出し合いながら、着地点(妥協点?)を見いだし、合意形成を図ることが大切であると考える。

人は一人になると弱いもので、突出するのを避け、目立たないように「右へならえ」で行動しようとしがちである。しかし、存在している意味がない人はこの世にいるはずがない。だから、個々の考えもとても貴重であるし、同様の意見はあっても、全く同じ考えの人誰一人としていないと思う。唯一無二の存在、それほど希少な人が「何の価値もない」とか「取り柄がない」はずがない。人の存在には必ず意味があり、尊重されるべきである。新入部員の加入で、部全体の雰囲気がさらに大きく好転し、わずか半年で県大会優勝をするほど、すばらしい成長を遂げたチームがあるのだから。

【校長室】〇〇の秋

芸術の秋。本年度の紅葉祭が終了した。本年度は本校体育館を利用した。昨年度、施設の老朽化や収容人数確保を理由に、町武道館での実施を試みた。ゆとりがあって良かったが、本校生徒の規模から言えば、少々広すぎた。発表で使用する道具・用具の移動やリハーサルも困難であった。当然、会場使用料もかかるため、本年度は本校実施に戻した。

文化祭と言えば、弁論や合唱コンクール、学級・学年による学習発表や劇、吹奏楽の演奏等が定番であろう。しかし、ここは高千穂。昔から受け継がれてきた地域伝統芸能がたくさんある。神楽、棒踊り、薙刀、民謡(刈干切唄)、彫り物(えりもの)等々、それらの披露も楽しみの一つである。

例年、全学年に地域伝統芸能を学ぶ機会を設け、紅葉祭で披露してきたが、中山間地域とは言え、本校生徒は本年度234名の生徒が在籍している。限られた時間の中でそれなりの内容を身に付けるには、少々生徒が多すぎる。指導が行き届かないという反省もあり、本年度は第1学年77名に学習させた。毎年地域の保存会の方々が講師として指導に来られるが、今年度は第1学年のみのため例年の3分の1の生徒数。指導は行き届いた。学ぶ時間は、総合的な学習の時間から捻出し、計10時間と限られている。学習するほど、教育的価値の高い芸能であることを生徒も教師も実感している。ふるさと高千穂の伝統芸能を地元地域の活性化やさらなる認知度のアップにつなげるとともに、歴史や文化の次世代への継承と後継者育成の一助としたいと考える。学校には地域の方々と連携しながら教育活動を進め、これらの優れた伝統芸能を正しく、より良く発展させていく責務がある。少子化の影響は顕著であるが、その一方で地域伝統芸能の保存会の方々は熱い思いもある。郷土愛を育む素地豊かな地域であるがゆえに、地域とのつながりを大切にしながら伝統と文化の継承に邁進したいと考える。今年度は、隣県からの見学者もあり、保存会の方々の中には、一生懸命舞う1年生の姿を見て涙を浮かべられる方もいらっしゃった。何事にも変えることのできない最高の賞賛である。

スポーツの秋。県中学校秋季体育大会が終了した。本校は、陸上・男女バレー・男女バスケット・サッカー・女子ソフトテニス・剣道男女・水泳・弓道・バドミントン・空手で出場した。剣道女子、陸上女子、水泳女子等、個人競技で3位に入賞する等、上位入賞を果たしている。サッカーや男子バレーもベスト8に入賞し、今後が楽しみであるが、応援していて、もう少し競争心があってもいいのかなと思うときがある。自然豊かな、すばらしい環境のもとで学んでいる生徒たち。200名を超える生徒が在籍しているとは言え、それほど競争がある地区ではない。スポーツをガツガツすることが好ましいとは言わないが、惜敗した競技は多くの生徒が涙を流していた。それを目の当たりにすると、できれば勝たせてあげたいと思ってしまう。

学校は、生徒が卒業してからどう成長していくかを教育する。私はよく「失敗は成功の近道」と言うが、努力によって報われる成功も可能な限り体験させたい。特にスポーツの世界の成功例は、社会に新たな価値を生み出すとも言える。経産省の言う「社会人基礎力」のうち、「前に踏み出す力(アクション)」~一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力の三つ、①主体性;物事に進んで取り組む力、②働きかけ力;他人に働きかけ巻き込む力、③実行力;目的を設定し確実に行動する力を身に付けるのに適した機会である。

