キャリア教育

キャリア教育

背番号20

 どうしても野球関連の話が多くなってしまいますが、先日高校野球を見る機会がありました。応援というのが苦手でバックネット裏から教え子のプレーを見ていました。相手チームの守備が終わると毎回、背番号20を付けてヘルメットをかぶった選手が相手チームのベンチから勢いよく飛び出してきます。全力で走る先には3塁ランナーコーチボックスがあります。「ランナーコーチとして自分の役割を果たしているんだな」とうれしく思いながらその選手も気になっていました。すると3回くらいから彼の行動に違和感を感じるようになりました。彼は勢いよく飛び出してくるとピッチャーの投球練習が始まる前にバッターボックスに入り、手でボックス内の土をきれいにならしていました。時間にして10秒足らずです。前かがみになって手の平で数回、土をならすと元気よく3塁ランナーコーチボックスに走っていきます。そこに彼のチームの先頭バッターが打席に立つ、そんなシーンがあることに気付きました。彼が試合に出ることはなかったと思います。しかし、ランナーコーチを交代する8回まで彼はその動作を繰り返しました。誰かに言われたのか、自発的なのか、チームメイトはそのことを知っているのか、わかりませんが、彼は素晴らしい大人になるだろうなと思いました。残念ながら私の応援していた高校は惜しくも負けてしましました。ということは彼のランナーコーチとしての活躍はまだ続きます。背番号20のランコーかっこよかったです。 

活躍

 先日、卒業生の所属する高校野球の練習試合を見に行った。ありがたいことに高校でも野球を続けている生徒が結構いていろんな学校の応援ができる。もちろん高校から違うスポーツで頑張っている生徒の活躍も楽しみなのに変わりはないが、自分がやってきた高校野球にはやはり少し気持ちが入ってしまう。
 そこには少し顔も体つきも大人びた卒業生の姿が10人近くあった。直接そばにいって声をかけるようなことはしないが、こちらに気付いて手を振ってくれる卒業生もいた。試合に選手として出場しプレーしている選手の姿を見るのはうれしい。しかし、今回何よりうれしかったのは、試合には出ていないがランナーコーチとしてまた選手のサポート役として必死に動き回っている卒業生の姿が見られてことだ。まさに社会や会社はそんな人たちの力で成立している。映画は映画俳優だけで製作されるものではない。カメラマンがいて衣装担当の人がいてスタイリストがいて、音声・照明・宣伝・もちろん監督いろいろな人の支えで最終的に俳優さんたちがテレビ画面に出てきて映画のPRをする。だからそういった意味でも映画のエンドロールは最後まで見る。いろんな人の名前が一瞬だけでも目に入る。
 試合を観戦していてそんなことを考えていた。試合が成立するにはたくさんの人の支えと活躍が必要だ。熱中症対策のドリンクをもって走り回っている卒業生を見て「かっこいいなあ」と思った。貴重な経験をしていると思う。

反省

 先日、卒業生の保護者と会った際に「最近、岡中ホームページのキャリアコーナー更新されてませんね」「結構見てるんですけど」という言葉をかけていただいた。実は全く同じことを昨年の秋にも卒業生に言われていた。そしてその時には3年生で忙しくてなかなか書けないと言い訳して「よし!読んでくれる人がいる。頑張ろう」と思い数カ月何とか書いていた。今回の言い訳は「学年通信・学級通信・キャリアコーナー三つ書いていたら内容が重なってしまい書くことがなかなか無い」ということで遠ざかっていたのだが、売れっ子作家でもあるまいし、著作権がどうこう言う立場でもないし、同じ内容でも何も問題はない。発信する機会が多いほどたくさんの人の目に留まるはず。
 といいうことで同じ内容が様々なところに出てきますが、キャリアコーナーびっくりするくらいの勢いで更新していこうと思います。

決意の3333段 其の3

 ちょっと行ってみようかくらいの気持ちで来てしまった自分を悔やんだ。願掛けどころではなった。気持ちは「無」であった。ただ階段を上って降りるその行動だけを3時間かけて達成した。3333段目から1kmほど歩いた先に釈迦院がありそこでは御朱印が頂けるのだそうだ。御朱印をもらえば「階段上ってきましたよ」と自慢もできるのだが、こうして書いたところで「本当かな~」「ふ~ん」で終わってしまいそうな気がする。そこでこのコーナー書いて2年目、初めての試みですが私と同じように無謀にも3333段に挑戦して意思とは関係なく足が勝手に駆け下りてきた経験がある方、ぜひ「いいね!」をお願いします。
 
  どうやって「いいね!」するんだろう?

決意の3333段 其の2

 100段ごとに目印があり今の自分の位置を知らせてくれた。500段目で息が上がり、1000段目で心が折れた。どうしよう、やめるか、願掛けが・・・・立ち止まり、しゃがみ込みどうにか上り続けた。上り終えた人がさわやかな顔で降りてくる。すれ違いざまに
「こんにちは」「がんばってください」と声をかけてくれる。しかしその声にも反応できないくらい心身ともに追い込まれていた。軽い気持ちで来てしまったがもう後には戻れない。ただひたすら3333段目をめざして上り続けた。願い事は無事に登り切ることになっていた。のぼりはじめて1時間40分ようやく最後の石段を上がることができた。晴れやかさとか達成感ではなく「やっと終わった」しかし、すぐに気付いた上ったということは最初の場所まで下らなければならない。3333段の下りの石段が待っている。そして理解できた、同世代くらいの人たちが素早く駆け下りていたわけ。それは軽やかなのではなく重力に任せて滑り落ちていたのだと。自分の意志で下っているのではなく「手すり」に身をゆだねて足が勝手に石段を滑り落ちていく。およそ1時間かけて3333段を転がり下りた。