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心の声

【校長室】非日常に学ぶ

およそ10年ぶりの修学旅行。行き先は九州北部の2泊3日。全てバスで移動という行程である。本県中学生の修学旅行先と言えば、関西方面が定番で、コロナ禍以前は本校もそうだったとか。修学旅行で九州を回るのは、おそらく30年ぶりくらいではないか。バスで移動ともなると「乗車時間が長くて辛いのではないか」と思いがちだが、高千穂町は九州のほぼ中心。熊本市内まで2時間、福岡市内でも3時間あれば十分である。

初日は、心配された雨もなく、曇り空。時折太陽が顔を見せるくらい回復した。キッザニアでの職業体験、太宰府天満宮での参拝と滞りなく、行程を進めた。生徒も満足げな顔をしており、ホッと胸をなでおろした。翌日が長崎自主研修ということで、初日の内に長崎へ移動するも、雲行きが怪しくなり、宿舎に到着した頃は、相当雨が降っていた。荷物を部屋に運ぶとまもなく夕食の時間が近づいてきたので、会場に向かった。学校では問題行動もなく、真面目に生活している生徒たち。そもそも、修学旅行は、何のためにあるのか。どういう学びをするものなのか。目的はいろいろとあるが、私は“修学旅行という非日常の生活の中で、いかに普段どおりの行動ができるか”に限ると思っている。事前指導を徹底する学校がほとんどであろう。旅行期間大切なお子様をお預かりするわけだから、責任重大であるがゆえに、それも無理はないが、非日常では予期せぬことが起こることも十分にあり得る。指導したことで無事に済めば、それはそれでよい。ただ、せっかく修学流行にいくのであれば、さらなる効果を期待したくなるのはぜいたくであろうか。決して問題が発生した方がよいと言っているのではなく、想定外のことが発生したときどう対処するべきかを実践的に学ぶことができれば、それも修学旅行の意義の一つではないか。歴史上の建築物や雄大な自然に触れるとともに、学校という枠を越えた社会を学ぶことも大切であると考える。

初日の夕食が終わるに近づいた頃、生徒はおひつに余っている白米を残してはいけないと必死で食べようとする。食べきれないものを他のグループに回しはじめる。少しずつ騒がしくなる。それでも残してはいけないと、おひつをもって離席が始まる。正義感に燃えた男子生徒は、無理を承知で食べ続け、予想どおりのREVERSE。それを見た2名の生徒が気分不良を訴え、即医務室へ。よかれと思ってはじめた行為が、まさかの負の連鎖へ発展するというアクシデント。ホテルの従業員の方々は、迅速に対応し、養護教諭も生徒の看病にあたる。翌日、何事もなかったかのように行程が進む。

大雨の中、長崎自主研修が進む。トラブル発生時用に班ごとに携帯電話を貸し出し、生徒の動向を本部で見守る。雨のせいか班別研修は、計画よりも早く進行する。服がずぶ濡れになってしまい、“このままでは体調を崩してしまうのではないか”と行程を前倒しする案が浮かび上がる。自主研修を早めに終える班が多い中、計画どおりに行程を進めることができた班が1班だけあった。すばらしい計画である。はずなのに、この日に限っては、まるで自分たちが集合時刻を過ぎてしまっているかのような雰囲気になってしまう。唯一計画どおりに研修を進めていたにもかかわらず・・・。しかも、予定を変更して集合を早めようとした結果、行き先の違う路面電車に乗ってしまう。それでも当初の予定前には到着し、事なきを得た。修学旅行には数多くの人が関わっている。添乗員さんを含む旅行会社。バスの運転手やガイドさんを含むバス会社。各観光地のスタッフや宿泊先のみなさん。食事を作ってくださる方々等々。多くの人が様々な場所で、工夫し、対応をしてくださっていることで修学旅行が成り立ち、思い出に残る楽しい旅行になることを実感してほしい。

事前指導は必要最小限にして、生徒が主体的に行動できる機会を与えること。それはすなわち失敗できる環境を整えること。私の口癖の一つに「失敗は成功への近道」がある。最終日、ホテルでの朝食はバイキング。最もマナーの問われる場面ではあるが、生徒は落ち着き、整然と食事をすることができていた。短期間に、確実に成長できる生徒を私は誇らしく思う。やはり子供たちは無限の可能性を秘めている。今秋実施予定の職場体験学習においてもさらなる成長が期待できる、社会の一員として自分にできることは何かを考え、さらなる成長を遂げることは間違いないであろう。