今後、働き方改革の一つとして、部活動の地域移行がさらに加速する。部活動は必ずしも教師のなすべき業務ではないが、部活動指導をしたくて教師を目指すケースも決して少なくない。部活動指導において、自分を支える強い情熱と使命感は生徒一人一人の人生に大きな影響を与える特別な業務の一つでもあると私は思う。学校教育において、重要な役割を果たしてきた部活動。その経験は、予測困難な未来において、よりよい社会を創るという観点から、子供たちが社会や世界に向き合い、関わり合い、自分の人生を切り拓いていくために求められる資質・能力を身に付けていくきっかけになると考えるのは、決して大げさなことではない。

【校長室】地域資源ブランド

中山間地域で生活する子供たちは、素直で愛想がよい。授業態度がよく、非行等問題行動もほとんどないとよく言われる。へき地校が多く、児童・生徒数が少ないのもその要因の一つであろうが、本校は234名の生徒が在籍しており、小規模校ではない。それでも集団行動がしっかりでき、集会活動を見るたびに、見事なものだと感心する。これまでの教職員生活を振り返るといわゆる生徒指導困難校での勤務が多くを占めていたからか、現在は、毎日の学校生活が充実し、身体的・精神的・社会的に安らぎ、すごく幸せである。生徒の保護者や祖父母は本校出身の方々が多く、「生徒のために」と協力を惜しむことがなく、それが強みでもある。地域の教育力も高く、“高千穂の宝”として、様々な場面で生徒を支えてくださっている。

本校の校舎は特別教室棟が昭和39年に、普通教室等が昭和53年に建築され建物や設備の老朽化が進んでいる。また、現在の学校用地が急傾斜地特別警戒内にあることから、数年後に本町の温泉跡地に移転することが決まっている。そこは、将来的には九州中央自動車道の整備が計画されている近くで、自然災害時の物流関係のライフライン確保が可能である等、立地条件がよい。もちろん、移転に必要な費用も高額になる。したがって、移転を控えている現在、校舎等に関する修繕費等が抑えられるのは無理ないことである。しかし、今年度熱中症対策として新たにエアコン4台が設置された。費用の捻出も大変だったのではないか。「校長に無断で設置を決定して申し訳なかった・・・」とさえ言われたが、いえいえ、何とありがたいことか。8月末の奉仕作業の際、生徒に報告すると歓声が上がった。夏の暑い時期、子供たちにとって、特別教室で授業を受けることはさぞ辛かったことであろう。家庭で不満を口にすることがあったかもしれないが、学校で耳にすることはなかった。それだけ辛抱強いことも誇らしい一面であるが、これまでそういう健康面での配慮を行えなかったことは、校長として深く反省すべき点である。

このように、人的環境の面でかなり恵まれている本地域は、「GIAHS(世界農業遺産)」や「祖母・傾・大崩ユネスコエコパーク(生物圏保存地域)」に認定されており、資源が豊富で、地域とともに学習する環境も整っている。令和5年に策定された「宮崎県教育振興基本計画」(本県の教育、文化・スポーツに関する最も基本となる計画)には7つの基本目標がある。その基本目標3「ふるさとへの誇りと愛着を持ち、世界を視野に活躍する活躍する人材の育成」の施策8は「社会の変化に対応した多様な人材を育む教育の推進」である。その施策の内容の中に「持続可能な開発のための教育(ESD)の推進がある。昨年度から国土交通省主催宮崎大学主導の「流域治水学習」に参加し、今年度は国指定で「循環型社会を実現する環境教育」にも取り組む。2015年にGIAHSの認定を受け、9年が経つ本地区。世界レベルで評価された生活様式が地域にとっては日常的な活動で、「当たり前」となっている。本町ではこの現状を踏まえ、小・中学校で実施している地域学習をGIAHSの視点から整理し、高千穂GLOCAL(グローカル)として、地域の財産への理解と地域への誇りが醸成されていくよう、取り組んでいる。2030年までに達成すべき17の目標。これは持続可能なよりよい世界を目指す国際目標である。2030年は、令和12年。現生徒は20歳前後で、社会人として働いている生徒がいるであろう。SDGs17の目標のうち、直に触れることのできる項目が高千穂町にはある。県教委や県森林組合主催の事業についても多数の案内をいただいている。校長として、生徒の学びを軸にして、この貴重な地域資源ブランドを学校教育に生かし、学校という学びの場を大切にしながら学校経営に携わっていきたい。

