部活動

2015年7月の記事一覧

595セットの軌跡③

 595セットの軌跡も3回目ということで、今日は県トップクラスのチーム(主観)との試合の成績をみていきます。

 県1位 対三股中学校・・・1勝21敗(4月以降は1勝3敗)
 県2位 対本庄中学校・・・5勝7敗(4月以降は4勝1敗)
 県3位 対宮崎西中学校・・・9勝13敗(4月以降は3勝4敗で中体連も含む)
 県4位 対日向学院中学校・・・4勝2敗(4月以降も4勝2敗)
 県ベスト8 対沖水中学校・・・16勝7敗(4月以降は11勝4敗)
 県ベスト8 対三松中学校・・・6勝10敗(4月以降は0セット)
 県ベスト8 対姫城中学校・・・16勝11敗(4月以降は3勝6敗)
 県ベスト8 対木花中学校・・・17勝26敗(4月以降は5勝7敗)

 ベスト4相手の対戦成績(4月以降)を見ると、12勝10敗と少し勝ち越している程度です。練習試合と大会とではまた違うものということもありますが、この数字を見ても、県のベスト4に入る可能性はあったものの、確実に入るだけの実力は足りなかったのだと思います。あとは運を引き寄せるだけのバレーボールに対する真摯な思いがあれば、もしかしたら運を味方に付けることができたのかもしれません。

 上記の強豪校のうち、1年生がレギュラーとして加わっていたのは、おそらく宮崎西中がリベロに1年生を加えたのみで、2名、しかも1人はチームの要のセッターであった榎原中は、チームの完成までに時間がかかり、安定感に欠けたことも原因の一つではあります。3月までは2セッターで、1名は素人1名はレシーバーだったので、そのままミドルブロッカーの⑥とセッターの⑦をレシーバーとして入れ替えておけば、おそらくもっと安定したゲームを展開し、“ベスト4に入る確率”は上がっていたと思います。

 しかし、ベスト4に入ることは目標ではなく、県大会で優勝し、そして九州大会を勝ち抜いて全国大会に行くためには、2セッターでは厳しく、どうしても新しいセッターを育てなければなりませんでした。そこでセッター経験がほとんどない⑦に榎原バレーをたたき込みました。時間がないということもあって、最初から榎原中のセッターとして必要なA・B・Cクイックと、1~9までの12種類のトスを無理を承知で上げさせました。そして⑦はその期待に応えて3年生に混ざっても遜色ないくらいのトス回しができるようになりました。この3ヶ月で一番悩み、そして成長したのは⑦だと思います。他チームの監督さんからも⑦のことが一番良く褒められます。

 実際に、これまでいろいろと試してきたフォーメーションや戦術の最終形態を確認するために行った6月の日南振徳高校での練習試合では、これが全国大会を目指すこの代の榎原中学校のバレーだという理想形でした。結局そのときに裏エースの②が骨折をしてしまったために、この完成形は日の目を見ることはありませんでしたが、セッターを中心に、それぞれの良さを生かした本当に美しいバレーをすることができました。このときのバレーを頭に描きながら、1・2年生は新チームでも頑張ってほしいと思います。

 これで、この代のチームの振り返りはおしまいです。次は土曜日に行われるJOCトライアウトとジュニアアスリートが終わり次第、新チームを始動させようと思います。新チームでも榎原中学校男子バレーボール部をよろしくお願いいたします。
0

595セットの軌跡②

 榎原中学校は、7月6日の木花中との練習試合を皮切りに、先日の7月24日に宮崎西中に敗れるまで全595セットの試合を経験してきました。最終的な勝敗は、434勝161敗です。そこで今回は、これまでの練習試合の記録として、榎原中が練習試合を行ったチームトップ10を紹介します。