【校長室】COMPETITION

 第75回西臼杵地区中学校総合体育大会が終了し、団体競技7つの優勝を筆頭に、例年以上のすばらしい結果を残した。本地区の中学校数は5校。都市部のように県大会への出場権を得るまでの試合数はさほど多くはなく、むしろ、比較的楽に感じられるかもしれない。しかし、出場する選手にとって、試合数はあまり関係ないようである。大会当日に最高の結果が出るよう調整をしても、所詮は中学生。上手くいかないことが多い。その不調を補う時間はなく、試合本番中に何らかの手立てを打たねばならないし、それが成功しなければ、「敗北」という結果が待ち受けている。特に、一発決勝の競技において、勝利と敗北の割合は五分と五分。勝ちやすさは負けやすさでもある。本地区の生徒はそれを知っている。だから、前評判で不利な場合は、態度面(声出しや元気さ等)にも全力を注ぐ。技術的に有利なチームは、勝って当たり前というプレッシャーに潰されそうになることもよく目にする。そもそも、中体連の大会は、「学校生活の延長」とされ、決められたルールの中で節度と気遣いのある行動ができるようになるための「教育の場」である。「勝負の世界は厳しいからこそ、心身ともに成長させる」ことができるし、「教育的配慮によって成長を促す」こともできる。中体連の大会はどちらの対応でも生徒にとっては、成長できる最高の機会であることに間違いない。「勝つこと」は、多くの生徒にとって目標の一つで、優勝した生徒や県大会出場を決めた生徒には、心から「おめでとう」と言ってあげたい。本気で練習に打ち込み、厳しい練習を乗り越えて勝つことができた生徒にとっては忘れられない大会の一つになったはずである。個人差はあると思うが、その成果を出すことができた大会は心にしっかりと刻まれるもの。それは応援してくれた保護者も指導者も同じである。そういう私も、およそ10年前まで部活動指導に勤しんでいた。受け持った部が優勝した時のことを思うと言葉で表現することができないくらいの感情がよみがえる。と同時によもやの敗北も苦い思い出として、心に焼き付いている。ある陸上競技大会でも同様の光景を目の当たりにした。当日棄権者が出たため、その種目は予選なしの一発決勝に変更。優勝を期待された選手はまさかの失格。本来ならば標準記録を突破するほどの実力者。予選があれば、そのタイムでも県大会出場は間違いなかったとのこと。自身も周囲も勝利を信じて、これから長い夏が続くだろうと全国まで視野に入れていたレース。強豪校の選手である。その後の心のケアを考えると胸が痛む。これまで、数々のレースで優勝していたかもしれないが、この時は、「敗北」という2文字を結果として与えられた。厳しいが、これが勝負の世界の現実である。「勝利」という最高の喜びの陰には、それと同じ、いやそれ以上の「敗北」という悔しさがある。それを忘れてはいけない。同情するとかではない。そういうことを考えられる生徒になってほしい。そういう気持ちがさらに人としての成長に繋がるものだと私は思う。

 7月6日(土)から始まる県中学校総合体育大会。今年度は分散開催で、本校生徒が出場する競技は、7月26日(金)まで続く。長丁場であるが、可能な限り足を運んで応援したい。本校の生徒が参加する競技が多いということは、校長として誇らしいことであり、とても楽しみである。これからの試合における結果一つ一つが中学校部活動の一区切りとなる。さらに続くか、終わるか。中学生が本気で取り組んできたからこそ得られた様々な思いは、かけがえのないもので、その時の涙の価値は何事にも変えられない財産である。このような経験を大切にしながら、さらに成長してほしいと願う。

【校長室】SHOCK

「再発した細動を、電気ショックを与えて整えますね。準備をしますので、もうしばらく廊下でお待ちください。」術後2度目の検査で、主治医からそう言われた。

アブレーション手術を受けて1か月が過ぎた。前回1週間後の検査ではすでに心房細動が再発していた。アブレーションはカテーテル手術であるものの、長時間、心臓の内側を処置されている以上、そのダメージは小さくなかった。体の表面は赤紫や黄色の内出血の痕、首まわりや両太ももには、発疹が大量発生。そして、経過が良くないとなれば、さすがの私も意気消沈。今回の検査で経過良好になっていますようにというわずかな希望も虚しく、私の心はあっさり撃沈。前回の診察で聞いてはいたが、まさかそれが現実になるとは夢にも思っていなかった“電気ショック”。準備?そんなに大掛かりな処置をするの?と少々ビビってしまった。しばらくして、看護師さんに案内され、回復室へ。そこは小部屋で、大きな器具もなく、大したことはされないだろうとホッと一息ついていたのも束の間、看護師さんが再び登場。どうやら、電気ショックによる治療を行うらしい。心臓に電流によるショックを与えることで心房細胞の震えそのものを止め、脈を普通の状態に戻す治療法のことらしい。それがかなり痛いらしく、全身麻酔をかけるとのこと。

「それでは、術室に行きましょう」と看護師さんにうながされ、処置室まで案内され、ここで看護師さんが交代。たくさん会話をしてくれる気さくな方だった。救急ナースの中のカテーテル担当だとか。会話もさることながら、その手際の良さも手際が良かった。(私にとって)予想以上の大がかりな処置を前に気落ちしていた私を元気づけようと看護師さんが話してくれたことは数知れず。点滴のラインをとるのは日によって調子が違うこと。そういう時は早く家に帰りたいと思うこと。お子さんの試合がキャンプと重なり、駐車できずイライラして、目の前にいた選手に文句を言ったら、そこそこ有名なプロ野球選手だったこと。目を開けたまま麻酔にかかっていると思われる患者の意識を確認する方法等々。処置までの時間が何かと不安だった私の心を癒してくださった。その会話の一部は以下のとおりである。

「麻酔はかかりやすい方ですか?」

「はい。大丈夫です。」

「たまに、目を開けたまま麻酔にかかる人がいますから、正直怖いですよ。」

「そうなんですか。」

「だから、かかる前は目をつぶっていた方がいいと思います。」

「わかりました。そうします。」「もし、目を開けたまま落ちた場合、目を閉じさせるんですか?」

「いいえ、そのままです。だから怖いんです。」

「そろそろ先生を呼びますね。すぐ来られますから。」

「じゃあ麻酔かけます。点滴が痛いかもしれません。」

「大丈夫です。」

「痛くないですか?」

「痛くありません。麻酔が入ってくるのがわかりま・・・。」

(私はここで落ちたらしく、再び目覚めたのは、およそ1時間後)