【校長室】必然

8月31日(土)に本町の五ヶ所三秀台の平和祈念碑前で、「第28回五ヶ所平和祈念祭」が開催された。第二次世界大戦敗戦後の昭和20年8月30日、熊本県の捕虜収容所へ救援物資を空輸中のB29が高千穂町五ヶ所の祖母山に墜落した。このときの搭乗員12名と時を同じくして、終戦直前に同町に墜落死した日本軍戦闘機のパイロット1名を慰霊するために、平成7年に地元有志の平和祈念碑奉賛会が町当局の協力を得て「平和祈念碑」を建立し、毎年平和祈念祭を開いているとのことである。そもそも、この事故の事実を知ったのは、本校で実施した平和学習の講話である。沖縄から高千穂町への学童疎開に関する話の中で、墜落のことにも触れられ、この平和祈念祭と繋がったのである。祈年祭当日は、命を落とした計13名の冥福を祈り、参加者全員による黙祷と五ヶ所在住の小中学生による13回の献鐘が行われ、その後参加者による献花と続いた。その日は台風一過で、雲一つない晴天に恵まれたが、献花が始まると突然強風が吹き始め、それは献花が終わるまで続いた。祈念碑前の机上に捧げられた花は、幾度となく風で飛ばされそうになったが、献花が終わると同時に風は止み、穏やかになった。“私たちの世界に起こる現象は、現実的な影響だけでなく、目に見えない(スピリチュアル)の影響も必ず受けている”と聞いたことがあるが、それだったのであろうか。「神々が天上界から地上に降り立った天孫降臨の地」高千穂に住むと神社への参拝の機会が多く、急に吹く風を感じることがよくあるが、その風はさわやかで気持ちがよい。この時の風も強風ではあるものの、決していやなものではなく、むしろ心地よかった。

さて、献花では、上野にある玄武山正念寺の副住職による読経と法話があった。この正念寺は、昭和19年に沖縄県豊見城村第一国民学校から、学童疎開として上野村に到着した学童75名のおよそ半数(残りの半数は学校)が生活したところとのこと。およそ10分間の法話では、今生かされていることは「当たり前ではない」と話された。当時様々な理由で日本の戦争資料に記されていなかったこのB29墜落の事実。飛行機の残骸が地域の人にたまたま発見されたことから、この事実が明らかになったこと。この発見がなければ命を落とした方々の遺族は、詳細を知ることがなかったこと(祈年祭参加の西部方面総監部在日米陸軍連絡将校のあいさつによる)等、この発見は当たり前ではない。偶然ではなく、必然だったのではということである。1+1は「2」。我々にとってはこれが当たり前であるが、今は1+1は「鬼」(ちなみに2+2は「4」ではなく「カニ」らしいが・・・)とも言うらしい。

多種多様な考え方を受け入れることが大切と言われる共生社会。ほんとうにいい教師は、相手を選ばず、生徒の話に十分耳を傾け、その気持ちに寄り添うことができる人。不登校やいじめにあった生徒、性的少数者等の少数派の視点に立ち、寄り添い守ることができる人。若い教員の「今どきの感覚」をばかにするのではなく、耳を傾けて学校全体の教育活動に取り入れる人等である。日常生活の中で出合う様々な出来事は当たり前ではない。だからこそ、どのようなことでも自分の価値観にとらわれることなく、一つ一つを大切にするという意識が必要だと感じさせられた。

最後に、本校壷田つくしさんによる追悼作文を紹介する。

「あの翼に乗せて」

今日も誰かがどこかでいじめられて、明日もどこかで誰かが泣くでしょう。日本では戦後79年の時が過ぎ、この平和の鐘の音色も天高く響いています。平和というものがふと当たり前にあると錯覚してしまいますが、それは私たち一人一人の優しさや思いやりからつくりあげるもの、隣の友達が困っていたら声をかける勇気から始まるのではないでしょうか。私にはどうしたら戦争がなくなって、哀しむ人がいなくなるかはわかりません。詩人の宮沢賢治は「私の幸せは世界中の皆んなが幸せにならなければ有りません」と言いました。その言葉を借りるなら「私の幸せは隣の友達が笑っていなければ有りません」と言いたいです。世界のみんなが、隣にいる友達を笑顔にできたら、いつか本当の平和がくるのではないでしょうか。79年前の夏、奇しくも目の前に広がる山々に、アメリカと日本の飛行機が墜落して、合わせて13名の尊い命が失われました。亡くなられた若い方々は戦争が終わったらどんなことをしたかったのでしょうか。きっと、まず無事を伝える笑顔をお土産に、家族や恋人の元に帰りたかったのではないでしょうか。