 第1位 65セット・・・吾田中学校(秋まで1名レンタルしていたことと、前顧問のY先生がJOCスタッフだったため一緒に練習することが多かったです。)
 第2位 62セット・・・福島中学校(よく半日2チームで練習しました。なかでも県大会前に15点マッチで17セット行ったことが大きかったです。)
 第3位 43セット・・・木花中学校(前顧問のK先生のころから、距離が比較的近いこともあってよく一緒にさせていただきました。この代の最初と最後は木花中でした。)
 第4位 33セット・・・妻ヶ丘中学校(私の前任校です。一度も練習試合を断られたことがなく、感謝しています。新チームでもよろしくお願いします。)
 第5位 27セット・・・姫城中学校(スーパーエースKがJOCでいない時期によく練習試合をしていました。また顧問のT先生は女子バレーを見ていたときから知っています。)
 第6位 26セット・・・宮崎西中学校(顧問のH先生がJOCのためあまりチームに付けない時期によく来ていただきました。いろんな練習会にも誘って下さり、ありがとうございました。)
 第7位 25セット・・・大淀中学校(顧問のY先生とは、以前勤めていた佐土原中学校の時からの付き合いです。)
 第8位 23セット・・・沖水中学校(都城市での練習試合によく呼んでいただきました。榎原中はほとんど練習試合に呼ばれない中で、一番呼んでいただいたのではないかと思います。)
 第9位 22セット・・・三股中学校(連絡はかなり取ったのですが、なかなかタイミングが合わず、あまりできませんでした。)
 第10位 19セット・・・宇都中学校(前チームのころから、鹿児島県からは一番来ていただいています。)

 1日練習試合をすると、だいたい3セット位対戦しますので、第10位の宇都中学校でも6・7回くらいは試合を一緒にさせていただいているということになります。こうやって見ていくと、いかに多くの練習試合や大会を経験してきたのかが改めて分かります。

 今年度も3月にFarewell大会を開催しようと思っています。昨年度はお世話になった南那珂地区のみの5チームで行いましたが、今回は榎原中がお世話になったチームを中心に声をかけますので、ぜひ参加をよろしくお願いします。
0

595セットの軌跡①

 県大会も終わり、新チームに移行する時期なのですが、今週末はJOCのトライアウトとジュニアアスリートに6名の生徒が参加をするので、未だ新チームはスタートしていない状況です。

 これからH26~27榎原中バレーボール部のこれまでを少し振り返ってみたいと思います。

 このチームの初めての練習試合は、7月6日の木花中での練習試合でした。当初5名しかいなかった榎原中は、木花中に1名を借りて練習試合を行いました。その後は吾田中に1名選手を借りて、榎原・吾田中として活動していました。そして秋の中体連で敗れた後、それまで音楽部で活動していた③が助っ人として加入し、榎原中として活動することになりました。

 それから鹿児島遠征や正月合宿等を経て、JA共催杯ではベスト8に入りました。しかし、アシックスカップ出場を逃したことで、途中鹿宮対県大会がありましたが、特に意識すること無く、2月からは4月以降のチームを見据えて、U-14に出るという名目ですぐに6年生を入れた練習を始めました。しかし2月の半ばに行われたU-14大会では、3位で九州大会には出場することができませんでした。これは大きなマイナスとなりました。その後も来られる範囲で6年生も含めて練習をし、練習試合にも参加させていました。

 そして、4月に入り、正式に音楽部だった③と1年生が入部してきました。しかし4月の大会は津曲杯・鹿屋大会ともに安定感のない試合運びで、残念な結果となりました。そこから5月のゴールデン都城、県南地区大会で優勝し、熊本県で行われた中原旗でも強豪ひしめく中3位という結果を残し、地区中体連を迎えました。地区中体連はほぼ完璧な内容で、やっと思い描くバレーの片鱗が出てきて、全国への道が見えてきました。結局その後、②の骨折や怪我、部活動停止など大きなトラブルが重なりましたが、なんとか県大会を迎えることができて、宮崎西中戦では現状でのベストのプレーができたのではないかと思います。

 この1年間で、18の大会に出場し、優勝6回、3位が3回、ベスト8が6回という結果でした。県レベルの大会では大きな結果を残すことはできませんでしたが、5名でスタートし、それほど恵まれたメンバーではない中で、選手達はほとんどの大会で全力を出し切ることができたと思います。結果を残せなかった原因は、やはり監督の指導力不足につきます。特に怪我人が出たりするなど万全の状態で最後の大一番を迎えさせることができなかったことが一番の反省点です。そして、この反省を次に生かしていくことが一番大切なことだと感じています。