「大丈夫ですか?」と1回目の声掛けに私は無反応。

「もしもし、大丈夫ですか?」と2回目の呼びかけに、私は開目したようだが、やはり意識はなかったとか。

そして、「心電図取りますね」の声掛けで私は目が覚めたのだが、すでに処置が終わっていることを理解していない私は、

「心電図はいいですけど、まだ麻酔は効いていないので、処置は待ってください。」と懇願。

「もう終わりましたよ。」と看護師さん。

「処置が終わってどれくらい経ったんですか?」と聞くと

「およそ1時間くらいですかね。」と。

あとで妻に聞いた話だが、処置の途中で「バーン」というもの凄く大きな音が鳴ったとか。看護師さんによるとそれが電気ショックを与えたときの音で、医療系のテレビドラマでよく見る光景とのこと。ドクターがアイロンのようなものを心臓の両端に当てるシーンを見られたことがあると思うが、まさにそれらしい。身体も弓なりにのけぞるような反応を示したと聞いた。後遺症なのか分からないが首筋が少々痛いものの、私の心臓そのものはきれいな波形を描いていた。日本の医学にはホントに頭が下がる。来月末に再検査。このまま経過が良好であることを願っている。ちなみに、治療4日後、薬処方のためにかかりつけの病院で受診したときも、私の心臓はきれいな行動を打っていた。およそ7年ぶりの美しい波形を見てとても感動している。このまま完治に向けて、これまでの不規則な生活行動を改め、規則正しい生活リズムの確立に努めたい。

【校長室】RESET

体育大会が無事終了した。

働き方改革を推進するために教育のDX化をはじめ、行事の精選を含む教育課程の抜本的な見直し、職員会議の運営等の工夫・改善等に取り組んできた。昨年5月以降、学校教育は通常のスタイルに戻りつつあるが、注意すべきことは、縮小・中止されてきた様々な教育活動が、働き方改革の推進によるものか、それともコロナ禍で余儀なくされたものなのか、しっかり見極めることである。ややもすると行事の縮小やカットをすることが働き方改革と勘違いし、諸行事の本来の意義や学校の主役である生徒の思い、保護者、地域の考えがないがしろになっている可能性があることも否定できない。特に、各種委員会活動、地域清掃等のボランティア活動、体育大会、文化祭等、異学年集団が協力・協働することで、他者の役に立つ喜びを体得できるような交流は、生徒の自己肯定感や自己有用感の醸成に与える影響が大きく、大変重要である。これらの特別活動における自己肯定感を醸成するには、生徒自身が考え行動し、失敗しながらPDCAサイクルを回すような意思決定をさせること。次に、反論があったり無気力な仲間がいたりする葛藤のなかで合意形成をさせること。そして、自治をさせることと聞く。確かに、教師が全て企画し・運営してしまうと、自分たちで課題を解決したというリアリティはなく、教師や先輩が決めたことを前例踏襲し、成功に導いたところで自己肯定感が高まるはずもない。教育活動上ある程度の指導は必要であるが、指示しすぎると自治感はなくなる。生徒が授業の主役となる協働学習のような、自分の発言が仲間に影響を与えたり、反対に仲間から受けた言葉で自分の価値観が変わったりする授業スタイルも、他者との関係が不可欠な自己有用感の醸成に非常に効果的であると言えよう。

今年度の体育大会は、終日開催か午前中開催か教職員の中で大きく意見が別れた。メリット・デメリットはそれぞれにある。最終的には生徒にとってどうなのか。生徒の健康面への配慮は、プログラムの一つを選択制にする。各学年内での学級対抗制にして学級経営の一助とする。各学級の色を赤系組(赤、桃、燈、紫)、青系組(青、緑、黄緑、水色)に分けのそれぞれの得点を赤団、青団に計上する。体育科への負担を軽減するために、授業の割り当てを工夫し、授業の平準化を図る。生徒主体の活動を重視し、可能な限り生徒による企画・運営に取り組ませる等、主役である生徒を軸にデメリットを一つずつ解決した。それでも、これまでの中心であった教師主体の学校教育の影響は大きく、教師依存の傾向は根強かったため、可能な限りグラウンドに足を運び、観察・指導・助言を行った。ただ、体育科の自分としては久しぶりにワクワクする楽しい時間であったことは言うまでもない。

大会当日は、心配された天候も回復し体育大会には絶好の曇り空。生徒主体の活動が随所に見られ、例年以上の素晴らしい体育大会が実施できたと思う。特に、エール交換は両団とも甲乙付けがたい、本当に見事も出来栄えで、体育主任も感激していた。

生徒には、誰かが敷いたレールをたどるのではなく、人に相談したり相談されたりしながら、最終的には自分で決めた道を歩んでいく力を身に付けてほしい。ただ、こういう教育は成果を得るには時間を要するし、口で言うほど容易なことではないことも十分に分かっている。それでもなお、先生方には、課題の解決に向けたプロセスを明らかにし準備する力、他人に働きかけながら周囲を巻き込み、確実に行動する力、相手の意見をていねいに聴き、自分の意見をわかりやすく伝える力を身に付け、生徒の教育力を高めてほしい等、大変なお願いをするのは、生徒の成長と教職員の負担は反比例すると思うからであり、本校の教職員ならできるという期待感がすごく大きいからである。生徒のために長時間労働をすることで教師が疲弊していくのであれば、それは“生徒のため”にはならないが、教師としての資質・向上を図り、教職人生を豊かにすることで、自らの人間性や創造性を高め、子供たちに対して効果的な教育を行うことができるようになることが学校における働き方改革の目的であり、そのことを常に原点としながら改革を進めていきたいと私は考える。