あの夏墜落してしまった翼に、もう一度笑顔を乗せて世界に飛び立ちましょう。

 

追伸 アメリカ合衆国と日本両国の国家及び合唱を聴かせてくださった「大いちょう歌劇団」の皆様、すばらしい歌声をありがとうございました。

【校長室】2学期始業の日

始業式校長挨拶

「皆さんの夏休みはいかがでしたか。県中体連の大会から始まり、パリオリンピックでの日本選手の活躍等で多くの感動を得ることができました。その一方で、地震も発生しました。日本全国では、水の事故に限らず、大雨や突風、落雷、台風などの自然災害による被害のニュースもたくさん舞い込んできました。被害を受けられた方々へのお見舞いを申し上げます。

さて、生徒の皆さんにおいては事故の報告を受けておりませんので、一安心をしているところです。この2学期は行事がたくさん計画されています。校長先生は皆さんが無限の可能性を発揮してくれることを楽しみにしています。失敗を恐れることなく、自信をもって様々な教育活動に取り組んでほしいと思います。また、来年4月には上野中が統合されます。その統合の準備として、上野中の生徒と多くの交流を予定していますので、積極的に交流を深めてください。なお、3年生については、受験が近づいてきます。皆さんの将来の目標をしっっかり見据えて、取り組んでほしいと思います。昨日の奉仕作業で、学校はとてもきれいになりました。特別教室にも地域の方々のご協力のおかげで、エアコンも設置されます。台風10号が近づいており心配していますが、いかなる場合でも想定外を想定した行動をとり、命を守る行動を優先してください。以上で校長先生の話を終わります。」

【校長室】1学期終業式 

さっそくですが、背筋をピンと伸ばして、静かに目を閉じてください。

そして、1学期の自分について、ちょっと振り返ってみてください。

はい、それでは、目を開けてください。

先ほど、各学年の代表の皆さんが1学期を振り返ってくれました。

1年生代表生徒は、教科担任制や体育大会、期末テストなどを「初めてづくしの1学期」として振り返り、明日からの夏休みを「変化できる大切な休み」と位置付けていました。

2年生代表生徒は、体育大会で高めた団結力、修学旅行で学んだ公共マナーのこと、そして、主体性をもっと理解し、自分たちで気付き、行動することを意識したいと言っていました。

3年生代表生徒は、1学期の学級委員長での苦労をクラスメイトと協力して乗り越えたこと、そしてこれから見通しをもって行動することで有意義な生活を送ると決意を述べてくれました。

そして、最後に生徒会代表生徒は、集会時での集団行動や話の聞き方について改善を呼びかけるとともに、SNSの利用について問題提起をしてくれました。皆さん、苦労や失敗を繰り返しながら、新たな目標を立て、行動していこうという意欲的な気持ちが十分伝わってきました。みなさんもおそらく同じような振り返りができたのではないかなと思います。

校長先生は「失敗は成功の近道」と思ってますので、あえて失敗できる機会をたくさんつくっていただくよう、先生方にお願いしています。ですから、皆さんはいくつか失敗経験をしてきたと思います。

例えば、校則検討委員会で校則について自分たちであるべき姿を考え、実践してきました。頭髪に関する細かな規則も撤廃しましたね。そして、今年、眼科検診が実施された際に、お医者さんから、前髪の長さに関する指摘を受けました。健康面での根拠がしっかりと示されました。これについては、養護教諭の先生からも放送で話があったと思います。その後、皆さんは改善できたでしょうか?今、ちょっと確認してみてください。前髪とかは目に入っていませんか?

それから、生徒総会の時、校長先生は集団行動について注意をしましたが、その後どうですか?先生が見るには、まだ満足はしていませんが、かなりよくなったと思います。

皆さんのよいところは、指導されたことに対して、聞く耳をもっているということ。そして、改善することができるということです。できれば、そういう問題点に皆さんが自ら気付き、考え、判断し、改善するという行動をしてほしかったなと思います。それが、いわゆる主体性であり、その主体性を身に付けることこそが大人への第一歩だからです。

ところで、「スクラップアンドビルド」という言葉がありますが、耳にしたことはありますか?

