キャリア教育

キャリア教育

つながる4

 30分休憩するために休憩室に入った。そこは、漫画や雑誌など
図書館並みの本の品ぞろえでお気に入りのコミック漫画も全巻そろ
っていた。さらに、ファミリーレストランにあるようなフリードリ
ンクのマシーンが数台置いてあり、食べ放題のお菓子もバスケットに
山盛り。漫画を2冊読んでコーヒー飲んで時間を過ごした。そろそろ
部屋を出ようと立ち上がると、「献血のお礼です」と係りの方から
お菓子の詰め合わせを渡された。「ありがとうございます」と自然に
声に出た。数日後、献血ルームから血液の検査結果が届いた。「え!」
これも献血したから?しかも結果がかなり良好だった。
 献血にはまだ抵抗はあるが、今回骨髄バンクのドナー登録を行うことを
通じていろいろな経験をし想いをもつことができた。
 人のために何かできるそれが何かにつながるのだと思えた。

つながる3

 骨髄バンクの登録も無事終わり採血の恐怖も一段落したとき
担当の方から、「献血されませんか?」「10連休で血液が不足
します」「おねがいします」
 「!・・・・どうしょう・・・無理」
「献血初めてですか?」「33年前に一度だけ・・・・」
「調べてみますね」「記録にないですね」「ですよね33年前ですから」
大学1年の時、先輩に連れられて献血バスに乗せられ200ml献血した
そして貧血になった。それ以来献血はしていない。というか二度としない
つもりだった。「いやー今日は献血のつもりは・・・・」
「お願いします、連休中の血液が不足するかもしれません」
「はあ・・・」、献血ルームに促されリクライニングのシートの乗せられた
覚悟を決めかけたとき、「朝食事はとられましたか?」「いえ、食べていません」
「献血するときは朝は食べてきてくださいね」「・・・・」ビスケットとオレンジジュースを頂いた。「じゃ始めますね、今日は400mlですね」
「!!!!!!400!」無理無理無理。約ペットボトル1本分
しかも針がかなり太い。ちょっと痛いですよ。いやかなり痛かった。
15分ほどで献血は終わった。この献血で知らない誰かが助かるかもしれない。
30分ほど休憩するために休憩室に入った。そこは・・・・つづく

つながる2


「休日の暇つぶしに骨髄バンクの登録をしたのか?」
と思われると関係者の方にも大変失礼なことになるので
言い訳も含めて続きを
 「何となく、ふと、した思いから」と前回書きましたが
人の想いに何かが突然降りてくるということはないと思います。
カレーを見たことも食べたこともない人が、今日はカレーが
食べたいとは絶対に思わない。
何かしら潜在的に根拠となる経験や情報を持ち得ているから
こそ、思いついたり、考えが浮かんだりするのだと思う。
 池江選手のニュースが公表されたときに様々な情報は自然に
入ってきた。登録者は50万人ほどいること。ドナーとして適
合しても移植まで行える確率は高くはないことなど池江選手の
病気の公表は私も含め多くの人の関心を高めさせた。
 今回の私自身の行動には潜在的に根拠があったのだと思っている。
          ・・・続く

つながる1

 10連休の2日目、28日予定がキャンセルになって
1日フリーになってしまった。普段から特に趣味もない
生活を送っているため何をしようかと考え込んでいると
なんとなく池江選手の闘病のことが頭に浮かんできた。
「そうだ、骨髄バンクに登録してみよう」
宮崎でもできるらしいが休日は大分でしかやっていない。
ならば、大分に行ってみようか。何となく大分に向かった。
何もわからずに血液センターに入り受付した。「51歳ですね」
「骨髄バンク登録は55歳誕生日までになります。」「!」
今年52歳あと3年か。それでも万が一誰かの力になれるのなら・・・
注射は苦手だけれど、2ml採血無事登録できた。
 次回に続く

笑顔

 「先生はどうして泣かないんですか?」
卒業式後に生徒に言われたことがある。「だって悲しくないから」
「ひどい、薄情、冷たい」いつもの言葉が返ってきた。
正確には泣かないのではなく、泣いたらいけない。
25年以上前、初めて3年の学担をして卒業式を迎えたとき、式を終え最後の学活で
号泣してしまい何も語れなかった。子どもたちはもらい泣きをしていたが私は学担と
して失敗したと感じた。最後の大切な時間に想いを伝えることができない。泣いて終わる
そんな卒業式はしたらだめだと思った。それから卒業式では笑顔でいようと決めた。悲しい別れではない。一区切りの卒業。笑顔で送り出したい。
 昨日、イチローの最後の最後の試合を見た。最後までイチローは笑顔だった。
 ※今回は勝手にイチロー選手と同じくくりにさせていただきました。