【校長室】UPDATE

バブル全盛期の民間企業は、完全週休二日制、定時帰宅、余暇利用、海外への社員旅行等々、社員にとって働きやすい環境と福利厚生面ではこれらの条件が当たり前の時代。もちろん、民間企業として生き残る大きな条件の一つである利益追求の困難さは、現在ほど大きな社会問題ではなかった記憶がある。教職に就く前の会社員時代、ある会社の社長から「人生常に60点」という言葉を聞いた。「・・・合格は60点以上、自身の成功は合格ラインの最低(60)点におき、残り40点分はさらに向上していくことが大切・・・」つまり、現状に満足するなということであろうか。

現学習指導要領改訂の考え方は、「生きる力」を理念に終わらせず、資質・能力としてしっかりと育てていくよう、「何ができるようになるか」「何を学ぶか」「どのように学ぶか」等、より良い学校教育を実践することが大切であるということである。そして、学校がより良い社会を構築するという考え方を地域社会と共有しながら協働して、予測困難な未来のつくり手となるために必要な資質・能力を生徒一人一人に確実に育んでいくことを目指すものである。様々な課題が山積する学校の役割の重要性を地域社会と共有しながら、校長のリーダーシップのもと、カリキュラム・マネジメントの充実を図ることの必要性を強く感じる。

本校の生徒は、素直で純粋、集団としての場の力を備えている。小さな頃から「高千穂の宝」と言われ、地域の子供たちが地域で育てられている。大人の望む生徒に近づこうといじらしいくらい努力する。したがって、レールを敷く大人の責任はすごく重要である。ただし、そのレールを歩むことは生徒にとって必要なことの一つにしか過ぎず、予測困難な時代を力強く生き抜く力を身に付けさせるには、不十分ではないか。そして、予測困難な未来を予想することは、我々大人にはもはや限界が来ており、予測の正確性は生徒の方がはるかに高いと私は考える。

正解がまるでない現代社会において、昨日までの正解が今日の不正解になることもあり、試行錯誤の連続である。それならば、それを楽しむ方がいいし、それは自己決定と主体的な行動という経験をすることにもなる。そういう意味からも、生徒の意見を大切にし、リスペクトして向き合い、たとえ失敗してもそれを成功の道に導いてあげることがとても大切なこと。失敗はマイナスではなく、むしろ一歩前に進むことと考える。子供たちが失敗しないようにではなく、子供たちが“失敗を経験しながら学ぶ”ということを学ぶことによって、学びの継続性が生まれる。学びは中学校で終わりではない。上級学校、職場、家庭、地域社会等において、これからも学ぶ機会が数多く存在する。大切なことは、その時その時において、自らの成長に必要な課題を自覚し、解決に向けて主体的に考え、時には周囲と協働しながら学ぶことであり、このような「学びに向かう力」の究極的なスタイルに到達すれば、それこそまさに個別最適な学びと言えよう。

世間では、五月病といい、退職者が増加する時期である。この現象は今に始まったことではないが、今では退職の代行サービスが存在している。それだけ需要があるというビジネスチャンスに気付く「発想の転換」は見事である。ただ、学校経営を担う一人として、今後働きやすい職場環境づくりを推進していくことや、一教育者として、経産省の言う「社会人基礎力」を身に付けさせるための手立てを講じることの大切さを強く感じる。これは、「今後の社会の変化を見据え、職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力」のことで、考え抜く力(シンキング)~疑問をもち、考え抜く力。前に踏み出す力(アクション)~一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力。チームで働く力(チームワーク)~多様な人々とともに、目標に向けて協力する力とのことである(「我が国産業における人材力強化に向けた研究会」報告書より)。

「人生に常に60点 学びなくして成長あらず 志(ゆめ)叶うまで挑戦」 これからの社会で働き続けていくためには、学び続けること。今風に言えば「アップデートし続ける」こと。それは、生徒だけに限らず、我々大人も同じであると思う。

令和6年5月17日(金)

【校長室】TEAM

「グルメ(gourmet)とは、美食家や食通という意味。また、高品質な食材や料理に対する知識や興味をもち、味覚に関して独自の基準や価値観をもつ人物を指す。さらに美味しい食事や高級な食材に対する愛好家を意味するとのことである(実用日本語表現辞典より)。」この高千穂町には日本一の高千穂牛を筆頭に、高千穂米(棚田米)、釜入り茶、椎茸、トマト、蜂の子等々、おいしい食材が多数存在する。人気の高い焼き肉屋やお蕎麦屋さん等のお食事処も多い。そう考えると本校の給食もある意味、隠れた名店である。これまで多くの学校に赴任し、食した給食は星の数、いずれの学校も特色のある給食で美味しかったが、本校の給食は格別である。とは言っても、高千穂町内の食材を使用した「ぬくもりランチ」が月に1,2回ほど提供されることや米飯に特別栽培米が使用されていること等、他地区の特色と大きな違いはない。しかし、とにかく美味い。確かに日本一の高千穂牛が給食で扱われることがあり、宮崎牛の中でもトップレベルの高千穂牛の美味さは、別格である。