「スクラップ」は、解体するとか廃棄する、処分するという意味です。「ビルド」とは、組み立てる。製造するという意味があります。そして、「スクラップアンドビルド」という意味は、企業、会社でよく使用される言葉ですが、例えば、利益の出ていない部門を整理して、新たな部門を設けたり、建物を改築したり、設備を置き換えたりすることで利益の向上を図るということです。

皆さんに言い換えれば、自分で考え、判断し、行動したことが間違いだと指摘を受けた場合、考え直し、改善しながら、少しずつ成長していくことだと言えます。夏休みはそういうことを考えるにはちょうどよいかも知れません。

最後になりますが、校長先生も1学期を振り返ってみました。たくさんのすばらしい出来事がありましたが、その中でも特に印象に残っていることがあります。それは、本校の生徒が、人一人の命を救う行動をしたということです。本人の希望により、これ以上詳しいことは言えませんが、勇気ある、模範的な行動だなと本当に感心しています。

明日から、37日間の夏休みに入ります。気を付けてほしいことは、命を含めて健康管理です。水の事故、交通事故、熱中症、そしてコロナ感染者も増えてきていますが、どういう場面でも「想定外を想定」しながら、生活すれば、皆さんのことですから、安全・安心な夏休みを過ごすことができると思います。2学期の始業の日に、全員が元気な顔を見せてください。

【校長室】支え

第75回県中学総体が開催されている。おかげさまで、本校は学校部活動や社会体育を合わせて14競技に出場している。地区予選での団体優勝も7本と近年ではまれにみる好成績であったが、県大会では、厳しい現実を経験する結果が続いている。

九州のほぼ中央部に位置する高千穂中が、県大会に出場するともなると、なかなか大変な面もある。移動する距離は、場所によっては修学旅行(今年度までは九州北部が行程であった)の訪問先よりも遠くなることもある。それでも、保護者は「子供のために・・・」と配車や宿泊先の手配、応援等々、一生懸命してくださっている。「高千穂の宝」と言われる純粋な子供たちは、その感謝の気持ちを忘れない。だから、さらにやる気を伸ばす。その子供の姿が保護者にとっても頑張れる糧となる。

応援席を譲ってくれた他チームの生徒を日陰の応援席に誘導していた保護者。中学生という同じ世代の子供を育てている親の一人として、どの子供にも分け隔てなく優しく接する心の広さに、人としての大きさを感じた。そういう姿が子供たちをさらに成長させる。見習いたいものである。

別の競技で、今年度県北部でも上位に位置する部がある。県大会でも活躍が期待されたが、初戦の相手は南部の強豪チーム。レベルの違いを見せつけられ、結果は完敗であったが、試合終了の笛が鳴るまで、ずっとボールを追いかけていた。点差が広がっても、試合を捨てず最後までプレイに集中していた。素敵な子供たちである。応援していた保護者たちも目をそらさず、頑張る子供たちを見守られていた。その姿は子供たちと一緒になって戦っているようにさえ見えた。“この親にしてこの子あり”。まさにそう感じた光景である。

競技によっては、天候に左右され、延期を余儀なくされる。実際に、延期が続き、試合ができていない部活動がある。予定よりも一週間遅れの実施となるであろう。モチベーションを維持するのも容易なことではない。それでも、ピークを維持するべく、日々の練習に励み、大飛球の一撃。部室の窓ガラスは木っ端みじん。もちろん、子供に責任はない。むしろ、好調を維持していることに喜びさえ感じる。そのグラウンドを軽トラで整備されている方がおられた。おそらく、保護者の一人であろう。その日は、リフレッシュデイで部活動は中止だったため、その合間のことと思われる。このような陰での支えは子供たちの力になる。熱中症を考えると長時間の練習は危険であり、子供たちが練習だけに集中できる環境は非常にありがたい。チームの勝利には、このような保護者の貢献も欠かせないものである。

今週末から来週にかけて、バレー男女、野球、陸上、バスケット男女、バドミントン競技が実施される。日々の厳しい練習を通して、自らを高め、予選を勝ち抜いた子供たちである。このように応援してくださっている保護者への感謝の気持ちを忘れることは決してないであろう。