 次は全595セットについて振り返って見たいと思います。

0

第66回宮崎県中学校総合体育大会

 7月24日~26日の3日間、宮崎県体育館にて第66回宮崎県中学校総合体育大会が開催されました。結果は以下の通りです。
 
 榎原中 1(21-25,25-22,18-25)2 宮崎西中

 榎原中は初日の第1試合に向け、午前中は榎原中の前校長であるK校長の計らいで、宮崎北中学校で練習をさせていただきました。北中には前姫城中顧問のY先生や、前広瀬中顧問のT先生もいらっしゃって、いろいろ昔話をしながら、リラックスした状態でいつも通りに練習をすることができました。その後、12時には県体育館に出発し、13時からの設定練習を終え、いよいよ運命の13時40分を迎えました。

 この大会で最大の悩みどころは、骨折している②をどのように起用するかということでした。先週のうちに目処が立っていれば、今大会でもスタメンで起用することができたのですが、火曜日に医者には止められているものの、ぎりぎりプレーをする目処が立った状態でした。なんとか前日にスパイクを打って、当日にブロックを軽くするのみの調整ではありましたが、それでも代わりに出ていた③よりは、②のほうが力としては十分計算できる状況でした。しかし、これまでも②の代わりに出ていた③で県内外の強豪と十分互角に渡り合ってきたので、その雰囲気を大事にしたく、スタートは③でいくという決断をしました。

 第1セットは序盤に1-4、4-10と点差を広げられ、その後最大9-16まで離されました。なんとか気持ちを保ちつつ②の途中交代や粘りのバレーでなんとか点差を縮めましたが、21-25で取られてしまいました。しかし、少しこちらのミスが多いだけで、作戦通りにプレーをして相手の攻撃はおさえていたので、第2セットに向けて気持ちを切り換えて、臨みました。
 第2セットも、2-5、4-8と出だしでつまずいたのですが、なんとか踏ん張り中盤まで食らいついていきました。15-15で追いついたあとは、第1セットからのねらいが徐々に効き始め、相手のミスを引き出すことができるようになってきました。序盤でエースの⑤が足を痛めるというアクシデントはあったものの、最後まで集中を切らすことなく、25-22で取り返すことができました。
 第3セットの出だしは、2セット目の勢いそのままに、5-3とリードしてスタートしました。これは良い展開だと思っていたのもつかのま、サーブからまさかの8連続失点を喫してあっという間に点差を開かれてしまいました。そして、中盤で⑤がついに立てない状況になり、メンバーチェンジでベンチに下がって万事休す。しかし、通常ならもうあきらめてしまうこの絶望的な状況にも、これまで何度も厳しい状況を経験してきた選手達は、最後まで必死に戦い抜きました。最後はブロックでなんとか取ったワンタッチを、最後にメンバーチェンジでコートに立った⑤がなりふり構わずに飛び込みましたが、ボールは落ちてしまい、18-25で敗れ、榎原中の全国への道は終わりを告げました。

 結局県大会は三股中が優勝、本庄中が準優勝、3位が宮崎西中、4位が日向学院中と秋の中体連と変わらない結果でした。結果を見てみる限りでは、この4校とフルセットに持ち込んだ沖水中、三松中、榎原中と、姫城中や木花中がこの代のベスト8だったのではないでしょうか。ベスト4とベスト8の差を改めて感じた3日間となりました。三股中と本庄中には、夢半ばで敗れた他チームの気持ちを背負って、九州大会で5位以内に入り、ぜひ全国大会に出場してほしいと思います。

 当日は榎原中の教職員や保護者の方々はもとより、地域の方々や音楽部の生徒、K前校長、前榎原中男子バレー部顧問のK先生など、たくさんの方々に熱い応援をしていただきました。選手達は本当にベストを出し切ったと思います。負けたのは監督の私の責任で、反省すべき点はたくさんありますが後悔はなく、やれることはやったという思いが強いです。