話は変わるが、中山間地である本町の過疎化は否めず、後継者問題も大きな課題の一つである。給食の食材も本町もしくは西臼杵地区の業者を中心に賄っているが、近年、廃業や撤退等を理由に契約解除が続き、食材調達に苦慮している。それでも、町教育委員会の全面的なバックアップの基、各小中学校の栄養教諭や学校栄養職員、給食調理員等、多くの関係者が知恵を出し合い、対応を協議し今日に至るが、子供たちには以前と変わらず美味しい給食が提供されている。お豆腐一つにしても、くずれやすくてもよいもの、原形をとどめていた方がよいもの等、献立によって仕入れ先を変更したり、高騰している食材についても栄養バランスを変えずに安価なもので対応したりと、細部にわたって工夫が施されている。すべては、「子供たちのために」と口をそろえて言われる。昨年は物価高騰の煽りを受け、二度給食費を値上げした。PTA運営委員会に打診し、PTA総会で承認をいただいた。保護者の方々も「子供たちのために」と非常に協力的で、理解をしてくれる。このように、すべての関係者のご理解とご協力のおかげで、今の給食が維持できており、とても感謝している。

さて、本校に着任して2年目を迎え、すでに1か月が過ぎた。素直で純粋な生徒のおかげで、かなり充実した幸せな日々を送ることができている。それは、何もせずただぼんやりと平和に過ごすことができるという意味ではなく、学校が求められている役割を十分に果たす環境が整っているということである。校長ならば、学校経営そのもの。そもそも「経営」とは「継続的・計画的に事業を遂行すること」、また、「企業を組織化したり管理したり一定の方向に向けて動かすこと」、あるいは、「企業活動に関する様々な意思決定を行うこと」を意味している(広辞苑より)が、私は、方向性はそろえるが、具体的な取組は担当者の裁量を最大限に尊重することを意識している。というのも、学校現場が抱える課題は様々で、複雑化・困難化しており、校長一人で解決できるものではなく、地域の教育力や家庭教育の充実が大切であり、地域との連携は必須であると同時に、何よりそれらの多くは教員の資質や力量にも関わっている。言い換えれば、教員の資質が向上し、一人一人の教員の力量が付けば、学校の抱える多くの教育的課題は解決へ向かうと考えるからである。その資質と力量とは、授業力や責任感・使命感等だけではなく、総合的な人間力であり、教職員の人材育成が学校の抱える課題解決に向けての喫緊の取組の中軸となる。時には、校長自らが教育者としての姿勢を具体的に示し、積極的に子供や保護者、地域と関わり、校長の示す学校経営ビジョンに沿って、教職員の人材育成を図ることも必要ではないか。

最近気になることは、「働き方改革」の表面的な部分が先行しがちであるということ。「働きやすさ」ばかりを求めてしまうと「ジタハラ(時短ハラスメント)」「成長できない」という教職員の受け止め方になり、「働きがい」を失ってしまう。だからといって、「働きがい」だけを求めると「パワハラ」「負担感」「やらされ感」という教職員の受け止めとなりかねない。学校という職場の魅力向上とともに教職という職業としての魅力向上を両立させるには、学校現場が教職員にとって「働きがい」と「働きやすさ」のある職場となることが求められる。私たちが、「何故教職の道を選んだか」を思い起こし、後ろ姿を見せることで、教育者としての姿勢を体現することによって指導することも時には必要であろう。

文科省は「『地域に開かれた学校』から一歩踏み出し、地域の人々と目標やビジョンを共有し、地域と一体となって子供たちを育む『地域とともにある学校』への転換が必要である」という。「地域とともにある学校」とは、学校に関わる大人同士が「どのような子供も育てたいのか」「何を実現していくのか」という目標やビジョンを共有し、学校と地域がパートナーとして連携・協働しながら学びを展開していく学校とのことである。管理職になる前の私は、自分を含め、教職員だけで学校の教育活動を回していると思っていたが、今回の給食食材に関する問題に直面することで、課題の解決を自分たちだけで目指すのではなく、周囲の人の力を借りたり、活用したりすることの大切さを実感した。これこそ「チーム学校」の一つとスタイルと言える。そして、制約されつつある食材を最大限に生かしながら、それでもなお、「子供たちに楽しい給食を」と工夫・改善等の働きがいを見せてくれた学校栄養職員の心構えやその気持ちを全面的に支えようとする調理員さんの温かさに触れ、本来の職務の意義を振り返ることができた。

本来、学校は夢を描き、夢を膨らませ、夢実現に向けて突き進む、魅力のある場所でなければならない。学校のトップとして、何より重要なのは、教職員の心理的安全性を確保することである。教職員を大切にし、それぞれの先生方の強みを生かして「働きがい」が高まっていくように心掛けることが、「地域とともにある学校」への転換に繋がっていき、ひいては「学校を核とした地域づくり」に発展していくと確信している。管理職であっても対等に軽やかに楽しく意見交換できる雰囲気をつくりながら、日頃から教職員とコミュニケーションをとり、様々な課題への対応に向けて教職員がその力を主体的に発揮しやすくなるような環境を整えておく配慮が大切であると気付かせてくれたことに感謝したい。

令和6年5月 給食だより.pdf

令和6年5月8日(水)

【校長室】初めての手術入院顛末

 私事で恐縮だが、先週心臓のアブレーション手術を受け、二日前に退院した。

 不整脈と診断されたのは今からおよそ7年前。学校の定期健診で見つかった。どういう病気かある程度はわかっていたものの、若気の至り(年齢的に決して若くはなかったが…)でそれほど気に留めず、専門医を受診することはなかった。