中には、3年後に本県で開催される2027年の「紡ぐ感動 神話となれ 日本のひなた 宮崎国スポ 障スポ」の選手となる子供がいるかもしれない。これまでの練習の成果を存分に発揮し、悔いが残らないよう、全力プレイで熱戦を繰り広げてほしいと切に願う。私も可能な限り、応援に行きたい。また、慌ただしい週末が始まると思うと、ただただうれしい限りである。

【校長室】非日常に学ぶ

およそ10年ぶりの修学旅行。行き先は九州北部の2泊3日。全てバスで移動という行程である。本県中学生の修学旅行先と言えば、関西方面が定番で、コロナ禍以前は本校もそうだったとか。修学旅行で九州を回るのは、おそらく30年ぶりくらいではないか。バスで移動ともなると「乗車時間が長くて辛いのではないか」と思いがちだが、高千穂町は九州のほぼ中心。熊本市内まで2時間、福岡市内でも3時間あれば十分である。

初日は、心配された雨もなく、曇り空。時折太陽が顔を見せるくらい回復した。キッザニアでの職業体験、太宰府天満宮での参拝と滞りなく、行程を進めた。生徒も満足げな顔をしており、ホッと胸をなでおろした。翌日が長崎自主研修ということで、初日の内に長崎へ移動するも、雲行きが怪しくなり、宿舎に到着した頃は、相当雨が降っていた。荷物を部屋に運ぶとまもなく夕食の時間が近づいてきたので、会場に向かった。学校では問題行動もなく、真面目に生活している生徒たち。そもそも、修学旅行は、何のためにあるのか。どういう学びをするものなのか。目的はいろいろとあるが、私は“修学旅行という非日常の生活の中で、いかに普段どおりの行動ができるか”に限ると思っている。事前指導を徹底する学校がほとんどであろう。旅行期間大切なお子様をお預かりするわけだから、責任重大であるがゆえに、それも無理はないが、非日常では予期せぬことが起こることも十分にあり得る。指導したことで無事に済めば、それはそれでよい。ただ、せっかく修学流行にいくのであれば、さらなる効果を期待したくなるのはぜいたくであろうか。決して問題が発生した方がよいと言っているのではなく、想定外のことが発生したときどう対処するべきかを実践的に学ぶことができれば、それも修学旅行の意義の一つではないか。歴史上の建築物や雄大な自然に触れるとともに、学校という枠を越えた社会を学ぶことも大切であると考える。

初日の夕食が終わるに近づいた頃、生徒はおひつに余っている白米を残してはいけないと必死で食べようとする。食べきれないものを他のグループに回しはじめる。少しずつ騒がしくなる。それでも残してはいけないと、おひつをもって離席が始まる。正義感に燃えた男子生徒は、無理を承知で食べ続け、予想どおりのREVERSE。それを見た2名の生徒が気分不良を訴え、即医務室へ。よかれと思ってはじめた行為が、まさかの負の連鎖へ発展するというアクシデント。ホテルの従業員の方々は、迅速に対応し、養護教諭も生徒の看病にあたる。翌日、何事もなかったかのように行程が進む。

大雨の中、長崎自主研修が進む。トラブル発生時用に班ごとに携帯電話を貸し出し、生徒の動向を本部で見守る。雨のせいか班別研修は、計画よりも早く進行する。服がずぶ濡れになってしまい、“このままでは体調を崩してしまうのではないか”と行程を前倒しする案が浮かび上がる。自主研修を早めに終える班が多い中、計画どおりに行程を進めることができた班が1班だけあった。すばらしい計画である。はずなのに、この日に限っては、まるで自分たちが集合時刻を過ぎてしまっているかのような雰囲気になってしまう。唯一計画どおりに研修を進めていたにもかかわらず・・・。しかも、予定を変更して集合を早めようとした結果、行き先の違う路面電車に乗ってしまう。それでも当初の予定前には到着し、事なきを得た。修学旅行には数多くの人が関わっている。添乗員さんを含む旅行会社。バスの運転手やガイドさんを含むバス会社。各観光地のスタッフや宿泊先のみなさん。食事を作ってくださる方々等々。多くの人が様々な場所で、工夫し、対応をしてくださっていることで修学旅行が成り立ち、思い出に残る楽しい旅行になることを実感してほしい。