 3年生の3人は、これまで様々な困難を経験しましたが、最後まで仲間を信じて自分を信じて、全員バレーでこの舞台を思いっきり楽しむことができたと思います
。“全中に行って旭川動物園に行く”という目標は達成することができませんでしたが、“部活動を通して人間力を高める”という目的は達成できたのではないでしょうか。

 部活動を通して学んだことをこれからの人生に生かしてこその経験なので、3人の今後の活躍を期待しています。3年生、本当にお疲れ様でした。
0

夢への第一歩

 いよいよ県大会当日となり、目標であった全中まで続く夢への第一歩がやってきました。今頃選手達は車に乗って、午前中練習をする会場に向かっていることだと思います。榎原中には3年生が3名いますが、悔いの残らないように最後の準備をしていきたいと思います。

 キャプテンの①は、とても心が優しく真面目で、どんなことでも一生懸命にやり遂げることができる選手です。しかし時には、周りが言うことを聞いてくれなかったり、ケンカがあったり、部活動停止になったりと、キャプテンとして大変な思いをたくさんしてきました。しかし、日々の練習や大会、練習試合や遠征等を通して、チームをまとめることの難しさやチームがまとまった時の喜びなどをたくさん経験し、人間として一回りも二回りも成長したことだと思います。

プレー面でもなんでもできるがゆえに、リベロに始まり、セッター、ライト、レフトとたくさんのポジションを経験してきました。その結果、すべてのことを高いレベルでこなすことができる素晴らしいプレーヤーになりました。

いろいろなことに気をつかってしまう①ですが、県大会では、とにかく仲間を信じてバレーボールを心の底から楽しんでほしいと思います。


 エースの⑤は、入学したときにはとても幼く、自分にとても甘い部分が多くありました。2年生になってからは、プレー面では大きく成長しましたが、精神面ではまだまだ物足りない時期が続きました。そこで12月に行われたウインターリーグin都城でキャプテンをまかせたところ、緊張しながらもいつも以上に懸命にプレーしましたが、予選で敗れる結果となってしまいました。この経験がどのくらい⑤に影響を与えたのかどうかは分かりませんが、日々の生活の中でも積極的性が高まり、それから少しずつ、自分だけではなく、周りも見ながら声をかけたりすることができるようになりました。

⑤は身長が高くはありませんが、私は県でトップクラスのスパイカーだと思っています。しかし、私はスパイカーとしてではなく、榎原中のエースとして⑤を信頼しています。ただ点を決めるだけではなく、苦しい時にチームに勇気を与え、そしてチームを勝たせることができるのが真のエースです。

これまで学んだことをしっかりと出し切れば、きっと榎原中学校のエースナンバー⑤を引き継いだ選手として、チームをより高い目標に導いてくれることだと信じています。県大会では、バレーを通して、技術的にも精神的にも成長した姿をたくさんの人に見せてほしいと思います。


 最後に③です。③は音楽部に所属していましたが、吾田中学校から1名レンタルして臨んだ秋の中体連で敗れたあと、バレー部に助っ人として加入してくれました。それからたくさんの大舞台を経験して、今年の4月に正式に音楽部からバレー部に転部しました。③はスポーツ経験もなく、身体能力にも決して恵まれているわけではありませんが、言われたことはしっかりとやり遂げることができます。現に、昨年度も、②がいないこの1ヶ月の間も、③がレギュラーとして常にコートに立っていましたが、何の問題もなく強豪校とも互角に渡り合うことができました。③がバレー部に加勢してくれたおかげで、たくさんの大会に合同チームではなく榎原中学校として参加をすることができたことが、とても大きな経験になっています。

県大会でもいつも通り笑顔で自分の仕事に集中し、さらに成長する姿を見せてほしいと思います。


 次の更新は県大会が終了してからになります。お世話になった皆様に良い報告ができるよう、これから最後の準備をし、ここまで作り上げた彼らの代の榎原バレーを一番近い席で思う存分楽しみたいと思います。
 応援よろしくお願いいたします。


0