ある年、教え子の看護師と話す機会があった時、何の気なしに軽い気持ちでその旨話したところ、思いがけず厳しく注意を受け強く受診を勧められた。それでも仕事が忙しいことを言い訳に病院に行くことはなかった。

そんなある日、胸の激痛と呼吸困難に襲われた私は、近くの大学病院に駆け込むことになる。応急処置として点滴を受けながら、再度強く専門医への受診を勧められた。しぶしぶ最寄りの病院で専門医による検査・診察を受けたところ、結果は「病気のオンパレード」。もともと体力に自信があったため、高を括って放置していたら、とんだことになっていたのだった。担当医師曰く、「(治療しなければならないところはたくさんあるが)特に心臓は早急に手術を受けたほうがよい」とのこと。

にもかかわらず、私はまたしても仕事を言い訳に(ちょうどその頃管理職試験を受けていた)、手術ではなく、服薬で悪化を防ぐ治療方法を選択したのだった。それからも、幾度となく手術を勧められたが頑なに断り続けていた。その間薬の種類はどんどん増えていった。

そして昨年、校長として高千穂中学校に転勤となり、宮崎市内のかかりつけ医から紹介状をもらい、通院に便利の良い町立病院で薬を処方してもらうようになった。高千穂での昨年秋の検査結果で、再度手術を勧められ、初めて手術を受けることを前向きに考えるようになった。そんな矢先、深夜に体調が悪くなり、自分で車を運転して病院へ急行。そこでようやく迷いが吹き飛び、手術を受けようと決心した。

昨年末、紹介状を携え宮崎市内に新しく移転した総合病院へ行き、改めて病状を把握するための検査を受けた。後日診断結果を聞くために診察室へ、目の前に座った医師から出た言葉は「私を覚えていますか?」。

なんとなんと、私の担当となった主治医は他でもない、7年前「病気のオンパレード」と私に宣告した医師だったのだ。これも何かの縁かな、とのんびり構えていたが、ここまで手術を受けず、服薬でお茶を濁していた私と検査結果に対して医師からは厳しいお叱りをいただくことになり、私はひたすら平身低頭であった。

さて手術を受けるには入院せねばならない。受けられる日程は早くて4月とのこと。年度初めの準備や入学式等の行事との兼ね合いで、4月第3週に決まった。

医療の進歩は素晴らしい。心臓手術が3泊4日で済んでしまうのだ。

それにしても、手術日前日に入院してからというもの、病院スタッフの“報連相”と連携は見事というほかなかった。ついスタッフの動きを仕事人の目線で見てしまうのは職業病だろうか。「何かあったらナースコールで呼んでくださいね」という言葉に甘えてあれこれ言う私のわがままを真剣に聞いてくださり、判断困難な場合はその都度必ずドクターに確認し指示を仰ぐ徹底ぶりにはただただ感心するばかりである。

命を預かる職場、責任感と緊張感の中、どんな場面でも笑顔を絶やさず、懇切丁寧に対応してくれる姿はまさに白衣の天使(最近は白じゃなくてカラフルだけれど、それにこの言い回しも古いなあ)。手術(私が処置を受けたのは「検査室」だった)に向かう途中、そして手術台の上でも、まさに俎板の鯉となってドキドキしている私にかけてくれる「がんばりましょう」の明るい声や、リラックスしたスタッフの笑い声(私を安心させるためであろうが)にどれだけほっとしたことか。

術後のケアについても、1時間ごとに体温や血圧、傷口の確認に来られて、その度に「何度もすみません」と言われる。いやいやそれはこちらのセリフですって!4日間携わってくださったスタッフの皆さんには感謝しかない。 

今回の入院では週休日を含め9日間お休みをいただいたが、その間の校長職務は全て教頭先生に代行していただいた。どの学校にも“教頭”という素晴らしい参謀が配属されているが、高千穂中学校にもすこぶる有能な教頭がいる。留守を任せても安心であるということも、手術を決断する強い後押しとなった。教頭先生にも感謝である。 

初めて入院してみて、改めて学んだことが4つある。

一つめは、報連相の徹底。学校現場で常に口癖のように言っている「連携と報連相」はまだまだ密にする必要があるし、できるのだと感じた。

二つめは、入院中に読んだ刊行物『中学校 №847』29ページ下段中ほどに書かれている言葉である。「…人の力を借りることを学んだ。…これを他力と呼んで、他力を集められるようになったら、それは幸せなことだ…」

教頭をはじめとした先生方、保護者の皆さま、公民館長さんをはじめとした地域の方々…、他力なしでは学校経営は成り立たないではないか。

三つめは、周囲の方々への感謝を日頃から忘れないこと。そして、感謝の気持ちをきちんと言葉で伝えること。今回多くの方々に支えられ、その温かさやありがたさをベッドの上で痛感した。

最後は、健康のありがたさ。

『自分を大切にするひとに』と生徒に説いておきながら、私は私を大切にできていなかった。

「なんでこんなになるまで放っておいたんですか」と叱られて、私は主治医に謝ったけれど、本当に謝らなければいけなかったのは、私自身にだった。不規則なリズムを刻みながらも私を仕事に向かわせてくれた心臓に、身体に、よくここまでがんばってくれたと、今ここにこうしていることが奇跡なのかもしれないと。

助けていただいた命を大切にし、これからの校長職務を全うし、生徒にとってより安心安全な学校経営に取り組んでいきたい。

令和6年4月21日(日)