事前指導は必要最小限にして、生徒が主体的に行動できる機会を与えること。それはすなわち失敗できる環境を整えること。私の口癖の一つに「失敗は成功への近道」がある。最終日、ホテルでの朝食はバイキング。最もマナーの問われる場面ではあるが、生徒は落ち着き、整然と食事をすることができていた。短期間に、確実に成長できる生徒を私は誇らしく思う。やはり子供たちは無限の可能性を秘めている。今秋実施予定の職場体験学習においてもさらなる成長が期待できる、社会の一員として自分にできることは何かを考え、さらなる成長を遂げることは間違いないであろう。

【校長室】COMPETITION

 第75回西臼杵地区中学校総合体育大会が終了し、団体競技7つの優勝を筆頭に、例年以上のすばらしい結果を残した。本地区の中学校数は5校。都市部のように県大会への出場権を得るまでの試合数はさほど多くはなく、むしろ、比較的楽に感じられるかもしれない。しかし、出場する選手にとって、試合数はあまり関係ないようである。大会当日に最高の結果が出るよう調整をしても、所詮は中学生。上手くいかないことが多い。その不調を補う時間はなく、試合本番中に何らかの手立てを打たねばならないし、それが成功しなければ、「敗北」という結果が待ち受けている。特に、一発決勝の競技において、勝利と敗北の割合は五分と五分。勝ちやすさは負けやすさでもある。本地区の生徒はそれを知っている。だから、前評判で不利な場合は、態度面(声出しや元気さ等)にも全力を注ぐ。技術的に有利なチームは、勝って当たり前というプレッシャーに潰されそうになることもよく目にする。そもそも、中体連の大会は、「学校生活の延長」とされ、決められたルールの中で節度と気遣いのある行動ができるようになるための「教育の場」である。「勝負の世界は厳しいからこそ、心身ともに成長させる」ことができるし、「教育的配慮によって成長を促す」こともできる。中体連の大会はどちらの対応でも生徒にとっては、成長できる最高の機会であることに間違いない。「勝つこと」は、多くの生徒にとって目標の一つで、優勝した生徒や県大会出場を決めた生徒には、心から「おめでとう」と言ってあげたい。本気で練習に打ち込み、厳しい練習を乗り越えて勝つことができた生徒にとっては忘れられない大会の一つになったはずである。個人差はあると思うが、その成果を出すことができた大会は心にしっかりと刻まれるもの。それは応援してくれた保護者も指導者も同じである。そういう私も、およそ10年前まで部活動指導に勤しんでいた。受け持った部が優勝した時のことを思うと言葉で表現することができないくらいの感情がよみがえる。と同時によもやの敗北も苦い思い出として、心に焼き付いている。ある陸上競技大会でも同様の光景を目の当たりにした。当日棄権者が出たため、その種目は予選なしの一発決勝に変更。優勝を期待された選手はまさかの失格。本来ならば標準記録を突破するほどの実力者。予選があれば、そのタイムでも県大会出場は間違いなかったとのこと。自身も周囲も勝利を信じて、これから長い夏が続くだろうと全国まで視野に入れていたレース。強豪校の選手である。その後の心のケアを考えると胸が痛む。これまで、数々のレースで優勝していたかもしれないが、この時は、「敗北」という2文字を結果として与えられた。厳しいが、これが勝負の世界の現実である。「勝利」という最高の喜びの陰には、それと同じ、いやそれ以上の「敗北」という悔しさがある。それを忘れてはいけない。同情するとかではない。そういうことを考えられる生徒になってほしい。そういう気持ちがさらに人としての成長に繋がるものだと私は思う。

 7月6日(土)から始まる県中学校総合体育大会。今年度は分散開催で、本校生徒が出場する競技は、7月26日(金)まで続く。長丁場であるが、可能な限り足を運んで応援したい。本校の生徒が参加する競技が多いということは、校長として誇らしいことであり、とても楽しみである。これからの試合における結果一つ一つが中学校部活動の一区切りとなる。さらに続くか、終わるか。中学生が本気で取り組んできたからこそ得られた様々な思いは、かけがえのないもので、その時の涙の価値は何事にも変えられない財産である。このような経験を大切にしながら、さらに成長してほしいと願う。