宮崎県(みやざきけん) 日南市立(にちなんしりつ) 吾田東(あがたひがし)小学校のHPです!

2018年9月の記事一覧

通学路の思い出②

 今日は、参観日、各学年たくさんの方々に来ていただき、ありがとうございました。懇談にて本日いただきましたご意見を、学校経営に生かしていきたいと思っております。また、運動会も近づきその機運も徐々に高まってきつつあります。昨日は、五六校時に六年生の泰平踊の練習がありました。PTA会長が保存会の皆様にあいさつをしに来られました。保存会の会長の話によると、今年のメンバーはなかなか覚えが良いとのことでお褒めの言葉をいただきました。雨が降らないように祈っています。良い運動会ができますように……。
 さて昨日に続いて、通学路について書き足します。今日は帰宅までの道のりについて書くことします。私は、小学一年生の頃から六年生まで、平日は「重山塾」というところに通わされました(4年生からは土日はスポーツ少年団です)。そのため、帰宅途中にこの塾に通うため朝の通学路とは、全く違った経路を通って帰っておりました。塾に通ったのは家庭の事情という理由です。あの英才教育とかいう先進的な理由とは全くけた外れに違います。ここの高齢な白髪の女性である重山先生は、元先生というよりは、師範学校を卒業した方だと後に聞きましたが、私たち塾生にとっては、先生は「先生」以外のなにものでもありませんでした。この先生の木造平屋建ての古い家屋の外には、広い庭が広がっていて、先生が丹精込めて育てた季節の花々が、四季折々咲いておりました。この花壇には、大きな蟻が巣をいたるところに作っていて、地面にぽっかり開いた穴からは、大きな黒蟻が忙しく出入りしておりました。塾の友達や兄弟が出てくるのを待っている間、穴から出入りする蟻をずっと見つめていたり、わざと穴に砂を注ぎ込んでいじわるなんかをしたりしていました。この塾は、今の塾とは大違い、江戸時代の寺子屋みたいな造作で、八畳ニ間に、木製の短脚の長テーブルが並べられ、正座して勉強をしておりました。先生は、奥の部屋の丸テーブルの所に座してにらみをきかせており、部屋に入ってきた時の「先生、こんにちは!」の声には厳しく眼を光らせておられました。言い方や声の大きさが悪いと、何度でもやり直しをさせられました。言うことを聞かん子は退塾です。勿論帰りも同じです。でも本校児童もそうですが、帰るときだけは声がでかいので、心配無用です。この解放感は、動物園の檻からサバンナの草原に開放された子ザルのようなものです。まずは、学校から出された宿題をいたします。とことん考えます。でもどうしても解けない問題があるのです。そこで、先生のところにもっていくと、大変な叱責を受けることになるのです。「本当に分からないの。真剣に考えたの。ちょっと考えてもってきたんじゃないの」と厳しく問い詰められ、突っ返されるのです。ですから、おいそれとは先生に聞くことはできませんでした。ず~と考え込んで、考え込んで、それでもできないと頭を抱え込んで「考える人」のポージングをしていると、先生からお呼びがかかるわけです。宿題がやっと終わると、先生から学校で使用している「漢字ドリル」や「計算ドリル」を持ってくるように言われます。そこで「〇ページ~〇ページまでやりなさい」という指示が出ます。そこで練習帳に解いてもっていくと、先生がドリルの解答を見ながら、〇つけをしてくださいます。できるまで、ひたすら何回でもやり直しです。特に計算ドリルは分からなくても、間違っていると分かっていても歯をくいしばって突撃します。もっていかないと、先生から催促がかかります。「遊んじょっちゃないとね!」と。ですから、途中カンニングしてドリルの末尾にある答えを見ながら、終わらせるという方法もあるのですが、これがバレたら大変なことになるわけです。先生は独特の勘をもっておられ、そのような箇所を見つけると、時々説明を求められるのです。事実、何人もの偽装工作失敗者を見てきておりましたので、私は先生が怖くてできるはずもありませんでした。やっと、練習問題が終わると、宅習問題の指示が出ます。同じく「漢字ドリル」か「計算ドリル」の作業です。でも、この塾から脱出できるのです。喜び勇んで「先生、さよならぁ~」と喜び踊って帰っておりました。勿論、宅習を忘れて、翌日塾に来るようなことがあれば、どのようなひどい目に合うか、想像に難くないことでございます。けれども、今自分がここにあるのは、この先生の御蔭でもあると、ことあるごとに思い出しては、心から感謝しています。天国にいる重山先生本当にありがとうございました。校長 都成 量