【校長室】令和6年度第78回入学式 式辞

桜の花びらが風に舞い、葉桜の緑がさわやかなこの佳き日に、高千穂町長 、高千穂町教育委員会教育委員をはじめ、多数の御来賓の皆さまの御臨席を賜り、高千穂町立高千穂中学校第78回入学式を盛大に挙行できますことは、この上ない喜びであります。高いところからではございますが、心より感謝申し上げます。

さて、77名の新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日から皆さんは高千穂中学校の一員となりました。私たち教職員・在校生一同皆さんの入学を心待ちにしておりました。皆さんはこれから、先生方や先輩たちと一緒に中学校生活を送りながら自分の進む道を自分で決め、それぞれの夢に向かって力強く踏み出していく準備をしていきます。誰もが通ることのできる同じレールがあるのは中学校までです。日本の法律に定められた『9年間の義務教育によって学ぶことができる』という環境は、皆さんにとっては至極当然のように思えることかもしれませんが、『社会を生き抜くための確かな力をすべての人々が 均等に身に付けることができる仕組み』であり、世界的にも優れたシステムでもあります。「これからの3年間の中学校生活をどのように過ごすかで皆さんの人生が一人一人違っていくとともに、大きく変わっていく」ということを自覚してください。中学校という全く新しい環境、新しい仲間、そして新しい生活様式等、心配や不安があるかもしれませんが、焦らず一歩ずつ前進し、小学校で培ってきた力を、ここ高千穂中学校でも大きく花開かせてほしいと願っています。そして、3年後の旅立ちの時、「高千穂中学校で学んでよかった」と実感できるよう、充実した中学校生活を送ってください。

そのために、皆さんにお伝えしたいことが二つあります。まず、本校の教育目標です。

「心豊かで知性にあふれ たくましく伸びる生徒の育成」

 これは、自分自身はもちろんのこと、周りの人も大切にし、自分の『夢実現』に向けて、主体的に学習し、行動しながら、成長し続ける生徒になってほしいということであります。

次に、めざす生徒像ですが、本校では三項目掲げています。

一つ目は、「多様性を理解し、自他を認め、思いやりをもって接する生徒」です。

人は一人では生きていけません。支え合って生きています。学校では集団生活を学びますので、仲間を大切にしてください。

二つ目は、「主体的に行動し、志(ゆめ)叶うまで挑戦する生徒」です。

これから自分の『夢実現』に向けて、一歩ずつ確実に前進していくために、己の志(こころざし)をしっかり立て、学習し、知識を得、それを活かして課題を解決する方法を、自分で、そして仲間たちとともに学んでください。

三つ目は「GLOCAL精神をもち、ふるさとを大切にする生徒」です。

まちを歩けば、海外からの観光客を見かけない日はありません。ここ高千穂は、今や世界から注目されている場所だということです。日本でも屈指の美しい自然に囲まれた素晴らしい環境で生活できていることのありがたさに気づいてほしいと思います。また、年間を通して、学校行事や部活動等において、地域の方々のお力添えをいただくことがたくさんあります。周りの支えや温かさを肌で感じることのできるコミュニティに見守られていることに感謝し、地域社会に貢献する気持ちをもってください

さあ、皆さんは、今日から中学生、大人への第一歩を歩み始めました。

時には、保護者や先生からの言葉に反発したくなることもあるでしょう。それは、思春期を迎え、自我意識が高まり、「自分でできる」という気持ちが大きくなってくるからです。それは皆さんが成長しているという証でもあります。~だからといってやたらに反抗していいということではありませんが~心もからだも大きく成長する3年間にぜひ、いろいろなことにチャレンジしてください。時には失敗したり、「無理かもしれない」と消極的になってしまうことがあるかもしれません。けれど失敗の中にも学びや気づきはあります。「日々を生きていること」そのものが学びであるといってもいいでしょう。そして何より、皆さんには可能性があります。その可能性を引き出すのは、先輩たちや地域、保護者の方々、そして、わたくしたち教職員です。ですから、皆さんには臆することなく挑戦していってほしいと思います。本校の先生方は皆さんの挑戦をしっかり見守り、導いていく指導力をもった方ばかりですので安心してください。 

社会情勢は、日々急激に変化しています。今日の正解は明日の不正解かもしれません。過去を振り返りながら未来を見据えて変化し続けることが、今の学校にも必要です。その考え方の基本を、先輩たちはしっかりと身に付けています。伝統を継承しつつ、新入生の皆さんのもつ新しい感覚をさらに融合させ、「令和6年度の高千穂中学校スタイル」をともにつくり上げていきましょう。そして、高千穂中学校の一員として、気概をもって、自らを誇れる人となってください。

 改めまして、保護者の皆さま、本日は、お子様のご入学、誠におめでとうございます。わたくしたち教職員は、お子様の限りない可能性を大切にはぐくみながら、保護者の皆さまとしっかり連携し、地域の方々とともに、「高千穂の宝」であるお子様の力を最大限に伸ばすよう、精一杯努力してまいります。何卒、皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。

結びに、本校の教育に多大な御支援・御協力をいただいております御来賓の皆さまに、感謝申し上げますとともに、新入生77名の健やかな成長と活躍を願い、式辞といたします。 

