本日は日曜日で学校は休みです。インフルエンザA型が増えていますので、感染が広がってなければ良いがと心配でなりません。どうか、ご家庭でも手洗いをしっかりするようお話ください。
絶対に繰り返してはいけない 2年 郡 瑞穂さん
「敵を殺すのも、自分が死ぬのも、友だちが死ぬのもどうでもよくなってしまう」
この言葉が「あの日、僕らは戦場で」を読んでからずっと頭に残っています。私たちと同じ年頃の少年たちがこんな酷い言葉を発するほどの戦争について、私はよく知りませんでした。
少年兵、この本をはじめて手に取ったとき、この言葉を見つけ、驚きました。戦争に行くのは大人だけかと思っていたからです。なかを読むと、「志願とは名ばかりの実態」と書いてあったり、「きさまらなんぞ、葉書一枚でどうにでもなる」と言って指をそろえた右手で左の手のひらを切るように、つまり「死ぬ」ということを意味する仕草をした、などのようなことが書かれてありました。
私は「このようなことがあっていいのか」と思いました。しかし、これは全て事実で、分かっているだけでも162人という数の少年兵が戦死という形で亡くなっているそうです。考えるだけで全身が震えるように怖くなりました。そして、何も知らなかった自分が恥ずかしくなりました。
先日、とても貴重な機会が訪れました。戦争を体験した方から、直接話を聞くことができました。その話は実に重々しく、その時の悲痛が手に取り分かるほどに周囲の空気も落ち込みました。
「あたりまえ」私はこの言葉が怖く感じました。戦争中は、「10人殺したら死んでもいい。」今、もしこの言葉を言われたら、どう感じますか?少年兵たちは、きびしい訓練と制裁の毎日が続き、いつしかこの言葉を聞くと、喜ぶ気持ちになってしまったそうです。また、「お国のために死ねるか」と言って日本刀を首にあててきたそうです。そして、何度も問われるうちに、心が麻痺していったそうです。私は、この本のページについている挿絵を見て、本当に断腸の思いになりました。少年の目は、もう何も見えていないかのように力なくただ一点を見つめているのです。まるで、全ての希望を失ったかのようでした。
戦争は、少年たちをやさしさも怖さもなく、心が動かなくなり、自ら判断もできず、命令のまま行動してしまう、「妄動」と言われる状態になるまで追い詰めることになる、ひどいという言葉ではおさまらないくらいひどいものです。
私は、正直、その時代に生まれなくて良かった、という気持ちもあります。ですが、それ以上に戦争というものが凄まじいものであり、自分が自分でいられなくなってしまうものであることが想像つかず、知識も足りない自分はまだまだ未熟だと感じました。
現在、そのひどい戦争を永久に放棄するという内容の「日本国憲法第九条」がなくなるかもしれない、ということをニュースで聞きました。国民が反対しているこの九条の改正ですが、メリットもあることがわかりました。何かというと、
一 現状と憲法の相違をなくせる
二 自衛官の負担を減らし、命を守れる
三 海外での法人救出
この三つです。確かに、必要かもしれません。ですが、戦争をしないという九条を改正する、というと、やはり戦争をすると言ってるようにも聞こえます。戦争を経験していない私ですが、これまで戦争について調べたり、聞いたりして少しは戦争というものが分かった気がします。それを知った上で、私は九条は改正しない方がいいと思います。ですが、もし、どこか国が戦争をしかけてきたら話は別です。だから、その時に備えた新しい憲法をつくることが最善だと私は思います。
「戦争」私はこの言葉が一番嫌いです。それと同時に、絶対に忘れてはならない言葉だと思います。これから、自分たちが国の在り方を決めていく中で、争いをしない、最善の方法を自分なりに見つけていきたいと思います。