    令和6年4月9日

高千穂町立高千穂中学校  第31代校長 金丸 智弘

【校長室】令和6年度第1学期始業式 校長挨拶

 皆さんおはようございます。いよいよ今日から新年度が始まりました。この一学期の始業にあたり、皆さんに「めざす生徒像」を紹介します。

 このめざす生徒像というのは、皆さんに“こういう生徒になってほしいという「願い」、または「目標」のことであります。

高千穂中学校のめざす生徒像は、

① 多様性を理解し、自他を認め、思いやりをもって接する生徒

② 主体的に行動し、志(ゆめ)叶うまで挑戦する生徒

③ GLOCAL精神をもち、ふるさとを大切にする生徒

以上の三つです。

 この具体的な意味は、入学式でお話ししますので、それまで、皆さんなりによく考えてみてください。

 さて、コロナが沈静化し、私たちの生活様式において、様々なことに変化がもたらされていますが、新しい学年が始まります。皆さんはどのような目標を立てましたか?人それぞれでしょうが、「昔はどうだったかな」と過去を振り返りながら、今をどう変えるかということも大切ですが、“未来を見据えて変化し続けることも、さらに大切なことだと思っています。と言いますのも、皆さんはこんな話を聞いたことがありますか。

 ある国で、村人たちが村を行き来しながら暮らしていました。他の村から来た旅人が、村の入り口にいる門番に、「ここはどんな村ですか」と尋ねると、門番は「あなたが今までいた村はどんな村でしたか。」と聞き返します。旅人が「私の村は、ひどい村でした」と答えました。すると門番は、「ここもたぶん同じような村ですよ」と答えました。また、別の旅人が「ここはどんな所ですか」と聞きました。門番は、同じように旅人に聞き返したところ、その旅人は「私がいた所は、とても素敵な所でした」と答えました。門番は「ここもたぶん同じような所だと思います」と答えました。

 これだけの話なんですが、結局これからどのような村にしていくか、どんな所になっていくのか。これまでの過去とこれからの未来を、「今」とういうこの瞬間をどう繋ぐのかということであり、その節目が 「今」 であるということです。自分がどんな志(ゆめ)をもち、自分はどうありたいか。周りや他人とどう接していくか。皆さんが、自分ではっきりとした未来を想像すればするほど、やる気が引き起こされることが、心理学でも証明されています。未来を想像することで、目標に向かうモチベーションがより高まるということです。

 さきほど、3名の代表の生徒が、話をしてくれました。まず、新2年生代表の生徒は、「まわりには尊敬できる人がたくさんいる。そういう人たちのおかげで、学級が成り立っている」ことに感謝していました。次に、新3年生代表の生徒は、受験勉強を頑張ることを宣言しました。また新入生に対し、「この先輩についていきたい」と思われるようになりたいと最上級生としての思いを述べてくれました。そして、最後に生徒会代表の役員は、高千穂中学校をよくするために必要なこととして、学習態度とSNS3カ条、主体的に行動することの3つを掲げてくれました。代表の皆さんの新たな決意が感じられる発表だったと思います。

 最後になりますが、本日、皆さんは進級します。おめでとうございます。3年生は1年後どういった進路に進んでいるのか。そのための努力をしっかりとしてください。自分の進路は自分で切り開いていくことです。また、勉強だけではありません。卒業生から繋がれた高千穂中学校の「伝統を力に」どんな歴史をつくっていくのか期待しています。2年生は後輩ができます。後輩にとって模範となるようにしてください。そのために大切なことは、少しずつでも良いので自分自身が「成長していくこと」、そして、新たなことを「学ぶことから逃げない」ということです。学校は様々なことを「学ぶ」場所です。志を高くもって「学ぶ」ことを続けてください。学ぶということは自分が成長という変化を得ることです。志に近づいていくということです。来年、この一年間を振り返ったときに、今の皆さん自身と比べての成長を実感してくれることを期待しています。

令和6年4月5日(金)

【校長室】最終章

 校長としての一年間が過ぎた。2学期くらいからであろうか、校長としての日常にも慣れ、落ち着いて職務を果たす日が続いた。立場上様々な人との出会いがあり、挨拶を交わす機会も増えた。年度初めにコロナ感染症が五類に移行し、徐々にマスクを外す人が目立ちはじめた。人間の脳は優れており、目元だけで、マスクの下に隠れている鼻や口の形等を想像し、勝手に相手の顔立ちを作り上げてしまう。その結果、マスクを取ると別人と判断してしまうことも多々あり、地域で会っても素通りしてしまうことも少なからずあった。そのため、およそ2倍の人を覚える必要があり、正直苦労した。さすがに最近では、顔も名前もずいぶん覚えることができ、当たり前のように日常会話をすることができるようになった。

 さて、卒業式、異動内示、県立高校入試合格発表、修了式、校内人事、離任式等々、この年度末は予想以上の慌ただしい日々が続き、気持ちの整理がつかぬまま、令和6年度を迎えた。8名の教職員をお送りし、新たに7名の方々をお迎えした。全国的な少子高齢化減少は、この高千穂町にも大きな影響を与え、生徒数の減少や私立中学校への転出のあおりを受け、学級数は変わらないものの、教職員数は令和5年度より減ってしまい、先生方は負担増となってしまった。私は今年度で役職定年となる。人生の節目、セカンドライフをどう楽しむか。やりたいことがあり、夢を描くだけでワクワクするが、まずは最終年度、校長としての責任を果たすべく、教職員一同、現実を真摯に受け止め、気持ちを切り替えて、みんなで力を合わせて学校運営に取り組んでいきたい。幸運にも、本町の小中学校6校の校長先生方は全員留任である。心強い同士とともに令和6年度を乗り切っていく所存である。

第31代校長 金丸智弘